みみのアンテナ

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恩師を訪ねる

2014-03-15 22:05:27 | 人生
恩師が入居している介護施設を訪問した。
K先生である。
多分、いろいろ食べ物持参は無理かもと思ったが、デパートで「全国うまいもの大会」
があっていたので、飲み込みのよさそうな、硬いのは避けて今日食べてしまえるものを、
探した。
京都から、わらび餅が出ていたが、餅で年寄りが咽喉に詰まらせるという事故があるので
避けた。
そのお店が、抹茶をベースにしてプリンのようなかたまりにして、別な容器で粒餡を
のせて食べる、スィーツがあった。
初めてみるスィーツだった。
私はもちろん食べたことはない。
一つ買ってみた。
「冷蔵庫でよーく冷やして、今日中にお召し上がりください」と言って、容器の上に
クールパックを乗せて、渡してくれた。

別なお菓子を3っつほど買い足して、小倉駅のバスセンターに行く。
インターネットで聞いていた施設の名前で、検索し電話を掛け、宇佐町という町名を
聞いていたので、更に検索して地図を印刷して持参。
地図を検索したとき、グーグルのストリートビューが立ち上がり、この施設の番地だと
まだ建設工事中の映像だった。

右上に警告があれば報告するようになっているが、そんなことで時間をとりたくない。
要するに場所が分かればいいのである。

関西に住む弟さんによると、去年できたのです。と言っていたので、ストリートビューは
この地域の撮影のとき、間に合わなかったのであろう。

施設に連絡したとき、小倉駅から乗ればいいですと教えてくれたので、小倉駅の
バスセンターで宇佐町に行くバスを尋ねて乗車。

宇佐町で降りて、地図を見るがさっぱりわからない。

近くの建物から出てきた男性に地図を見せて、尋ねると、
「そこの角にローソンがあるから、そのローソンから左にまっすぐ行くと・・・」
と教えてくれた。

ローソンまで行くと、その前に明和町というバス停があった。
そのバス停のほうがよほど近い。

次訪問するときは、明和町で下車すればいいのである。

町名は宇佐町、名前は良く聞く町だが降り立って自分の足で歩くのは初めて。

少し歩くと、何とまあピンク色をベースにした、淡いベージュとツートンカラーの
大きな建物が見えてきた。

何だか周辺の町並みとそぐわない、浮きあがった感じである。

受付は2Fで1Fはオートロック、2Fでは図書閲覧室とスポーツジムがあり、
一般の人に開放している。

入居者募集の看板が目に付く。

先生の部屋は7Fである。

入って行き、私の名前を名乗り覚えているかと挨拶すると、小学校の名前を先生が
答えた。

「新しいことは、すぐ忘れます」弟さんはそう言っていた。
それが認知症の症状だから仕方がないわ。

小学校はどこを回ったか意図的に聞くと、3っつほど答えた。

我が母校には、先生は希望してきたといいすぐに5年生を受け持ったと言われた。
その学年こそが、私とクラス替えのなかった学年なのである。

「私の正念場だった学校よ」

私に、お母さんは元気?・・・みんな死に絶えて、私今一人です。
ふ~ん今幾つ・・・年齢を答えた。
どこに今住んでいるの・・・住所を答えた。

私も先生のこの場所、弟さんに聞いて来たのですよ。
先生は、大阪とか行かれるもんか!と言われた。多分弟さんは大阪に引き取ろうと
したのであろう。

結構会話は成り立っている。

行ってすぐお菓子を出して、食べれそうか尋ねると「食べるよ」と即答。

体が少し傾いているので、食べるとき印刷した地図をお盆のように抱えて、
私は先生がこぼしていいようにじっと持っていた。
持っている私の体制は中腰・・・なので少し腰痛が起きた。

案の上、時々こぼす。
これ美味しいね、アンタのはないの?
自分は家で食べるからいいと答える。

食べ終わると、私に住所と年齢をまた聞いた。誰と住んでいるのか?とも。
気長に答えると、早く結婚しなさいアンタまだきれいだよ。
ずっこけそうになりながら、そして笑いながら、今更行かなくても・・・

先生は自分は結婚しなかったので、子供もおらん、それでこの果てよ
バツなんやろと言われた。

1H居た。窓からの眺望は足立山が広がり、我が家の墓地も良く見えた。

そろそろいとまを告げると、先生は黙り込んだ、「退屈するね」
先生また来るから・・・ほんとまた来てね。

妹さんは大分にいるというので、多分誰も来ないであろう。
テレビも見飽きた。読書は続かないという。

食事は皆と食堂で摂るそうなので、このときとコールしたときしか人との、接触は
ないのであろう。

こんな生活・・・・目的もなく刺激もない生活では認知も進むのではないか、

きっとまた来ようと思った。

一つ掬われたのは、私がYさんを覚えているかと尋ねると、店をしていた人よね。
それで、思い立ち電話して代わると、何やら話しの返事・・・
うん誘ってね・・・

どうやら、Yさんが同窓会の話しをしたようである。

私にもっと生きねば、と言った。

傾いた体で杖を突きスタッフに支えられて、私を棟の出入り口まで送ってきた。
私はスタッフに、名刺(介護サービス相談員の呼称の)を渡して帰った。

こんな人が後ろ盾にいるんだよと、印象づけると先生へのあたりが少し代わるかも。

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