語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【ターナー】ラスキンとの出会い ~ターナーの評価の定着~

2018年04月19日 | 批評・思想
 <1840年代半ば以降の、さらには没後のターナーの名声は、ジョン・ラスキンの存在が無ければかなり違ったものになっていたろう。>
 <のちに彼は、『近代画家論』全5巻(1843-60年刊行)を通して、ターナー擁護の論陣を張ることになる。ラスキンにとってターナーは、「自然の全体系を写し取った唯ひとりの人間であり、この世に存在した唯ひとりの完璧な風景画家」であった。彼の芸術は、自然の表層を正確に描写するだけでなく、見る者の精神をより深い思索へと導くからこそ重要である、とラスキンは主張した。ターナー本人はラスキンの解釈を全面的に肯定していたわけではなく、二人のあいだには常に一定の距離があった。とはいえ、ヴィクトリア朝時代(1837-1901)の最大の美術批評家となったラスキンの支持を得たことは、ターナーの評価に大きな影響をおよぼし、画家自身もそのことを十分に認識していたらしい。>

●ターナー擁護の起爆剤となった問題作《ジュリエットと乳母》
 <前景右手に、バルコニーにもたれたジュリエットが描かれている。『ロミオとジュリエット』の名高いバルコニーの場面を、ターナーがなぜヴェローナではなくヴェネツィアに設定したのかは明らかではない。おそらく彼は、ヴェネツィアの伝統的なカーニヴァルの夜の賑わいを、キャピュレット家の仮面舞踏会のそれに重ね合わせたのであろう。眼下に見えるサン・マルコ広場には、美しく着飾った大勢の人びとが繰り出し、右手遠方の空には花火が上がっている。この不思議に幻想的な画面は、「色彩を媒介にして想像力に訴えかけてくる」と称賛される一方で、「太陽の光でも、月の光でも、星の光でも、火明かりでもない奇妙なごたまぜ」と激しく非難された。この批判が、17歳のラスキンを奮い立たせたのである。>

□荒川裕子『もっと知りたいターナー 生涯と作品』(東京美術、2017)のpp.58-59「ラスキンとの出会い」から一部引用

 【参考】
【ターナー】時の移ろいと歴史の変遷への思いを投影《戦艦テメレール号》 ~思いを表現するテクニック~
【ターナー】の松と『坊っちゃん』

 J・M・W・ターナー《ジュリエットと乳母》1836年 油彩、カンヴァス アマリア・ラクロゼ・デ・フォンタバート・コレクション、ブエノス・アイレス
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。