かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

下牧人形浄瑠璃 奥州安達原 袖萩祭文

2013年05月25日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 

「奥州安達原 三段目 袖萩祭文」は、「阿波の鳴門」などとともに人気の作品ですが、登場人物が多いばかりでなく、貞任、宗任それぞれがふたつの姿をもつことなど、ちょっとわかりにくい物語りでもあります。

 しかし、この複雑さはひとつの家族と血縁一族のなかにまとめられています。

 血縁ゆえの不条理や宿命の織りなす世界が物語りの魅力にもなってます。

 

 下牧人形浄瑠璃が、広く地域に浸透するためにも、あらすじだけでなく、登場人物、各場面の名セリフなどが多くの人の記憶に残るように、様々な表現で伝え広めることができたらと思います。

 (ここに掲載の写真はA3サイズのパネルにして、下牧公民館や下牧周辺の飲食店などに飾らせていただいてます。パネル掲示、下牧人形浄瑠璃の宣伝にご協力いただける店舗などさらに募集しております)

 

以下、徐々に書き足していく予定ですので、断片表現ご容赦ください。

 

【ものがたりの概要】

もとは能に同じ芸題があり、それを近松半二、竹本三郎兵衛らが浄瑠璃にし、宝暦12(1663)年に竹本座で初演したのがはじまり。

県内の人形芝居、農村歌舞伎などで最もやられる演目のひとつ。

筋は八幡太郎義家が、奥州の安倍貞任、宗任兄弟との前九年の役の後、安倍兄弟が再挙に苦心することを劇化したもの。

全幕上演されることはほとんどなく、もっぱら安達原三段目(俗に安達三)」袖萩祭文(又は仗屋形)の場のみ上演される。

 

仗直方は平氏でこの地一帯の支配をしていたが、娘姉妹のうち姉の袖萩は安倍貞任を恋い慕い、出奔してその妻となり、妹の敷妙は八幡太郎義家の妻となり、互いに敵味方に分かれてしまう。

前九年の役で敗れた安倍兄弟はひそかに義家を討つことを計画し、貞任は桂中納言教氏と名をかえて仗の館へ堂々と現れる。

舞台は、ある雪の降る中を夫と別れ、失明し、落ちぶれた袖萩が一人娘のお君に手をひかれて両親のいる館を訪れるところから始まる。

母の浜夕はすぐに袖萩とわかるが扉の中へは入れない。謙仗もわかって怒る。金が欲しいならそこで三味線を弾いて一曲歌うよう仕向けるところが袖萩祭文の見せ場。袖萩に癪がおき、雪の中お君が母をいたわる姿は涙をさそう。

そこへ安倍宗任が南兵衛と名乗って現れる。それを源義家にみつかる。その後桂中納言の貞任も見破られてしまい、義家と戦場での再会を約束するところで幕となる。

 

八幡太郎義家と安倍貞任、宗任との確執、娘を平家と源氏に分けてしまった謙仗夫妻の苦しみ、親に背いた報いに苦しむ袖萩の哀れさは、現代の人々にも訴えるものがある。

 

           萩原進『群馬の郷土芸能』みやま文庫 参照

 

  

太夫 竹本正子       三味線 竹本越京 

 

 太夫 竹本忠夫       三味線 竹本越京 

 

 


袖萩祭文の段



 

  

立て入にける、たださへ曇る雪空に、心の闇の暮近く、

ひと間に直す白梅も無情を急ぐ冬の風

身にこたゆるは、血筋の縁、

不憫やお袖はとぼとぼと親の大事と聞くつらさ

娘お君に手を引かれ親は子を杖子は親を、走らんとすれど、

雪道に力なくなく辿り来て


袖萩の娘 お君

   (阿部智美さん、牛口文子さん、高橋安起子さん) 

 

 

  

 

袖萩 貞任の妻

  (林洋子さん、遠山泰代さん、遠山容子さん) 

 

 

戸を叩くにも叩かれぬ不孝の報い

この垣一重が鉄(くろがね)の

門より高う心から・・・ 

 

 

 

孫と聞くより浜夕が

飛び立つ斗戸の隙間、

いだき入りたさ すがりたさ 

 浜夕 袖萩の母

  (星野てるみさん、野島幸恵さん、阿部則司さん)



 

 

同じ姉妹でも妹の敷妙は、八幡殿の北の方と呼ばるる手柄、

姉めは下郎を夫に持てば、根性までが下司女め


平�横仗直方  袖萩の父

 (高橋富士雄さん、高橋基一郎さん、久保力一さん)

 

 

 

 わしがやうな不幸な者が

なにとして、そなたのやうな

孝行な子を持った。

これも因果のうちかいな。

 

 

 

 

 

 オゝ歎きは理り

何かに付て一家の敵は八幡太郎

こなたも兄貞任殿の妻ならば

今宵何とぞ近寄て、

直方が首討れよ

 

外が浜南兵衛 実は安倍宗任(弟)

    (阿部則司さん、藤原大寿さん、高橋富士雄さん)

 

 

 

 

 桂中納言教氏 実は安倍貞任(兄)

   (松井田和夫さん、小林太一郎さん、野島典雄さん)

 

 

 

 

ハハア急いたりな貞任・・・

 

八幡太郎義家

   (阿部久さん、大坪修さん、岡田完二さん)

 

 

 

貞任は、密書を奪い返して悠々と引き上げようとするときに、源義家に偽りの中納言であることを見破られてしまう。

 

取手  (牛口文子さん、野島幸恵さん) 

 

 

 

 

 

 

 『とと様のふ』と稚子を見るにさすがの貞任も

恩愛の涙はらはらはらはら

 

 

 

実に尤も兄者人、

雪持笹は源氏の旗竿、

一矢射たるは当座の腹いせ、

首を洗ふて義家お待ちやれ

 

 

 

ホホウ互いの勝負は戦場戦場! 

 

 




母にわかれてをさな子が、

父よと呼ばふり返り

見やる目もとに一時雨

ばつと枯葉のちりぢりあらし

心よわれど兄弟が

また取直すいさみ聲

よるべなみだに立かねて

幾重の思ひ浜ゆふが

身にふる雪の白妙に

なびく源氏の御大将

安倍の貞任が武勇は今に隠れなし。

 

 

 

 

 

(参照)下牧人形浄瑠璃の紹介番組映像。

http://www.youtube.com/watch?v=dRBjuoYwvwk&feature=youtu.be

 

http://www.youtube.com/watch?v=0lGC4FzmD70

 

 

 

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対米従属をのぞむ人びと (加筆)

2013年05月23日 | 歴史、過去の語り方

 

今回取り上げる本は全国的によく売れている本ですが、タイトルだけからはなにが評価されて売れているのかはわからないまま、売れる本だからとりあえず必要な数は仕入れておくというレベルのものでした。

こうしたことは、お恥ずかしながら本屋ではよくあることです。

ところが、本書は自分で読んでみてはじめて、売れる理由を知り、もっと目立つ置き方をしていなかったことをとても後悔させられた本です。

孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』創元社

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4422300512/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4422300512&linkCode=as2&tag=kamituke-22

 

本書を通じて、かつては保守政党のなかにも、自主独立路線、アメリカに偏らない外交や経済を目指した首相や官僚などが数多くいたこと。にもかかわらず、その後の大平、中曽根、小泉と続く首相の系譜を通じて、対米追随の流れが「日米同盟」の名のもとにかつてないほどに不動の軸になってきてしまったことを知りました。

日本が太平洋戦争に負けて占領下にあった時代や、米ソ冷戦時代に西側に組していた時ならばまだわかります。

でも今は日本の輸出相手国の比率が、2010年時点で、米国15.3%、TPPの対象でない東アジアが39.8%(中国19.4%、韓国8.1%、台湾6.8%、香港5.5%)という時代です。

他の国々を敵にまわしてまでアメリカのみに肩入れするメリットが、いったいどこにあるのでしょうか。もちろん、アメリカと縁を切るべきだなどと言っているのではありません。

日本の国力からしたら、国連の常任理事国入りを目指すのは当然かのような世論もありますが、世界の多くの国々からはアメリカの票が一票増えるだけのことが見えみえの日本の常任理事国入りなど、多くの国々にとって応援する理由がありません。

しかし、にもかかわらず日本国内では、安保条約、「日米同盟」を否定するような発言をしたら、現実をなにもわかっていないと攻められ、どこでも一蹴されることが多いのです。

 TPP論議、普天間基地の移転問題やオスプレイ配備の問題、あるいは原発の再稼働問題も含めて、日米同盟を不動の柱に位置づけて論陣をはる人びとは、政治、経済の領域のみならず、マスコミにおいても現実論として圧倒的主流を占めています。

しかし、本書を通じて、アメリカの意向そのものが時代によって大きく変わること。それは敗戦後の占領下の統治政策から朝鮮戦争勃発後の転換のように、180度反転することすらありうることがよくわかります。

孫崎氏は、アメリカの戦略の真意がどこにあるのかを知らずに、ただ親米路線に走ることがいかに日本の国益をそこねることになるのかを、丹念に外交文書や法律条文を示しながら解説してくれています。

なかでも、敗戦直後の占領下の政策をそのまま戦後政治の流れとしてしまった吉田茂の功罪にかんする記述。安保反対運動の目の敵とされていた岸信介が、安保反対勢力によってよりも、保守派内部の反自主独立派によって引きずり下ろされたこと。安保闘争そのものが、一面では政権内の岸信介おろしを望む勢力によって利用され現実に支援もされていたことなど、戦後史の大きな結節点の見方を大きくかえる記述が随所にあふれています。

 

 http://www.youtube.com/watch?v=vIiWJdCFF3Q

 

上記の孫崎享の本に続いて「戦後再発見」双書の第2巻として出された

前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』創元社 も

単なる特定の事実暴露にとどまるようなものではなく、日米関係の根幹構造を解き明かしてくれるすばらしい内容のものでした。

日米同盟の真の実態については、2009年に孫崎享『日米同盟の正体』にわかりやすく書かれていますが、本書では普天間基地移転やオスプレイの強行配備などを軸に、日米構造が何によって決められているのか詳細にわたって解き明かしてくれています。

竹島や尖閣列島、あるいは北方領土問題なども含め、アメリカの世界戦略を軸に冷静に見るとマスコミで多く語られている事実も、いかに誤解だらけのものであるかがわかります。

日本国内の広大な土地、空域、海域が未だに戦後占領下と変わらない国権の及ばない領域として今も現存している日本の姿は、先進国どころか世界の独立国のなかでも異常な姿と言えます。

そんな実態から見れば、もう過去の人なのかもしれませんが、石原元東京都知事が対中国で弱腰に見える政府に替わって強硬なパフォーマンスを見せているかのようにみえても、首都であるだけでなく極度の人口密集地帯でもある東京周辺に、米軍の世界戦略の重要基地、横田、厚木、横須賀をおき、危険な低空飛行訓練があっても何も言えない姿は、茶番も甚だしい姿にみえます。

アメリカは決して日本を守るために基地をおいているのではない。それはある程度はわかってもらえることだと思います。

しかし、にもかかわらず、どうして日本の主権を放棄してまでかくもアメリカにすり寄る人がかくも多いのでしょうか。

この疑問は、この優れた2冊の本を読んでもまだ打ち消すことはできませんでしたが、歴史を語り日本のこれからの選択を考えるうえで、「戦後再発見」双書のこれからの続巻には、期待が高まるばかりです。 

 

http://www.youtube.com/watch?v=AoBW5pXrMBs

 

 

 

正林堂にて「お隣りの国とのつきあい方」フェア展開中。

出足なかなか好調です。

といっても、もっぱら孫崎享さんの本が引っ張ってくれてる感じですが。

 

 

 

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独立系書店の独立宣言

2013年05月23日 | 出版業界とデジタル社会


独立系書店の独立宣言



    与えられた固有の環境こそが最大の財産

 

これまで二十年間、すでに多くの中小独立(系)書店が淘汰されてきました。

今、残っている書店も、市場規模そのものが縮小する時代に生き残ることは、極めて困難な状況にあるといえます。

 残念ながら、これらの困難に立ち向かうべき業界の環境は旧態依然としており、あらゆる情報のデジタル化の加速とともに求められる業界体質の改善は、急務であるにもかかわらず困難なことばかりです。今の環境のまま、零細書店がこれらの状況に立ち向かうことはとても無謀なことであり、このままでの事業の継続は、合理的経営判断といえるようなものではないかもしれません。

 しかし、私たち独立(系)書店は、いかなる困難な環境のもとでも地域には、より良い本を求め続ける需要があり、読書の普遍的価値を信ずる人たちが存在し続けることも知っています。

 地域にそれらを求める声がある限り、それに応える商品とサービスの向上こそが、地域に生きる書店にとって最大の使命です。

それを怠ったまま、行政依存の街づくりや業界の体質改善を求めたところで、活気溢れる地域の再生をみることはありません

 真に自立した経営者は、

  時間がないから

  お金がないから

  行政や業界が悪いから、といったことを口実にしません。

 もちろん、言うべきことは言い、変えるべきことは変えるよう努力することは惜しみません。しかし、だからといって何々がないからできない、何々が悪いから出来ないといった言い訳は絶対にしません。

 いかなる環境においても、「与えられた条件」のなかでこそ、「独立」「自治」という言葉の意味があるからです。

 

お金がないからこそ、力が弱いからこそ、

知恵を出し合い、助け合うことが

真に独立した経営体(人)の選ぶ道です。

                        

 そもそも経営の一番の成功の秘訣は、「条件が悪いこと」です。

 なぜなら、条件が悪ければ悪いほど、そこに求められるのは「固有の」解決策であり、本来その「固有のもの」こそが「より強い競争力」をもつ経営にいたる最大の条件であるからです。

ひとが生まれ育った地域で自立して生きていくということは、まさにそうしたひとそれぞれの「固有な力」を、生涯をかけて発見して身につけていくことにほかなりません。

 年齢、性別、職業にかかわらず、わが身に起きたことすべてを積極的に受け入れ、それに立ち向かうことこそ、ひとが生きていくことの基本であり、同時にそれこそがひとを「読書」に向かわせる根源のエネルギーでもあると思います。

                                 

 

       今日一日の価値を高める

 

なにも世の中の変化のスピードは、現代になって急に速くなったわけではありません。

 遠く神代の昔からわたしたちは、季節の変化に応じて衣を替え、世代の交代にともないパラダイムの転換を体験し、人智を超えた災害などの危機に直面するたびに、その時代の人びとのなせる業すべてを行使して、あらゆる危機を乗り越えてきたのです。

たしかに今起きている新しい時代の変化は、わたしたちの感覚では及びつかない大きなものかもしれません。しかし、それらの太刀打ちしがたい変化をわれわれの感性の届くものに取り戻すことも、すべて私たちの一歩の決意からはじまるものです。

 つねにそれを実現する道は、自分の小さな今日の一歩からはじまることに変わりはありません。

それはすべて、日々の仕事、日々の生活のなかで起こり続けていることです。

 時には大きな戦略をたてて大規模な闘いをすることもたしかに必要ですが、多くの変革の条件はこの日々の生活のなかにあります。

 「今のテレビは、くだらないものばかり」と言っているその1時間(30分でもよい)を、日々のルーチンワーク以外のお店の変革のための1時間に変えるだけで、自分が食べていけるかどうかの最優先の課題の大半の問題は解決することができます。

 またその1時間を、より良い本を普及するための読書の時間に振り当てるだけで、本屋としての自信と誇りを、かなりの部分で取り戻すこともできます。

 残念ながら、このルーチンワーク以外の1時間の使い方がわからないという声を聞くこともあります。しかし、それこそ今あなたが立っている場所は何屋さんですかと聞きたくなります。経営の仕方、在庫管理や商品陳列から接客まで、お客さんから聞かれれば、こういう本があると探し出すのがあなたの仕事のはずです。

 このことは読書本来の姿ということからも強調されなければなりません。

知識や教養を溜めこむことより、自分自身が直面している問題に立ち向かうことこそが、学ぶこと生きることの核心部分であるからです。     

     

いやなら辞めるという権限も含めて、わたしたち一人ひとりは自分の行動に対して常に「全権」自らが持っているものです。

そのからだの頭のてっぺんから足の先まで、誰かから借りてきているものはなにもありません。すべて自分の意思によって動かされているものです。

 とはいうものの、売上げ、客数ともに落ちるところまで落ちてしまい、もうそれどころではない、ということもあるかもしれません。

しかし、多くの場合、その話もおかしいと思います。

売上げ、客数が下がったその時こそ、神様はその時間のある店内で、いままでその店でやっていなかったことを考え、実行するための時間をウインクして与えてくれているはずです。

 

「日々是好日」という言葉があります。

 残念ながら、「日々是口実」で生きている人と、日々自分が直面した現実と積極的に向き合っている人との間では、そのゴール地点の差は、いかなる学歴や肩書があっても追いつくことのできない天と地ほどの開きが生まれるものです。

 同時に、こうしたからだも心も「全権」自らが主人公と成りえた仕事は、「ワーキングプア」や「過労死」などといったことも無縁な、最良の健康法でもあります。

「日々是好日」といった一日の価値を高めることこそが、万能の方策につながるものと思います。

 

 

 「仕事」と「生活」を

      「生命のデザイン」として組み立てる

 

 市場規模そのものが縮小し続けるこの時代に、売り場面積の拡大にのみ頼ってきた企業は、これまでの零細書店以上の深刻な危機に直面します。

なぜなら、店舗の大型化で売上げを伸ばすこが出来るのは1年目のみで、多くの店舗は出店後間もなく売上げが下がり始めて、その固定費を縮小し続ける市場構造のなかで維持することは、零細書店の経営維持以上に至難の技であるからです。不採算店を整理するにしても、この方法は右肩上がりの時代でのみ通用した過去の方法であると言わざるをえません。

 それに対してわれわれは、地域の顧客情報こそが最大の経営資源であることを確信し、「規模の経済」から、「質(価値)の経済」への転換をいち早く目指すものです。

 もちろんそれはビジネスとしての「質の経済」を追求しているという意味で、決して安易な「反」市場主義を目指しているわけではありません。

交換のしくみを「市場の力」にのみに委ねる社会から、「生命(いのち)のデザイン」に組み替える生活者の営みとしての労働を追求していくということです。

 「質(価値)の経済」とは、本や顧客のデータ分析精度をあげることではありません。それは一人の顧客との出会いや要望、一冊の本との出会いと感動から出発するものです。

 また、生命(いのち)のデザインとは、決して環境問題のコーナーをつくればよいという問題でもありません。仕入れ方、陳列の仕方、売り方、コミュニケーション方法、さらには掃除の仕方などすべてにわたって表現される問題です。

 これは職場内のことに限りません。当然、地域や家庭の問題も含めてこそ「生命のデザイン」は成り立つものです。さらに突き詰めれば、人が棺桶に片足を突っ込むまでの生き方の選択の問題であり、決して定年後の年金生活にまでいかに逃げ込むかといったことではありません。

 もちろん個別の関係にばかりとらわれずに、ビジネスは一程度の量としてこなしてこそ成り立つものですが、目の前の本を求める一人のお客様に、どれだけ誤魔化すことなく大きな満足と感動を与えられるかこそが、すべてのビジネスの原点であることに変わりはありません。                       

この手間を惜しむものに明日の喜びはありません。

ここを避けていくら数字をいじっても、また高価なシステムを導入しても、決して真に独立・自立した経営には至れません。

 こうした一人ひとりが自分の手と足と頭を使う「独立(系)書店」こそが、地域に根差した経営を末永く続けていけるものと確信します。

 

地域が違えば、それぞれの地域での異なる売り方があります。

10人の顧客がいれば、10通りの売り方が求められます。

5人のスタッフがいれば、5通りの売り方を身につけることで、5つのタイプの顧客をつなぎとめることができます。

 こうした与えられた制約を具体的なかたちにしていくことこそが、強い競争力の源なのです。

 

 

  独立(系)書店」が地域で真に自立する日

 

「独立(系)書店(INDEPENDENCE BOOK STORE)」という表現は、おそらく資本の独立を意味しているのだと思われますが、なぜ「系」の字をつけなければならないのでしょうか?

 私にはどうもこの「系」の字がつく限り、自立した書店というよりは、従属、下請け、奴隷といったニュアンスの抜けきれない書店に見えてなりません。

ビジネスである限り「顧客」の僕(しもべ)であることは疑いませんが、そうであるならばなおさら、「版元の代理人」であることよりも「顧客の代理人」に徹する努力しなければならないはずです。

 市場が縮小したからといって、地域の顧客が消えて無くなるわけではありません。 いかなる小売店の場合であっても、地域の期待に応えることが売上げ増につながるのであり、売上げが下がるということは、来店される顧客の期待を裏切り続けているということに他なりません。

求められているのは、そうした期待に応えられる仕入れの「権限」と「能力」を持った小売店ということです。

問題は、「配本」ではありません。「仕入れ」です。

 

今、それらを実現するための制度上の不備はたくさんありますが、だからといって現状でできない理由はなにもありません。

 

なかなか信じてもらえないかもしれませんが、

パーソナル」、「ローカル」、「カスタマイズ」等のキーワードとともに

今、やっと「われわれの時代」がきたのです。

 

 不景気とはいえ、地域は実に様々な業種の人びとによって支えられています。

 

 日本全国にあるコンビニの数、およそ5万店。

医者の中でも最も多いといわれる歯医者にいたっては約8万。

意外なのは、全国にあるお寺の数、約7万5千。

理美容室にいたっては30万店以上ともいわれます。

他方、同じ医者でも眼科や産婦人科となると、1万を切る数になってしまっているようです。

 

私たち書店業界は、ピーク時がおよそ2万3千店。減少した今に至っては、約1万6千店程度(2013年5月1日現在 14,241 店)です。

 これらの数字を見比べると、実感的に2万を切ると、業種を問わず、一定の地域に存在しない業態が出てくることがわかります。たいていどこの町に行ってもある業種というのは、2万がボーダーラインであるといえそうです。

 とすると、大雑把な計算ですが、都市部へ数字の偏りはあるにしても、日本の購買力人口をおよそ1億人とみて、それを2万で割った5千人という数字が、業種を問わず個々の店の平均的な商圏人口ということになります。

 一店舗5千人の商圏で食べていくというのは、随分少ない数字に見えるかもしれませんが、世界レベルで考えてもこれは、つい最近までの標準的な数字でした。

 むしろ大事なのは、5千人商圏の千人程度の顧客相手で成り立たない商売というのは、そこにいる顧客が少ないからではなく、その地域の需要・要望に応えていないビジネスであると考えたほうがよいということです。

ビジネスである限り、立地を選ぶことは確かに大事です。しかし、顧客の要望に応えられない自分の店の問題を放置して、人通りの多い場所に移っても長続きしないことも明らかです。

 さらに、この「5千人規模の商圏」ということには、もうひとつ大事な意味も含まれています。

 これからの時代の地域づくりの原則を表した考え方で「アワニー原則」というものがあります。「人が歩いていける範囲内(半径600m程度)で、生活に必要なすべてのことが出来る街づくり」ということです。

コンパクトシティやスモールタウンといった類似の取り組みも広がっていますが、これはより普遍的な世界中どこでも通用する、生活者の自治単位として有効な考え方のことです。

 

この地域の自治能力の発揮できるコミュニティ単位を考えた場合でも、5千人商圏というのは、極めて妥当な数になっています。

お互いの顔が見えて、それぞれの地域風土の歴史、育った環境を共有しあえるコミュニティというのは、健全な地域社会を育てる条件でもあり、様々なビジネスをより濃い人間関係のなかで築いていくためにも、広い意味での社会資本を備えることにつながる大事な思想であるといえます。

 

個店の自立は、そうした単位での地域の自立と一体のものであるといえます。

 先にあげた「パーソナル」、「ローカル」、「カスタマイズ」とは、決して顧客管理データベースシステムの活用法のことではありません。

もちろんローコストでそうしたシステムを活用することも大事ですが、地域で生き続けるビジネスというのは、なによりもこうした5千人規模の顧客の要望に応えて、信頼を勝ち取っていくことに他なりません。

「規模の経済」から脱却した「強い経済」とは、まさにこうした思想に支えられたものです。またこうしたビジネスこそ、私たち独立(系)書店の強みが最も発揮される領域でもあるはずです。

 

それには今こそ、その問題解決の力を、版元や取次に頼ることではなく、地域の顧客の代理人に徹するビジネス、川上でつくられる「業界」ではなく、顧客とその代理人が築き上げる「業界」として構築しなおさなければなりません。

 

その主体に「独立(系)」などという表現は合いません。

 

今こそ、「独立(系)書店」と呼ばれる表現のなかから「系」の字が消えて、真の自立、独立した書店となるべきです。

私たちにとってはその日こそが、INDEPENDENCE DAY (独立記念日)なのです。

 

もうなにも問題はありません。

わくわくする仕事に不況はありません。

売り上げは必ずのばせます。

 

ひとつの街に一店舗、本のコミュニケーションの出来る店が切実に求められています。

 

すべて私たち自身が解決の鍵を握っているのです。

 

残念ながら、これからも多くの書店が消えていく流れは変えられないでしょう。

 

しかし、ひとつの街に一店舗、

本のコミュニケーションの出来る店をつくり

売上げをのばし続けることは可能です。

 

やっとわれわれの時代がやってきたのです。

 

 

 

 

 

        っているほうがよ     

     今日もこころ栄養

    1冊の





Hoshino Persons Project  

星野 上

(2009年11月 刊行の冊子を一部加筆訂正)


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面陳列用の簡易棚

2013年05月21日 | 出版業界とデジタル社会

以前、広島の同業仲間の本屋さんがどこかの学校でみたという面陳列棚。 
とても簡単な構造でできていたので、私も作ってみました。 

在庫削減は小売業にとって不可欠な仕事です。 
経営難からの対策だけではなく、顧客から見て魅力あふれる棚にするために大事な作業ですが、ほとんどの書店できれいで見やすく、管理しやすい面陳の方法は、残念ながらなかなか見られません。 

M書店のSさんが紹介してくれたこの方法は、棚一段単位ではなく、3段程度のスペースをまとめてきれいな面陳列にする便利な方法です。 

また、催事台などの陳列方法としても活用できます。 





ほとんど図面も書かずに、ホームセンターから板、角材を買ってきて切って固定するだけの作業です。 

 

材料 
30cm程度の幅の板     (300w ×13t × 910l) 3枚 
陳列の厚みをつけるための角材(25 × 40 × 910l) 2本 
底板            (60w × 14t × 910l) 1本 
側板            (45w × 14t × 910l) 2枚 

今回の試作は、材料の歩留まり優先で、長さを1820mmの板を半分にカットして使用しましたが、 実際には、店の棚の内寸幅にあわせて適切な長さにカットします。 



面陳用30cm幅板と角材を交互に重ねるだけの構造。 
私は 両側からビス止めしましたが、表のネジ穴が気になる場合は、木工ボンド接着でも強度は十分だと思います。 



棚の傾きにあわせて、側板の底の部分を斜めにカット 


裏から見た写真 



傾斜角度を固定するスタンド方式の構造にしようかとも思いましたが、無理にスタンド方式にしなくても、この構造で壁面に立てかけるだけでも十分使えると思いました。 


本をおいた状態 



学校では、塗装なしの木肌を活かしていました。 

私は、様々な場所での使用を想定しているので、塗装(チャコールブラック)してみました。




店舗全体に言えることと思いますが、世の中が右肩上がりでどんどん成長する時代は、次々に新しいものがつくられるので、色は新鮮さがアピールしやすい「白」ベースが多くなります。

ところが今のように右肩下がりの時代は、どんどん新しいものをつくることは難しいので、時間がたっても色あせせず、味わいを増す「黒」や自然素材の方が、世の中に受け入れられやすくなると思います。 

白や明るさばかりを強調する店舗から、黒や自然素材を活かした店舗に、できる限り変えていく工夫をした方が良いのではないかと思ってます。 

 





だいぶ前に、Sさんに紹介してもらっていながら、今回ようやく作る気になったのは、今度、家に「ワンワンbookcafe」(ワンワンは犬ではなく、ワンデイ、ワンテーマの意味で、一回にひとつのデーマで本を紹介したり近所のおばあさんとかと会話したりするカフェです)をオープンする予定があるからです。 

本の紹介だけに限定せず、地域の話題も含めた会話の映像をネット配信して、店内でもモニターで流せるようにする計画です。 

その映像の背景にこの棚を使用して、本を並べられたらと思いました。 

いろいろな使い方が可能だと思います。

 自宅のリビングで、本や雑誌をおく方法としても良いのではないでしょうか。

是非、みなさんも作って試してみてください。 



その後、いくつかのスタイルをつくりました。

一般的な形式は以下の構造のもの。

  

 

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柳沢寺と新船尾記

2013年05月10日 | 渋川、利根・沼田周辺情報

船尾神社?

言わずと知れた船尾滝を考えれば当然あってしかるべき神社ですが、その存在は知りませんでした。

榛東村にある柳沢寺にそれはあります。
群馬にも五重塔があると聞いて、はじめてその寺を確認しにいったときは、ちょっと残念な姿に見えましたが、境内にたくさんある石仏、鋳造仏類はなかなかのものでした。

 


「修行中 ほとけも勝てず 花粉症」 

            かみつけ岩坊


そして、そこが船尾神社を併せ持つ寺として由緒ある寺であることだけは想像がつきます。

話の種としては外せないと思っていたので、桜の季節に妙義方面へ行く途中、衝動的に家内と寄ってみるたら、そこには驚きの空間が広がっていました。

 

永大供養の施設を兼ねた五重塔のアンバランスな下部も、これなら気になりません。
百年もたてば、こうした建造物も味わいがでてくるものなのでしょうか。

真摯な信仰心を疑うものではありませんが、この建築からは、やはり信仰の精神が突き抜けているような印象はあまりうけません。

にもかかわらず、それまでけばけばしく品のない境内の印象だった空間が、まるて京都に来たかのように見違えてみえるのです。

 

境内いたるところで、写真撮影をする人や水彩写生をするグループなどがいました。

 

ここが船尾神社という地勢を考えると、それでもこのお寺は、群馬県の歴史を語るうえでもとても重要な役割を担っていることを感じさせられます。

おそらく、ここもかつては修験道の寺院だったのではないでしょうか。

船尾神社が船尾滝をご神体にしているのかどうかは、自然な連想で誰もがそう思います。水源地として下流の土地を潤す大事なところであることに疑いはありません。


そこで、頼りたいのが『神道集』に出てくるこの船尾滝にかかわる記述。

柳沢寺の縁起にもそれは明記されています。
 参照(

ところがこの『神道集』の物語りがいまひとつよくわからないのです。
単純な縁起書としては理解しがたい、ちょっと救いのないような物語りなのです。


もともと船尾の地は、タブーの地とされてました。
たとえば不浄の者などが行くと災難に逢うとか、やれ天狗が出て投げ飛ばされたとか、身の毛がよだつような小僧が巌の上に現れたとか、いろいろな伝説につつまれた地域でした。

その山一帯で、多くの人々が焼死、あるいは打死したとかいわれていました。
宝亀から天慶年間にいたる古い伝説なので、信憑性に乏しいのですが、多くの人が死んでいることだけは事実のようで。

 

この地に立ってみると、いろいろな創造が浮かんできます。

 


もっぱらわかりにくい『神道集』だけをたよりに創造をふくらませていたら、思いもよらぬ先人の労作を、私はかつて譲り受けていたことを思い出しました。

 

 

  岩崎狐松著 『新船尾記 小説』  復刻刊行「絵と本の木かげ館」

 

これは昭和43年に、岩崎浦八という人が『神道集』の八ヶ権現をもとに、仏教的脚色を随所に盛り込んだ小説に仕上げ、柳沢寺のもとに刊行されており、それを元教員の品川秀男さんが手作り製本で復刊されていたのです。

私はそうしたことは何も知らず、品川さんのお宅が「絵と本の木かげ館」として開放されていることから、かつてそこを訪ねお話を伺ったことがあります。

そこにこの手作り本が並んでいるのに気づき、私が興味を示したら、なんとその場で譲っていただけました。

B5判の手作り製本で110ページに及ぶもの。
あらためて開くと、思っていた以上の力作でした。

最初の刊行も多くの人々の寄付によって作られたもののようですが、その志を受け継いで品川さんが手作り製本で復刊された功績も大きい。

これは地域の歴史を語る上で、絶対に欠かすことの出来ない重要な文献であることは間違いありません。

なんとかこうした多くの人々の思いを受け継ぎ、電子書籍化などの方法で、より多くの人の目にふれられるようにしたいものです。

 

 

参照 『神道集』八カ権現の事

http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/47.html

コメント

数値目標偏重の危険性  メモ

2013年05月04日 | 出版業界とデジタル社会

 

 

そもそも私たちは、政府の掲げる成長戦略をとても信じることができない。

そこそこの結果が出だしているようにも見えるが、およそ信じていない。

そんな国民は意外と多いのではないでしょうか。

 

わたしたちの業界は1996年をピークにずっと下降線をたどっている。

抜本改革は簡単なことではないことはわかる。

だからこそ、まずはデフレ脱却こそ最優先課題だという。

「世間」の景気浮遊こそが、解決の糸口であると。

 

ん~~ん、

 

振り返ってみて欲しい。

「失われた十年」をようやく脱却したかに見えた1990年代。

多くの人は忘れているか、いや記憶にないかもしれないことですが、2002年から景気は回復軌道に乗り出しました。

それは「いざなぎ超えの景気拡大」とも言われた。

いざなぎ景気の57ヶ月に対して、70ヶ月という記録的な景気拡大があった。

そんなことが最近あったなどと国民のどれだけの人が記憶しているだろうか。

 

実態はどうだったか。

浜矩子は語る。

 

「あのいざなぎ超えの景気拡大過程において、果たして、どれだけの人々が好景気を実感したか。どれだけの人々に新たな雇用機会が提供されたか。どれだけの人々が幸せを噛みしめたか。戦後最長の景気拡大の中で、人々はむしろ格差社会化の進行に伴う痛みを噛みしめたのではなかったか。(略)思えば、ホームレスと化す人々の増加も、ワーキングプアという言葉の流行も、ネットカフェ難民たちの出現も、いづれも、リーマン・ショックがもたらした現象ではない。まさに、あの『いざなぎ超えの景気拡大』の時期から、根を下ろし始めた問題なのである。」

 

浜 矩子の「新しい経済学」 グローバル市民主義の薦め 角川SSC新書 (角川SSC新書)
浜 矩子
角川SSコミュニケーションズ

 景気拡大の数字がもたらしていたのは、所得の移転に過ぎなかったのではないか。

 

 

まずはデフレ脱却こそが、最優先の課題であるという経済政策の人々。

おそらくそれが今の多数派であることに間違いはないだろうと思われます。

私も、半分くらいは確かにそうだと思っています。

しかし、その先に行われることは、いつも騙されているのではないでしょうか。

国全体の数字を底上げするには、より影響力の大きい分野、企業の数字をあげることが先だという政策。(数字を出すためだけなら、おそらくそれは正しいだろう)

高額所得者が海外に逃げていかないような優遇税制にする方が、国の景気回復には大事。(目先の数字を出すためだけなら、おそらくそれも正しいのかもしれない)

 

でも、こうした政策の結果、世界でおきていることは、大手企業の史上最高利益の更新。

もちろん、ただ「大手」だから利益をあげているのではなく、それなりの努力を重ねた企業のみが利益をのばしているのはわかります。

個々の企業努力は大事ですが、国全体の数字、世界全体の数字でみれば、分母のベースは明らかに「金余り」こそが、底流の大きな流れ。

 

デフラ脱却の手だてをこうじるほどに、より利益の出しやすい海外へ円の流出を加速するのでは。

これらの結果、確実に進行してしまう「格差の拡大」。

 

財政再建のため、

景気回復のため、

まったく同じ言葉によって、まったく同じ構図のもとで、

使いたくもない言葉ですが「アベノミクス」は、過去の誤った方法論の上塗りをしようとしている。

 

株価の上昇や景気判断の上向きなどから、浜矩子の予測は外れた、1ドル50円時代の到来などはありえないなどを言っている人も多い。

でも、世界経済の基本構造の何が変わったというのだろうか。

強いアメリカの復活を標榜している都合、声高には言えないドル安誘導。

多くの国々がかつてないほど深刻な財政破綻と経済的行き詰まりの危機に直面し、その打開策として国内的な保護主義を強化するため、対外的には「自由化」をおしつけあう流れ。

アメリカが金とドルの交換を停止したニクソンショック以来、加速し続ける世界の「カネ余り」現象。

日本は「ゼロ金利」政策ベースによって、どんどん「円キャリートレード」で「おカネ」は海外へ出て行く。

それでも債券大国であり続けている日本の強さ。

 

こういうことを言い出すと、すぐに、あなたは経済成長そのものを否定するのか、と言われる。

とんでもない。

もちろん、今までのような経済成長は否定しますが・・・

 

「・・・・・新しいぶどう酒を古い革袋に入れる人はいない。もしそのようなことをすると、革袋は張り裂け、ぶどう酒は流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ。そうすれば両方とも保たれる」(「マタイによる福音書」『聖書』)

 

産業革命から近代資本主義が発達して以来、今、世界ではどのような変化が起きているのか。

これから始まる未知の領域の答えを出すことは、確かに簡単なことではありません。

しかし私たちの暮らしを破壊し続けたこれまでの古いやり方を、やめること、脱却することをせずに、真の持続する成長と国民の幸せはありえないと思います。

 

常に辛口でズバズバ語ってくれる浜矩子さんは、えてして冷たい論客にみられがちですが、これほど血の通った経済学を明快に語れるひとをわたしは見たことがありません。

 

数字でものごとをより客観的に把握することは、決して間違いではありません。

数値目標を掲げることも間違いではありません。

しかし、社会の「価値」、人の「価値」を見ること、語ることのできない数字は、人間の学問ではありません。

大きな時代の変わり目の今、外してはならない大事な視点を、浜矩子さんは私たちに示してくれています。

 

  

成熟ニッポン、もう経済成長はいらない それでも豊かになれる新しい生き方 (朝日新書)
橘木俊詔,浜 矩子
朝日新聞出版
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