かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

下牧(古馬牧)人形浄瑠璃 練習風景

2013年02月25日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 

下牧人形浄瑠璃の練習風景を見させていただきました。

地方に伝承される人形芝居のなかでも、三人遣いの本格的な浄瑠璃人形です。

昨年は練習期間中来ることが出きなかったので、1月になってから、もうそろそろ始まっているのではないかと電話で確認し、早速、お邪魔させていただきました。

その日の練習演目は、「阿波の鳴門」

 

 

これは、阿波の鳴門で使用するものではありませんが、よく見ると本格的なつくりであることがわかります。

 

 

「阿波の鳴門」は、阿波藩のお家騒動を題材にした物語。

もとの話は十段あるようですが、現在は通常、八段目のみが上演されています。

短いながら、見せ場も多い作品です。

 

 

内紛に揺れる阿波藩のなかで、家老桜井主善のあずかる玉木家の重宝、国次の刀が何者かに盗まれる。

桜井主善は、元家臣である十郎兵衛に刀を探すように頼む。

十郎兵衛と妻のお弓は、娘のお鶴を祖母に預け、刀を探し始めるが、その方法は名前を変えて盗賊の仲間になり、質屋などの蔵に忍び込み探すものだった。

 

ある日、お弓のもとに追っ手が迫っているので早く逃げるように知らせが来る。

そこへ巡礼姿の女の子が門口に立つ。

娘の方言が気になり「国はいづく?」と訪ねると、なんと阿波の徳島だと言う。

自分も徳島だが、どうして父や母と一緒に巡礼しないのかと訪ねると、

 

「イエイエ、その父様や母様に逢ひたさ故、

  それでわし一人、西国するのでござります」

 

 

 

この娘が我が子であることに気づくが、盗賊となって追われる身ゆえ名乗りでることができない。

 

「これほど親を慕う子を

  何とこのまま去なされう

   いつそ打ちあけ名乗らうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣く泣く別れ行く跡を 

 見送り見送り延び上がり、

「コレ娘、ま一度こちら向いてたも

  ま一度こちら向いてたもいの」

 

 

 

 

 

 

上演では黒子の人たちの真剣な表情がとてもいい。

 

なんとかこの人形のすばらしさ、それを支える人たちの姿を、もっと多くの人たちに伝えたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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浅間山 信州vs上州 そして善光寺

2013年02月22日 | 歴史、過去の語り方

先週、上信越道を長野に向かって走っていたら、群馬県側から浅間山の白く光る美しいシルエットが見えました。 

県境を越え長野県佐久市や軽井沢周辺では、いっそう間近にその雄大な姿がみれます。 

ところが、上田をすぎると浅間の姿は近いにもかかわらず手前の山に隠れて見えなくなってしまいます。 

考えてみると、両県にまたがる浅間山でその多くは長野側に属しているといってもよいような山ですが、長野県側からその姿を見れる場所は意外と限られています。 

車の中で家内と、浅間山は噴火のたびに群馬側にばかり多大な被害をもたらしているから、せめてその美しい姿をみせることだけは、群馬県にサービスしてくれているのだろうなどと話していました。 


この写真は嬬恋・万座方面からみた浅間山 


ところが・・・ 
この信州と上州にまたがる浅間山、ふたつの土地の境界に位置することの因縁には、かなり深いものがあることを知りました。 

よく知られているのは、碓氷峠にある熊野神社が、群馬県側と長野県側それぞれが別に管理していてお賽銭箱も別々に投げ入れるようになっていること。 
なにか、お互いに相容れない事情があるのか? 

この神社のことはよくわかりませんが、どうも互いに相容れがたい事情がいろいろあるようなのです。 

まず、両県にとって大きな事件は、なんといっても天明の浅間山大噴火です。 
世界史的にみても、被害規模の大きかったこの噴火ですが、その被害はもっぱら群馬以東の地域にもたらしてます。 

これは単純に風向きによるとも言われますが、溶岩や火砕流の被害は、風向きとは関係ありません。 

このことを江戸時代の人々は、上野(こうずけ)信濃両国にまたがる浅間山でありながら、噴火による被害が信濃国に少なかったのは、戸隠権現と善光寺如来のおかげであると思った。 

そして善光寺信仰をさらに広めることにもつながった。 



さらに、信濃側でも軽井沢と追分、沓掛の中山道三宿だけが大きな被害にあった。 

この三宿は、いずれも遊女のいる町であったから被害にあったのだと。 

善光寺で正月七草の行事がある際、善光寺に行く途中でこの三宿に泊まった東国からの参詣者の中には、女郎たちにだまされて長逗留することになり、七草に参加せずに空しく帰国するものが多かった。 

このように、参詣の妨害をした罰として、三宿は大きな被害を被ったのであると。 


神様のご利益に関しては、さらにこの前段がある。 

それは噴火に数年さかのぼる天明元年のこと。 

このところ仏教の隆盛に比べると神の威光の衰えは、見るに見かねる状況がある。 
そこで、諏訪明神のもとに、上州、信州から赤城権現、榛名権現、妙義権現、浅間権現、戸隠権現などがあつまり会議が開かれた。 
この神の威光が衰えた原因は、ひとえに浅間権現がたびたび暴れることにあるのではないかとなった。神の威光の衰えの原因を、ひとり浅間権現の責任にされたのでは腹の虫がおさまらない。そこで我慢しきれず爆発したのが天明三年の大噴火であったらしい。 


この他にも、噴火の原因は田沼意次の悪政に対する天罰であるとか、いろいろな話があるようですが、どの話も単なる迷信と片付ける人が多いにもかかわらず、多くの人に受け入れ語り継がれるのは、物事には必ず「因果」というものがあるのだということと、その因果を知ることで人々に日頃の善行を促す効果があるといえます。 

なにも無理に信じる必要はないけれども、こうした話を語り継ぐことは、とても価値があるのではないかと思います。 

 

 

 

小西聖一/著 小泉澄夫/画

 『浅間山 歴史を飲みこむ 天明の大噴火 ものがたり日本歴史の事件簿8』  

           理論社   定価 1,260円

渡辺尚志    『浅間山大噴火』 吉川弘文館 定価 1,785円

 

関連サイト

  かみつけの国 本のテーマ館

   立松和平 『浅間』から天明の大噴火を考える  http://kamituke.web.fc2.com/page158.html

 

 

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