よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

ニューエイジ・ムーブメント、原発事故、医療管理学

2011年06月07日 | 健康医療サービスイノベーション

せんだって、健康医療サービスイノベーションのからみで、日本医科大学の医療管理学教室教授の長谷川敏彦先生と逢った。そのときのディスカッションをちょっとメモしておく。

熱い議論を繰返していると、会話のなかに1970~1980年のニューエイジ(new age)の芳香がする用語がポンポンと。フリッチョフ・カプラ「タオ自然学」、ケンウィルバー「意識のスペクトル」、スタニスラフ・グロフ「自己発見の冒険」、「個を越えるパラダイム」、フランシスコ・ヴァレラ「知恵の樹 — 生きている世界はどのようにして生まれるのか」などは、1970~80年代に読まれたニューエイジの古典といったところか。

こういう文脈のノリで健康医療を議論するはとても刺激的だ。

医師として長谷川先生はハーバード大学公衆衛生大学院に留学中、かなり自由に知的探検をしていたとのこと。神学部にも出入りしながら、医療人類学のクラインマン(資料123)に師事したのを皮切りに、フリッチョフ・カプラ(の公式サイト)、ケンウィルバースタニスラフ・グロフフランシスコ・ヴァレラ、サンフランシスコ禅センターの片桐老師など、当時のニューエイジと言われていた思想家、科学者、実践者を総なめにインタビューして、ユリイカ、理想などの雑誌を舞台に日本に紹介していた。

このような多様な分野のニューエイジャーと実際に逢い、英語で議論をして、日本語の文章にして世に出すというのは異文化間コミュニケーションの実践。一言でいえば、グローバルリテラシーがないけばできないことだ。

 ニューエイジを生きてきた人々には、ある種の共通する雰囲気がある。やわらかい、権威をかさに威張らない、他者を受容する、関係性のなかでモノゴトを見て行動するなど。とかく大学のようなところでは、本当は権威がないのに自分では権威があると思いこんでいて威張りたがる人が多い。こういのは苦手だ。

     ◇    ◇    ◇

さて、長谷川先生の研究領域は、社会医学系の医療管理学というもの。「医学人類学の齊したもの」(長谷川敏彦、理想1985)のなかで、医療マネジメントに関係することろなどピックアップしておくと:

「現代西洋医学では、感染症を、19世紀末のコッホ理論にもとづいて、病原体=臨床症=感染症という直線的因果関係において一次元的に捉えてきた。このように疾病を実態的、機械論的に捉える疾患概念=特定病因論は、近代社会の感染性疫病の克服という輝かしい歴史的成果に助けられ、現代西洋医学一般の疾病観の主流をなしてきた」

「感染症を知らない狩猟民族の立場から、近代社会の感染症を分析すれば、その原因は、病原体なのではなく、都市への人口集中、労働、生活環境の変化、つまりI・イリイチのいうごとく、近代社会そのものがが感染症の原因と断定してもあながち誤りとはいえないだろう」(下線松下)

「生態学的システム論は、感染症における病原体の重要性を否定するものではない。病原体=感染症と捉える短絡的特定病因論に対し、その他の人口動態、文化、社会、環境などの要因を含めて、それらの関係性の中で感染症を捉えようとする、いわば全体論的視点(holistic perspective)なのだ」

「社会の側から見れば、この社会的関係性の名に外化した反復された問いの過程こそ、医学社会学でいう病気の役割(sick roll)に他ならない。そして治癒者(healer)が選びとられ、治癒者-被治癒者(healer-healee relationship)関係が取り結ばれた時、病気の役割は、さらに病者の役割(patient roll)に役割転換(role shift)する」

クラインマンを敷衍して:

「自らの身体への、そして社会の網の目への外化された問いを透かして、病気の身体的、文化的意味を探り続けることが医療の過程であるとするなら、その問いと答え、すなわち交通(comminication)と、その方法すなわち媒体(media)にその鍵が潜んでいるように思われる」

     ◇    ◇    ◇

医療崩壊・・・・。暗い言葉だ。そして感染症のみならず、病因としての原発事故による放射性物質が、撒き散らされ、放射線の低線量、長期内部被ばくというやっかいな重荷を背負ってしまった日本。原発を内部化してきた現代社会の仕組みそのものが、疾患の原因づくりにいそしんできたという構図がある。皮肉にも。

原発からやってくる電気は、人の生活や産業を支えて人々を幸福にするはずだった。でも原発事故によって幸福になる人はまずいないだろう。

医療管理と原発による健康被害。そんな時代のなかで、ニューエイジ思想が生きてくるのではないだろうか。いやがおうにも3.11を境に、新しい時代に突入してしまった日本。

社会の網の目の中で、関係性を紡いで、いっしょに生きてゆき、お互いが癒し、癒され、ヒーラーとしてケアをやりとりする社会。超高齢化社会、少生多死社会のなかは、医療管理のパラダイムさえもが、シフトしなければいけない。

日本は、経済成長という点ではピークアウトしているが、超高齢化社会、少生多死社会化という点では超先進国。ニューエージの遺産でもあるhuman potential development、transpersonal psychology、spiritualityが健康医療サービスの次元で、あたらしいヘルスケア・サービスモデルを体現すべきは、実は、日本なのかもしれない。ここの日本の先進性がある。(・・と言い聞かせて頑張ろう)


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