よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

オープンソースとカルチャー

2005年03月29日 | オープンソース物語
日本語や英語のような自然言語は、どこかの企業が囲い込んで開発、更新、配布し、その言語の優良な使い手を認定するというような構造にはなっていない。自然言語は本質的にOpen Sourceだ。オープンソースな言語では、意識しようとしまいと、言語の習い手はコストを支払い、自分のリスクで言語を活用してゆく。

さて、コンピュータやインターネットで使われる言語もいずれ、マシン系の進化とともに、自然言語のようにオープンソースになってゆくのが流れだろう。その流れにしたがって、オープンソース言語獲得のためのコストとリスク負担は受益者である言語ユーザの手にゆだねられることになる。

忘れてはいけないことは、自然言語が使われる同時代の認知空間にcultureが存在するのと同様、オープンソース言語にもそれを涵養し、育み、抑制したり、促進したり、進化させてゆく行動規範のパターン=文化といったものが織り込まれ、インプリケートされなければいけないということだ。

それはたやすいことではないだろう。だからマイクロソフト社に代表される企業が「言語」を開発し、普及させ、そのリターンを手中に収めてきた過程で、ある種の偏向したカルチャーを培養してきたわけだ。そのバイアスト・カルチャーの大変重要な一端については、数ヶ月前にマイクロソフト社の本社にまで行って学ばせてもらったわけだが。

オープンソースという言葉はMS社内ではタブーであると先日、MS社内の関係者から聞いた。なるほどと思う。敵対する陣営としてオープンソースをとらえればたしかにタブーかもしれない。ただし、オープンソースといかに折り合いをつけてゆくのかも、重要な戦略展開の一環だろうに。言語のユーザとしては、気になるところである。






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