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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

忽然と現れ忽然と消えた、利根の根利の根利山集落

2021年03月27日 | 「近代化」でくくれない人々
片品のKさんの情報で知った沼田市歴史資料館の企画、「足尾銅山を支えた根利山」をみて来ました。

この沼田市歴史資料館は、いつ出来たのか入ってみるのも初めてです。

 
この企画の根利山という集落は、足尾銅山の繁栄とともに十九世紀末に忽然と現れ40年ほどの歴史で忽然と消えた集落で、最盛期には三千人を超える人がこの山奥に暮らしていました。

 
沼田歴史資料館の館長さん手作りの索道ジオラマ
 
妻が以前、「根利」と「利根」を見間違えていましたが、根利という集落は現在もあります。
そして、根利は利根町(村)にあり、みなかみ町住民からしたら、あんなとこまで利根郡なのかと思うほど南に位置するから、やたらややこしい。
 
 
 
以下の写真は『幻の集落 ー根利山ー』財団法人水資源協会(平成15年9月刊)より
他の多数写真も企画会場で見ることが出来ます。
 
平滝文教場の運動会(昭和44年頃)
 
 
祭典風景(倉庫に作られた祭典飾り物)
 
 
荷倉峠より広河原を望む索道
 
 
鉄索のロープの運搬(大正5年)
 
 
すべて鉄骨ではなく木で組み上げられた
 
 
土橇の巻下げ装置(インクライン)
 
 
砥沢のスケッチ(籏光男氏作成)
 
 
 
 
 
参照リンク
 
 
 


 
若い頃この山域は、沢登りや縦走で何度か行き、私にとってもとても思い出深いところです。
 
登山口に至る林道は、平川沿い林道も栗原川沿い林道も行く時は通れても、帰る時は落石をどかしながら通らなければならないような道。

(地図のオレンジマーカー部分が私の通ったコース)
 
 
思い出の縦走は、平川から入り沢登りで皇海山へ、国境平にテント泊してる間は、一晩中テントの周りをシカの群れに囲まれ、なかなか寝つけなかった記憶があります。
時々、テントから顔を出してはバアーッと声を出して追い払うのですが、効果は一瞬のことで他に打つ手はなく諦めざるを得ませんでした。
縦走してみれば、この国境平一帶は樹木がなく開けた場所なので、確かにテントをはるには絶好の場所ですが、それはシカの群れにとっても同じで、あたかも周辺のシカがみな夜になるとここに集結するかのごとくでした。
 
三俣山、宿堂坊山と縦走し、4日目に錫ヶ岳の手前で下山する尾根筋を探すと、突然、幅1mほどに踏み固められた道が現れたので、林業作業用の道かと思ったら、なんとそれはシカの通り道。
いわば山の高速道路。
支道が縦横に走ってる。
どう考えても人間の作った道としか思えないほど綺麗に踏み固められているので、誰もがその獣道に踏み込んでいってしまうことでしょう。

尾根を下り林道を目指しましたが、地形図を分割コピーしてきた継ぎ目が途切れていて、現在位置から駐車場までの距離が分からず、ヘッドライトの電池が切れる夜中まで歩き通し、履物が沢登り藪漕ぎを想定した地下足袋だったため足の爪10枚すべて剥がす目にあいました。
この時の地下足袋は、裏にスパイクのついた営林用地下足袋で、道なき斜面をガシガシ登るには適したものですが、暗闇で岩がゴツゴツした林道で疲れた足が上がらない最終日には、わかっていながらも何度もつま先を岩にぶつけざるを得ない散々な目にあいました。これも今では若き日の勲章のひとつです。
縦走4日間、遠くに二人組を一度見ただけで、人間には全く会わずに自然と歴史を満喫できるとても素敵な山旅でした。
 
 
そんな一帯でかつては、ワイヤーケーブルの索道が縦横に走って盛んな林業が行われており、至るとこでそうした痕跡を見ることができます。
 
 
不思議と産業遺産のただ廃墟とは異なり、当時の人々の息吹が何か山全体から伝わってきます。
 
当時は、まだ「岳人」の根利山の特集記事は見ておらず、『足尾山塊の山』『足尾山塊の沢』などの今は幻の名著に触発されて行った気がします。
 
そんな山域のかつての姿を、今回の企画と資料で初めて概要を広く知ることが出来ました。
 
 
実際に登山道から外れた所まで行かなくても、この企画展を見るだけでも十分価値はあります。

企画は4月4日(日)まで。
 
 
 
【補足情報】
 
以前、知人のSNS情報で根利の集落に森林鉄道博物館のようなものがあることを知りました。
いろいろな森林鉄道の機関車や車両が展示されており、このような山奥によくこのような施設があるものだと感心したものです。

ところが、後に森林鉄道や鉄道博物館などのキーワードで検索をかけても、なかなかここの情報が出てきません。
どうしてなのかと根気よく検索し続けてみたら、ここが林野庁の林業研修施設の一部であることがわかりました。展示されている機関車などは、必ずしもこの地域で使用されていたものではなく、広く国内の林業で活躍していたものを集めて展示しているものでした。(その後、この地域で使われた機関車を簡単なベニヤ工作で再現したものが加わりました。)
 
林業で栄えた場所ならではの研修施設でもあるので、こちらもおすすめです。
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