語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】神戸市長田区に見る「復興災害」(1)

2014年02月11日 | 社会
 (1)JR新長田駅から南へ向かい、国道2号線を渡った先に、南北にアーケードが伸びる。大正筋商店街だ。上階がマンションなど高層ビルに挟まれている。
 一帯は、阪神・淡路大震災後に神戸市が「アスタくにづか」と名付け、大々的にオープンさせた「復興商店街」だ。1番館から6番館まで高層ビルが並ぶ。「アスタ」とは、明日のタウンの謂い。安直きわまる命名だ。

 (2)震災前のにぎわいは、取り戻せていない。
 人影は嘘のように消え、クリスマス前の3連休でも午後7時にはほとんどの店がシャッターを下ろす。11年前に2番館の2階の1室を2,500万円で買った婦人服店「クイーン」も、売り上げは激減する一方だ。なじみ客が高齢化で服を買わなくなったこともあるが、とにかく人が歩いていないのだ。震災前にはイベントで1,000万円を売り上げた時もあったが、最近では月300万円がやっと。
 売り上げ減の中、毎月徴収される管理費が、大きな負担になる。月4,000円/坪、15坪で6万円。少し下がっても月5万円以上、固定資産税と合わせて月8万円も負担する。
 かさむ負担に店を畳んで売却しようとしても、不動産屋は「ここは値段がつかない。2階はまず売れない」と買い取りを拒否する。

 (3)こうした中、市はダンピングしてテナント貸しを始めた。15坪より広い部屋を月1万円で貸し出したりしているのだ。
 市に問い合わせても、「新長田まちづくり株式会社」に聞いてくれ、と市は繰り返すだけ。
 ビル管理会社などで構成する「第三セクター」の同社の社長は、宍戸正行(57歳)・神戸市商工会議所職員。問い合わせても、宍戸社長は応対せず、担当者は「ケースバイケース」とごまかす。

 (4)震災前は、職住同居の商店だったが、今は住居の減額措置がないため固定資産税が高い。
 また、管理費が高い原因の一つは、共有面積が広いからだ。「アスタくにづか」自慢の「三層プロムナード」は3階までビル同士が通路で行き来できる。しかし、ほとんど人が通らない廊下なども煌煌と照明が輝いていて、エスカレーターが動いている。それらの維持費が管理費として商店に請求される。
 共用部分のどこに、どう金が使われているのか、詳細は各商店には知らされていない。

 (5)「新長田まちづくり株式会社」の会計を調べてみると、修理代などの明細によれば、電球代1個に至るまで受注先がすべて同社となっている。発注元と発注先が同じなのだ。これなら好き放題ができる。
 集めた金が彼らの関係者の中で回っている。共用部分の修理内容は商店主らには詳細がわからない。元の領収書を見せろ、と詰め寄っても見せない。かかる不正は、犯罪に近い。
 同社は、さらに電力会社が電力料金を決める際の「総括原価方式」のようなやり方で集金している。水道代でも電気代でも、諸経費などの名目で15%増しにして請求している。被災者を搾取している。
 「新長田まちづくり株式会社」の筆頭株主はイオングループのイオンディライトで、二番手は神戸市。第三セクターがさかんに批判された頃で、市は筆頭にならず、民間の形をとって責任を免れている。以下、関西電力、三井住友銀行など大手銀行が株主に名を連ね、世間の信用を得るには充分だ。しかし、実際は運営しているのは、たった8人だ。
 同じビルでも、住宅より店舗の管理費が数倍高いことも判明した。
 共用部分は商店だけが利用しているわけではないのだが、完成当初、市は商店に、「買い取らなければ入居できない、すべて分譲」と言った。
 その共用部分の固定資産税も、商店の負担となる。
 それでいて、「新長田まちづくり株式会社」は月1万円で部屋を貸し出したりしているのだ。
 「不公平」「売れない物件を買わせた」・・・・2012年1月、店主ら52人は「新長田まちづくり株式会社」を相手に過払い金3億円の返還を求める訴訟を神戸地裁に起こした。しかし、裁判は遅々として進まない。

 (6)管理者を別の民間管理会社に変更しようとする動きがあった。しかし、床面積の多くを所有する神戸市が反対した。区分所有法で決められた4分の3の議決権を得られず、規約改正ができない。
 この問題は2013年3月に市議会の都市防災委員会でも取り上げられ、陳情も行われた。さすがに市もまずいと思ったのか、住民参加のプロジェクトを立ち上げ、収拾を図ろうとしている。しかし、管理会社を換える、とは言わない。

 (7)市民そっちのけの行政で利益を得たのは誰か。
 ゼネコンはもちろんだが、もう一つは市から委託されたコンサルティング会社だ。1億円単位の金をもらっていたはず。その人物Xが少し出資して、現在、「新長田まちづくり株式会社」に居座っている。
 Xは、神戸市職員だったが、若いころに退職して環境再開発研究所を立ち上げ、現在は「新長田まちづくり株式会社」の取締役も兼務している。
 震災前の1989年に就任した笹山幸俊・神戸市長(当時)は、「インナーシティ計画」を出してきた。新長田駅前に高層ビルを建て、地下鉄海岸線を建設するなどを決定。その地下鉄は今、大赤字だ。
 再開発を強力に指導してきた松下綽宏・助役(当時)は、10年前に「空床が出るとは想定していなかった。市が責任をもって対処する」と話していたが、退職している。

□「新長田まちづくり株式会社」災害」」(「週刊金曜日」2014年1月17日号)
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 【参考】
書評:『復興の闇・都市の非情 --阪神大震災、五年の軌跡』

   


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