みみのアンテナ

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思い出と訃報

2014-01-21 22:10:00 | 人生
以前にも書いたが、小学校6年間はクラス替えはなかった。

そんなものだと思っていた・・・子どもの頃は。どうも実験(お試し)だったようである、ずーっと学び舎が同じ童たちと

2~3年ずつクラス編成が替わる場合の子どもたちとでは、将来的にどうなのだろうか?

その結果は誰も聞いていない。

本当に実験? 

クラス編成をするのが面倒くさいだけじゃないの?

聞きたい教員は大概あの世に旅立っているので、無理か!

今のようないじめはどうだったろう。

けんかは確かにあった。

私のなかに、思い出される一つのシーンがある。

あれっていじめだと思う。

私の所属したクラスでは2,3年生のころ、女子のなかでは派閥を利かせていた人が

二人いた。

一人はMムラさんもう一人はNノさんである。

そのころ、漫画の本にあんみつ姫が登場していて、誰かが持ってきていた。

私は読みたくて、その本を貸して欲しいというと「うん」と言っていた相手・・・正直思い出せない。


「貸せない・・・Nノさんが、Yさんに貸してはいけないって言ったから」

そのように言ってきたのは、Aグさん・・・本の持ち主ではなかったはず。

どうしてもあんみつ姫が読みたくて、結局家で買ってもらった。

もう一つのシーン

掃除の時間・・・廊下を雑巾であの独特の雑巾がけのスタイル。

女子はスカートの端を口に加えて、雑巾を両手で押さえてよつんばいで走るのである。

この頃では、昔の古い小学校を利用して何百メートルもある廊下で、雑巾がけ競争を行っている
ニュースを見たことがあるが、懐かしい映像である。

その雑巾がけ・・・私が拭いていると誰かが足で前方をふさいだ。進めないように。

場所を変えると、また同じことをされた。何回か続いたと記憶している。

やはり、MムラさんかNノさんの指図だったようである。

なぜこのようなことをされたのか・・・私は大体一匹オオカミであった。

誰かの言いなりになるとか、命令されるとか、いわゆる家来とか強い人の傘下に入るという
ことは嫌いであった。

休み時間は読書をして一人で過ごすことが多かった。

担任の周りに集まり、お喋りに余念のなかった人たち、多分Nノさんは中心人物でなかったか。

ある日担任に言われた。「アンタはみんなと一緒にお話ししたりしないね、一緒に集まっておいで」

3年生か4年生の時だ。それでもそばに行かなかった。

そばに行って何話す?

だが今は違う・・・・正反対だ。
お喋り大好き!

初めての人に話相手をしようかと傾聴ボランティアをするようになった。

去年3月Nノさんはこの世を去った。

子どものとき代議士になりたいと言っていた、頭脳明晰の人であった。

そして、数日前には同じく去年らしいが、Mカワさん(男子)が亡くなっていたという、
知らせを受けた。Mカワさんは母校のPTAの会長を務めたと聞く。

段々クラスの人が減るのだね。

荒了寛さんのカレンダーの言葉に「明日のことは分からないから、皆生きていられるのです」

そうだそうだ。

明日は我が身かと分かると今日のうちにエンディングノートを作成しておかねば
ならないからね


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