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自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

ソースコードと日本人

2009年12月02日 | オープンソース物語
オープンソースのエントリーは久しぶり。Japan Linux SymposiumでのLinus Torvaldsのトークが面白かった。

オープン・イノベーションが喧伝される遥か昔から(18年前)Linuxではオープンなソースコードのやりとりを通して開発が進められてきている。OSシーンでMicroSoftと対峙するLinuxのシェアはサーバ市場などで増進中。

この間、日本企業は利益追求の視線で、オープンソースをなんとか利用しようと画策してきている。大方のソフトウェアを作る日本企業は、Linuxコミュニティにパッチを提供することで、PCIホットプラグ、MCAハンドラやダンプなど、顧客が要望している機能をLinuxで実現することや保守サービスにメリットを見出している。

Linus Torvaldsはカンファレンスの中で自由(freedom)というbig wordについてあまり語らなかった。多くの日本人聴衆もまた自由などという抽象的な概念の議論を好まないのだろう。

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しかし、hobbyでもビジネスでも、自己組織性が顕現するオープンソースの世界では、参画するひとりひとりがあくなき自由を希求し、かつひとりひとりの自由をリスペクトする、そしてそれが公益のためになる、という価値観こそが、この運動の原点。日本ではRubyなどの例外を除いて、さほどオープンソース運動が盛り上がってこなかった理由を考えてみるのは面白い。

●理由1:サラリーマン技術者中心
ソフトウェアを営利企業のサラリーマン技術者の手に委ねてきたから。サラリーマンは自由を希求することよりも、安定的雇用を維持することにコストをかける。

●理由2:アルファベット表記
ソースコードはアルファベット表記。アルファベットで母語を表記する人々にとってソースコードは自分の意思を自由な表現し普遍性をもたせる手段。日本人にとっては、アルファベットは外来の文字なので、そもそも自由に表現する手段としての接し方ができない。

●理由3:クローズなメンタルモデル
内向きに閉じたがる日本人には「オープン」という心象がなかなか共有されない。ゆえにオープンイノベーションは進まない。ゆえに、オープンソース運動の自己組織性原理がさほど尊重されなかった。

●理由4:弱い複雑性耐性
日本人は複雑なモノゴトをマネジメントするのが苦手。そこをムリしてしまうからスパゲッティーの納豆ずけのようなソフトウェアになってしまう。まして複雑なものを自己組織性原理でマネジメントすることは一層複雑に見えてしまう。


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こんなことを帰納的に証明しようとするのは狂気の沙汰だが、「ソースコードと日本人」のような文化論として定性的に議論することは面白い。いつかまとめてみたい論題だ。

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