語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【言葉】一方の得は他方の損である

2015年12月05日 | 批評・思想
 「歳をとる、それは歳月のうちに青春を組織することだ」とポール・エリュアールは言った。
 歳をとる利点の一つは、若いときには未消化だった読書が、いつの間にか消化されていることだ。
 たとえば、モンテーニュ。
 『エセー』第1巻第22章は『エセー』中もっとも短い章で、「一方の得は他方の損である」と題する。
 中学生のころ、岩波文庫から『エセー』が刊行され始めた。『徒然草』の解説からモンテーニュの名を知ったのだろう、と思う。予約購読し、刊行されるつど読んでいった。
 第1巻第22章を読み、これが世間というものか、と衝撃を受けた。
 この衝撃は今日まで続いている。

 ただし、同じ人がいつも得をしたり、逆にいつも損をするわけではない。ある場合には得をし、別の場合には損をする。そういう積み重ねである。そういうことが段々とわかってきて、衝撃の度合いは薄らいでいった。
 それと、「一方の得は他方の損にはならないで、他方の得になる場合もある」ことも知った。「一方の得は他方の得でもある」からこそ、商業が発達してきたのfだ。むろん、常に両者が得をしてきたわけではなくて、常に一方が損をする「収奪」もあったのだが。

 いま、「一方の得は他方の損である」を振り返ってみると、殊に二人、あるいは小人数の集団において成立する洞察であると思う。
 モンテーニュの念頭にあったのは、王や貴族といった支配階級ではなかったか。彼らは狭い集団をなしていた。当時のフランスの貴族たちや、貴族グループの親玉たる王は宗教戦争を血みどろになって戦った。経済的政治的な利害で、新教から旧教へ、あるいはその逆に、コロコロと信念もなく変わった。油断も隙もなかった。
 今日のグローバル企業やブラック企業は、実際に首を刎ね、血を流してはいないが、クビ切りは容赦なくやるし、目に見えない血を流させている点、モンテーニュの時代と大差はないといえるかもしれない。

□モンテーニュ(原二郎・訳)『エセ(1)』(岩波文庫、1965)
□モンテーニュ(原二郎・訳)『エセ(2)』(岩波文庫、1965)
□モンテーニュ(原二郎・訳)『エセ(3)』(岩波文庫、1966)
□モンテーニュ(原二郎・訳)『エセ(4)』(岩波文庫、1966)
□モンテーニュ(原二郎・訳)『エセ(5)』(岩波文庫、1967)
□モンテーニュ(原二郎・訳)『エセ(6)』(岩波文庫、1967)
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