かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

三本の鬼の爪で鷲づかみにするような仕事。

2015年04月19日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!

毎度おぼろな記憶で情けない。

棟方志功が、

五本の指でするような作業ではなく、三本の鬼の爪でつかむような仕事がしたい、

といったようなことを言っていました。

 

確かにすべての指で包みこむような「安全」、「安心」は、なにものにも替えがたい価値があります。

でも、現代人はあまりにも、そちらの方向一辺倒になりすぎています。

 

チームプレイが大事であることに異論はありませんが、現代ではあまりにも協調性ばかりが強調されすぎて、一人でも突き進む勇気や覚悟が忘れ去られてしまっています。


完成度を追求することや包括的であることよりも、もっと自分の視点でものごとを鷲掴みにするような強い意志が必要だ。

 

いつのまにか、仕事が進むにつれてどうしても、もともと自分に欠けている丁寧さや気くばりを意識しすぎて、本来の目標への強い意志が弱くなっていってしまう。

意思とは握力の強さに等しい。


読書も、正しい解釈よりも、たとえ間違ってでも、自分の視点でより深くつかむような読み方がいい。

 

現代では、かなりこれを強く意識をしていないと、丁寧さや包括性に流されて、この意志が忘れ去られてしまう。

 

もう一度、おぼろな記憶の表現を改めて書く。

 

五本の指でやさしく包み込むような作業ではなく、

三本の鬼の爪でつかむような仕事をしよう。

 

 

「構え、狙え、撃て!」ではなく

「構え、撃て、狙え!」です。

 

 

 

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地名とは地霊の名刺ですからね。(谷川雁)

2015年04月17日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

「月夜野百景」の企画の密かなる師匠、志賀勝さんの著作はどれもおすすめですが、なかでも『月曼荼羅』(月と太陽の暦制作室 発行)は、月夜野のまちづくりにとっても貴重なネタが満載されているすばらしい本です。

そのなかのひとつですが、四月二十七日の頁に、全国にある一通りの月の地名が出ています。

月輪(京都)、月ヶ瀬(奈良)、三ヶ月(松戸市)、月夜野町(群馬県)、十六夜(島根県)、月見町(富山市、新潟市)、月見(福井市)、月町(新潟市)、月潟村(新潟県)、上秋月(福岡県甘木市)、月丘町(山口県徳山市)、月島(東京都)、月見ヶ丘(宮崎市)、月岡(三条市)、月崎(松前郡)、つきみ野(神奈川県大和市)、月浦(水俣市)、三日月町(兵庫県と佐賀県)、名月(多賀城市)、月出(熊本市)、愛知県・静岡県境に月という村が多数ある。

山には月山(山形県と島根県)、月夜見山(奥多摩)、半月山(栃木県日光)、二十六夜山(山梨県、静岡県)、月の出峠(滋賀県)、三日月山(小笠原父島)、月待ちの滝(茨城県太子町)、月光川(秋田県)、大津市に月輪町があるがこれは月輪の池に由来、京都の嵐山に渡月橋があり、宇治川に観月橋がある。指月(京都府)。

以上一部だが、全国に月のゆかりのある地名など。

それぞれが、どれほど月がいかされた土地だか現代ではあまり期待するほどのものはないかもしれませんが、それでも月夜野に暮らす住民としては、どこも一度は訪ねてみたいものです。

 

ところが、こうした地名は、どんなに素敵なものだと感じていてもその時々の政治や社会情勢などによって、いとも簡単になくなってしまうことがあります。

私たちの「月夜野町」が、そうでした。

平成の大合併にともない月夜野町と新治村、水上町の三町村が合併し「みなかみ町」となりました。

これによって事実上、行政単位としての月夜野町はなくなりました。

合併前の住民アンケートでは、合併後の町名候補は「月夜野町」が一位だったそうですが、なぜか天の声がおりて「みなかみ町」になってしまったそうです。

全国どこでも、こうした問題はおこります。

また、必ずしも多数決で支持されたものが良いとも限りません。

複数の町村の合併の場合、住民数の多い自治体の名前が多数の支持を得る可能性が高いからです。

 

だからこそ、アンケートをとった結果こうなりました、ではなく、

地域にとって地名の果たす役割や意味について、しっかりとした議論を経て決めなければならないと思うのです。

そもそも、平成の大合併は、行政機構の無駄をはぶくためのスリム化が最大のポイントで、行政機構の統廃合と地名の問題は別次元のことであるはずです。

今に限ったことではありませんが、あまりにも安易に政治や行政の力で、そうした地名が簡単に変えられてしまっています。

 

私がお仕事でお世話になっている渋川市も、合併時に旧町名の裏宿、寄居町、下郷、上之町、中之町、下之町、坂下町、南町・・・などの地名がみな渋川市渋川に一括されてしまいました。

たしかにどこの地名でも、決して普遍的なものではなく、時代とともに変わることの方が多いのは事実です。

でも、このところ行われている地名変更の経緯をみると、行政サイドの管理の合理性や地名表現の人気度ばかりが強調され、歴史的由縁の重みはあまりにも軽視されているように見えてなりません。

ある歌舞伎役者が子どもの頃、親に旅に連れられて行ったとき、行き先の名所を見るだけでなくそこに行くまでの道中をしっかり見ておけと、小さい子どもにはただ眠いだけの道中にとても厳しく叱られたと話していました。

芝居や落語などで、物語を語るときに「道行き」の場面はとても大事なものです。

ただ道中の地名を説明し伝えるだけでなく、そこには時間があらわされ、土地それぞれの情景があらわされています。

そんな語りの意味は芝居のなかだけのものではないかと言われそうですが、こうしたことが私たちの暮らしの空間をどれだけ豊かなものにしているか、より多くの人にもっと理解してもらいたいものです。

 

 

そんなことを考えていたときに、詩人である谷川雁の、

「地名とは地霊の名刺ですからね。」

という言葉が目に入ってきました。

 

人やモノの名前に、それぞれ「言霊」として特別の力が宿っているのと同じく、

地名にもそれぞれ、歴史とともに培われた格別の力がやどっているものと思います。

それを谷川雁は「地霊」と表現しました。 

 

 

政治や行政の結果がどうあろうが、

「月夜野」という地名は、現実にインターチェンジや様々な企業名、便宜上の表現などで現実にはたくさん残っています。

これからも、「月夜野」という地名を私たちはそう簡単に捨てるわけにはいきません。

行政機構が効率化のために合併するのはかまいませんが、

「自治」の単位は「より小さく」こそが基本です。 

 

よって私たちの魂のなかにすみついている「月夜野」町は、これからも決してなくなることはありません。

誰が何と言おうが、わたしたちの力で守り育てていきます。

 

参照サイト  旧月夜野町 名前の由来  http://www.geocities.jp/kurasawa_home/info.html

 

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どうして絶望的未来しか想像できないのか(10)早く教科書は捨てよう。

2015年04月13日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)

毎年、3月、4月は、新年度にむけて教科書や教材の販売に追われる時期です。

学校への搬入作業をしていると子ども達が、新しい教科書を楽しみにしていて飛びよってくるのは微笑ましいものです。

ところが、しばしば教師用教科書や教師用の指導書などの入荷を必死に待っている若い先生の姿をみると、教科書を柱にした今の教育というものの圧力の大きさを感じてしまい、将来が心配に思えてきてなりません。

もちろん、それは現場の教師の問題であるだけでなく、教育の最終目標が「受験」になってしまっている旧態依然とした今の教育制度こそが問題であると思うのですが、それらに対していったい誰が闘っているのか、これも不安に思えてなりません。

そうした問題の根を考えると、教育現場の問題を変えるには、まず受験制度から変えることが一番なのかと思われます。
受験に受かるには、知識よりも、もっと考える力を身につけないと受からない現実ができれば、必然的に現行の教育内容も変わる。

話の順番ではこうなるのですが、世の中の現実を見ると、そんな発想をしていたのでは明らかに遅い!

世界はもうとっくに、そんなこと言ってられる時代ではなくなっています。



「ほかの人の成功事例をマネすることが、成功への近道だった時代がありました。
そうした時代には、決められた設問に正確な解を出す学習法が有効だったのは事実です。
しかし、ほかの人の成功事例をマネすることが、必ずしも自分の成功を約束するものではなくなったのが、いまの時代です。」
              畑中洋太郎『失敗学のすすめ』


この本が話題になったのは、もう随分前になります。

教育現場の問題でいえば、小学校までは、確かに「読み」「書き」「計算」に徹した教育が絶対重要であると思います。

しかし、中学以降になったら、今のような教科書中心の詰め込み教育をしていたら、もう世界の現実についていけない子どもを再生産するだけだと思います。

それは、わかっちゃいるけど変えられない?

・・・・・


ならば、少なくとも、私たちの世界だけは変えていきましょう。

先週のまちづくりの会合の場で、このことをちょっと話したのですが、私の言い方が下手なこともあってか、いまひとつ皆さんには響かなかったようでした。


今までは、教育の場でも社会でも、

1+2=?

3+4=?

といったような設問に対する答えを求めるのが普通の考え方に思われていました。   

今、自分たちにできることをコツコツ積み重ねていけば、それに応じてゴール、答えにたどりつける。

この場合、設問に対する答え、3や7がゴールになっています。

当然のことです。


しかし、今の世界の現実は、そうした発想以外の設問で動いていることが圧倒的に多くなってきています。

現代の設問はこうです。

1+?=10

4+?=10

3+4+?=10

答え(目標)の10にするには、どうしたら良いか?

3、や7が答えやゴールの相場であっても、10という目標にたどり着くにはどうしたら良いか?

これを考えていくのが現代です。


この場合、目標に到達する方法は、ひとつではありません。たくさんあります。

そこが先の設問とは大きく違うところです。

10に至るには。5+5でも、1+9でも、3+3+3+1でもよく、

さらには、3+4では足りない部分をどうするか、

それは必ずしも3を入れるだけではなく、

誰かに応援を頼む、

それはひとまず後回しにして、出来るとこからはじめておく、

など様々な足りないものはなにかをみつける活動があります。

 

こうした思考を育てるために教科書は要りません。

大事なのは、教科書よりも参考資料や情報を収集する力や、様々なことを試してみる行動力です。

 

会社経営でも、地域づくりでも、よく他所の成功事例を学びに視察などが盛んにおこなわれたりしています。

ナマの現場をを自分の目でみることは確かに大事です。

でも、それよりもはるかに大事なのは、それを参考にして様々なことを自分の環境に合うかたちでより多く試してみることです。

それは、下からの積み重ねを「出来ることからコツコツ」の発想も悪くはありませんが、
大事なのは、先に設定した「目標」に向けて試すということです。

このより多く「試す」ということが、公務員の立場であったりサラリーマンの立場であるとなかなか難しいと思われがちです。

しかし、どんな立場であれ、成功しているところをみれば必ず、その人の立場如何にかかわらず、それを成し遂げているものです。

 

かつての右肩上がりの時代であれば、地道な努力をコツコツ重ねていれば、そこそこの成果がついてきたものです。

ところが右肩下がりの時代になると、それではなかなか思うような結果には結びつきません。

適切な目標をかかげた努力のみが、必要な結果に至れる時代になったのです。

 

この辺の「目標」設定の問題と、正しい設問のたて方、より多く試してみる環境づくりは、どこでも粘り強く話し続けていかなければならないとあらためて感じました。


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