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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「見る」情報に駆逐される「読む」情報の復権

2020年05月12日 | 出版業界とデジタル社会

【ブックカバーチャレンジ 5日目】より転載

瞬時にしてネットで世界中に情報が拡散される現代、世界には「見る情報」ばかりが溢れて、「読む情報」はとことん駆逐される傾向が加速しています。

見る情報の代表であるテレビ番組に関わった辺見庸は、「わかりやすいメッセージを探ろうとし、物事を単純化する。テレビの作業はほとんどそうです」と述べています。

本屋や出版業界の「本の文化」を守ろうとする側からしても、こうした見る情報側のテレビやネットメディアに負けないためにも、よりわかり易い情報の見せ方を「進化」させ、タイトルの表現、表紙デザイン、文章の組み立て方をより簡潔にわかりやすくする努力が重ねられてきました。確かにそれは必然であったかもしれませんが、そうした努力が結果的に「見る情報」に限りなく擦り寄るばかりで、自らの強みであるはずの「読む情報」の進化や改善を怠ることになってきてしまったように見えます。

「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決める」
                     アドルフ・ヒトラー『わが闘争』

このブックカバーチャレンジも、「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ」であるとするならば、どうしてもこの「読む情報」との付き合い方を問わずにはいられません。良し悪しの問題ではなく「読む情報」の普及のために「ブックカバーを見る情報」を溢れさせる戦略だからです。

では、「情報」とは、どうあるべきなのでしょうか。

そうした「情報」の最先端でもあり、失敗の宝庫でもあるのが「戦時」の情報の得方、活かし方です。
一般にこの問題では『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社、中公文庫)がすぐに思い浮かびます。本書を歴史的名著としてあげる人も多いようですが、私にはいまひとつピンとこなかったので、今回は堀英三『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』(文春文庫)をあげさせていただきます。

現代から振り返る太平洋戦史で、大本営について良いイメージで語られることはほとんどありませんが、本書は当時その只中にいた参謀が、組織内部のリアルな実態を見せてくれます。
大本営の中には、堀英三の所属した情報部の他に陸軍の大本営と海軍の大本営があり、さらには奥の院といわれる謎の領域があったと評していますが、読んでいるとなにか今の縦割り行政と自民党と官邸の世界を見ているような錯覚に陥ります。

そのような環境下で堀英三は、情報参謀としての仕事の困難を以下のように表現しています。

「戦争となると、お互いが命と国運を賭けて争うのであるから、相手の企んでいることを探ることは、勝敗の最重要事となってくる。

 ところが古今東西の戦争中の例を見ても、相手の意中を知る情報を百パーセント集めて、左団扇で戦いを進めた例は皆無である。これが戦争というものであって、実際の戦場では知りたい情報の半分にも見たない情報で、敵の意中のわからないままに、暗中模索の中で戦いを進めていることがざらである。従って、百パーセントに満たない空白の部分を、どのように解明し、処理していくか、これが情報の任に携わる者の最重要な仕事である。」

ここに記されている当時の実態を見ると、ウソや誇張の代名詞のように使われる「大本営発表」が、実際は現場の戦果が米軍のような戦果調査の飛行機を飛ばし写真撮影するようなシステムがなく、そもそも正確な戦果が大本営に伝えられていない実態があったことを知りました。

現代から振り返れば、あり得ないことばかりがまかり通っていたわけですが、それでも、現場サイドでは、不十分な人員や機器の中で知恵と労力を絞り出せば、整った体勢をもつ組織以上の成果を出すこともありました。

しかし、その成果こそが、判断を根本的に誤らせる結果になってしまいます。

「しょせん戦略の失敗を戦術や戦闘でひっくり返すことは出来なかった」

私がよく強調する実践重視の発想も、よくこの誤りを起こしがちになります。

これだけ優れた戦略知識をもつ堀英三でも、最も大切な戦略は見誤っていると私は思います。
国民の生命や財産を守るための国家や軍隊が、国民の生命や財産を犠牲にしてでも守る価値観を戦略の柱に据えていたからです。

戦略の誤りは、取り返しのつかない結果をもたらすだけでなく、戦術相互の対立をおこし、意図せずに敵の手助けもしてしまう危険については、最後の7日目のブックカバーチャレンジであらためて触れます。

 

情報に頼ってしまうときに、もうひとつ気をつけなければならないのが「知識」と「知恵」の違いです。

現代のように情報が台風のように吹き荒れているときには、身を低くかがめて「情報」の嵐は出来るだけ避けながら、より深く広く根を張ることこそ優先されなければなりません。

木に例えるならば、地上の枝や葉が「知識」であり、地下に広がる根こそが人類の歴史で積み重ねられた「知恵」であるといえます。

下の図は、かつて場違いの会議で資料として出してしまったものですが、地上からは見えない地下の部分にいかに大切なものがたくさん眠っているかを表したものです。


木のイラストを内部資料として作成するために利用させていただいたので、著作権のサインが入ったものを無断使用しています。


意識しないと見ることの出来ないこの地下の部分には、普段見ている木の上の部分と同等、もしくはそれ以上の大きさがあります。

地上の枝葉と同等以上のものが地地下の部分にあったとしても、それを見るには地上の枝葉を見る以上の努力をしなければ、それを見ることはできません。「見える」世界ではなく「読む」世界だからです。

この地下の「読む情報」は、同時に「歴史」であり歴史に積み重ねられた「知恵」でもあります。まさに読書の世界は、こちらの側にこそ重点があるはずです。

情報の嵐が吹き荒れる現代こそ、地中に深く広く根(歴史・知恵)を張れば、新しい知識ばかり追うことなく、揺るぎない安心と幸せを得ることができるはずです。
人間は、それを特別な努力をしないと見落としてしまいがちですが、自然界では元々地下から上に伸びて成長するものです。一時的に見失うことはあっても、ずっとそこに存在し続けていることは間違いありません。

それは、圧倒的部分が私たち人類や地球生命がすでに経験し、備えているものだからです。

 

 

 

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大人こそが問題

2020年05月08日 | 気になる本

絵本作家、五味太郎の本で、書肆データ上のタイトルは『大人問題』

表紙のデザインは、

おとなもんだい
おとなもんだい
おとなもんだい

を兼ねています。

しばらく品切れになっていた本なので、古本を入手しては、子どものいるパートさんにあげたりしていたおすすめの本です。

子どもに対して、学校でも家庭でも、大人は常に教える側として対峙するものですが、子どもの世界で起こる問題の大半は、大人社会でも解決出来ていない「大人の」問題であり、現実には解決のためにも「大人が」問題であることを五味太郎が説いています。

少し前に教師の間での信じがたい「いじめ事件」が報道されたことがありましたが、たとえ教師であっても人間社会である限り、「いじめ」や「差別」が皆無であるとは言えません。

現実には、職員室で問題のある教師の存在が指摘されても、ほとんどは研修にいってもらうとか、人事異動をするとかの対応がほとんどで、その職員室内部で解決するということはなかなかできてはいないものです。

それが、対子どもの関係となると、それはやめなさい、いけませんとの支持、命令だけで済ませてしまうものです。でも、それで本当にその問題は解決しているのでしょうか?

ではどうしたら良いのかということですが、忘れてならないのは、現実に大人社会であろうが、子ども社会であろうが、どんな問題でも、それを解決することはそもそも容易ではないということです。

そこを大人社会は、つい隠したり、誤魔化したりしてしまうから、命令や指示で済ませてしまうのです。
命令や指示に従うことだけで済んだのは、軍隊式教育や機械制大工業が中心であった時代のことです。すでに時代は違います。

なぜそうしなければならないのか、ということから、きちんと理解できなければなりません。

これは、とても厄介なことです。

でも、ここでも大事なのは、答えを教えることではありません。
大人でも難しい問題であるわけですから。

ずっとこうしたことを気づかせる本として、この五味太郎の本をおすすめしていたのですが、昨年、ここをもっとうまく気づかせる本が出てロングセラーとなっています。

 

フレイディみかこ『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』新潮社

そもそも大人であろうが子どもであろうが、人間関係のことは難しいのが当たり前なわけですから、答えを教えることではなく、

それは、

「一緒に考えよう」

が何より大切なはずです。

確かに大人は問題ですが、

今から一緒に考えよう。

こそが大事なのです。

答えを教えること以上に大切な、子供との関係を築く鍵がここにあるようです。

 

 

この7回の組み立ての頭と最終回だけは、明確に決めていましたが、途中は話の流れでだいぶ変わっていきそうで、これまでのなあgれからすると、学びー教育ー独学ー自立ー自由ーパーソナルー責任といったような本が中心になりそうです。

 

 

ブックカバーチャレンジのfacebook投稿を転載しました。

 

 

 

 

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ベルトコンベア教育から子どもの絶対的「自由」を守ろう

2020年05月04日 | 気になる本

「競争やめたら学力世界一」の国、フィンランドでは、宿題はありません。自宅に帰って勉強する時間は、多くても30分くらいだといいます。

このこと、皆さんは想像できますか?

私たち「地球上から宿題を絶滅させる友の会」は、必ずしも宿題が嫌いだから絶滅させたいのではありません。(私個人は嫌いだったから大きな理由でしたが)

世の中をたくましく生きていける大人になるために、また、こころ豊な人間として育つために、宿題は子どもにとって貴重な自由な時間を奪う最大阻害要因だと確信しているから無くしたいのです。

教科書中心の勉強だけに、これ以上多くの時間を割くことは、百害あって一理もありません。

本来、人間だれにとっても「自由な時間」こそ、最高の贈り物のはずです。
ましてや生産労働からは開放されている子どものことです。
コロナの行動規制はあるものの、3密さえ気をつければ何をやってもいいはずです。

ところが、悲しいかな今の子どもたちは、遊びの時間でさえ、登下校の時間から始まって、スポーツなどで楽しむ時間も含めて、ほとんどの時間が大人の監視下でしか過ごせていないのが実情です。

いきなり放り出されても、自由に遊ぶこと自体、誰かに教えて貰わなければ何もできなくなっているのかもしれません。

いま学校の休業期間が長引いて、オンライン学習なども始まっていますが、勉強の遅れが心配なので、もっと宿題を出して欲しいと子どもたち自身が言っているという話には、ホント驚かされましたが、子どもの育つ環境自体が、すでにそこまで深刻な状況になっているようです。

確かに今の教育システムをすぐに変えることは難しいかもしれません。

だとすると、この教育システムに順応できない子どもたちにとっては、今こそが絶好のチャンスです。

現行の教育システムの枠内にいられる子どもたちは、この休み期間に教科書の予習、復習をしっかりしているかどうかで大きな差が出るかもしれません。
でも、現状の教育システムに馴染めなかった子どもたちには、一気にフィンランド式教育に近づき、自分の興味のあること(学校の勉強に限らない)ことを思う存分学び、経験し、社会に出たときのたくましさや、真の学力を身につけ、学校内に止まる子どもたちに大きな差をつけられるチャンスであるはずです。

テストも宿題も偏差値も受験もない環境が、学力世界一になることがすでに立証されているからです。

すべての子どもが同じ教科書を使って、同じスピードで学んでいくという、本来の教育としては拷問に近い不条理な環境から開放されるわけです。そこでは、子どもの興味を持ったことこそを教師や周りの大人が支援することが第一の教育活動になります。

フィンランドからアメリカに一時留学した子どもたちは、選択問題があることがとても苦痛だったと言います。選択問題は、それまで馴染んでいた教育、つまり自分で考えて答えを出すことではなく。結果を知っているかどうかばかりが問われるからです。

日本では記述式問題が増えたら、公平な評価が難しくなると言って、見送るということがありました。

そもそも点数をつけて順番を決めることが第一の目標としていない教育では、仮に試験があったらその場で、問題を考える時間、自分で出した答えを検証する時間こそが大事な時間であって、どの問題が間違っていたか、どうするべきだったかを検証する時間も持たずに、結果の点数順位だけが告げられる教育環境などは、子どもに対するいじめレベルの教育であるとさえ言えます。

それでもまだそんな一部の子どもしかできないような環境の話をして、どうするんだというような反論も返ってきそうですが、一人ひとりの子どもが違うのだという前提を認めない古いベルトコンベア式教育にしがみつくメリットは、もう何もありません。

はみ出しっ子こそが、間違いなく明日の日本をつくってくれるのですから。

 

以上の記事は、【7日間ブックカバーチャレンジ】のルール破りで、本に関わる内容を書いたものを転載させていただきました。

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