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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

維新後の没落武士階級が思い浮かぶ

2008年08月11日 | 歴史、過去の語り方
わたしたちは、歴史の大転換というものを何度か経験しています。
なかでも、戦国時代から天下統一に至る時期、開国から明治維新に至る時期、大戦から敗戦・占領下での復興に至る時期などの主な大転換を比較してみると、社会構造の変化の度合いという視点でみるならば、明治維新後ほど現代と酷似している時期はないのではないかとふと感じました。

なにも体制は変わっていないのに、社会構造だけは劇的に変わろうとしているという意味でです。

士農工商という身分制度のもとで、長い間それがあたりまえの制度として社会に浸透していたものが、突然、崩れ去ったとき。
制度の維持管理を職務としていた武士階級は、丸裸同然にされて新しい社会のなかに放り出されることになりました。
なかには運良く新しい国家の官僚として、軍人として、警官や教員としての身分を保証されたものも少なくありませんでしたが、その多くは職を失い、傘貼りなどの内職をしながら新しい時代の片隅で余生を生きながらえざるをえませんでした。

かれらが直面していた現実は、ふたつ。
ひとつは、それまであたりまえだと思っていたシステムが通用しない社会。
もうひとつは、所属するものが無くなったときに突きつけられる、
「それではあなたは何だったら出来るのですか?」
という問い。

新しいシステムで社会がどんどん突き進んでいく時期には、結果を出せないものは、いかに理屈をこねても取り残されるばかり。
ペリーなどの外交圧力をかけてくる側からは、幕府や役人の業務処理ののろさばかりが際立って見えていたことだろう。

文化や技術水準は高い日本であったため、生産技術や文化の輸入などはめまぐるしく変貌を遂げていったものの、管理部門やホワイトカラーにあたる人々の生産性は低いままでなかなか変わろうとしなかった。
かといって、それらの人々は決してサボタージュをしているわけでもなく、それほど能力が劣るひとたちというわけでもなかった。
どちらかというと、誰もが目の前の仕事は黙々と真面目にこなす人々だった。

でも彼らの多くは、目の前に横たわっている現実が提起している問題に、結果としては、
誰一人として答えを出すことができなかったひとたちだ。
彼らの多くは、一般の人々よりも学問はでき計算もできる人々であった。

それゆえにかれらは人一倍熱心に、予算がなければ現実にはできない。
時間がなければ無理だ。
客観的、公平に考えればそれはできない。
などの理由を命がけでならべたてる。
そういうことには誰にも負けない能力を発揮する。

その隣で、新しい時代の人々は、お金がなくても、時間がなくても
必要なことは必要なだけやるのがあたりまえの世界で、厳しい競争環境のなかを生きていく。

こうしたギャップがいかに社会全体で広がっていても、やはり、長い歴史を同じ体制で生きてきた人々は、自分を変えることはないまま、自分の参加できる場所、所属できる場所だけを求めて新しい社会のなかをさまよい続ける。

経済、文化は予測こそできないものの、現実とともにめまぐるしく変化していくにもかかわらず、政治家や官僚、教員や行政職員、老舗企業の管理職たちは、なぜかくも頑なに変わろうとしないのだろうか。

百数十年前と酷似したこのような現実をみるとき、わたしは、ホワイトカラーなどの管理部門の生産性の向上はたしかに不可欠ですが、そのことを問題解決の第一の手がかりとは考えたくない。
それは一部では有効なことかもしれないが、なにかちょっと違うような気がする。


本来、管理部門やホワイトカラーは、体制が持続すればするほど、絶えず必要以上に増殖してしまう傾向がある。それに対して新興企業や新しい時代を代表する組織は、共通して「管理」=「現場」の第一線である。

後方で指揮する管理者などいらない。

今、必要なのは、難しい組織管理のノウハウを幹部に叩き込むことよりも、各人に権限をもたせて現場の問題をその場で解決していく労働者に変えていくことだ。

最先端の現場にいるものにより多く権限を与えて、行動する前の議論の時間よりも、まず実行して検証する時間の比率を圧倒的に上げることのほうが大事だ。

所属先の変更・配置転換や、雇用の確保といった視点ではない。
今、それぞれの現場で山積している問題の最先端の現場に、権限と労働力を集中することこそが第一だ。

それをせずに、頭数を減らすだけのリストラで、いったいどうやって危機を乗り越えられると思うのだろうか?

硬直した教育現場の先生方の苦悶を見て、ふとこんなことを感じました。

国民の批判にさらされて、頭数を減らすことばかりに終始している公務員制度改革をみて、同じ問題を感じました。

また、いたるところで、売り上げの減少を経費と人件費削減だけで解決しようとしている企業の姿をみて一層こんなことを感じました。
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