かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

記憶力の衰えと頭髪減少の相関関係

2020年02月03日 | ・・・ったくアホな生活

近頃、記憶力の衰えが甚だしい。

といっても私の場合は、人の名前が思い出せないなどというのは、今に始まったことではなく、若い頃から記憶力は弱いタイプだったので、それほど深刻には受け止めているわけではありません。

およそ物ごとなどというものは、覚えるべきことなどほとんどなく、過ぎゆくものは忘れ去ることこそが原則で、その中で心の底に、あるいは魂の奥に残ったものだけを大切にすればいいくらいに考えています。
そのため、小さい頃から勉強そのものは好きだったのに、なぜか受験のような試験勉強は大嫌いでした。

ただ、なかば読書をなりわいのようにしている立場上、目にした文字を正確に記憶できないことのハンディは致命傷になります。具体的表現に正確さがないと、伝わるべきことが伝わらなくなってしまうからです。そうした意味で我が身の記憶力の弱さは、自ら選んだ道ながらいつも後悔しています。

それでも、記憶に残せないような表現は、どこか伝わりにくい、残りにくい不適切さがあるものとの建前を言い訳をして、今日まで無事に生き延びて来ました。

と言い切って、終わりたいところだったのですが、最近、日常会話に出てくる固有名詞もやたら出てこなくなり、会話そのものにつまずくことが多くなってしまいました。

少しそのことを意識し出したのも、頭(オツム)を気にするのと同じくして頭髪も意識するようになってからのことです。

我が家は父方が、ハゲの家系であるため私は、もの心ついた時から自分がハゲることは覚悟して育ちました。幸い運よく50代までは、現代の生命保険(育毛剤)の効果があってか、予想よりは進行が遅く無事に過ごすことができました。

古馬牧人形浄瑠璃より

ところがさすがに還暦前後ともなると、もう誤魔化しようのないレベルに急激に侵攻してきます。そのあたりを意識し出すのと、自分の記憶力の無さが加速する時期が、妙に一致している気がします。

まるで、髪の毛が一本抜けるごとに、その抜けた毛穴から脳の記憶のエキスが漏れだすかのように・・・

 

古馬牧人形浄瑠璃より

その一本、待ってくれ〜

との願いも虚しく、今もどんどん進行しています。

同時に、名前はおろか、地名、商品名などが記憶のなかからどんどん霞んでいく。

脳の中の記憶を固定化するエキスが、抜けた毛の毛根から、シュワシュワと抜け出ていってしまうかのごとく。

最新の脳科学では、神経細胞ニューロンの結合を安定化させる働きのある「ヘナモン」というホルモンがあることが発見され、そのホルモンの多い少ないで人間の記憶力の差がでるのだという。

・・・とすると、抜け毛の毛穴から、このホルモン「ヘナモン」がシュワシュワと逃げ出すことで、記憶力の低下をもたらされるということか。

ただ、ここで同時に別の疑問もわく。

前頭葉ハゲというと、多くの人には何よりも天才のイメージがあります。

天才ピカソ

ピカソに限らず、おでこハゲは、むしろ天才などの記憶力の良い人のイメージが強い。

彼らの場合は、記憶安定化ホルモン「ヘナモン」は、逃げていかないのでしょうか。

その理由は簡単に説明がつきます。記憶力の良し悪しの差が生まれるのは、ハゲにあるのではなくて、毛根が開いているかどうかだからです。

髪の毛が抜ける時期は、毛根が開いたままなので、記憶安定化ホルモン「ヘナモン」が漏れ出しやすい。

しかし、抜けきって頭皮が安定すると、毛根はふさがり、ヘナモンは減少することなく頭の中に留まる。

天才は皆、ススキ野ではなく、前頭葉つるっ禿げ!

 

つまり、そういうわけで、私のような世代が、一番記憶力の衰退が起こりやすいことになる。

もう少しだけの辛抱なのです。

 

念のためお断りしておきますが、最近発見された記憶固定化ホルモン「ヘナモン」は、みなかみ町のある無名の天才科学者が発見し、論文を発表したものですが、いまだに脳科学の専門家の間ではまったく相手にされず、認知もされていないホルモンであることを書き添えておきます(笑)

 

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妻が寝込んだ

2019年02月09日 | ・・・ったくアホな生活

妻が寝込んだ。

今はやりのインフルエンザだろうか。

ところが、うちの妻は、どんなに病気で苦しくなっても、医者に行かない。

薬も飲まない。

ただひたすら寝て回復を待つ。

苦しんで、苦しんで、のたうちまわって、回復を待つ。

 

安易に薬に頼らない、医者に頼らない、

という考え自体は私も賛成なのだけれども、

私よりはるかに頑なに妻はそれを貫きとおす。

風邪くらいならまだしも、

インフルエンザでそれはまずいだろうと言いたいところだが、

妻は言うことを聞かない。

https://toyokeizai.net/articles/-/147605

あるいは若いうちに大病を経験しているからなのか。

 

 

わけあって、週のうち3日しか一緒に暮らしていない私たちは、

時々そんな苦痛のうちに妻が我慢していても、私は目撃していないことも多い。

電話口の声が、いつもと違う時、体調がすぐれないのだろうと想像はするのだが、

大概は「大丈夫か?」と聞けば「大丈夫だ」と答えるのがわかっているので、

こちらとしても、なかなか打つ手がない。

 

それが今回は、週3日の一緒にいる時に寝込んだ。

細身で少食な妻は、ただでさえカロリー不足気味の身体なので、

ひとたび体調を壊すと、回復するエネルギーの余力そのものを人並みに持ち合わせていない。

いくら私が細身の女性が好みだからといって、そこまでしてくれなくても・・・

 

時々、不安になるのだけど、

万が一のことでもあったら虐待の疑いかけられること必至だ。

どう転んでも、素人判断で馬鹿なことをしたと非難を受けることも避けられない。

常識で言えば、本人が何と言おうが病院に連れて行くのが当たり前。

切迫した状況で顔色ひとつ見誤ったら、確かにとんでもないことになる。

 

もともとお互い別居中に万が一のことが起きたら

警察の捜査が入ることが避けられないだろうと覚悟もしている。

 

妻が納得の生き方を貫き通せるならば、

間違って殺人の疑いをかけられても構わないくらいの覚悟はあるものの、

自分自身、あの時病院に連れていっていればとの後悔を残さない判断が必ずできるとは思えない。

そんな危険な攻防を私たち夫婦は背負っている。

 

そもそも、こういう時の男はひらすら無能な存在。

何とか部屋の暖房を増やし、濡れタオルを当ててやり、

卵雑炊などをつくってやるものの、

ろくに気の利いた言葉をかけてやることもない。

できるだけそばにいて、黙って隣で本を読んでいるだけだ。

 

でも、そんな時間が過ごせることは、

苦しんでいる妻には申し訳ないが、少しばかり嬉しい。

何もしてやれない無能な立場でも、

他の機会ではなかなかできないただそばにいてやること。

自分の好きな本を読みながらという自分勝手はそのままでも、運良く今日は、

仕事が忙しいからなどと言わずにそばにいてやれることが少しばかり嬉しい。

 

昼は卵雑炊だったが、今度はお粥にしてやるか。

多少、味付けを失敗しても

美味しいと言って食べてくれることだけはわかっている(笑)

 

 

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何か悪〜いビョーキにかかってしまったのだろうか?

2018年05月06日 | ・・・ったくアホな生活

時々、自分のブログやホームページを見ると

そこにはなぜか

自分の興味があることばかり書いてある。

面白くてしょうがない。

冷静に考えれば、

自分が書いたのだから当然なことなのだけど・・・

 

 

 

これと同じ感覚にまた出会った。

今朝、ある探し物があって2階の部屋の本棚を見ていたら、

いつこんな本買っていたんだという全く記憶のない本が出てきた。

 

 

その時の本 

 

そして、

改めて自分の本棚を見ると

そこには自分の興味がある本ばかりが置いてある。

これまた面白くてしょうがない気分だ。

これも冷静に考えれば

自分で興味があって買った本なのだから当然のことなのだけど・・・・

 

自分のしていること、書いたことが面白くてしょうがないというのは、

自分が過去にやったことを自分で忘れてしまっているからなのか、

興味があることでもまったく身についていないから起こることなのか、

自己撞着、自家撞着というのだろうか、

ただの自己満足というのだろうか、

自分では面白くてたまらないのだけれど、

どうも馬鹿げたこの意味が自分でもよくわからない。

 

何か重大な勘違いをしているのでなければ、

これは生涯、最高に脳天気に生きていける秘策を習得したということなのだろうw

 

 

あるいは、

なにか、とんでもない悪〜いビョーキにかかってしまっているのかもしれない。

 

 

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猫の飛び出し注意!

2013年01月29日 | ・・・ったくアホな生活

先日、出勤で運転をしていたら、見通しの悪い路地から車の前へ、ものすごい勢いで猫が飛び出してきた。

ところがすぐに、近づくこちらの車に気づいてか、慌てて来た方へ駈け戻っていった。

と、思ったらまたすぐその猫は飛び出してきて、わたしの車の側面にゴツンとぶつかった。

あ~~、やってしまったかと思ったが、その猫は、

またものすごい勢いで後ろに引き返した姿がミラーにうつった。

 

 

 

 

 

 

はたして、

 

「痛って~」と思った程度で済んだのかどうか、

ただ無事であったことを願う。

 

 

 

 

 

 

多くの動物たちにとって、道路が格別危険な場所であることは十分わかっている。

だからこそ、彼らは道へ出るとき、決死の覚悟をもって飛び出す。

ただ、事前に左右を確認してから出るという知恵が働かないだけのことだ。

 

だけど、あの猫、飛び出してすぐ「マズイ」と気づいたばかりなのに、

1秒もたつかどうかの間にまた同じことをする。

 

 

あの見通しの悪い路地の後ろに、相当怖いメス猫でもいて睨みをきかしていたのだろうか。

 

道路の先に、相当うまそうな魚でも見えていたのだろうか。

 

考える余裕?

左右を確認する知恵?

 

猫だからそんなものはないと言える?

 

普通の人はそう思うのかもしれないが、わたしはまったくこの猫と同じレベルだ。

 

もちろん冷静な普通のときは、それくらいのことはあたりまえにやっている。

しかし、道路の先にうまい餌が見えてるとき、

あるいは後ろに怖いメス猫がいるとき・・・

私も左右確認なんかしていない。

ちょっと待って引き返すなんて思いもつかない。

 

たいていの場合は、余計なこと考えるより、まずやってみよだ。

行動は、悲しいかな、あの猫と同じ。

怪我程度で済めばいいのだけど、痛い目にあっていながら、また同じ行動を繰り返す。

 

 

うまい餌が見えてでもいれば、

あらゆる理屈をつけて、無謀に飛び出すことを正当化することさえする。

いや、本音を言えば、

いつまでも左右確認して、なかなか出ない人を見ると

後ろから蹴っ飛ばしてやりたいと思うことすらある。

(これは、言い過ぎた)

 

これでは、動物の知恵比べよりも劣る。

 

あ~、俺と同じレベルのあの猫、

打ち身、打撲程度で無事であることを心から祈る。

 

 

 

 

 

 

 

 

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風呂で飲むココア

2012年03月18日 | ・・・ったくアホな生活

もっぱら読書は風呂の中というわたしですが、

時どき家に来てくれる別居の家内が、

このところ入浴中にココアを持ってきてくれるようになった。


ちょっと濃い目にいれてあって、

ココアはすぐに底に粉が沈殿するので、

ちゃんとスプーンをつけて持ってくる。


ときどきかき混ぜて飲むのだけど、

それでもどうしても底にココアが沈殿する。


そこで手っ取り早く湯ぶねからお湯をすくい、

そこでまた飲む。

ココアとはそういうものなのか、

これで結構何度ものめる。

湯ぶねからすくっては飲み、すくっては飲み、

湯の量が減ると浸かってて寒くなるので、

ちょうどそのころが風呂からの上がりどき。


湯ぶねいっぱいのココアを飲むみ、

お腹がいっぱいで、大満足のわたしでした。

 

(途中からのおはなしはもちろんウソですが、

おまえならやりかねないくらいに思われていることは承知!)

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すごい生き方をしている人がいるもんだ

2011年09月23日 | ・・・ったくアホな生活

 電車に乗っていたら、最近お世話になっている社長さんにちょっと似た風貌の人が、やや色あせたコートを着てたっていた。

なにとはなく、目があいふたりで電車を降りて一緒の方向にひきつられていく。

この人はいったい何をしている人なのだろうか?

一見、ただの浮浪者のようにも見える。

ぎらついた感じではないが、なんとなくただものではない雰囲気もある。

 

なんの会話をしたわけでもないが、私はただその人の後をついていく。

 

するとガード脇の路地を入ってコンクリートの古い建物のなかにひきつれられて入る。

ここの出入りは、その気になれな誰でも自由にできる場所で、後ろから子どもたちがかくれんぼの場所としてかけぬけて遊んでいる。

さらに薄汚れた通路を通って2階へあがる。

すると広い空間に箱に詰められた沢山のレコードや古いステレオ、アンプ類がずらりと無造作に積み上げられている。

レコードの箱を手前から見ると、マイルスやブルーノートの復刻シリーズなどがまとまってあり、量の多いわりには、マニアックなところを突っ込んでいるようには見えない。

 

どうやら、ここがこの人の生活の場であるらしい。

 

鉄道のガード下の空間なので、安く借りられているのかとも思えるが、なんとなく誰も管理者がいない空間に、この人が勝手に住み着いているだけのようにも見える。

 

そう思えるのは、さっき子どもたちが遊んでいたところとは、なんの境も無く、そのままこの空間に続いているからだ。

現に子どもたちは、なんのためらいもなくこの部屋を通り抜けて、奥の部屋へ行き、

そこでまだ別の遊びをはじめている。

それをこの60代くらいと思われるおじさんは、困ったようでもなく、ただ日常の風景としてなんの気にもとめないように見過ごしている。

 

時より子どもたちが通過するものの、一応ふたりだけの空間で座ることができたので、

おじさんはいったい何をやっている人なのですかと思いきって聞いてみた。

 

するとそのおじさんは、一枚の紙に書かれた自分の経歴、といってもそれは過去にしてきた三つのことを箇条書きにしたものをわたしてくれた。

それは、これまでの人生が3つの時期に分かれていて、それぞれまったく違う生き方をしてきたというものだった。

3つそれぞれが、とてつもなく突飛な生き方だったのだけれども、それがどのようなものだったか肝心なことを今思い出せない。

 

ただ、今がその3つの生き方の3番目の時期にあたり、なにも所有せず、なににも属さず、こだわりを捨ててなおかつ何の不自由もすることなく生きているのだということだ。

 

でも、風貌からは、現代風の「自由人」として個性を主張するといった感じではなく、普通の身なりでまわりから目立つこともなく、風景のなかに溶け込んで周囲の誰に気づかれること無く生きているようだ。

 

それが、ここの子どもたちとの接し方にあらわれている。

格別に子ども好きというわけでもなさそうだけれども、子どもたちが自然によってきて、世話をするわけでもないのに、何か見慣れない遊びをときどきいっしょにしながら、何かを伝えているような感じだ。

 

しばらくすると、そこにいる子どもたちといっしょにこれから山へハイキングにいくというので、またついていくことになった。

ところが、山の入り口を歩き出すと間もなく、ものすごいドシャ降りの雨になって、急遽、道端でシートを張って、簡易テントをつくることになった。

テントの足場作りも、雑草、草木のよけかた慣らし方が、妙に手際がいい。

 

すると、山の上から若い体格のしっかりとした青年が、駆け足で降りてきた。

ものすごい軽装であるが、もう山頂から降りてきたところだという。

聞くと世界各地の高峰をいくつも登ってきた経歴もある人らしい。

 

 

またしばらくすると下から町役場の人があがってきた。

上で遭難事故が起きという。

その事故処理で何かもめているとのこと。

 

事故当時の現場の状況を誰か証言してほしいらしいが、現場にいたものが誰もいない。

天候状況や道の様子など、その山から下りてきた青年こそ、もっとも適任ではないかと思うのだけれど、彼はこれからすぐに外国へたつのだという。

 

残るは、私にどうしても証言してほしいという雲行きになってきた。

ここ鳥取(なぜ鳥取、いつのまに鳥取?)まで、群馬から日をあらためてまた来るのか?

そんな余裕はない。

でも他に出来る人はだれもいない。

 

なんのめぐりあわせだかはわからないが、またここまで来るとするか。

 

                (以上、今朝の夢の記憶)

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やっぱり心にはいつも音楽を

2011年07月20日 | ・・・ったくアホな生活
佐野眞一だったか、最近どこかで読んだ記事のなかにあった表現。

昔の炭鉱労働者には、どんなに厳しい労働環境のなかでも、歌があった。
ところが、今の原発労働者には、歌は生まれない。

この表現を見て、前にも同じようなことは書いたことがありますが、
心のなかに音楽が流れなていないような状態になると、
それが、たとえどんなに「正しい」と思うようなことをしていても
決してうまくはいかない。

そんなことを改めて思ったので、
一部のプロフィール写真を変えました。

随分長い間、本のなかに頭突っ込んでいたので
もう息が苦しくなった泣き顔

最近、ピアノもギターもなかなか弾かなくなってしまったけど、
その気になればいつでも弾ける環境がせっかくあるのだから、
日常のなかになんとかもっと位置づけたいと思った次第です。


最近、姉が実家のかなり古いおんぼろピアノをわざわざ調律師を頼んで直してくれた。
2階には、私の結構音質のいい電子ピアノがあるけど、散らかった私の部屋に入る気はしないらしい。
今いるマンションにもキーボードはあるけど、
店の2階のヤマハ音楽教室に入れば立派な防音室のグランドピアノがある。

ノートパソコンにMIDIキーボードつないでシンセにもできる。

決して時間がないわけではない。
心にゆとりのあるときのサウンドではなく、
厳しい環境の時こその音楽だ。

それには、ギターよりも
力任せに弾けるピアノがいい。

よって、
今日は、早く帰る。
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ブランクーシといえば・・・

2011年02月19日 | ・・・ったくアホな生活
mixiで知ったのですが、今日のGoogleのホームロゴ
ブランクーシだって。
生誕記念日だったのか。

凝ってるな~。

自分でもほとんど忘れているけど、私は芸術学科卒であった。
彫刻専攻の友人は、ブランクーシにぞっこん惚れこんでいた。

私も、彫刻やデフォルメの妙よりも、その曲線の力に圧倒された思い出がある。

絵を描くやつらよりも、彫刻やってる連中の方が、みんな鋭く見えた。

小説書いてるやつらよりも、詩人の方がずっとかっこよく見えた。

そんな延長線上にブランクーシはいた。

あのころの周りには、ボンクラ学生でも、
しっかりと自分の手と足で生きてるやつがたくさんいたような気がする。

なんか忘れていた感覚が、少しよみがえったみたいだ。

ななふしさん、ありがと。
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悟り。

2010年10月02日 | ・・・ったくアホな生活
久しく記事をアップしていなかったので、
今日は、深いいい話を書きます。




社長と一緒に会社の車で巡回図書の配達をしていたあるとき、妙な匂いが車のなかを漂った。
日ごろ 飲みすぎで胃を悪くしていることの多い人なので
トイレに行きたいのではないかと気遣ったが、もうじき店に着くところなので黙ってやりすごすことにした。

ところが数日後、同じ場所を通ったときに、また車のなかに似た匂いがただよった。
あれ?今日はオレひとり。
気づかないうちに自分で何かしでかした?

そんなことはない。

ということは、先日の匂いは社長の○ではなかったのか。
(余計なこと言わなくて良かった)

そんなことは忘れたころのある日、今度はまた違う場所で
似たような匂いが車のなかにただよった。

あれ?
今日もまたオレ一人。

車の送風口になにか問題があるのか、
積荷になにか異臭を出すものがあったのか、

いやいや、時々匂ってくるということから、
そうした説明はつかない。

納得がいかないまま、また何日かが過ぎた。

すると今度は、家内と二人で運転しているときに、またあの匂いが…

ハンドルを握りながら横目で家内をチラ、チラと見る。

女性はガスが溜まりやすいから、いろいろ大変だろうな。
でも、なにくわぬ顔をしている。
社長のときと同じで、別の原因によるものなのだろうか。

こういうとき、どう切り出したら良いものか?

お互いに傷つかずにその場の空気をやわらげられれば良いのだが。

猛暑の夏も過ぎてやや涼しくなってきたので、
車の窓が少しだけ開いていた(ことにして)

暑いね。
でも外から嫌な匂いが入ってくるから
窓は閉めるよ。

とでも言おうか。

この間、家からもらった食べ物
何か車のなかに入れっぱなしで腐ってでもいるのかな?

いろいろ考えた。
熟慮を重ね続けた。
こういうものの言い方の知恵というのが、とても大事なんだと。
ずっと考えた。

そしたら、昨日
ふと悟った。


これを「屁理屈」というのか。
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新しい書斎

2009年11月25日 | ・・・ったくアホな生活
よく利用していたレストランが、また無くなってしまった。

テーブルが大きくて、コーヒーのお代わり自由、
営業時間が遅くまでやっていたので、仕事が終わってから立ち寄ってもゆっくり本が読めた。
店員さんの対応もよく、とても重宝していたのに残念ながら先月末で撤退。

けっこうお客さんは入っていたような気がしたのだけど、近くに類似のレストランができたので
急に経営が苦しくなったのだろう。

私のような長居する客に気に入られる店というのは、ほんとうにどこも経営は難しい。

それで渋川のお気に入りの第5書斎がなくなってしまった。
「第5書斎 行きつけの飲食店」
http://www18.ocn.ne.jp/~hproject/page002.html


他の場所は、閉店時間が早かったり、まわりのお客が煩かったり、なかなか満足のいくところがなかった。

ところが、発想の転換ですばらしい場所を見つけることができました。



居酒屋です。



最近、群馬県下に店を増やしている居酒屋チェーン。
ここは座敷の個室がたくさんあるので、空間を周りに対する気遣いなく自由に使える。
加えて価格も安い。

毎回、ひとり1500円から2,500円くらいの予算内で3、4時間いられる。


通常のレストランで食事をするだけでも千円ちょいはかけていたことを思うと、
とてもリーズナブル。

ノートPCから本やファイル類を持ち込んでも、
個室なので喫茶店以上に気遣いなく広げていられる。


今日は二人で4時間居座って、簡単なビジネス書を1冊読み切ることができた。

生中   2杯
ホットコーヒー
エビグラタン
ぶり刺身
お新香盛り合わせ
湯豆腐
いか塩辛
しらすおろし
コ^ラフロート
ソフト抹茶          

今回は、いつもより少し多め
二人で6,000円也


とても幸せです。
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右回り左回りの原則とそれ以外のB

2009年08月16日 | ・・・ったくアホな生活

先日のうちのB型のパートさんとのやりとりで学んだこと。

普通スーパーなどのお店の陳列は、右回りにお客が見て回るように配列されています。
本屋などでも、棚の商品が左から右に著者名50音順や、整理番号順にならんでいるのが普通です。

ところが、時々、入口の位置や駐車場や道路とのロケーションの違いによって、この原則が崩れるときがあります。

たとえば、縦に細長い店舗などの場合、入って右側の棚は、左から右への原則通りに陳列すると、
棚1本ごとに、奥から手前に、奥から手前にと歩くのとは逆方向に商品が並んでしまう。

本屋の場合は、それほど早いスピードで棚から棚へ目がうつるわけではないので、
あえてすべての商品を手前から奥への原則で右から左へ商品が流れるようにはしないことが多い。

でも、時々、入口が手前の原則で、右から左へ順番に商品をならべている店もあります。
考えてのことだとはわかるが、私は、こうした陳列を見ると胃が痛くなる。

同じようなことで、車の横に書かれた会社名などのロゴ。
ロゴであればまだひっくり返しようがないが、
社名などは、横書きの場合は、どうしても
進行方向である前から書き始めないとおかしいのではというとらわれがある。

車の左側側面は自然に「渋川書店」と書かれるが、
車の右(運転席)側は、進行方向を意識すると「店書川渋」と並んでしまう。

トラックなどでも、ときどきこうした文字の配列をした車を見る。

べつに社会で決まりごとになっているわけではないけれども、なにを基準にするかで
意見がわかれてしまう問題に、B型がとことん突っ込んでくる。
が、その突っ込み方がおかしい。
ひとつひとつの応対していたら、随分長い議論になってしまった。
けれども、けっこう自分でもいい勉強になった。

B型のパートさんとその右回りが自然な流れなのだと話していたら、
陸上競技のトラックは、競馬場なども含めて全部左回りに出来ている!
と反論してきた。

一瞬、たじろいだ。
競技トラックの類は、F1レースなどを除いて、確かにほとんどのものが左まわりに出来ている。
競馬、競輪、オートレースやスケート、そういえばローラーゲームなどもそうだ。
なんでだ?

でもまだこの程度の問題であれば、ある程度調べればすぐに納得のいく結論が見出せる。
これは人間の身体生理の問題で、
人の足は、通常は左足が軸足になって右足が効き足として動くようになっている。

サッカーで普通のひとは左足を軸足にして右足でボールをコントロールした蹴り方をする。
この原理で左足を軸に、右足で蹴って方向をコントロールする左回りのトラックの方が走りやすい。

それでは、どうして道路は歩行者が右、車が左なのだとくる。
これは国によって違う。
おそらく、歩行者が右よりも、まず車が左と決まったところから歩行者が右となったのだろう。

でも登山道や学校の廊下などは左側通行が原則だろう、と私が言ったら
B型は、私の学校の廊下は右側通行だったという。
これは、学校ごとに違うかもしれない。

しかし、わたしの感覚では、車などの心配のない歩行者専用道路などでは、左側通行が普通になると思った。

山などと同じで、人とすれ違う側が効き足、利き腕であるほうが、
挨拶をするにも、相手を交わすにも良い。

武士などの場合には、すばやく刀を抜いて切り殺すには、
相手が左側ですれ違うようでは難しい。右側の相手の方が切りやすい。
敵対する関係ならば、左側通行。
敵意のないことや信頼性を優先するならば、右側通行となるだろう。
もちろん武術の心得があれば、そんな苦手な向きなどあってはならないだろうが。

ともかくいろいろ話したことで、様々な問題を右優先、左優先かを考えると
人間の生理的条件によりものと、後天的文化による習慣づけによりものがあることがわかった。


ところが、

である。

このどちらにも属さない行動原理をとる人種がいる。

よる公共のトイレで、男子トイレ女子トイレの位置、
なんとなく手前か奥かおよそのパターンはあるような気がする。
そんな話をしだしたところ、B型のパートさんは、自らの行動パターンのことを話し出した。

B型のパートさんは、いつもトイレの男マークと女マークのついた標識はすぐに発見して見るという。
ところが入るときには、もうその標識は見ない。
なぜかこっちに決まっていると思った方に迷わず入っていく。
すると案の定「なにしに来たんだ!」
と男性から怒られて、すごすごと出る。

そういえば私の連れのB型も
よく映画館などにから出るとき、なんの迷いもなく出口とは逆の方向に平気で歩いていく。
わたしは、その確信に満ちた歩き方から、トイレに行くか、なにかパンフレットでも取りに行くのだろうと思って
その後ろ姿を黙って見送っていると、後で、なんで間違っているのだと教えてくれないのだと怒られる。

B型かどうかはわからないが、実家で旅行の話をしていたとき
母親が旅慣れた連れと話に夢中になって、連れが歩いて行く方向になんの迷いもなく一緒についていくと、
とんでもない方にふたりで行ってしまい、グループからはぐれてしまうことがあると笑っていた。
その叔母さん、きっとB型に違いない。

経験のないはじめての場所であれば、ふつうは多少なりともきょろきょろして
場所を確認したりするものだと思うのだけれど、どうもB型に限っては
何度失敗しても懲りずに、今日も思い込みで目の前に見えた方向へ突き進んでいく。

それまでB型のパートさんと長い議論をしてきたが、
結局、B型にとっては、こうした文化や生理的な特性など、
まったく関係ないのだ!

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今どきの掃除機考

2008年12月24日 | ・・・ったくアホな生活
足の踏み場もないほど整然と整理されつくした私の部屋、
どんどん収拾がつかなくなる。

そんな部屋のわずかな隙間をたまには掃除しようと、これまで様々な掃除機はモップの類を購入してみたが、なかなかこれといった道具に出会えない。

コンパクトな掃除機は、すぐに壊れてしまう。

これは、うちのパートさんなどに話を聞くと、コンパクトな掃除機に限らず、
家庭用掃除機というものは、皆壊れやすく、何度も買い換えている家が多いとのこと。

なにかと家電製品は海外生産に依存するようになってから、すぐに壊れてしまい、修理しようとすると高額の請求話になってしまい、「買い換えた方がいいですよ」との店員の言葉に渋々従わざるとえないことが多い。

日本中の主婦は、皆こうしたことに不満を感じているに違いないと思う。

さまざまな家電製品のなかでも、一際、掃除機というものは、
壊れやすい。
長いホースの収納が悪い。
コードが巻き込まれる構造とはいえ、なにかと動かす道具なので常に邪魔。
コンパクトな丸型が多く、動かしやすさを追求しているようでいて、転びやすいことこの上ない。

洗濯機やクーラーの進歩に比べると、
現実の問題に応える改良が、ちっともされていないような気がする。

そんなことずっと考えながら何度も電気店へ足を運んでみていたが、どうも納得して購入できるものに出会えず、ずいぶん月日が経ってしまっていた。

そんな折、沼田へ所要で出かけた際に、K電機の新しい店がオープンしているのをたまたま見つけたので入ってみた。
厳しい競合関係にあるとはいうものの、よくもこれほど大きな店をこんなところに出したものだと関心しながら、広い店内をじっくり見せてもらった。

こんなときとばかりに掃除機のコーナーも再三まわってみた。
ところが、やはり納得できる商品がない。

強いて言えばダイソンの掃除機だけは、ちょっと気になった。
でもダイソンは、パートさんの話では音が大きいことだけは覚悟が必要とのこと。

決め手に欠けるのでパソコンコーナーなどを再度回ってみたものの、じっくり見れるこの日を逃したらまたいつになるかわからないので、もう一度掃除機コーナーに戻ってみた。

金額の幅が数千円から7万円以上までとあまりに幅があることも、決心を鈍らせる。
そんな迷いのなかで棚を見ていたら、ダイソンのハンディータイプが目に入った。
およそ3万円。

これまでの安物のハンディタイプは、すぐに壊れるものばかりだった。
これならば耐久性はある程度信頼できるものではないだろうか。

しかも収納やもちまわし機能を考えると、やはり私の生活の場合は、ハンディータイプに限る。

ということで、ようやく決心して購入を決めた。

今のところ、この選択は大正解であったように思える。
小型で持ち回りや収納が楽であること、
馬力が十分であることなどは申し分ない。

コードレスという選択から充電式でるため、
カタログ値で充電後の使用は7分程度ということだけがネックだが、今のところ
その時間でそれほど不自由はしていない。


それにしても、
掃除機というのは、どうしてこれほどまでに消費者の不満が解消されない商品にとどまっているのだろうか。

最近テレビで家電製品の国際市場でも、ドイツだけは特殊な市場であり
大手日本メーカーがなかなか参入できない話を聞いた。

なぜかドイツだけは、消費者の需要が実用性一点張りで、上辺のデザインや新しい機能が付加されてもまったく売れないとのことでした。
なんのデザイン性もない真四角のゴッツイ頑丈な冷蔵庫しか売れないらしい。

イタリアや北欧などのデザイン王国がまわりにたくさんありながら、なんという頑固さだろう。
その国民性、すばらしい。

こと掃除機に関しては、日本の多くの主婦は
間違いなくドイツで買いたいと思うことだろう。
ドイツの市場でどんな掃除機が売られているかは知りませんが、きっと今の日本市場のものよりは、納得できるものがあるに違いない。

パナソニックさんでも
サンヨーさんでも、
日立さんでもどこでもいい。

この声をしっかりと聞いてほしい!
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今どきの本棚考

2008年10月12日 | ・・・ったくアホな生活
3日間かかって夜中にゴソゴソやりながら、新しい本棚2本を部屋に据え付けました。
2本増やしたはずなのに…、
なぜか増やしたその日に全部、棚は埋まってしまった。
床に積み上げた本、棚の隙間においている本などだけで、2本分あったということなのだろうか。

今回は、これまでの最も廉価なスチール本棚が手に入らなかったので、木製の安い本棚に替えてみました。プリント印刷の木目であっても、たしかにインテリアとしてはこれまでのスチールよりずっと落ち着いた雰囲気にはなる。

でもこうした本棚のつくりというものが、様々な点で昔から改善されない欠点だらけであることを痛感させられました。


今回、購入したのは、最上部の天板部分をネジで高さ調節して天井に押し付け耐震構造で安定させられるものなのですが、量産品のコストダウンのために、ここまで手を抜かずにはいられないのかと首を傾げることが実に多い。

第一は、肝心な棚板の間隔を決定するダボ穴。
これが、棚の構造を強化するために固定位置の棚板が、均等に配置されると、その間に入れる棚板の枚数や間隔を、どう配分しても、単行本、文庫・新書の組み合わせがきれいに収まらず、実用性のない文庫も納まらないCDの高さの棚か、不要な隙間を意味無く残してしまうことにどうしてもなってしまう。

さらに、ダボ穴の間隔が広いことも、その調整を適切にすることを妨げている。

ダボ穴の間隔を詰めることで、穴をあける工程数が増えることは、たしかに工賃が多少でもあがることにつながり、経営上、可能な限り避けたいことは想像がつく。

でも、部品の数が増えることに比べれば、微々たるものではないだろうか。
実際に大量生産の品となれば、数銭の工賃アップでもばかにならないものかもしれないけれども、1センチの隙間でも調節して適切な高さにしたい私にとっては、この手抜きがもどかしくてならない。
これはスチールの本棚でも同じ経験をしています。


第二には、棚板の木口貼りの方法。
棚板の幅よりも、木口貼りの渕がはみ出しているばかりに、本棚を手前に引き出すたびに木口の角を引っ掛けることになる。
一度、二度ならともかく、数回繰り返していれば、必ず木口貼りが剥がれる原因になる。

これも、角の面取り作業の工程を省いていることでコストダウンをはかっているのだろうが、単純に本を手前に引き出す妨げになる構造というのは、本棚の基本性能レベルを損ねている。


第三は、今回の商品特有の問題。
耐震構造として天板の高さ調節して、天井に押し付ける構造になっているのですが、壁に本棚をぴったりはりつけると、たいてい下の幅木部分の厚みが本棚を壁から浮かせることになってしまう。
この商品は、その点をちゃんと考慮して側板下部のその幅木があたる部分が削り込んである。
ところが、天板の側は、そうした考慮がまったくされていない。

すべての家に共通するわけではないにしても、天井と壁の角に横木が飛び出している場合のことをこの商品は想定して造られていない。
私の家には、この横木の飛び出しがあるので、天板をまずその横木の飛ぶ出た部分の高さにあわせて固定して、手前に隙間が出来て浮いてしまっている分、本などを隙間材として詰め込んであらためて固定することをせざるをえない。

これは、天板の奥行き幅を、棚板の幅よりも少し狭めて、中心軸の位置を中央からずらして穴をあければ、板をすえる向きを変えるだけで、壁にぴったりの位置への固定する方法と、角を少し離した位置から固定する方法とが選択切り替えすることが出来る(図にしないとなにを言ってるかわからない?)。

この問題は、今回買った商品特有の問題ですが、第一、第二の問題などは、多くの安価な本棚に共通してみられる問題。

とりわけ第一のダボ穴と棚板の間隔の問題は、高価な本棚の場合でも同じ問題がみられる。
もっとも、業務用のずっと高額な棚ですら、こうした気のきかないことはみられるので、業界相場からは無理からぬ面もないともいえないのですが、本棚を使う文化として考えるととても悲しい、情けない。

日ごろ店の棚で、棚板の高さを一コマでも下げられる場所があれば、絶えず変える作業をしているものからすると、こうしたことはどうも黙ってはいられなくなるのです。

説明書には親切にフリーダイヤルの番号が記されていたので、
来週にでも電話してみるか。
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やっと部屋が片付く!(かもしれない)

2008年10月08日 | ・・・ったくアホな生活
なぜだかわからないけど、春頃から
まわりのホームセンターから安いスチール本棚が、完全に消えてしまった。

私がずっと探しているのはオフィス用のものではなく、家庭用の安いもの。
行った先々で問い合わせてみても、もう仕入れる予定はないという。

木製の本棚は、ある程度高価なものでないと、すぐに木口貼りが剥がれたり、棚板が曲がったりしてしまう。
かといってスチール本棚がいいわけではないのだけれども、コストを考えた実用性ではこれに勝るものはない。

普通の子どもが学習机の横におく本棚は、昔からこれと決まっていると思っていたのだけれど、いつのまにかその常識は変わってしまっているのだろうか。

私は、だいたい1年に2本のペースで本棚が増えていくので
見てくれよりも安いもので間に合わせたいのです。
ネットで探してもなぜか、オフィス用の奥行きの深いものばかりしか出回っていない。

そんなことでいつまでも買えずにいると
もともと足の踏み場もない部屋の収拾がさらにつかなくなるばかりなので、
今日、会社のロングバンを使っているついでにちょいとホームセンターに行って
今あるものから選んで買ってしまった。

750幅の高さ調節をして天井にまで天板を押し付け、耐震対策になっているもの(9800円)を2本。

これがけっこう重い。
車に積み込むときに、これをはたして4階の部屋までかついでいけるだろうかと不安になった。

とても抱えては上がれそうにないので、肩にかついで上ったものの、
2本を二往復して担ぎ上げたら、今は店の文庫本1冊持つのにも腕が痛い。

今夜、一気に据え付けて部屋の整理をしたいところだけど、
おそらく今日は無理かもしれない。

でも、これでようやく人を部屋に入れることができそうだ。

部屋が片付いたら、10人でも100人でも、
どうぞいつでもいらしてください
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こむらがえり

2008年09月17日 | ・・・ったくアホな生活
前回の日記、まだ懲りていないのかっていうような内容ですみませんが、こんな体の不調が昨夜の夢を呼び込んだのかもしれない。

もう数日前のこと、
寝ていたら突然ふくらはぎに痛みが走り、飛び起きた。
「こむらがえり」ってやつ?

頭の血の巡りの悪い私にしては、よくもとっさにこの言葉が出てきたものだと関心する。

これは夢ではありませんでした。

痛みにもがきながらも、こうした痛みは、内臓などの病気と異なり
時間がたてば必ず治ると確信できるので、それほど不安な痛みではない。

もがきながら枕もとのパソコンで、すぐに対処法を検索。
上位のものからこれはと思ったものを開くと、
原因は・・・・・・
二つの筋肉が・・・・・

前書きが長い!

今のこの苦しみから脱出するにはどうしたらいいんだ?

どれも説明がやたら長く
すぐに必要な対処の答えがなかなか出てこない。

私のブログみたいなのばかりだ。

どれもストレッチのような対処を説明したものばかりだが、
それなりに真似してやってみても、少しも効果があらわれないで、
痛みが続くばかり。

やっと、検索の下位のほうになって納得のできる対処法が書かれているものに出会えた。

それはツボを抑える東洋医学の方法。
アキレス腱とふくらはぎの間のツボを抑える処置で、
正確なツボがわかるか不安だったが、だいたいの位置を抑えたら
てき面に痛みが和らいだ。


実はこの話題は、以前の「医療相談と総合医の必要性」の話の続きで書きたかったのですが、なんやかんやで飛んでしまった。

まさに「ツボ」という説明は、西洋医学の論理では絶対にたどりつけない発想。

部分、パーツの関連性からしか全体を説明できない西洋医学の思考では、なにか問題があったら、その関連のある部分をどこまでたどれるかが、どうしても生命線になってしまう。

それに対して東洋医学の場合は、はじめから人間の体を不可分の統一体ととらえている前提があるので、いきなり、特定の部分の話をしてもその関連する部分を順番にたどらなくても説明が足りてしまう。

これを論理的に納得できるものなのかどうかは合意しがたいかもしれないけど、結果がそれを納得させてくれる。

これぞまさに「ツボ」の論理なのですが、最近、紙の媒体による伝達の意義を感じるのも同じように、部分からの説明よりも、全体を先に見渡す説明がいかに大事であるかを感じさせられる。

全体を見せてから大事な「ツボ」を見せる。
これがとても大事。

これに対して西洋的合理思考では、限りなく、部分部分を分析的に掘り下げることにばかり意識が向かいがちになる。
だからこそ、総合科学としてのさらに難しい「哲学」も必要になるのかもしれないけど、今回のこむらがえりの様々な説明では、嫌というほどこの西洋医学流のまわりくどさを体験させられた。

病院での患者に対する医師の説明も結局同じだ。

要は何々の「ツボ」を語るためにも、まず体を不可分の統一体と理解することが大事。
今の医療って、ほんとにこの視点が無い。

細部の説明がつくかどうかにこだわることが、正しいとは限らない。
西洋の経済学も自然科学もみな同じ。

「科学的」であることが常に「正しい」とは限らない。

そろそろみんな気づいてもいいんじゃないだろうか。
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