(1)現実からズレている制度
もともと社会保障は予防主義だ。強制力によって社会を新自由主義的に鎮圧するのではなく、国民の生活を国家が責任をもって保障することにより、秩序の乱れを予防することを目的として社会政策は主張される。
財政赤字は社会に危機があるから生じる。財政赤字を克服すれば社会の危機が克服されるわけではない。小泉政権時代、医療や介護をどんどん縮小したら、地方がガタガタになってしまった。格差が拡大し、貧困が増大し、危機がいっそう進行した。「失われた20年」になってしまった。
不良債権処理をきちんとやらず、銀行が大量に不良債権を抱えているのに、量的金融緩和ばかりやっても信用が拡大するわけがない。そのうち格差と貧困が広がり、デフレの最大の原因になった。ものが買えず、雇用がないのだから。おまけに、家族解体、寝たきりや認知症の独居老人、母子世帯など、貧困も多様化している。お金をもらっても問題は解決しない。
にも拘わらず、通貨を増やせばデフレは解消する、という主張がいつまでも唱えられる。貨幣数量式しか念頭にないのだろう。論理の単純化が極端に進み、格差や貧困の広がりという現実を見ていない。1970年代末に倦まれた新自由主義のイデオロギーが染みついて、論証不能な命題を繰り返している。そして、次のバブルの到来をひたすら待つ。それが格差を拡大させ、再分配を担う財政がだんだん崩壊していくから、ますます金融緩和に頼ることになる。
1980年代から、完全に緊縮財政になっている。不況になると金融緩和だ。財政による景気回復でなく金融による景気回復は、格差を発生させ、拡大する。日本は「格差社会」だ、と1990年代には声高に叫ばれるようになった。
こうした状況の下、生活保障機能を果たしてきた「日本的経営」が崩れていった。日本的経営の崩壊に対応した制度改革が全く追いついていない。現実と制度が完全にズレている。システム全体が壊れているのに、それに代わる新しいものができていない。
<例1>教育は、それまで企業内教育が請け負っていたことを社会化しなければならないのに、そういう手当てがない。
<例2>若年層の転職が当たり前、40代からリストラも当たり前、M&Aで企業も簡単に合併する。ところが、年金保険も医療保険も雇用も全部、一企業で閉じるようにできている。しかも、みな「標準世帯」モデル(サラリーマンの夫、専業主婦の妻、子ども2人)が前提になっている。
かくて、個人を守る制度は旧態依然のままポンコツになっていき、企業だけが好き勝手に米国型経営みたいなかたちで変わっていく。
(2)「一体改革」の問題点
(a)「一体改革」の対象は、①年金の財政赤字(国庫負担分=2分の1)、②長寿医療制度の医療保険、③介護保険が中心だ。これだけで消費増税することに地方自治体から反発があったので、④子育て政策が追加されたにすぎない。
(b)「一体改革」から漏れているものは、貧困問題/生活保護と障がい者福祉だ。
①貧困問題/生活保護
(ア)高齢単身者・・・・かつて日本の貧困は「女性の貧困」)だった。60歳前後の女性単身世帯のほぼ4割が離婚者で、社会保障の権利がない場合が多い。男性が稼ぎ、稼ぎ主が社会保険に加入することが前提となっていたからだ。ところが、今では「男性の貧困」になった。婚姻経験のない単身者が増えてきて、60歳前後の男性単身世帯のほぼ5割だ。かかる男性は、女性を養える職業に就いてこなかった人が多い。加えて、その予備軍が30代に大量にいる。こうした状態で現状の年金制度や社会保障をそのまま続けたら、大量の生活保護受給者が生まれるのは確実だ。
(イ)子ども・・・・離婚が増えたため、子どもの貧困が顕著に増大した。子ども時代から貧困の環境に措かれると、将来に対して希望や意思を持てなくなる。学力形成もできない。絶望しかない。その中で唯一の希望は「破壊すること」。
②障がい者福祉
歳をとれば誰も障がい者になる(スウェーデンの考え方)。
(c)日本の社会保障の特徴は、国際比較すると、
①欧州大陸諸国と比べて日本の社会的支出は非常に小さい。米国同様の「小さい政府」だ。
②年金=高齢者現金と疾病保険=医療保険=保険医療の2つの割合が日本では大きくて現物給付が北欧諸国に比べて立ち遅れている。欧州は、それ以外にも社会的支出が割かれている。
(ア)「家族現金」=児童手当ないし子ども手当
(イ)「高齢者現物」=介護サービスを含む高齢者福祉サービス
(ウ)「家族現物」=育児サービス
(d)年金制度そのものも完全に崩壊している。「一体改革」は神野直彦のいわゆる知識社会への移行に全く即していない。
①「標準世帯」モデルが現実とズレている。家族の解体(上の高齢世代と下の若年世代で単身化現象)は1980年代から始まっている。
②少子高齢化の急速な進行は1980年代から分かっていたのに、パッチワークでやりくりするだけだった。
③社会保障制度は、次の3つの変化によってニーズが大きく変化し、それまでの制度では対応できなくなり、制度が壊れてしまう。
(ア)人口構成の変化
(イ)家族形態の変化・・・・独居老人や母子世帯の増加。
(ウ)雇用形態の変化・・・・国民年金の構成者だった自営業者と農業者が規制緩和のせいでどんどん潰れ、他方では非正規雇用の加入がじわじわ増えていった。現行の国民年金制度は納付率8割を前提としてできているが、今や未納率が4割だ。
(e)国民健康保険制度にも、(d)と同様の問題がある。
制度の分立が弱いところにしわ寄せする傾向が、明確に1990年代半ばから出始めて現在に至っている。放置しておくと、社会的弱者が吹き溜まってしまう。
以上、金子勝/神野直彦『失われた30年 ~逆転への最後の遺言~』(NHK出版新書、2012)の「第2章 社会保障と財政」に拠る。
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もともと社会保障は予防主義だ。強制力によって社会を新自由主義的に鎮圧するのではなく、国民の生活を国家が責任をもって保障することにより、秩序の乱れを予防することを目的として社会政策は主張される。
財政赤字は社会に危機があるから生じる。財政赤字を克服すれば社会の危機が克服されるわけではない。小泉政権時代、医療や介護をどんどん縮小したら、地方がガタガタになってしまった。格差が拡大し、貧困が増大し、危機がいっそう進行した。「失われた20年」になってしまった。
不良債権処理をきちんとやらず、銀行が大量に不良債権を抱えているのに、量的金融緩和ばかりやっても信用が拡大するわけがない。そのうち格差と貧困が広がり、デフレの最大の原因になった。ものが買えず、雇用がないのだから。おまけに、家族解体、寝たきりや認知症の独居老人、母子世帯など、貧困も多様化している。お金をもらっても問題は解決しない。
にも拘わらず、通貨を増やせばデフレは解消する、という主張がいつまでも唱えられる。貨幣数量式しか念頭にないのだろう。論理の単純化が極端に進み、格差や貧困の広がりという現実を見ていない。1970年代末に倦まれた新自由主義のイデオロギーが染みついて、論証不能な命題を繰り返している。そして、次のバブルの到来をひたすら待つ。それが格差を拡大させ、再分配を担う財政がだんだん崩壊していくから、ますます金融緩和に頼ることになる。
1980年代から、完全に緊縮財政になっている。不況になると金融緩和だ。財政による景気回復でなく金融による景気回復は、格差を発生させ、拡大する。日本は「格差社会」だ、と1990年代には声高に叫ばれるようになった。
こうした状況の下、生活保障機能を果たしてきた「日本的経営」が崩れていった。日本的経営の崩壊に対応した制度改革が全く追いついていない。現実と制度が完全にズレている。システム全体が壊れているのに、それに代わる新しいものができていない。
<例1>教育は、それまで企業内教育が請け負っていたことを社会化しなければならないのに、そういう手当てがない。
<例2>若年層の転職が当たり前、40代からリストラも当たり前、M&Aで企業も簡単に合併する。ところが、年金保険も医療保険も雇用も全部、一企業で閉じるようにできている。しかも、みな「標準世帯」モデル(サラリーマンの夫、専業主婦の妻、子ども2人)が前提になっている。
かくて、個人を守る制度は旧態依然のままポンコツになっていき、企業だけが好き勝手に米国型経営みたいなかたちで変わっていく。
(2)「一体改革」の問題点
(a)「一体改革」の対象は、①年金の財政赤字(国庫負担分=2分の1)、②長寿医療制度の医療保険、③介護保険が中心だ。これだけで消費増税することに地方自治体から反発があったので、④子育て政策が追加されたにすぎない。
(b)「一体改革」から漏れているものは、貧困問題/生活保護と障がい者福祉だ。
①貧困問題/生活保護
(ア)高齢単身者・・・・かつて日本の貧困は「女性の貧困」)だった。60歳前後の女性単身世帯のほぼ4割が離婚者で、社会保障の権利がない場合が多い。男性が稼ぎ、稼ぎ主が社会保険に加入することが前提となっていたからだ。ところが、今では「男性の貧困」になった。婚姻経験のない単身者が増えてきて、60歳前後の男性単身世帯のほぼ5割だ。かかる男性は、女性を養える職業に就いてこなかった人が多い。加えて、その予備軍が30代に大量にいる。こうした状態で現状の年金制度や社会保障をそのまま続けたら、大量の生活保護受給者が生まれるのは確実だ。
(イ)子ども・・・・離婚が増えたため、子どもの貧困が顕著に増大した。子ども時代から貧困の環境に措かれると、将来に対して希望や意思を持てなくなる。学力形成もできない。絶望しかない。その中で唯一の希望は「破壊すること」。
②障がい者福祉
歳をとれば誰も障がい者になる(スウェーデンの考え方)。
(c)日本の社会保障の特徴は、国際比較すると、
①欧州大陸諸国と比べて日本の社会的支出は非常に小さい。米国同様の「小さい政府」だ。
②年金=高齢者現金と疾病保険=医療保険=保険医療の2つの割合が日本では大きくて現物給付が北欧諸国に比べて立ち遅れている。欧州は、それ以外にも社会的支出が割かれている。
(ア)「家族現金」=児童手当ないし子ども手当
(イ)「高齢者現物」=介護サービスを含む高齢者福祉サービス
(ウ)「家族現物」=育児サービス
(d)年金制度そのものも完全に崩壊している。「一体改革」は神野直彦のいわゆる知識社会への移行に全く即していない。
①「標準世帯」モデルが現実とズレている。家族の解体(上の高齢世代と下の若年世代で単身化現象)は1980年代から始まっている。
②少子高齢化の急速な進行は1980年代から分かっていたのに、パッチワークでやりくりするだけだった。
③社会保障制度は、次の3つの変化によってニーズが大きく変化し、それまでの制度では対応できなくなり、制度が壊れてしまう。
(ア)人口構成の変化
(イ)家族形態の変化・・・・独居老人や母子世帯の増加。
(ウ)雇用形態の変化・・・・国民年金の構成者だった自営業者と農業者が規制緩和のせいでどんどん潰れ、他方では非正規雇用の加入がじわじわ増えていった。現行の国民年金制度は納付率8割を前提としてできているが、今や未納率が4割だ。
(e)国民健康保険制度にも、(d)と同様の問題がある。
制度の分立が弱いところにしわ寄せする傾向が、明確に1990年代半ばから出始めて現在に至っている。放置しておくと、社会的弱者が吹き溜まってしまう。
以上、金子勝/神野直彦『失われた30年 ~逆転への最後の遺言~』(NHK出版新書、2012)の「第2章 社会保障と財政」に拠る。
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