かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

根性のある夕立

2008年07月27日 | 渋川の本屋「正林堂」
一昨日の夕方、落雷の音がにわかに近づいてきたので、
用心のためお店のパソコンの電源を落とすなどの作業をしていたのですが、
PCではなくモデムがとんでしまった。

モデムの電源を抜いて再起動してもなんのランプもつかない。
yahooBBのカスタマーサービスを調べようと思ってもネットは開かない。

104で番号を聞いて翌10時まで待って(こうした業種が24時間サービスでないのは問題)
テクニカルサービスで対応してもらったら、やはりモデムの交換。
今日か明日届くまで、本の検索もネット注文もできない。

トホホ。

久しぶりに元気のいい夕立で誉めてやろうかと思っていたのに、
こんなことになるとは。




気がつけば最近の夕立はどうも根性が足りないない気がする。
ザアッと降ってスカッと晴れて
虹が出るような夕立は滅多に見ない。
どうも夜中まで、タラタラ降り続けることが多く
気温も湿度もなかなか下がらない。

昔の夕立はもっと根性があったぜ。

そういえば今となっては楽しい想い出だが、今のお店を改装する前は、
大雨が降るたびに床上浸水をしていました。

敷地が傾斜地になっており、集中的な雨になると建物の基礎を乗り越えて店内に雨が流れ込んでしまう。
排水路の溝を変えたり、雨樋を移し替えたりいろいろやってみたのだけど、専門家に頼まず私のバカな努力を重ねるだけで、なんら解決しないまま、大雨が降るたびにチリトリで水をかい出す作業をしていました。

お客さんの少ない店とはいえ、ほんとにバカなことをしていたもんだ。

とりわけ雨量が多く水位があがった日には、
よくお客さんと一緒に店内で泳いで遊んだものです。




ウソです。

でも、雨が降っても浸水しない店なんて
なんかつまらない。

私は根性のある雨のほうが好きだ。

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「分散」と「集中」ロングテールの実体メモ(その4)

2008年07月24日 | 出版業界とデジタル社会

前編、後編で終わるはずのものが倍の長さになってしまいました。
もともとメモ書き程度のつもりで書き出したことですが、問題の広がりが見えてくるにしたがってどうしても長くなってしまいます。
これではどうもきりがなさそうなので、その問題の広がりを確認してメモのまま一旦打ち切らせていただくことにします。


「分散」と「集中」というこの一対の概念は、姿かたちこそ変われども形があるうちはこの一対の関係がどちらかに解消されるようなことはありません。
終わりのときとは、分散力が強まり四散して消滅するときか、集中力が極限まで達して爆発崩壊するときかです。

こうした構図は宇宙銀河レベルでおきてるかと思えば、それを構成しているひとつの太陽系などのレベルでもおきていて、かと思えば、地球レベルでの自然界や経済関係のなかで「分散」と「集中」は繰り返され、さらにそれらを構成する国家や一地方、あるいは一業種、一○○のなかで・・・・

と、繰り返されるのですが、それでも人間界においては、かつてない変化が起きました。
それは人間界はニュートン力学的な世界から量子力学的な世界に踏みこんだということなのかもしれません。

これまでの私たちがイメージする「分散」と「集中」という概念は、政治でも経済でも文化でも「中央」への集中は同時にピラミッド型の下からの積み重ねによる集中であり、その三角形(中央集権)に組しないものは、あくまでもアウトサイダーの地位に甘んずるのが常であったと思います。
ですから、たとえ複数の渦があったとしても、それは必ずといっていいほど、中央の覇権争いに収斂していく性格のものでした。

ここに、私がもうひとつの連載を続けている「『近代化』でくくれない人々」のテーマの根拠があります。
いままでの長い歴史を通じて「近代化」、あるいは「中央への一元化」でくくれなかったり、組しなかったりした人々は必ず、アウトサイダーたる地位を必然とさせられていました。

ところが、現代とこれからの時代の「分散」の広がりは、これまでになく薄いながらも広く大きく広がった社会で、その分散の仕方がピラミッド的な階層構造をもった三角形になるようなものではありません。
それは、水平の広大な広がりであるという意味において、必ずしも平等であるとはいえませんが、少なくともピラミッド的な序列構造には無い特徴を持っています。

なおかつその水平構造のなかでは、順番がないばかりか、ジャンプしたり、ワープしたりもしながら場所はしばしば飛び越えて移動することもありうるのです。
また、ある渦の中に属していながら、同時に他の渦に属していたりもします。

このような性格をもった個人(粒子)が飛び交っている。
Aに属したり、Bに属したり、ありときは、DとEそれぞれに属したりする自由な運動をする個人(粒子)たち。
これらの複数の運動を支える中心軸のエネルギーも、一元的なものではないので、絶対的な地位にはありません。

大きなビジネスを成功させるには、分散せずにかろうじて遠心力のなかにとどまれるだけの磁力をもって、出来るならばたくさんの渦を繋ぎとめる力が求められるのですが、他方、個々の粒子(個人)の側からすれば、中央集権的な一つの中心軸に頼ることはせずに複数の中心軸を渡り歩きながらでも生きていければよい構造が出来上がっているともいえます。

つまり、ここに至っては、アウトサイダーという概念がもはや成り立ちにくいのです。
別の見方をすると、中央に組みしなくても「自立」した関係を築くことが可能な社会であるといえます。
もちろん、それは決して中央への「集中」していくエネルギーが消えたわけではありません。

ビジネスの世界でいえば、水平統合型ともネットワーク型ともえいる組織イメージです。





このテーマの広がり

・こうした分散を背景にした極度の集中が進んだことで、集中した領域(資本)は、私企業的性格の事業であっても公的性格が高まり、社会の共通インフラとしての性格も強まる。
(悪い例では、銀行や大企業は公共性が高く他への影響が大きいから、いかなる問題があっても公的資金をつぎ込んで救済する)
(良い例では、パソコンのOSなどの共通のプラットホームになる技術などはリナックスのように完全オープンソース化し、利益の対象にしない。逆にこうした領域こそ、ビジネスにすれば莫大な利益が得られるともいえる)

・水平型の分散は、デジタル社会の進展とともに低コスト化とお金のかからない社会(経営努力による低コストやデフレを意味するものではなく)を必然としており、個人の自由の拡大の大きな条件ともなる。

・水平分散型社会のビジネスや組織形態は、複雑でわかりにくい側面があるだけに、ひとつの商品の売れ方の分析よりも、一人の人間(消費者)の全体像をつかむことがとりわけ重要になる。

 一つの本、雑誌という商品は、ひとりの消費者にとって、書店で買うこともあれば、コンビニで買うこともあり、大型店で買う場合もあれば、顔見知りの零細書店で買うこともある。同時に古書店に行くこともあれば、ネットで購入することもある。

こうした傾向が強まるときは、商品の属性よりも、消費者の行動属性の分析の方がはるかに大事である。それらの選択肢のなかでいかに選ばれるかということを考えなければならない。
(この先に見えてくるものは、小売業はメーカーや作り手の代理人である時代から、買い手・消費者の代理人になる時代に入っているということ。)

 

次に書かなければならないのは、「分散」の側のエネルギーに属する私たちの課題のことです。

 

その1 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/d6849961bd583b9dc851ad074e812adf

その2 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/f82e08f492d2f3e6289027b4a2317c7d

その3 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/818b1e7f42b3efdd6c1a48c4bd13e649

 

 

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本ほど効率的な情報はない

2008年07月21日 | 出版業界とデジタル社会
勝間和代著
『効率が10倍アップする新・知的生産術--自分をグーグル化する方法--』
  ダイヤモンド社 定価 本体1,500円+税

なんでもグーグル検索すれば情報が出てくる時代だからこそ、
大事な情報は本でなくてはならない理由がここに書かれています。

勝間さんは、なぜ本を読むことで本質にたどりつきやすくなるのか。
次の3つの理由をあげています。

・理由① 多くの本の企画の中から厳選・編集された良質のコンテンツであること
・理由② 著者が自己実現のために書いている場合が多く、採算度外視で安価なこと
・理由③ 一覧性にすぐれており、かつ携帯性が高いこと

「本1冊書くのに、日本語だと約10万~20万字の原稿が必要です。私はかなり原稿を書くのが早いほうだと思いますが、それでもせいぜい1時間に2000字くらいしか書けません。
そうすると、12万字の本を書くのに60時間かかります。さらに、その60時間の本の材料はおおよそ、20年近くかけてためたものです。
 したがって、読者は私の20年の体験+60時間の労力を、わずか1,575円で手に入れることができるわけです。12万字のすべてが役に立つかどうかわかりませんが、その中に1つでも、2つでも、「なるほど、それは目から鱗が落ちる思いだ」と思える部分があれば、それだけで本代は回収できます。」
              (同書151ページより)

もちろん、これらの長所を生かしているとは言いがたい本もたくさんあるので、
それらはどんどんネットにとって代わられていくことでしょう。
そして紙の本の市場が縮小していくことも間違いないのですが、
それだけに、紙の本ならではの高付加価値の情報がより貴重になるのです。

勝間さんは、月にだいたい50から100冊の本を買って読んでいるという。
その金額は15万円ほどになるそうです。
そのうち手元に残す本は、約1割。

経済的に余裕があるから、そんなことが出来るので、普通の人にそんな真似できるわけないとの返事が返ってきそうですが、よく冷静に考えてみてください。
勝間さんも若いときからそれほどの金額を使っていたのではないでしょうが、先に必要な情報にそれだけの投資を優先していたからこそ、そうした生活が出来るようになったのです。

それに比べたら、私が9割を古本に依存しながら毎年1本ずつ本棚が増えていくレベルなんて甘い甘い!

著者が「自分をグーグル化する方法」とサブタイトルをつけていますが、
ここに、グーグルで誰でも必要な情報にアクセスできる時代に求められる
ほんとうの「知的生産術」の大きな手がかりがあると思うのです。

こんなことも書かれています。

増やしたほうがいい情報
・自分の体験からの情報
・他者の体験からの情報
・良書

減らしたほうがいい情報
・テレビ
・一般雑誌
・目的意識のないコミュニケーション

そうだ、そうだ!ヨシ!
もっともっと本を買って、もっともっと書かねば。

              (正林堂店長のブログより転載)
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日本でいちばん大切にしたい会社

2008年07月20日 | 気になる本
「日本でいちばん大切にしたい会社」
  坂本光司著 あさ出版  定価 本体1,400円+税

優良企業を取材し取り上げた本は、昔からたくさん出ていますが、本書で紹介する企業は、それらのなかでもちょっと違う。
優れているというだけでなく、著者が文字通り「日本でいつばん大切にしたい会社」という意味でとらえているからです。

なぜこの会社には、4,000人もの学生が入社を希望するのか?
なぜこの会社は、48年間も増収増益を続けられたのか?

冒頭の章で著者は、会社経営とは「五人に対する使命と責任」を果たすための活動であるとして、本書で紹介する5つの会社どれもが、その使命と責任を見事に果たしていることを見せてくれています。
まず、その五人とは、以下の人たちに対する使命と責任のことです。
1、社員とその家族を幸せにすること
2、外注先、下請企業の社員を幸せにすること
3、顧客を幸せにすること
4、地域社会を幸せに、活性化すること
5、これらを達成することで自然に生まれる株主の幸せ

5番目の表現でわかるように、この順番を間違えてはいけない。
まず従業員が幸せになっていることでこそ、良いサービスや品質を実現することができるのです。

そんな経営像の最初に紹介されている日本理化学工業株式会社の事例は強烈です。
従業員約50名のうち、およそ7割が知的障害をもった方々で占められているこの会社は、はじめからこのようなスタイルを考えていたわけではなかった。

昭和34年のある日、ひとりの養護学校の先生がこの会社を訪ねてきた。
難しいことはわかっているが、どうかあなたの会社でうちの子どもを採用してもらえないか、という。
その意義はわかるものの、責任をもてるかどうか自信はもてないので、社長は断ることしかできなかった。それでも、その先生は再三お願いに来る。
三度目の訪問のとき、それでも就職が無理なら、せめてあの子達に働く体験だけでもさせてくれないか、と頼み込んできた。その先生の姿に社長は心を打たれて、「一週間だけ」ということで二人の障害をもつ少女を受け入れることになる。
やがてふたりが勤めはじめると、先生はもとよりお父さん、お母さんが遠くから「倒れていないか」「何か迷惑をかけていないか」遠くから見守る。

そして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のこと。
十数人の社員全員が社長を取り囲み、どうかあの子達を採用してあげてください。あの二人の少女をこれっきりにするのではなく、正社員として採用してあげてください。これが私たちみんなの願い、総意だという。
それだけ社員みんなの心を動かすほどその子達は朝から就業時間まで一生懸命働いていた。

なぜこの子達はこれほどまでに一生懸命働くのか、社長は不思議に見えた。
その疑問をある法事の場でお坊さんに尋ねてみた。するとお坊さんは
「そんなこと当たり前でしょう。幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役にたつこと、④人に必要とされることです。(このうち②と③と④は)施設では得られないでしょう。この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」
といい、それに社長は気づき、人を工程に合わせるのではなく、工程を人に合わせるしくみ作りをし続けて50年以上、そうした従業員を雇い続けることになる。

ある日、トイレで社長はあるベテラン社員の言葉を耳にする。
「社長があんなおかしな人間を入れるもんだから、おれたちまでおかしく見られちゃうよな。あんなことされちゃ、たまったもんじゃないな」
社長は、すぐに社員全員に会社が障害者を採用した理由を話して、別室にそのベテラン社員を呼び「彼の前で謝らないのであれば、あなたには去って欲しい。あなたの言動は会社として、人間として認めることが出来ない」と強く言った。
やがてその社員は結局会社を去っていくが、多くの会社でも、このベテラン社員と同じような気持ちで働いているものは決して少なくないのではないだろうか。

著者がそんな取材をしていると応接室に、おばあさんがコーヒーを運んできてくれて、静かに去る。
すると社長は、
彼女ですよ。
以前お話した最初に雇った女性は、という。

めまぐるしく変化する世の中で、10年はおろか、3年、5年先の事業計画すら成り立ちにくい時代ですが、
どんな変化があっても、こうしたきちんとした価値観で、決して会社側の都合でリストラなどもすることなく地域を長い歴史をもって支えている企業がここにある。

きちんとした価値観を持ちそれを貫くことこそが、長く会社経営を続けることの条件であることが、本書で紹介されている5つの企業の事例でよくわかります。

ほかの人と同じように戦いたくても戦えない、がんばりたくてもがんばれない、そんな方々が真の弱者であって、がんばれるにもかかわらず、がんばらない人、やれるはずの努力をしない人や企業は、偽者の弱者です。そんな人々に手をさしのべる必要はないと、著者は強く訴える。


この日本理化学工業という会社はダストレスチョークという粉の飛ばないチョークの生産で高いシェアを持つ会社なので、地域の学校でもこの会社の製品を使っているところも多いのではないでしょうか。

この本、追加が入荷したら、学校関係者、企業関係者、人が働くということを考える姿勢のあるすべての人たちに紹介したい。

 (以上は、正林堂店長のブログより加筆、転載したものです)
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もうそこまで来た「明日の本棚」

2008年07月18日 | 出版業界とデジタル社会
amazonなどのネット書店ばかりでなく、個人蔵書なども
このような表示でわかりやすく見れるようになる。


http://zoomii.com/#
(英語は聞き取れなくても、十分わかると思います)

本屋になおさら行かなくなってしまうんじゃないかって?


こうした技術が進歩することからも、
書店は、いち早く出版社の代理人であることから脱却して、
顧客(読者)の代理人になるように努力しなければならない。
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「分散」と「集中」ロングテールの実体(その3)

2008年07月16日 | 出版業界とデジタル社会

もう一度、恐竜の姿をイメージしてみましょう。
前回書いたように、ロングテールといわれる尻尾の長さが長くなったことは間違いありませんが、もう一方で恐竜の首、頭の部分にあたるベストセラー商品も、尻尾が長くなっていることに劣らず、細く長く上に伸びているのも今の特徴です。

ベストセラーのなかでミリオンセラーと言われる商品が、書籍に限らずCDの売り上げなどでも同じように市場が縮小していると言いながら、過去10年20年前のいかなる時期よりも最速で次々とその記録は塗り替えられています。
次々と塗りかえられているそれらの記録の商品は、昔であれば日本国民の誰もが知っている歌であり、誰もがその話題だけは知っている本でしたが、今、私たちがそれらのCDタイトルを聞いてもまったく知らないことが多いのです。
100万部を超えるベストセラーと言われても、その作者も書名もまったく知らないもということも、読書家を称する人々の間ですら珍しくはありません。
これは必ずしも、そうした情報を見ても知らない人々が年配者だからそうだということでもありません。

あっという間にミリオンセラーの記録を塗り替えるそれらの商品は、瞬く間にトップの位置を占めるようになるのですが、同時に、瞬く間にヒットチャートのなかから消えていくのも今の特徴です。
つまり、それらの商品は先の恐竜の姿でいえば、昔以上に限りなく細く長く伸びた首としてその姿をあらわしているのです。



尻尾も限りなく長く伸びた。
首も限りなく細く長く伸びた。

これは、最初の「分散」と「集中」という台風の渦のエネルギーの考えかたからみたら、どういうことでしょうか。

求心力、遠心力ともに最大限まで発達した回転する駒のような形がイメージできます。
それは、回転する軸の部分が細く上下に長く延びている一方、駒の胴体の輪の部分も限りなく薄い円盤状に拡大している姿ということになります。



このいかにも壊れやすそうな薄く細いかたちは、経営資本のかたちととらえても同じです。
アマゾンやグーグルに代表される現代の最先端企業の姿をみると、パソコン画面上にあらわれるそのシンプルな姿からは想像もつかない莫大な研究技術開発費を投入し続けています。
ところが、そこには昔の重厚長大型の大企業のイメージからは遠い、これまでは想像もつかなかった世界があります。

そこの経営を支えているのは、莫大な技術研究開発の部門とともに、アドワーズ、アドセンスといった無数の小口の広告スポンサーたちであり、ひとつひとつは小口でありながら、世界市場をターゲットにした大企業の要望にも応えられるものです。

また、アマゾンの書籍データを開くと、そこには同時に新刊情報とともに、その書籍の古本出品情報が出る。定価1,500円の本と同時に下は1円から600円、800円と、絶版品切れ本であれば時には5000円、7000円といった情報が同時に表示されて、ワンクリックでそれを買うことができる。
それらの出品者は、必ずしも古書店とは限らず、個人の蔵書でも登録さえすればそこに出品することができます。

私の管理サイト「かみつけの国 本のテーマ館」も書誌情報はアマゾンのデータをリンクしていますが、それを通じて購入されるものの9割は新刊の定価販売商品ではなく、「古書」です。

こうした法人、個人を問わず、世界中のユーザーを簡易なシステムで取り込んで、既存のいかなる巨大書店よりも大きなビジネスを築き上げているのがアマゾンです。

これらの例のどこをとってみても、かつて私たちが高度経済成長時代に学校で学んだトラスト、カルテル、コンツェルンなどのイメージはありません。
強いて言えば、出資から販売まで、小さな個人を寄せ集めた裏(闇)カルテルのようなものでしょうか。

まさに、これらの姿は、細く長く伸びた軸のまわりを、これまた薄い円盤がとてつもなく大きく広がった駒のかたちであるといえます。
もう少し正確に言うならば、その円盤は土星の輪のような形というよりは、銀河系の広がりのような薄い層や厚い層のムラのある円盤状の広がりといったほうが近いでしょう。


この広がりこそ、現代の「分散」の特徴なのですが、残念ながらこれも、分散一方の優位というわけではなく、軸に集中する設備投資や技術開発の領域で桁外れの「集中」を前提として成り立っていることを見落としてはなりません。

にもかかわらず、この水平方向に広大な広がりを見せた「分散」こそ、これまでにはなかったものだといえるのです。

もう少し続けなければならないので、また次回に続けます。

 

その1 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/d6849961bd583b9dc851ad074e812adf

その2 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/f82e08f492d2f3e6289027b4a2317c7d

その4 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/9ec1a58f2db44441d85e30781400e9a3

 

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「分散」と「集中」ロングテールの実体(その2)

2008年07月13日 | 出版業界とデジタル社会

 

前回「分散」と「集中」のエネルギーを内包した台風のような渦が、常に生成、死滅を繰り返すことが必然であることを書きましたが、その巨大なスケールの渦を私たちの感覚でとらえることはとても難しいものです。 


台風、ハリケーンの姿は、わたしたちはテレビの気象図を見て知っていますが、現実の強風や大雨を見てその大きさを知るわけではありません。 
同じように恐竜の姿に例えたロングテール理論の場合も、その恐竜を見ているのは人間ですが、現実のその恐竜に例えた巨大市場の規模からすれば、恐竜の足元や背中にのっかった小さな蟻のような立場で全体を想像しているにすぎません。 


つまり、理論上「ロングテール」を語ることはできても、その当事者たちは、巨大な恐竜の背中にのった小さな蟻のような存在にしかすぎないので、自分の立っている場所が、恐竜の背中なのか、左足の爪の上なのか、尻尾の付け根にいるのかはまったく検討もつかない、ただ広い大地の上にたっていると誤解しているようなものです。 




実は、これこそ顧客の真実の姿なのです。 


よく、金太郎飴化する書店というたとえも昔から話題になりますが、どこにいっても同じような本しかないと感じる顧客のほんとうの姿は、実際にどこに行っても同じような本しかなかったということを言っているのではなく、それは、どの店に行っても自分の興味のある本が「1冊も」見当たらなかったという体験の別表現であるのだと思うのです。 


大半の現実は、何万、何十万とある在庫のなかから、ピンポイントで自分の興味のある本が「1冊」おいてあれば、その店はいい店に見えるものです。かなりの読書家でも数十冊や数百冊もの在庫情報を見て判断しているということはまずありません。 


この説明をするためには、ここであらためてamazonの登場とともににわかに注目されるようになった「ロングテール理論」のことをちょっとおさらいをしておきましょう。 
こらからの時代、まだまだ話題になりつづける言葉だと思うので。 



ことのきっかけは、2004年10月、米「ワイアード」誌の編集者クリス・アンダーソンが書いた記事だ。 
「1988年、ジョー・シンプソンという英国人登山家が、ペルー・アンデス山中で死に迫る体験を記した『死のクレバス――アンデス氷壁の遭難』(岩波現代文庫)という本を上梓した。同書はよい書評を得たものの、売上的にはそこそこであり、いつしか忘れ去られていった。それから10年後、おかしなことが起きた。ジョン・クラカワーが登山の悲劇に伴う『空へ――エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』(文春文庫)という本を書き、その本はセンセーショナルに売れた。すると、突然『死のクレバス』が再度売れ出したのである。  

                     (「ワイアード」誌より) 


 その謎を解く鍵は、アマゾンのリコメンデーション・システムにあった。 
 アマゾンで『空へ』を買ったユーザーの中にたまたま『死のクレバス』を買ったユーザーがいた。その結果、アマゾンのリコメンデーションで『死のクレバス』が紹介され、そのリコメンデーションを見たユーザーがまた買うことになり・・・・・・というループが起こり、市場から忘れられていた『死のクレバス』は10年の時を経て再び読まれることになった―――という次第だ。 


 アンダーソンは、このように埋もれた商品が見つけ出されるのが、ネットのニュー・エコノミー現象のひとつだとし、アマゾンでは、自社のランキングで13万位以下の売上げが、実に半分にまで及ぶと述べた。 


 同社の本の在庫は米国で200万点以上(日本は50万点)。売り上げの半数が13万位以下となれば、縦軸に売り上げ冊数、横軸に売り上げ順位をおいた場合、横軸は右へおそろしく長く伸びることになる。その反比例のような関数曲線を恐竜の姿に照らし、もっとも売れているベストセラー系を「ヘッド」、果てしなく右に伸びる売り上げ下位の書籍群を「 
ロングテール」と呼んだのである。
       森健『グーグル・アマゾン化する社会』光文社新書より 

 このアンダーソンが発表した「13万位以下の売り上げが半数を占める」という記述は、間違いであることがわかり、2005年春の彼のブログで、アマゾンにおける13万位以下の書籍の売り上げに占める割合は、全体の三分の一だとされた。 

 よくあることながら、もう遅い。 


 それで、このようなアマゾンの登場とともに、どうしてロングテール理論が注目されるようになったのかというと、よく誤解されやすいのですが、ロングテールに位置する商品群は、昔から存在してはいたということを見落としてしまっていて、アマゾンの凄いところは、そのロングテールの商品群をローコストの管理システムで顧客に手軽に見つけても らい、なおかつ手軽に手元に届けられるシステムをつくったところにあるのだということです。 


 最近流行りの500坪以上の巨大書店であれば、どこもそのアマゾンのロングテールにあたる商品群は、程度の差こそあれ店頭に持っています。 
 ところが、それを顧客が同じことをしようとするならば、広い店のなかから探し出し買うこと、もしその本が店に無かったならば他の大型店にまであるかどうかの確信のないまま行き、広い店内からまた探さなければならりません。 
 もちろん、店員をつかまえて聞くことも出来る、勝手知る店ならば、まっすぐにその棚に行って本を探しだすことも出来る、実際の棚を見ることでこそ他の面白い本を見つけ出すこともできる。 
 それら副次的なメリットがいかにたくさんあろうとも、アマゾンの場合は、どんな大型店よりも経費をかけずにピンポイントでお客の探しているものを素早く提供することが出来るのです。 


 もちろんそれだけの便利なネットシステムは、膨大な技術開発経費と設備投資資金をかけてこそ実現できているのですが、ピンポイントで探すものにたどりつけて手軽に購入できるという点においては、いかなる巨大書店であってもかないません。 


 この点から、先の恐竜の上にのった蟻のたとえを思い出すならば、顧客からすれば、恐竜の高い背中の上に這い上がる苦労をせずに、ワンクリックで背中のその場所に自分が立っていることが出来、それが尻尾の先であろうが、頭のてっぺんであろうが、その手間は関係ないどころか、まったく意識されていないということです。 


 ここまできてようやく「ロングテール理論の実体」というものが見えてきたでしょうか。


 のちに半分ではなく3分の1だったと訂正されながらも、その理論がもっともらしく普及している理由は、長い尻尾の部分が経営を支えているのだということにあるのではなくて、尻尾であろうが、胴体であろうが、頭であろうが、どの部分に位置する商品であっても手間とコストの負担を変えることなく、手軽に顧客のもとに届けられるシステムということにこそ、その核心があるのです。 


 このことを見逃して、店舗の巨大化だけをはかってロングテール部分を網羅しようとしても、アマゾンには勝てるはずがありません。増してや市場規模が、これから10年でピーク時の半分にまで縮小しようとしている時代でのことです。 


(前編、後編で終わるつもりだったのだけど、もう少し書かなければならないので、また次に続けます)

 

その1 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/d6849961bd583b9dc851ad074e812adf

その3 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/818b1e7f42b3efdd6c1a48c4bd13e649

 

 

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「分散」と「集中」ロングテールの実態 (その1)

2008年07月13日 | 出版業界とデジタル社会

前にクローズアップ現代での商品ランキング依存のことを書きましたが、
今も尾を引いている大事なとこなので、もう少し補足しておきます。

ひとつは、ランキングのいったい何が問題なのだろうか、ということです。

市場競争のもとにおかれる限り、公表するかどうか、それを見るかどうかにはかかわりなく、ランキングがあること、またそれへの否定的な見方があったとしても、それが無くなることはありません。

今、問題になっているランキングの弊害は、ランキングそのものが悪いのではなくて、
もう少し正確に言えば、その情報がトップ10に集中するということだと思います。

インターネット上の検索でも、検索結果の1位、もしくは最低限でも最初のページに表示されるようでなければ、そのサイトは「この世に存在しないに等しい」とも言われるほど、トップ10以下は圧倒的不利な立場にあります。

検索結果の上位にあることが、その情報の実体や価値以上に決定的に重要なことになってしまっているのです。

これと同じことが、本のランキングでもおきてます。

もちろん、それは総合トップ10だけでなく、ビジネス書、文庫、新書など様々なジャンルごとのトップ10が公表されているわけですが、いかにその分類を増やしたとしても、現実に市場に流通している本のアイテムからすれば、極めて特殊な情報であるとすら言えるほど、本来、トップ10というのは、一部の情報にしかすぎません。
このことは、あとで「ロングテールの実態」のこととして書きます。

これは、一見様々な情報が自由に氾濫しているようになったかに見えながら、その豊富な情報を受け手が整理・識別する能力がないと、結局、情報が自由になり増えれば増えるほど、その膨大な情報を選別して提供するビジネスがおこり、そのビジネス間の競争過程で情報の集中を招く必然性を持っていることのあらわれでもあります。

分野を問わず、自由な競争は、必然的に「集中」「寡占」「独占」を招くことは避けられません。

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文氏も、日頃膨大なPOSデータを見ながら、文化・価値観の多様化などと言っているが、実態は、どこをとって見ても、「多様化」などという現実はなく、文化・価値観の集中である、といったようなことを言っていました。

これは確かに資本主義社会のしくみが、こうした傾向を加速させたといえるかもしれませんが、歴史をよくみると決して今に限ったことではなく、「集中」と「分散」のエネルギーは常にどの時代でも存在していました。

それは、古代まで遡っても共通してあったことといえます。


歴史をみると、分散に対する集中という対比が一貫して、「集中」の流れに組しないものはアウトサイダーとしての地位に甘んじざるを得ませんでした。
この構図は数千年の人類の歴史でも大きく変わってはいません。

限りなく「中央」への覇権争いや市場競争への一元的エネルギーが常に働いており、
その流れから外れたものは、限りなく排斥されたり、差別されたり、虐げられた地位に落としこめられるのが必然でした。

ただし、ここにきて突然その構図が、昔とは急激に変わってしまったのです。

それは、あらゆる領域でおきている「集中」と「分散」のエネルギーが、現代ではすべての領域でボーダレス化したということです。
どんな一地方でも、限られた分野の話でも、マネー経済に限らず、食料、エネルギーをはじめあらゆる文化領域までボーダレス化してしまいました。

これまで、一地方や一国のレベルでだけみていた「分散」と「集中」のエネルギーが、まるで気象衛星写真を見るように、低気圧や台風の雲の渦が、ひとつの街、ひとつの地方、ひとつの国のなかだけでおきていたものが、突然地球レベルでダイナミックに地球全体を包み込んだ動きをするようになったのです。


これまでの個々の地域のなかにあった些細な渦は、この地球レベルのダイナミックな渦にすべてが飲み込まれてしまう時代になってしまいました。

いま私たちはこの破壊エネルギーに翻弄され、振り回されていますが、ここに至ってしまった経緯は、自然法則からみても必然であったといえます。
したがって、こうなったことが間違っているという指摘よりも、私たちはこれからどうするべきかをもっと真剣に考えなければならないのだと思います。


この「分散」と「集中」というエネルギーは、あらゆる運動エネルギーのなかでも、つくづく面白いエネルギーだと思います。


上下左右、前進後退などの運動よりもはるかにダイナミックです。

自然界は常に微妙なバランスの上になりたっていますが、そのなかでは絶えず繰り返される運動のもとで、高気圧圏と低気圧圏という対象領域を生み、それぞれの内部で「分散」と「集中」のエネルギーが必然的に拡大します。
しかし、その「分散」と「集中」のエネルギーは拡大を必然としながらも、一定のレベルに達すると必ず崩壊し、消滅します。

遠心力で外へ外へと広がるエネルギーと、求心力で内へ内へと集中するエネルギーが、対立、協調しながら、生成、死滅を繰り返していく姿は、なんとも不思議な世界です。

経営なども、エクセルの表やグラフで表現されるものではなく、こうした「分散」と「集中」の渦のなかでもっととらえるべきなのではないでしょうか。


また、長くなってしまったので、次にこの「分散」エネルギーを象徴する「ロングテールの実体」のことについて書くことにします。

 

 

 

「分散」と「集中」ロングテールの実態

その2 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/f82e08f492d2f3e6289027b4a2317c7d

その3 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/818b1e7f42b3efdd6c1a48c4bd13e649

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遠い過去、消えない記憶

2008年07月04日 | 歴史、過去の語り方
昨日、この間ずっとかかえていたやっかいな仮題がふたつ解決した。
ああーーぁ、スッキリ!

残りはあとふたつ。
そのうちの0.5だけただ今完了!
1.0に至らなかったのが悔しい。

なにごとも常に運の良い私に、どうにもならない困ったことなど起こらないのですが、
仕事が追いつかない日々が続くと気持ちに余裕がなくなるので、
細かいミスが増えたり、人への接し方は、ついつめたくなったりしまう。


このところ、月夜野の実家の伯母のご縁で、
月夜野から戦争中、少年飛行兵として「特攻」に行った方の文集冊子を作っています。
しっかりとした文章は書ける方なのですが、たくさんの資料を出してくれながら
肝心な自分の体験部分をなかなか書いてくれない。
ほんとうのことは、辛くて思い出すことも嫌なのだと言う。

ところが、すべてではなくても、その部分に少しでも立ちいってもらわないと
その方がせっかく遺した文集の意味が無くなってしまう(と思う)。
訪問してお会いした折や、この間、何度か電話ででも、
自分で考えて書くのは大変でしょうから、私からの質問、応答というかたちででも
少し書いてはもらえないだろうかと話をもちかけてみた。
ところが、その都度、否定はしないものの少し時間が経つと、
仮に作成した冊子のあの内容でもう良いから、印刷して欲しいと言ってくる。

もちろん、高齢で体力的な不安などもかなりあるだろう。

でもなんとかして、そこに踏み込まなければ、
この文集を作る意味と、ただの印刷屋や自費出版請負業者でない私がお手伝いする意味も無くなってしまう。
このことは、紹介してくれた伯母もなにかと心配してくれて、もう余計なことは考えずにただビジネスベースで割り切ってはどうかとしきりに薦める。

たぶん、それが普通の世界なのだろう。

でも、テーマ館でも取り上げている「「今、戦争をどう語るか」」という問題の実態に入るためには、どうしても史実の記述だけでなく、自分の身の回りにいる人が、いまこの瞬間にそれぞれがどうかかわっているのかというところまで突き詰めないと、肝心なところにたどり着けないような気がしてならない。
まさにそれは十人十色の世界があるのだけれど、そこで十人十様で自分に向き合うことこそ大事なとこで、まさにそれは棺桶に片足突っ込むまで向き合い続けなければならないと言ってもいい。

こんな私の意見は、実際の苦労を知らないものの無責任な意見かもしれないが、
なにも不特定の人にその胸の内をすべて出すことを求めているわけではない。

自分の胸の内で、逃げずに向き合っている姿だけでも垣間見ることができれば、
文章には説得力が出てくると思う。


・・・・なのだけど、
どうも、これ以上言うのは、年寄りを無闇に追い込むばかりになってしまいかねないので、
もう諦めて、印刷に入るしかないのだろうか。

「遠い過去、消えない記憶」というタイトル、
これはTさんの出した「少年飛行兵の思い出」では、
今ひとつその苦しい体験の思い出のイメージが伝わってこないので
私の方から提案したもの。

これは、テーマ館でもずっと追っているテーマ。

とりあえず、もう一度会って話してみよう。
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子どもと一緒に絵本を開く時間

2008年07月02日 | 気になる本
今日、うちのB型のパートさんが前から騒いていた絵本で、いったい何がすごいのかと確認したいと思いながらも売り切れたいた絵本がようやく入荷しました。

「正林堂店長の雑記帖」

便利なデジタル情報がどんどん進化して普及する時代だからこそ、
こうした絵本の価値も一層増してくるものと思う。
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