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田町のキャンパス・イノベーション・センターで開かれた「MOT(技術経営)教育のエッセンスを探る」というシンポジウムに出た。
そもそも、10大学院が集まってコア・カリキュラムを策定するという目的はなんなのか?
(1)大学院が寄り添って(横並び)リスクをヘッジするためのコア・カリキュラムづくりなのか。
(2)黎明期のMOTにあって、独自性のある真のコア・コンテンツを策定するためなのか。
大学院とて教育の競争的市場に存在する。つまり、各大学院が徹底的に差別化を図り、学生の支持を取り付けたMOTは生き残る。逆に学生が集まらないMOTは倒産=廃業するのが、市場のポジティブな側面を活かすということではないのか?
(1)であるのならばうなずけなくもない。競争的な自由市場ではなく、規制された公私併存の教育サービスとして専門職大学院を集団的にプロモートしてゆくという戦略を前面に持ってきたと解すればよい。この場合、最大公約数を抽出してあたりさわりのないコア・カリキュラムを作ってゆくこととなる。
もし(2)を狙ったのだとしたら、MOT協議会は興味深い方向に向き始めている。コア・カリキュラム案の「知識項目の整理例」は、いわゆるビジネススクールのコア科目と近似してきているからだ。
プロフェッショナルとしての高度な到達レベルは、静的な形式知獲得型のカリキュラムだけでは実現できない。これは卓越した欧米のビジネススクールでは広く受け入れられている定説である。専門知と実践力は循環しながら高まってゆくという性質を持つ。この性質を動的なラーニング・デザインに取り込むと、ケース・アナリシス、インターンシッップ、フィールドスタディ、ケーススタディ、ビジネスプラン作成などの実践志向のプログラムとなる。
残念ながら、到達度を議論する際に、カリキュラム中心のティーチング・デザインに終始してしまい、教育サービスの顧客である学生を中心にしたラーニング・デザインの視点が欠落しているように思われる。ラーニング・デザインという技術を取り込んでマネジメントして学生に価値を提供できなければ、いったいなんのためのMOTか?!MOTは官の予算配分からはじまったサプライサイドの動きで終わってしまうのではないか。
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