語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】丸谷才一の、森澄雄追悼 ~森文学の特徴三点~

2010年12月17日 | ●丸谷才一
黛まどかの匂いがする。しかも、彼女がサンチャゴ巡礼を果たした後の。
 少なくとも、大東亜戦争で艱難辛苦を味わった森澄雄は、アジアは・・・・なんて、到底詠みそうな気配はない。

 閑話休題。
 とにかく丸谷は、森作品の中ではわけても『浮鴎』『鯉素』のころが好きなそうだ。13句引用されているが、ここでは6句を引こう。

   向日葵や越後に雨の千曲川
   沢庵を噛むや雪ふる信濃にて
   柿干してなほ木に余る伊賀の国
   若狭には佛多くて蒸鰈
   飛騨の夜を大きくしたる牛蛙
   鮎食うて月もさすがの奥三河

 国名の使い方がうまい。古代の帝の国見という行事がおのずから思い出される、と丸谷はいう。
 「ひとへに句づくりが大ぶりで、景気がいいせいだらう。国名には古い日本のエネルギーがまつはりついている」
 そのくせ、「三月や生毛生えたる甲斐の山」などとまことに近代的な色気がある、とも書く。隅におけない感じだ・・・・。
 この線をたどると、格の高さはしっかりと保ちながら、ずいぶん際どいことになる。「感じない人は別に何とも思はないかもしれないけれど」
 以下、本文に引用された6句のうち3句である。

  初夢に見し踊子をつつしめり
  かなかなや素足少女が燈をともす
  白地着て李の紅をまた好む

 われら日本人の典雅なる伝統、地名ごのみと色ごのみが森澄雄の一身に具現しているらしい。
 それだけではない。いささか三題噺めくが、墨と筆が付け加わわる。
 「普通、俳人みな、ノートに鉛筆で初案を記すものらしい。これは高浜虚子でさへも変わらないと自分で語っている。ところが澄雄は違ふ。いつも矢立をたづさへ、筆を構へて紙に向かひ、句の訪れを待つとやら。彼の発句の堂々としてしかも色つぽい風情は、ひよつとするとこの、筆といふ昔かたぎな小道具ないし呪具を手にしての伝統的な生き方と関係があるのかもしれぬ。澄雄の句には色ごのみをも含めて日本の詩情がみなぎつてゐた」

   *

 以上,、「国見と色ごのみ」に拠る。初出は、2010年8月19日付け読売新聞である。

【参考】丸谷才一「国見と色ごのみ -森澄雄を追悼する-」(『星のあひびき』、集英社、2010、所収)
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