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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

アメリカの覇権崩壊後の日本のこれからは?

2008年11月29日 | 歴史、過去の語り方
とうとう大国アメリカの衰退の時代が到来し、これまで日米同盟依存体質からの脱却などという話をしようものなら、現実をわきまえない議論だと袋叩きにあっていたものですが、ようやく堂々と語れるときがきました。

 かといって覇権大国アメリカの地位は低下しても、世界の国ぐにのなかでは、依然アメリカが、等分はロシア、中国などとならぶ大国であることに変わりはありません。

 しかしこのような時代にこそ、本来の独立国家としてのそれぞれの国ぐにのあり方や、覇権に左右されない国際協調のあり方などが真剣に議論されるべきだと思います。

 ここでこれからの時代の日本の姿をとらえなおすうえでも、日本の実像というものを再度、冷静に見ておくことはとても重要なことです。
まず、日本という国の客観的な姿について、以前、どこかで引用したことのある文ですが、基本的なことなので、再度ここに掲載させていただきます。



 北緯45度31分(宗谷岬)から20度25分(沖ノ鳥島)および東経153度58分(南鳥島)から122度56分(与那国島)まで、そのうちに広大な海洋を抱えるとはいえ、この日本の範囲は、南北約3500キロメートル・東西約3000キロメートルにおよぶ。

より具体的に日本の国土面積は約37万8000平方キロメートル、そこに約1億2600万の人口を擁する。

国の長さが3000キロメートルを超す国は、中国やロシア・アメリカなどの超大国を除けば、インドネシア・チリ・アリゼンチンなどしかない。

また世界191ヶ国のうち日本は、面積でも上位ほぼ四分の一に近い54位、人口は8位にランクされる。
 


 これは第二次大戦後、アジア・アフリカに小さな独立国は急増したことにもよるが、面積的に見ても、むしろ日本は大きな国の部類に属している。

身近な東アジア周辺で較べれば、台湾の面積はほぼ九州程度で、北朝鮮の人口は首都圏のそれに近似する。西欧でも、面積はフランス、スペイン、スウェーデンに次ぐが、人口で日本を超える国はなく、例えばオーストリアは、面積・人口とも北海道に等しい(『日本国勢図会』2000年度)。

つまり日本は決して小国などではなく、経済的にも物理的にも大国なのである。


 原田信男『いくつもの日本 1 日本を問いなおす』「まえがき」より
                        岩波書店 2002年




 さらに主要国の基礎データを『日本国勢図会』の2008/09年版から

           面積    人口   65歳以上人口割合  就業者数
          (千k㎡)   (千人)    (%)        (千人)
日本         378    127,770    21.5        63,820
中国        9,597   1,314,480     8.1         737,400
韓国         100     48,297     9.9         23,151
インド         3,287   1,117,734     4.8        ・・・    

シンガポール     0.7     4,484      8.2      1,797
タイ          513     65,306     7.0      36,345
インドネシア    1,905    222,051     4.8     95,177
マレーシア      330      26,640      4.3     10,275   

イギリス       243     60,587    16.0      28,166
フランス         552     61,353    16.3      24,919
ドイツ         357     82,370    19.3      37,322
イタリア        301      58,880    19.9      22,988
スペイン       506     44,097    16.6      19,748
オランダ        42       16,346    13.9       7,784
ロシア       17,098    143,150    13.9       68,834

アメリカ合衆国  9,629    299,398    12.4      144,427
カナダ       9,985     32,980      13.1      16,484
メキシコ       1,964      104,874     5.0       42,198
ブラジル       8,515    186,771     6.1       84,596
オーストラリア    7,692     20,701      13.0      10,154

 ヨーロッパ主要国の生産人口はどこも日本のおよそ半分程度。
 この生産人口や国土の広さから考えると日本と韓国との実力の差はそれほど感じられませんね。



 これだけ大国としての基礎条件を備えていながらも、日本の労働生産性は、決して高い方であるとはいえないことも再度、強調しなければなりません。

 OECD加盟諸国のなかで、日本の労働生産性は19位。

 製造業はオイルショックやドルショックなどの試練をその都度乗り越えて、しっかりと効率的に儲ける仕組みをつくってきたのに較べて、非製造業の立ち遅れが指摘されています。

 こうした数字を見比べてみると、保有資源と生産者人口の面で、中国、ロシア、アメリカ、インドの圧倒的優位(?)は当面変わらないものの、圧倒的多数の世界の国ぐにから見れば、たしかに日本は大国といっても過言ではありません。
 九州や北海道クラス、あるいはそれ以下の大きさの国ぐにのほうが、むしろ平均的な国家像でるといえるかもしれません。

 にもかかわらず、世界競争の主軸が製造業中心の時代からサービス業重点に移っていくにしたがって日本の国際競争力が衰え続けている流れは否めません。

 日米同盟中心の発想もそうですが、人がどこに所属しているか、何になら参加できるかで判断できる時代は終わり、自分が他人に対して、あるいは社会に対して、何をすることができるのかをシビアに問われる時代に世の中全体はすでに変わってきています。

 今の国会にこうした議論を期待することはできそうにない悲しい現実もありますが、日本という国が、市場縮小の流れの時代のなかでどう自立してなおかつ競争力のある社会を築いていくかを考えるためには、ソフト分野でのイノベーションがとても大事になってきます。

 人口が多い、国土が広い、資源が豊富であるといった基礎数字だけではない、真の魅力ある社会と国家像を見据える議論がしたいものです。
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わかりにくい暦というもの

2008年11月16日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
11月16日の朝日新聞に、高島易断名乗る幸運乃光をめぐる記事が出ていました。

「高島易断総本部」や「高島易断崇鬼占相談本部」と名乗る宗教法人・幸運乃光に高額な祈祷料などを支払わされる被害を受けたとして、6人が10月末、計1600万円余の支払いを求める訴えを東京地裁に起こした。3月には経済産業省が特定商取引法違反で3ヶ月の業務停止を命じている。

とのこと。


だいぶ前に陰陽師に関する記事を書いたときに、暦と人事・役職任命権が国家体制を維持する側にとって最も重要な権限であったといったような話を書きました。

どれだけ江戸幕府がすべての実権を握っているようにみえても、このふたつを天皇が手離さない限り、その上下関係が覆ることはなかったと。

暦の制定ということが、通貨管理とともにそれほど国家にとっては大事なことであるにもかかわらず、その中枢の役割を担っていた陰陽師が近代国家明治政府によって排斥されるという奇妙な関係のことにふれて書いたのですが、このことに限らずつくづく暦というものはわかりにくいものだと感じます。

というのも、わたしたち本屋にとって「暦」は、とても大事な稼ぎ頭の商品のひとつであるにうもかかわらず、あまた類似品が出版されるなかで、お客さんは何を基準に選んでいるのか、どれが良いのか、商品の絞込みはどうしたら良いのかなかなか見当がつかないものであるからです。

その謎の一端が、今日の朝日新聞の記事で理解することができました。

「高島易断」とは、明治時代の占師・高島呑象が始めた易学のことだ。商標登録が認められておらず、だれでも名乗れる。関連団体は100を超え、高島暦という運勢暦の本が色々出版されているが、各団体のつながりは薄い。  
                              (同記事より)


誰でもだせるのか。
それで各社からきりなく出版されている理由がわかりました。

出版社の営業の方に、大元は官報で出ることをきいたときも驚きましたが、その大元とは天文台で発表する暦のことで、月の満ち欠けや二十四節気などが公表されたもの。それに運勢占いをつけて市販の暦が出来上がっているということらしい。

書店店頭でお客さんがたくさん種類のある暦から、どれをどのような基準で選んでいるのか、何人かのお客さんに聞いたことがありましたが、圧倒的な理由は、
安いから、
見やすいから、
使い慣れたものだから
といった返事で、内容に格別のこだわりを持って選んでいる例はほとんどありませんでした。

わたしのところでは、はじめはこれが大元と思っていた神宮館の暦を基本にしていたのですが、どうやら必ずしも決定的な違いがあるわけではないらしい。
                       

そんな暦のことを知るにつけて、「月夜野町はなくならない」のテーマで旧暦を今はなくなってしまった月夜野町の公用暦ににすることを提起していることも、まんざら無茶なことでもない気がしてきました。
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記事アップのペースを減らさせていただきます。

2008年11月10日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!
先ほどmixiのほうに、自己表現手段としてのmixの利用は当分の間、
お休みさせていただきます、との記事をアップさせていただきました。

それに準じて、こちらのブログの方も、アップする頻度がこれから減ることになると思います。
どうかご了承ください。


かつてわたしは東京から群馬に来ることにしたとき、東京は、学んだり吸収するには最高の環境だけれども、自分自身がなにかを積み重ねていける環境ではないと感じてこちらにくることにした経緯があります。

それと同じ構図が、今の私のネットを通じた人間関係にもあることをちょっと感じました。

昔よりははるかに効率よく、ピンポイントで自分と価値観や興味関心の似た人間と出会うことはできるのですが、以前ブログに書いた、分散と集中の両極のエネルギーが拡大するこの時代では、限りなく分散・拡大の方向にばかり自分が向かってしまっているのも感じています。

日本国内ばかりか世界どこでもピンポイントで仲間を広げることは、とても有意義で楽しいこと、自分の支えになることでもありますが、自分が本来目指していたのは、主義主張や価値観だけでなく、一定の共同体のなかで同席するすべてのひとと可能な関係を逃げずに築いていくこと、そのような基盤を中心にものを考えることこそ優先しなければならないと考えていたからです。

ホームページのなかで「アワニー原則」にふれて、
「アワニー原則、サスティナブルコミュニティのこと」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page178.html

本来の自治のコミュニティを考えるには、まず半径600m以内の人が歩いていける範囲内で生活で必要なすべてのことができる街づくりのことを書いていますが、ネットを利用するにしても、コミュニケーションにしても、この原則でもっとものごとを考えていくことは、これからとても大事なことと思うのです。

今回の決断はちょっと強引なやり方ですが、この視点で、この機会に私自身の日常も組み立てなおしたいと感じました。

自分と話のあう人ばかり求めて、つい身の回りの人間関係から逃げてもかまわない環境にいつの間にか陥っている傾向も感じます。

主義主張の合うあわないよりも、毎日顔をあわせる近所の人との「おはよう」「寒いですね」の関係からひとつひとつ築いていきたい気がするのです。

これまでネットを通じてお世話になった皆さんとの関係を、これで遮断する意味ではありません。自己表現の場として活用するのは当面お休みさせていただくということです。


誠に勝手ながら、これまでよりは疎遠になることをお許しください。
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