語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】の考える、貧乏をなくす方策  ~『貧乏物語』解説(3)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
 (承前)

(7)教育の無償化という貧困対策
 現在、貧困、特に子どもの貧困が深刻になっている。政府も保育園の待機児童対策や大学生への給付型奨学金の導入など、教育問題に取り組むようになっている。しかし、野党の主張を含めて、事態の深刻さを理解していない場当たり的な対処に過ぎないように見える。
 太平洋戦争中のレイテ戦のような、戦力の逐次投入をすべきではない。抜本的解決を図るべきで、その方策のひとつは教育の原則無償化だ。ゼロ歳から22歳まで、国公立の機関が行う保育、教育は原則として無償にするのだ。
 この事業に要する費用は3兆円くらい。こういう事業の財源こそ、消費税に求めるべきだ。制度設計さえきちんとできていれば、1%もあれば財源は確保できるはずだ。
 重要なのは富裕層も対象として、社会の分断をつくらないようにすること。
 東西冷戦下においては、こういう再配分をしなければ共産主義の脅威が迫ってくるということで、富裕層も納得していた面がある。しかし、共産主義の脅威のない現在、社会全体が利益を被る政策を採るときは、富裕層を納得させ、富裕層も巻き込むことが必要になる。
 富裕層とは、純金融資産保有額が1億円以上の世帯を言い、2013年現在、日本に100万世帯あるという(野村総合研究所)。全体の2%だ。彼らの子どもの教育費を無償にしたところで、支出はたいしたことはない。彼らにまわさなければ、海外に出てしまうリスクがある。
 富裕層は経済成長によって利益を被る。子どもの貧困問題を解決するということは、労働力の質が向上することを意味する。将来、公的扶助を受ける人の数が減ってくる。子どもが育てば税収も増える。
 してみれば、子どもの貧困対策こそ、成長戦略だ。
 現在、国民は老後の不安とならんで教育の不安を抱えている。そのために貯蓄している家庭が少なくない。教育の不安がなくなれば、親世代がお金を使い始める経済的効果が見込まれる。
 「子どもの貧困対策」を政策とするなら、「人の成長戦略」として教育の無償化に目を向けるべきだ。

(8)人間関係の商品化
 以上、貧困問題を社会科学的アプローチ、論理性、実証性を重視して見てきた。しかし、それだけでは抜け落ちてしまう部分が残る。人間の心情だ。
 人間の心情については、評伝、伝記、良質の小説を読むことが重要だ。

(9)資本主義の矛盾を解決する二つの方法
 資本主義は格差をもたらす。資本主義の構造的矛盾を解決する処方箋は、おそらく二つに限られる。
  ①『貧乏物語』が唱える社会、特に自覚した富裕層による再分配だ。資本主義の競争に勝利した者が、自分の富の一部を自発的に社会的弱者に提供する「贈与」だ。<例>フードバンク。
  ②知人同士、友人同士の「相互扶助」だ。組織の内外で競争が激しくなっていく中、人間関係はますます希薄になっている。人間関係そのものが商品化されるのが資本主義だとすれば、商品経済とは異なる関係を築くことが必要だ。社員が会社の利益に貢献する限りにおいては、会社は互助組織として役立つ。NPOでも何でもいい。組織に属していること、組織にしがみつくこと。組織がセーフティネットであるのは間違いない。
 社会問題という言葉は、しばらく死語になっていた。しかし現在、貧困、教育格差、限界集落、移民など社会問題が復活している。
 1,980万人もの非正規社員の処遇をいかに改善するかが問題になっている。正規社員の1年間の平均給与が478万円であるのに対し、非正規社員は170万円だ【国税庁「民間給与実態統計調査」(2014年)】。これでは婚姻、子育てはできない。『貧乏物語』は日本に資本主義が成立してから間もないことに貧困と向かい合ったが、日本資本主義体制の危機が訪れている現在、絶対的な貧困をなくし、構造的な弱者である若年層の状態を改善することが求められている。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
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 【参考】
【佐藤優】河上肇の、貧乏をなくす方策  ~『貧乏物語』解説(2)~
【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 


【佐藤優】河上肇の、貧乏をなくす方策  ~『貧乏物語』解説(2)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
 (承前)

(4)貧乏をなくす三つの方法--『貧乏物語』(下編)解説
 貧乏の根治策を提示する。
  ①贅沢の抑制。
  ②所得再分配。
  ③産業の国有化。
 ③は、物の生産を私人の営利事業に一任するのではなく、直接国家の力で経営する「経済上の国家主義」というべきものだ。その後の歴史が選択したのは③だったが、『貧乏物語』は経済体制の改造は貧乏退治の根本対策にならないとしている。組織や制度を変えても、運用する人間そのものが変わらなければ解決にならないと記す。
 ということで、『貧乏物語』は②、③を否定して①に回帰する。江戸時代の贅沢禁止のお触れがあるように、突飛な考えではない。しかし、明治維新からまだ50年ほどしか経っていないという時代背景も大きかったと推定される。下級武士、農民から這い上がって富裕層に至った人が多かった。スマイルズ『自助論』を中村正直が訳したベストセラー『西国立志編』や福沢諭吉『学問のすゝめ』の延長線上に彼らはいた。

(5)善意の帝国主義者--ロイド・ジョージ論
 ロイド・ジョージは、1916年(第一次世界大戦中)に首相に就いた。貧困問題を国内で解決しようとすれば生産性を上げねばならない。労働者の視点に立てば、より搾取されてしまう状況が生まれる。そこで彼は、外に解決を求めた。内部の問題を外部で解決する帝国主義の道だ。
 これは米国などの域内においては新自由主義的政策を取るが、それ以外の「外部」に対しては帝国主義的な手法で利益をえるという、現在のTPPの論理と似ている。
 ロイド・ジョージを賞讃する『貧乏物語』は、帝国主義的側面がないとは言えない。しかし、それは当時の左翼に共通する傾向だった。現在では左翼といえば植民地反対を唱えるものと決まっているが、当時においてはそうではなかった。

(6)ふたたび貧困は社会問題になった
 『貧乏物語』は1947年に岩波文庫に入った。解題で大内兵衛(労農派マルクス主義者)は書いた。「日本の社会問題はもはや『貧乏物語』ではない」と。
 『貧乏物語』が刊行された第一次世界大戦のさなか、「貧乏」はまさに社会問題だった。貧乏が日本の問題であることを最初に示したのは『貧乏物語』だった。日本に資本主義が生まれてまだ時間が経っていないころ、「貧乏」が喫緊の課題だった。しかし、河上肇自身が『貧乏物語』を絶版にしたように、その後、マルクス経済学は『貧乏物語』を過去のものとして扱った。
 だが、大内発言を終戦直後という時代環境に照らしてみると、違った側面が見えてくる。
 1940年に成立した国家総動員体制は、厚生省を創設し、社会保険制度を生み、借り手を保護する借地法、借家法の改正につながった。貧困を根絶し、格差を是正するというベクトルが働いたのだ。しかし、それは資本主義が勝利したからでも、労働運動の力があったからでもなかった。国家によって上から総力戦体制が構築されたからだ。戦争をすることで格差が是正されるというピケティの主張は、この点で正しい。
 その後もしばらくは貧困は社会問題にならなかった。東西冷戦があったからだ。貧困が深刻になれば共産主義革命が起きるという恐れがあった。そのため、国家が介入することによって再分配をして福祉国家をつくる。日本では田中派政治がそれに当てはまる。公共事業(土建)を通じたかたちで富は再分配された。
 しかし、東西冷戦が終結すると、状況は変化した。共産主義の脅威を気にする必要がなくなると、再分配政策は捨てられた。冷戦後に新自由主義的な政策が世界的規模で拡大したのは、そのような背景がある。そして、貧乏はふたたび深刻な社会問題になった。
 いま『貧乏物語』を読む意味は、そこにある。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
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 【参考】
【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 


【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
(1)性悪説のピケティと性善説の河上肇
 ①河上肇『貧乏物語』も②トマ・ピケティ『21世紀の資本論』も、「絶対的貧困」を再分配(富裕層に集中する富を貧困層に移すこと)によって解決しようとしている点で共通している。
 違う点がある。①は性善説に立ち、自覚した富裕層が良心に従い再分配を行う主体となるとした。
 ②は性悪説に立つ。資本家が自発的な再分配を行うとは考えず、分配の主体を国家(官僚)とした。累進的な所得税、相続税に加え、資本税の導入も唱える。さらにグローバル化に対応するために、超国家的な徴税機関の創設も視野に入れる。
 ②の議論に従えば、強力な国家と多大な権限を持った官僚群が資本家を抑えるという、イタリアのファシズムに親和的なモデルになる。国家が加速度をつけて肥大していく可能性が高い。

(2)働いても貧乏から脱出できない--『貧乏物語』(上編)解説
 テーマは、どれほど貧乏があるか、貧乏はなぜよくないか、だ。「貧乏」には三つの意味がある。
  ①他の誰かよりも貧乏な人。
  ②生活保護などの公的扶助を受けている人。
  ③身体を自然に発達させ維持するのに必要なものすらも十分に得られない人。
 『貧乏物語』でいう貧乏は、基本的には③を指す(絶対評価の貧乏)。ただ、ほんとうは「身体」を維持できるだけの所得では足りないと考えている。現代の生存権の思想につながる。
 その上で「貧乏線」を定義する。一人の人間が生きていくのに必要な栄養を摂取できる最低限の食費に、被服費、住居費、燃料費、その他の雑費を計算して合計したものだ。貧乏人とは、次の二つを合わせたものだ。
  (a)貧乏線より下にある人
  (b)貧乏線の真上に乗っている人
 (b)は、ふだんはどうにか生活が回っているように見えても「溜め」がまったくないので、身体の健康を維持する以外の出費があったりすると、すぐさま真っ逆さまに(a)に落ちてしまう。<例>親の介護などをきっかけに離職してしまうと、貧乏の連鎖からなかなか抜け出せない。
 ちなみに、現在、相対的貧困率を出す指標として用いられる貧困線(Poverty Line)は、等価可分所得の中央値の半分の額とされる。2012年の貧困線は122万円、相対的貧困率は16.1%。これ以下の層は、婚姻、子育てが難しい。
 『貧乏物語』は、イギリスを例にとる。全人口の65%にあたる「最貧者」がイギリス全体のわずか1.7%の富しか有していないという統計を紹介する。ヨーク市のデータでは、全体の半数以上が毎日規則正しく働いているにもかかわらず、貧乏線以下、身体の健康を維持するだけの衣食すら得られない暮らしをしていることを示している。
 貧乏を精神論で何とかせよという議論は、現在に至るまでよく見かけるが、パンが先だと『貧乏物語』は論じる。
 そして、伝統的に自力救済をよしとするイギリスにおいてすら、学校給食法や養老年金がつくられている、と例を紹介している。日本においては、慈善事業でもいいから、早くこうした給食施設ができるのを切望しているという。
 ちなみに、現代ではフードバンクや「子ども食堂」の試みが広がっている。

(3)貧乏の原因は何か--『貧乏物語』(中編)解説
 テーマは、貧乏の根本的な原因だ。
 動物社会からジャワ原人を経て、人間が人間として生きられるようになったのは道具のおかげだ。近代になって道具がさらに発展して機械となった。産業革命を経て、便利な機械がたくさん発明され、生産性が何千倍にも高まった。
 マルサス『人口論』は生産の増加は人口の増加にかなわないと説いた。貧乏の原因は、生産可能な物量が足りないからだと。
 これは『貧乏物語』の立場ではない。ではなぜ、いまだに貧乏が存在するのか。それは機械などの生産力を十分に活用できていないからだ。つまり、貧乏の問題は、生産(物量)の問題としてはすでに解決の道筋が見えている。あとは、もっぱら分配の問題だ。マルサスの議論では、人間全体が貧乏しなければならないことの説明はできる。しかし、ある者はテーブルに山ほど料理をならべ、別のある者はひどく粗末な食べ物すら手にできない、ということの説明はできない。
 『貧乏物語』でいう分配は、マルクス『資本論』で展開する資本家と地主間、資本家間の利潤の分配とはまったく異なる概念だ。分配には
  ①どのような商品をどれくらい生産するかという分配
  ②生産された商品を人びとにどのように分配するかという分配
の二つがあり、『貧乏物語』でいう分配は(a)、つまり生産計画の問題だ。一部の富裕層が「贅沢品」を求めるあまり、多くの機械が「贅沢品」の生産に奪い去られているために、生活必需品が十分に生産されていないと。①にこだわったところが、『貧乏物語』の特徴なのだ。
 このように、『貧乏物語』には抜け落ちている議論がある。「労働力の商品化」だ。なぜ多数の人びとが貧乏しているか、という本質を掴むに至っていない。これはピケティ『21世紀の資本論』においても同じだ。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
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 【参考】
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次