よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

真夜中の弥次さん喜多さん

2005年05月12日 | よもやま話、雑談
「真夜中の弥次さん喜多さん」はおなかの筋肉が痛むほど笑いをこらえなければならないほど面白い映画だ。

「オイラ、リヤルがとんと分からねえ」と叫ぶドラック中毒の同性の恋人・喜多八(中村七之助)を、なんとか立ち直らせたい弥次郎兵衛(長瀬智也)は、「リヤルは当地にあり!」と書かれたお伊勢参りのカードに一縷の望みを託し、お伊勢参りの旅に旅立つ。手に手をとってお伊勢さんを目指し江戸を後にするディープに愛し合うホモセクシャルな2人。禁断症状に苦しむ喜多さんを連れての旅は、波乱につぐ波乱の連続だ。

終盤に入り、旅先は黄泉の国へと至る。現実の世界で、喜多さんに殺されていた弥次さんは三途の川をどうしても渡るためになんと三途の川の源流にまで遡り、亡者を振り切り、弥次さんが殺してしまった亡き妻と遭遇する。三途の川の源流までさかのぼるというのが抱腹絶倒ものだ。

現実と非現実、この世とあの世が錯綜するめまぐるしさはメタ認知の転換を随所に鑑賞者に要求する。入子構造のようなストーリー展開のあちらこちらに、下品な和風なギャグがちりばめられる。この種のギャグは日本人しかわからないだろう。けっして品のいいしろものではないが。

ただし、無節操なストーリー展開の背後には輪廻転生のどっしりしたテーマがきちんと横たわっている。笑いの向こうに実は非常に冷徹な哲学のテーマが設定されているのがこの作品の味わい深いところだ。それゆえに馬鹿笑いをした後の後味はたんなるコメディーのものではない。笑いの奥底に悲しみが、悲しみの横に哲学がある、そんな演出が小気味良い。





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