かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

本屋(正林堂)のホームページのつくり方

2020年03月02日 | 渋川の本屋「正林堂」

正林堂ホームページのトップページ

ここから新しい世界に出会える SHORINDO  
https://sho-rin.wixsite.com/sho-rin

長らく、私が個人的に作っているホームページに比べると、肝心なお店(正林堂)のホームページが、ただ来店誘導の案内ばかりで、ホームページとして独自の情報に欠けたままであることが、ずっと気になっていました。

そうすることしか出来なかった理由は、販売目的のサイトの場合は、まずamazonなどの大手サイトに対抗することなど、ほぼ無理であろうと諦めていたことがあります。

また、仮に商品情報を入れたとしても、ベストセラー情報などローカル書店が掲載したところで、あまり意味はないと思われ、仮に掲載してもネット販売として発送・決済の手間をかけるメリットが、大手サイトでさえ送料などの負担を巡って激しい競争にさらされる状況下であることを考えると、むしろ無駄なのではないのかとさえ感じてました。

 

1、本の情報館 ページ   https://sho-rin.wixsite.com/sho-rin/event

 

そのような現状でも、この度ようやく突破口を開くきっかけになったことが、二つあります。

ひとつは、書籍取次トーハンが運営するサイト「e-hon」をリンクフリーで活用できることに気づいたことです。
もちろん、amazonなどの書誌情報に比べたら見劣りはしますが、amazon以外で当店のような店が活用できる注文可能な書誌データは他になく、フリーで使わせていただけるだけでもOKとしました。

加えて、他の書店のSNS情報などを見ると、意外と書名、著者名、出版社、定価などの情報は載せずに、表紙画像のみの掲載でも、情報としては結構成り立つことを感じました。
そのおかげでホームページ上では、画像に商品リンクを貼り、より多くの情報がひとつの画面に載せやすくなり、伝えたい紹介文のみを簡潔に入れられるようになりました。

 

 

 

 

第二の契機になったことは、そもそも「小売業はメディアである」といわれる視点をより意識するようになったことです。
本来これは小売の業種を問わない言葉ですが、このことは本屋であればなおさらのことであるはずです。

これまでの当店も含めて多くの書店では、新刊本さえあればメディアになっているかの認識があったかと思います。しかし、地域メディアとしての役割を果たすということがどういうことなのかを考えると、本をメディアとして活用している店というのは、かなり稀であることに改めて気づきました。

本の情報を軸とした地域メディアというものは、どのような姿が考えられるのでしょうか。

そのような問いかけをホームページのスタイルで試行錯誤してみることにしました。

 

 

 

そのための本の紹介方法としてこのホームページでは、郷土関連の他、17のテーマで300点以上の本を紹介していますが、既存の書誌データの要約では、なかなか伝えたいことが表現されていないので、出きる限り、このホームページの視点で紹介文を書きたいと思ってます。もちろん、すべてというわけにはなかなかいきません。

しかし、この作業をしてみると、制作側の版元が出している書肆情報ですら、必ずしも読者に売ること、伝えることを重視した表現にはなっていないことにも気づかされました。

 

ここで、改めてネットとリアルの関係を考えてみると、すでに多くの小売店は、消費者にとってはネット購入のための見本置き場になっている実情があります。

 

いづれは、どの業界でも、

「今までのニューヨーク・タイムズは『ウェブサイトをもつ新聞社』だった。今は違う。
ニューヨーク・タイムズは『新聞をもつウェブサイト』になった」

といったようになるのかもしれません。

 

しかし、未だに元気な小売店を見れば、決してネットの補完物ではない付加価値をきちんと提供していることがわかります。
もちろん、ネットとリアルの比率は時期によってどんどん変わっていくこととは思いますが、その役割分担の違いは、まだまだ当分続くはずです。

当店の場合は、リアル店舗の情報補完の役割としてネットを活用していく予定です。

 

 

 

そうしたことを考えていくと、リアル店舗を補完する役割というのが、店の営業案内やベストセラー紹介以外に、ネットならではの補完機能がたくさん見えてきました。

いくつかをあげてみると、

① リアルのお店では、なかなか置き続けられない本、棚回転の悪い本や
  高額本など紹介できる。

② 長い間に棚から消えがちな大切な定番商品を、紹介し続けることが
  でき、リアル店舗での復活仕入れにつなげることができる

③ POPなどで表現しきれないこと、従業員すべてが説明できないこと
  などが伝えられる。

④ リアルの棚では不可能な、商品の関連付けで情報を並べることができる

 

      等々です。

 

 

 

2、「学び続ける生涯」ページ
https://sho-rin.wixsite.com/sho-rin/about-1-c1rwa

 

書店にとって「独学」と「読書」は、極めて重要なキーワードです。

しかし、残念ながらこうしたテーマの本は、それほど拡充したところで、そう売れるものでもありません。ですが、そうした本こそ、お店のホームぺージで伝え続けていきたいものです。

 

 

当初、こちらは学習参考書のページとして始めたのですが、受験参考書の紹介だけとなると、あまりにも学習を狭くとらえすぎてしまうことになるので、次第に生涯学習に近い括りにあらためていきました。

すると、次第に本屋としては、学校の勉強以外の大切なことを強調する内容に変わっていくことになりました。

受験勉強は確かに大事ですが、

二度とない大事な青春時代です。あまり勉強ばかりしないで、スポーツに熱中したり、素敵な音楽を聞いたり、身を焦がすような恋をしたり、友達と遊んだり、季節の自然と触れ合う時間をたっぷりつくることをお勧めします。もし、間違って勉強もしたくなった時は、正林堂は北毛一の学習参考書の品揃えでお待ちしておりますw

 

さらに、一番いい勉強のやり方は

一番いい学習のやり方は、実際にやってみることです。(模擬でなく)実際の問題を解決するために努力することです。その過程で、一体何を学んだらいいかがわかります。非常にたくさんの人たちが、何年も大学や大学院で時間を使っています。サイエンスのビギナーになるために、まず全てを学ばなければならないと思うからですが、それは間違いです。実際の問題に挑戦すべきです。そうすれば、学ばなければならないことはそれほど多くないを気づくはずです。 

 

そして生きるということは、

死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力し続けることです。(瀬戸内寂聴)

といったことを訴え続けるのが、本屋の使命でもあると感じました。

 


その他の技術的なことがら

・ コストをかける意味はほとんどない

  検索技術が向上してきたことにより、独自ドメインを取得する意味はあまりなくなった気がします。広告表示も品のない広告でさえなければ、考え方次第でそれほど気にするほどでもないので、むしろ、無料でここまで出来ることを売りにした方が良いとさえ思えます。

・ SEO対策は深追いしない

  販売を至上課題とする大手サイトであれば、常に検索上位に位置することが必須の条件になるでしょうが、常に不特定の顧客を広くかき集めることが目的ではないサイトでは、コンテンツの充実にエネルギーを費やすことに集中しても、さして問題にはならないと考えます。

・ 表示速度は、回線スピードアップが勝手に解決してくれる

  画像データや余計な表示は、極力シンプルにしてサクサク見れるサイトにすることも、大事なことと言われますが、素人仕事のレベル出会っても、どんどん世の中の回線速度が上がって行くので、労力をそこに注ぎ込む意味はあまりないと考えます。

・ モバイル表示に対応するほどの、情報の絞り込みは難しい。
  アクセス情報だけなら、Google情報だけでも足りる。
  現在、書肆情報ページは、モバイル表示では見れなくしてます。

 

 

 

この度、このようにホームページを治す作業を始めたことで、リアル店舗も含めて今後の店づくりの方向をより明確にすることができました。

 

 

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無理が通れば道理も通る!

2018年10月07日 | 渋川の本屋「正林堂」

お店の棚の解体移動をはじめます。

こうした作業は、他の店などで何度か経験していることですが、業者に相談すれば、必ずやめた方がよいと言われます。

スチールの棚の場合、最初に店に設置する時点から、必ずしも水平でない床に現場あわせで様々な調整や無理を通しながら設置されている場合が多く、一度ネジを外すと、再度別の場所で組み立てようと思ってもネジが入らないこと、あるいはすでにネジを外すことさえ出来ないことが少なくないからです。

当然、プロとして商品を納める側としては、解体後の品質は保証できないのです。

でも、私はそう言われながら、過去に何度もこういった作業をしています。

ネジの頭がつぶれていても、なんとか強引に外す。

再組み立ての穴が合わないなどというのは、問題のうちに入りません。

おそらく、もう一度その棚を解体するなどというのは、閉店のときくらいだろうから、どんな無理をしてでも強引に「ねじ込む」

まさに「無理が通れば道理も通る!」の力ワザの世界です。

道理なんてなにも引っ込ませる必要ありません(笑)

仕上がりの綺麗さは、あとからどうにでも隠したり塗ったり調整ができます。

そんな作業をこれから1ヶ月くらいの間に行います。

しばらく、店内がガタガタして、商品の配置も少し変わるところがありますが、

皆さま、どうかご容赦ください。

 

 

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紙の辞書も必要ですか?(2017年版)

2017年03月30日 | 渋川の本屋「正林堂」
 高校では既に9割以上が電子辞書の時代になりましたが、毎年のことながら、「紙の辞書はなくても大丈夫なのか」、「両方持っていた方が良いのか」、様々な問い合わせをいただきます。
 電子辞書の普及度は年々、状況が変わりますが、今年は以下のようにインフォメーションさせていただくことにしました。
 
 
Q&A 紙の辞書も必要ですか?


A1、くらいなら両方持たれることをおすすめします。

   
紙の辞書は、電子辞書に比べて故障や電池切れなどの心配がないばかりか、
  10年、20年たっても使える「タフで頼もしい」決して損することのないものです。
   それだけでなく、捨てがたい紙そのものの質感も大きな魅力です。

A2、かといって予算は出来るだけおさえたい多くの人,
   電子辞書だけでも大丈夫

   すでに世の中はデジタルの時代です。
   かつて紙の辞書にこだわっていた先生でも、電子辞書を否定する先生はなくなりました。
   電子辞書のみで、紙の辞書を持っていなくても心配はいりません。
   受験などの学習効率、とりわけ英語学習では圧倒的に電子辞書が有利です。

A3、学校としてよりも担当の先生ごとに考えは違います。
  担当の先生がきまってから,購入しても遅くはありません

   K高校のある先生は、生徒ができるだけ違う辞書を持っていたほうが
   授業が面白くなるといいます。
   またT高校のある先生は、『新明解国語辞典』の魅力を
   とことん引き出す授業をしてくれます。
 
   こちらにおかれている辞書はどれも実績のある間違いのない辞書ですが、
   どんな先生につくかがわかってから購入されても遅くはありません。
 
 
 
 
 
といった表現でこれまでずっとお店では案内させていただいてきたのですが、
実は、この3番目のことが年を経るほどにひと際大事なことだと思われてきました。
 
繰り返される電子辞書の議論も、すでに実績と機能から言えば、紙の辞書では太刀打ちできないほどの差がついて勝負はあったかのように見えます。
 
ところがその議論のなかには、辞書を引いて調べることの面白さ、学び身に付けるべきことの大事なことがすっぽり抜け落ちているように思えてなりません。
 
それをまさに、
K高校のある先生の、生徒ができるだけ違う辞書を持っていたほうが授業が面白くなるという例や、T高校のある先生のように、『新明解国語辞典』の魅力をとことん引き出す授業をしてくれる例のなかにあらわれています。

ネット社会、いつでもどこでも調べれば何でもわかるような時代ですが、 調べて比べることの面白さや、一つの解説表現の奥の深さは、先のK高校やT高校の先生の授業を体験してこそ学べるものです。
 
どんなに優れた辞書であってもネット情報であっても、その使い方、活用方法をしっかりと学び体験しないと、その場で出くわした疑問の答えを、目にした説明だけで、あたかもすべて諒解したかの誤解をしてしまうような姿が想像されます。
 
要は紙の辞書であれ電子辞書であれ、先生がその活用方法を十分熟知し、その先にはメディアリテラシーを身につけるようなことが、ひと際重要な時代になってきています。
 
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この本のすばらしさを伝えたい 飯塚祥則『えがおの花』 

2015年07月12日 | 渋川の本屋「正林堂」

 先日お店に行くと、本を出したので店においてほしいとの問い合わせがあったとのメモが机にありました。

 地元の自費出版物は、できるだけ店におかせていただきたいといつも思うのですが、編集者の手を経ていない出版物は、多くの場合、本の制作方法が伝わる表現、売れる仕様になっていないものです。

 そうしたことから、お店に置くにもただ置いておくわけにはいかないので、売るための準備として、著者に本の内容や魅力の再確認をして、必要な帯をつけたりPOPなどのキャッチコピーを考えたりするさまざまな段取りのあることを、ひとつひとつ説明しなければならない場合が多いものです。

 今回もそのようなことになることを覚悟して、メモにあった連絡先に電話をしてみると、電話に出たのはなんと前に『田中の家に犬が来る』の本を売らせてもらった飯塚先生でした。

 今回の本は、『えがおの花』。子どものありのままの姿が伝わる文集第2弾です。
 電話をすると早速、飯塚先生が店に届けてくれました。

 届けていただた本をめくると、なんと全部の文章がすばらしい!

 普通は、これだけ多くの作文が掲載されると、作品の出来の善し悪しだけではなく、読む側の器の問題などもあり、すべてが読者のこころにフィットするなどということは、滅多にあるものではありません。

 ところが、この子どもたちの文章は、ひとつひとつすべてがとても素晴らしいのです。

 ちょっと想像のつかないこのことを、いったいどのようにしたら伝えられるでしょうか。

 通常は、印象強い作品を抜粋するところですが、すべてがすばらしいので、冒頭の2作品をここに紹介させていただきます。


本当はね                  2年 ◯◯さく来

おとうさんが、会しゃから
「今日の夕ごはんなあに。」
と、でんわをかけてきた。わたしは、
「ステーキ。」
と、こたえた。おとうさんはよろこんで、早く帰るねっていっていた。
だけどね、本当はね、しゃけなのよ。 

(飯塚先生のコメント)
おかしい!「ステーキ。」と聞いて、早く帰るお父さんの顔がうかんでくるよ。そして、しゃけを見たときの顔も・・・
 やったね、さく来ちゃん! 



 

学校で遊べるところ             4年 ◯◯周平

 今日は、階段。
 東階段は、足ですべれる。中央階段は、こしですべれる。西階段は、中央階段と同じ。
 会議室では、机にローラーがついたので走って、すーとのっかりながら遊ぶ。家庭教室は、しょうがいぶつがいっぱいあるから、かくれるところがいっぱいある。四年二組には、ホワイトボードがあるから、らくがきができる。トイレそうじでは、水をまいて、水ホッケーをしていた。
 ちなみに、スティックの代わりは、フリードライヤーと、デッキブラシだ。
 このように、どこのそうじでも遊ぶ物があるのだ。

(飯塚先生のコメント)
「おもしろい!遊びの天才だな。足ですべり、こしですべり、ローラーで遊び、家庭科室でかくれんぼをし、らくがきもでき、トイレで水ホッケーをし、どこのそうじでも遊べるなんて・・・。5年生になってもいっぱいやって、いっぱいおこられな。楽しみ!!

 

 この2作品と先生のコメントの返し方を見ただけでも、これまでの作文の世界とは何かが違うとみなさん感じられるのではないでしょうか。

 前回の本『田中の家に犬がくる』のとき、店で勝手につけさせていただいた本の帯には、

子どもの言葉を「受け止める」
  新しい作文の発見! 

と書きました。

「子どもの言葉を受け止める作文」というスタイルが前作以上に、今回の本では見事に表現されているように思えたのですが、振り返ると、前作の本の「あとがき」に飯塚先生は次のように書かれています。


「私が作文の指導法を大きく変えたことによって、現在の子どもたちは、以前の私には想像もできないほどの表現意欲に支えられ、教師が手を加えない「自然でありのままの表現」が可能となりました。
その中で子どもたちは、受け止めてもらえる安心感と分かってもらえる満足感が膨らんでいき、作文を書くための豊かな土壌となっていくのだと私は考えています。」

なんだ、すべてここにポイントは書かれているではないですか。

でも、先生のこの意図しているところが、今回の本では、より完璧に伝わってくる内容になっているのです。

そのためには、飯塚先生の「受け止める作文」の「受け止める」ということの意味を、もう少し掘り下げてみたいと思います。

 

 親や教師が子どもの言葉を真剣に受け止めてやることが、とても大事であることは誰もがわかると思います。ところが、多くの親や教師は、「受け止め」てやりたい気持ちは持っていながらも、得てして目の前の子どもに対しては、受け止める前に「ジャッジ」や「指導」をしてしまうものです。

「聞いてあげるよ」といって呼び寄せていながら、その先の行為が「聞く」ではなく「ジャッジ」や「指導」になってしまうのです。

 子どもの側からすると、「聞いてもらう」ために話すのではなく「ジャッジ」されるために「話す」「書く」ということになってしまっているのです。

 この違いが、熱心な教師や親ほど、なかなかわからない傾向があります。

 その理由のひとつは、子どもが投げかける言葉、表現が、親や教師の側にとっては、はじめから明らかに「受け入れがたい」ものであったり「間違った」ものに見えることが多いからです。

 
 普通の教師や親は、「間違った」ものや「受け入れがたい」ものを「ただす」ことこそが教育であると考えがちです。

 でも、飯塚先生のスタンスは違います。

 

 子ども達が一生懸命なげたボールは、たとえどんなに「間違った」ものであっても、「受け入れがたい」ものであっても、まず無条件に受け止めることが何よりも大事であると飯塚先生は考えているのです。

 子どもが親や教師にボールを投げると、大抵の場合は子どもの未熟さゆえに、ストライクゾーンからは大きく外れたり、指示したところとは違う場所に投げたり、サインとは違った球種を投げたり、どこで拾ったのか臭くて受け取るのも嫌な球を投げてきたりするものです。

 多くの教師や親は、その都度、
 そっちに投げてはいけない、
 今のはサインとは違う球だ、
 そんな方になげたら受け取れるわけがないではないか、
 などと子どもに諭してしまいます。

 投げる子どもに対しては、キャッチャーとして座ってミットを構えていることで「受け止める」仕事をしていると思ってしまっているのです。

 ところが飯塚先生の場合は、どんなに外れたボールでも、ルールにない投げ方をしても、受けるのは嫌なとんでもなく臭い球でも、まず必死になってキャッチしてあげるのです。

 投げ方がどうの、サインと違う、ルールと違うなどとは一切言わずに、まずどんなボールでもしっかりと受け止めることができるのです。

 ここでまた多くの教師や親は、そんなこと言っても、あんなところに投げた球、誰だってとれるわけないではないか、と言います。

 それでも飯塚先生は、そんな球でも必死になって飛びついていって受け止めます。

 なぜそれが出来るのかと考えると、飯塚先生は、子どもが一生懸命になげたボールがどんなものであっても、それが面白くてしょうがないものに見えるからです。

「そんな投げ方があったのか、面白いねえ。」

「そんな球があったのか、驚きだねえ。」

 

 残念ながら、はじめから正しいかどうかをジャッジする立場で構えている人には、飯塚先生のように子どもの投げたその「ボールの面白さ」は見えません。

 

 また、子どもの側からすると、どんな球を投げてもしっかりと受け止めてもらえる信頼があるからこそ、腕を思い切りふってワンバンドになるようなフォークボールでも投げることが出来るのです(フォークボールを投げられる子どもはなかなかいないと思いますが、要はそういうことです)。キャッチャーが後ろにそらしてしまう不安があったら、絶対に三振をとれるようなフォークは投げられません。

 こうしてどんな球でも受け止めてもらえる信頼が生まれると、投げる側はどんどん思い切り力を出し切った球を投げられるようになるのです。

 親や教師の立場で子どもをみる前に、
まず6歳の子どもはその時点で完璧な6歳の人格をもった存在であり、
10歳の子どもは10歳として完璧な人間であることを忘れてはなりません。

これは教育では何よりも大事なことであり、教育だけではなく世の中のコミュニケーションでも、とても大事なことであることに変わりがないと思います。

「受け止める」こと「聞いてあげる」ことが大事であると多くの人が言っていながら、なかなか相手との距離が縮まらない一番の理由はこの辺にあるのではないでしょうか。

 

 多くの場合、世の中では「答え」を出すことこそが大事なのだと思ってしまいます。

 でも、ものごとがうまくいくかどうかの現実をみると、世の中が「正しい」答えによってまわっているとは限らないこと、むしろ「正しい」答えがどうのこうのよりも大事なさまざまなことによって支えられている場合が多いことに気づきます。

 日本でも遅ればせながら、暗記詰め込み型の大学受験のための特殊技能教育の弊害が反省されて、センター試験のシステムも変わろうとしています。

 しかしながら、多くの教育現場で教師や親の考え方は、そう簡単には変えられない現実があります。

 それだけにこの飯塚先生のような教育スタイルが、飯塚先生の特別な資質によるものではなく、多くの教育現場で本来必要とされている基本的なものとして受け入れられることが何よりも望まれます。

 そして2人目、3人目の飯塚先生が教育現場であらわれてくれることを願わずにはいられません。またいずれ遠くはない時期に、こうした考え方があたりまえの社会になることを願ってます。

 

 飯塚先生の『えがおの花』という本は、こうした「正しい」「間違っている」の判断以前に、ひとりひとりの、ひとつひとつの固有の姿、固有のエネルギーに驚き、共感し、感動することが、コミュニケーションの出発点として何よりも大事であることを気づかせてくれる、とてもすばらしい本であると思います。 

 

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紙の辞書も必要ですか?(2013年版)

2014年03月27日 | 渋川の本屋「正林堂」
(これは、昨年書いた記事です。
入学シーズンになり、年々状況が変わるのでまた新しい視点で書かなければなりません)
 
 
今年のお店の学習参考書コーナーは、紙の辞書だけではなく電子辞書の出足も悪く、束ノートも勢いがまったくありません。
入学式以降に出遅れた分が動き出すことを願うばかりです。

そんな日が続くなか、久しぶりに辞典コーナーの前でじっくり商品を選んでいる母子に出会いました。
電子辞書を買っていただいたお客さんなのですが、何か紙の辞書の前で迷っているらく、しきりに店の人に聞いてみたらと
お母さんが娘を促しているような感じが伝わってくる。
(そんな時、すぐには声をかけず、娘さん自身が自分で聞きだすかどうか一呼吸置いてからこちらから声をかける。試験の答えを書けることよりも、問題にぶつかった時に自分で回りに聞けるかどうかこそが社会に出て大事なことだから)
その流れはどうだったかは、わからないけれど、何かを聞きたい様子ははっきり見えたので、レジから声をかけてみました。

するとどうやら電子辞書の他に、紙の辞書も買うべきかどうか迷っていたらしい。
そのお客さんとのやり取り、自分で話しながら昨年までの自分の説明の仕方とはだいぶ違ってきていることに気づいたので、ここにあらためて振り返ってみます。

まず、電子辞書の他に紙の辞書も買ったほうがよいのですか?という問いに対して、
昨年までなら、まだ「迷うくらいならば」紙の辞書も持っていたほうが良いと答えていました。

ところが、どうも昨年あたりから学校で紙の推薦辞書のリストも出さないところも出だしてきました。
進学校であれば電子辞書とともに、紙の辞書を買うのならお勧めはこれだとリストを出していたものですが、
次第にそれもなくなってきています。

先生方の間で、電子辞書に対しては未だに賛否両論ありますが、大勢は進学校ほど電子辞書の利便性を誰もが否定できない実態にあります。でも紙のページをめくってこそ、とか一部の試験には電子辞書持込は禁止でも紙の辞書なら持込可などといった例がまだあるので、紙の辞書も使い慣れておくべくだとかの理由もいくつかありました。

そのような説明で、電子辞書を使うけど、保険のように紙の辞書も買っておこうという流れが、昨年まではまだありました。

その時、電子辞書にはジーニアス英和が入っているので、どうせ紙の辞書を使うのなら別の辞書を持っていたほうが良いと、
ウィズダム英和やアドバンストフェイバリット英和などを薦めたりしていました。
でも、あまりにもジーニアス英和辞典の市場シェアが高いので、現実に他の英和辞典を使うのはかなり勇気のいることです。
以前、いろいろ迷ってある辞書を購入したのに、みんなが持っているものと違うというだけで不安になって交換に来たお客さんもいました。ちょっと残念でしたが、商品を選ぶ理由は様々なのでそれも仕方がないことです。
 ただ、日本中の商品市場がそんな流れに支配されてしまっているのは、とても寂しいものです。

 それは、必ずしも多数派に流れてしまう心理が悪いのではなく、多数の選ぶもの以上に自分の選択したものに魅力を感じられないこと、マイナーな市場側の売り手が、メジャー商品に対抗できる独自の魅力を伝えられないことにあるのでしょう。
 
 基礎の勉強をしっかりやるのならばベネッセの『Eゲイト英和辞典』や『全訳古語辞典』などは、とても良い辞典です。

総じて商品を選択する具体的な理由が、売る側、買う側双方に不足していることが多いのです。

そこで当店ではいつも、もし迷っているのならばこれがお勧めですと、たくさんあるリストの中から
その学校で進学を考えるのならばコレ。進学を予定していないのならばコレと
学校の推薦リストのなかからあえてお薦めを1点絞って表示していました。

昨年までであれば、それでそこそこの紙の辞書が電子辞書とともに売れていたのです。

ところが!
今年は紙の辞書コーナーは、ほとんど見向きもされないというのが実態なのです。
念のための保険代わりに紙の辞書も買っておこうといった昨年までの1割くらいのお客さんが、今年はほとんど現れないのです。

紙の辞書のお客さんがほとんど来ないので、もう迷うこともないのですが、それだけに
もしお客さんから「紙の辞書も必要ですか?」と聞かれたならば、どう答えるか、
かえって今まで以上に大事な問題になっています。

現実には、どんなに紙の辞書に独自の優れた面があっても、担当の先生がその魅力や活用法を伝える機会がなければ、
せっかく紙の辞書を買っても宝の持ち腐れになることは明らかであるからです。

そこで私は、今年からこう答えることにしました。

「紙の辞書もあったほうが良いけれど、それは教科の先生が決まってから買っても遅くはありません」と。

ある高校には、『新明解国語辞典』(三省堂)の大ファンの先生がいて、その先生が一言いうと生徒たちがどっとお店に『新明解国語辞典』を買いに来ることがあります。
たしかに読んでも面白い個性派の『新明解国語辞典』は、すばらしい辞典ですが、おそらく、その先生との出会いがなければ、買っただけでその魅力に気づくことはなかなかないものと思います。

他方、別の高校のある素晴らしい先生は、生徒たちが出来るだけ違う辞典を持っていたほうが授業は面白くなる、と言っていました。

つまり、先生方の魅力的な授業プランがあってこそ、それぞれの辞典は活きてくるのです。
そうした個々の授業プラン抜きに、電子辞書の他に紙の辞書も持っていた方が良いですよとは無条件には言えない時代になりました。

電子辞書と紙の辞書、どちらが良いかの問いに、現実はもう圧倒的に受験勉強を考えるならば電子辞書の方が便利と結論を出していますが、世間はそうでも、紙の辞書の方がこんなに優れていると頑固に魅力を伝える先生もあってしかるべきです。

みんなが使っているから、だけではなく、ほんとのところはどれが良いのか、おおいに悩んで選択して欲しいものです。
そのためのお手伝いが出来るように私たちももっと勉強しなければなりません。

ひと昔前と違って市場に出回っているもので、この辞典ではダメだなどというレベルのものはほとんどありません。
それだけに買うからには、より納得して満足できるものを自信を持って買ってもらいたいものです。

絵がきれいだから、文字が見やすいから、信頼できる先輩が薦めていたから、などなど。
どれも選ぶための立派な理由です。

「どれがいいかわからない」
まさに、その「わからない」こそが、学ぶことの肝心な第一歩であることを忘れないでいただきたいものです。

そのためのお手伝いが出来るかどうかこそが、景気の良し悪しに文句を言うよりも大事な本屋の仕事だということを肝に銘じなければなりません。

 
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根性のある夕立

2008年07月27日 | 渋川の本屋「正林堂」
一昨日の夕方、落雷の音がにわかに近づいてきたので、
用心のためお店のパソコンの電源を落とすなどの作業をしていたのですが、
PCではなくモデムがとんでしまった。

モデムの電源を抜いて再起動してもなんのランプもつかない。
yahooBBのカスタマーサービスを調べようと思ってもネットは開かない。

104で番号を聞いて翌10時まで待って(こうした業種が24時間サービスでないのは問題)
テクニカルサービスで対応してもらったら、やはりモデムの交換。
今日か明日届くまで、本の検索もネット注文もできない。

トホホ。

久しぶりに元気のいい夕立で誉めてやろうかと思っていたのに、
こんなことになるとは。




気がつけば最近の夕立はどうも根性が足りないない気がする。
ザアッと降ってスカッと晴れて
虹が出るような夕立は滅多に見ない。
どうも夜中まで、タラタラ降り続けることが多く
気温も湿度もなかなか下がらない。

昔の夕立はもっと根性があったぜ。

そういえば今となっては楽しい想い出だが、今のお店を改装する前は、
大雨が降るたびに床上浸水をしていました。

敷地が傾斜地になっており、集中的な雨になると建物の基礎を乗り越えて店内に雨が流れ込んでしまう。
排水路の溝を変えたり、雨樋を移し替えたりいろいろやってみたのだけど、専門家に頼まず私のバカな努力を重ねるだけで、なんら解決しないまま、大雨が降るたびにチリトリで水をかい出す作業をしていました。

お客さんの少ない店とはいえ、ほんとにバカなことをしていたもんだ。

とりわけ雨量が多く水位があがった日には、
よくお客さんと一緒に店内で泳いで遊んだものです。




ウソです。

でも、雨が降っても浸水しない店なんて
なんかつまらない。

私は根性のある雨のほうが好きだ。

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野良ネコ捕獲機の二次災害

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
私のつくっているサイトのなかで、
日航機事故のページとともに、古くから人気のページに

「野良ネコ捕獲機お貸しします」
http://www18.ocn.ne.jp/~shorin/page083.html

があります。

これは、キーワードが「ネコ」というヒットワードであることと
野良ネコの被害で困っているひとが実際に
かなりたくさんいることにより、
アクセスが多くなっているようです。

多くの人にみてもらえることはうれしいのですが、
現実に困っているひとからくるたくさんのメールに
時々悩まされることがあります。

どこの誰かもわからない、まったく名乗りもしない人から
詳しい捕獲機の作り方や部分説明を度々求められるのです。

同じ被害者としても気持ちはわからなくもないが、
なんかメールを送って教えてもらえば
簡単に出来るような安直な発想と
どこの誰であるかも名乗らず
質問メールを出せば自動的に返信が帰ってくるような発想が
どうも納得しがたい面があって、
最近は、ペンネームでも名乗りもしない問い合わせには
スパムメールか悪質な悪戯の可能性ありと勝手に判断して、
相手によっては返事を出さないことがあります。

最近そんな対応方法をしばらく悩んでいましたが、
今度パターン化した返信を送ってあげることにしました。



野良ネコ捕獲機についてメールいただきました。

詳細についていくつかのお問い合わせですが、
野良ネコは、十分学習能力や知恵も兼ね備えた
とても高等な動物です。
そうした生物に対抗することは、
安易なマニュアル発想の対応のみで
太刀打ちできる問題では決してありません。

私は、優秀な野良ネコとの長い闘いを経て
彼らの知能、生き抜く知恵と努力を敵ながら
深く尊敬すらしております。
その意味で、捕獲機を作るということは
その時々に皆さんの手に入る材料の材質、
その場の環境によって様々な工夫を要するものと思います。

私のホームページ写真ではわかりにくい面も
多々あるかとは思いますが、
想像力を働かせて自ら工夫を重ねることなく
安易に答えを求めても
必死で生きている彼らに勝つことは、
およそ不可能であるかと思います。

まずいくつかの捕獲機を作ってみたうえで
考えるレベルでなければ、
闘う前から「野良ネコ」の生命力には
すでに負けているともいえます。


不明な点は、自ら想像力を働かせ、
入手可能な材料に工夫を重ね、
敵(野良ネコ)に敬意を払って
真剣に闘いに挑まれることを望みます。

よって、
ここでは○○さんの健闘を祈ることで
私の返信とかえさせえていただきます。

以上。


こりゃ、知らない相手にはちょっとぶしつけかな?




    正林堂店長の雑記帖 2007/3/2(金)より転載
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「木を植えた男」フェアパネルの裏

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」

以前、このフェアのパネルができたことだけお伝えしましたが、
昨夜、商品の入れ替えが終わり、本日から正式にスタートしました。

さあ、パネルを飾ろうとしたとき、実はこのパネル、以前別の催事で使ったものの裏を使用しているため、その裏面をどうやって隠そうかということになった。
それでちょうど、最近、感動したマザーテレサの言葉を拡大コピーして貼ってみた。
内容的には「木を植える」行為と同じ
人のこころに木を植えるような文なので
こじつけでもそう悪くはない。




人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さが、
あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、
壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、
恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
けり返されるかも知れません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。



         マザー・テレサの言葉




    正林堂店長の雑記帖 2007/5/6(日) より転載
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本のプレゼント

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
休日など売り上げが低い日に、このままではちょっとマズイと心配していると
けっこう天使が舞い降りてきてくれてなんとか追いつくことが多い。

うちにとってのそんなときの天使とは、
限られた常連さんのことです。

常連さんといっても、こういう売り上げのピンチを救ってくれるような
ヘビーユーザーのお客さんは、
月に一回来てくれるかどうかの人たちで、
なんとなくうまい具合に休日に入れ替わり立ち代り来てくれるものだ。

昨日のゴールデンウィークの最終日も、昼過ぎの時点でちょっと今日はヤバイぞと思っていたら、
学校で読み聞かせなどのボランティアで活発に活動されているお客さんが
同じ本を何冊も、プレゼント用といって買っていってくれた。

ひとりで店番などをしているときに、何冊もの贈り物包装などが入るとちょっと冷や汗ものですが、
幸い私は小学校5年の頃から中学までホーソー部にいたので、
比較的この対応には自信がある。(通じないかな?)

昨日のお客さんは、ちょっと前に話題になった「ハチドリのひとしずく」(光文社)をまとめて買ってくれて、ひとつずつ包装してくださいとのことだった。
確かにこれはプレゼントには最適な本。
もうそろそろブームも去ったので、少し在庫量を減らそうかと思っていた矢先だったので良かった。

最近の本では『病気にならない生き方』(サンマーク出版)が、人にあげたいといって同じ人が何冊も買う例がとても多かったが、その後では五木寛之の『林住期』もプレゼントによく使われる。

こういった本を人にあげるようなお客さんの多くは、かなりの読書家であることが多く、
店内滞在時間もだいたい1時間くらいはじっくり棚を見ていってくれる。
私は、この棚をじっくり見てくれるお客さんが一番うれしい。
常連さんのなかには、大量に注文してくれるけど、店の棚はまったく見ず
カウンターで用をすましてまっすぐ帰っていってしまうお客さんもいて、
店の回転が良いことはありがたいのだけど、個人的にはあまりうれしくない。
先の「ハチドリのひとしずく」を買ってくれたお客さんは
前橋に最近出来たけやきウォーク内の紀伊国屋書店にけっこう入り浸っているのが
当店のスパイによって目撃されているが、
幸い娘さんが高校に入ったことで、学習参考書の購入目的もあるため
うちのような小さい店にも来てくれている。

で、そうしたお客さんに共通している大事なことは、
良い本であれば誰にもすすめたいという買い方ではなく
この本はあのひとにあげたいというひとりひとりのイメージができているということで、
日ごろそういったおつきあいをしている方だというのがよくわかる。

正林堂のホームページの
「とっておきのプレゼント」
http://www18.ocn.ne.jp/~shorin/page135.html
にも書いたけど、プレゼントで大事なのは、ただ良いものをあげるというより
あの人が喜んでくれるようなもの、というのが一番大事なこと。
もちろん、それは相手を知らなければできない面倒なことなのですが、
この「相手を知る」ことこそ、
私はあなたのことをこれだけ見てます、思ってますよという
プレゼントの核心部分なのですが、自分でそれをやるのはほんと大変なことで
しかも時間のかかることです。
でも、ここに時間をかけることこそ楽しい作業であることを
ほんとはお客さんと共有したいのですが、
ひとりのお客さんの相手をそう長時間できることはないので
つい「さばいて」しまう。

でもやはり「この本はあのひとに」という見方こそ
本屋の仕事で一番必要な視点。
うちの自慢のパートは、これが私なんかよりずっとスゴイ。
もう少し見習わなくては・・・




    
   正林堂店長の雑記帖 2007/5/7(月)より転載
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赤城の梅じいちゃん

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
当店には、リュックを担いで定期的に本をまとめて買っていってくれる
お得意さんのおじいさんが二人いたが、
そのうちの一人、梅じいちゃんがとうとう体調を理由に
店に来れなくなってしまった。
といっても95歳。
今まで、はるばる来てくれていたのが不思議なくらい。

今日、その梅じいちゃんのところに頼まれていた本
(プレゼント用の本16冊)を届けに行ってきた。

約束の時間、ちゃんと待っていてくれたようで、
いつもは家に入って大声で呼んでもなかなか出てこないのに
今日は、車が着くや否や窓をあけて迎えてくれた。

二種類の本を各8冊、孫や知り合いに贈ってやるというのだが、どういう組み合わせでどう送りたいのか、電話の話では要領を得なかったので、直接聞いたほうが早いと思い訪ねてきたのでもある。
ところが、直接会ってもなかなかどうして欲しいのか良くわからない。痺れを切らしてこっちから勝手にこうするのか?と作業をして見せようとしたら、ちゃんと事前に用意した組み合わせと宛名の書いた封筒を出してくれた。
オイオイ!

そのうちの1冊は、
松原泰道の『九十九歳。今日をもっと工夫して生きる』

梅じいちゃんいわく。
「俺95歳だけど、若いものにいろいろ言うと嫌がられることがあるんだよ。でも、こういう人が言ってるのを読めば納得してくれることもあるんだ。まあ、どう取られるかはわかんねえけど、こうするんだよ。」
そう言って人にあげる本をせっせと買ってくれる。

梅じいちゃんがあげるのは本だけじゃない。

「俺は本読んでもちっとも身につかないんだけど、一歩でも、半歩でも行動にすぐ移そうと思ってな。読んだこと、こうして書いておくんだよ。そしてどんどん人にやるんだよ。」

そう言っていつも見せるのは、
お世辞にも上手いとはいえない筆字で仏教の言葉などを、
これまた下手な絵とともに色紙、短冊やただの色紙などに書き、
それを孫が送ってくれたというダンボールに貼り、
不器用に取り付けた紐で吊るせるようにしたものを大量に作っている。

「こんな下手なもの誰も喜んで受け取っちゃくれなかんべけど、
暇つぶしにいいんだよ。」

95歳の梅じいちゃん、
繰り返し、繰り返し言う、
「一歩でも半歩でも行動しねえとだめなんだよ。」

不覚にも涙が出てきてしまい
それを見られてしまったのか、
さらに家の奥からダンボール板に書いたものを、
次々に引っ張り出してくる。

太陽のおかげ
空気のおかげ
水のおかげ
地球のおかげ
国家のおかげ
社会のおかげ
先祖のおかげ
父母のおかげ
師のおかげ
衣食住のおかげ

「そんで、これは叙勲の祝いのときに皆に配ったもんだ。
これみんなあんたにあげる。持ってきな。」
と言って、俺達みたいな何もあげられない金の無えモンは、
この無財の七施ってのがあるんだよ、と

一、和顔施 相手の人に笑顔で接する
二、慈眼施 いつくしみの目でみつめる
三、心慮施 相手の喜びや悲しみをわかちあう
四、捨身施 身をもって人に親切にすること
五、愛語施 温かい言葉で語りかけること
六、房舎施 公共の場所を掃除する
七、床座施 乗物や其の他の所で席を譲る

のコピーもくれた。

ほんと、参った。

梅じいちゃん
月曜に郵便出したらまた来るから。




    正林堂店長の雑記帖 2007/6/23(土) より転載
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梅じいちゃん ふたたび

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
先日、プレゼント用で発送を依頼された送料だけを集金に
梅じいちゃんのところにまた行ってきました。

午前中に訪問という約束はしていたのですが、はじめの訪問時は
いくら呼んでも誰も出て来ませんでした。
1時間ほど高校などの用事を済ませてから再び赤城方面に上っていくと、
こんどはちゃんと居間で待っていてくれました。
前回訪問時は二階にいてわからなかったとのこと。

見ると居間のテーブルに座って、
色紙にまたいろいろな文字を書いているところでした。

「これはあんたにあげようと思って二つ用意しておいたもんだ。
どっちか気に入った方を持っていきな」
と、見せてくれたのは
「水」というタイトルの壁掛け札

「良い家庭づくりには
一人が水になることです。
世の中でも相手の一人が
水になれば
争いにはならない。」

壁にかけて目立ちそうな青地のほうの札をもらってきました。

また孫やら曾孫の話などを聞いて
往復時間含めて二時間半ほどのお仕事。
価値あるおつきあいだけど、内部で説明して理解してもらえるようなものではない。
価値を感じる自分のなかだけでやりくりしてする仕事です。



最近、誰のブログだったかツイてる梵天さんあたりが書いていそうなことですが、
梵天さんではなかった誰か意外な方が書いていた印象のあることで、
確かな記憶でないので、少しアレンジした表現ですが
次のようないい話を知りました。



「辛い」という字をよく見るとわかるのだけど、
些細なことでいいから、そこに一本、筋を通すだけで
幸せの「幸」という字になるんだよ。



これは今度、梅じいちゃんに教えてあげよう。





   正林堂店長の雑記帖 2007/7/6(金) より転載
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妻をめとらば才たけて♪

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
ある年配のお客さんから土井晩翠の詩集は手に入らないかとの注文を受けました。
本来、定番の岩波文庫の注文というところでしょうが、岩波文庫版は品切れでした。
検索したところ、新学社の近代浪漫派文庫というシリーズで、上田敏といっしょに1冊にまとまっているものがあり、それを取り寄せました。

入荷後、お客さんに渡すとき、
ふと、「妻をめとらば才たけて~」の歌は土井晩翠でしたっけ?
などと思いつくままにバカな質問をしてしまった。
すると、お客さんも考え込んで
島崎藤村じゃなかったか?などと自信なげに応えてくれた。

私は東京にいたころ勤めていた職場の付属図書館のひとが飲むとよくこの歌を歌っており、
なんとなく土井晩翠だったような記憶が残っていた。

危うく、強い口調で土井晩翠に間違いないですよ、などと言いそうになったが、
検索かけてみたら二人ともハズレ!


与謝野鉄幹でした。

まったく、毎度のことながらいい加減なもんで
レジにいた皆であきれていました。



1 妻をめとらば 才たけて
  みめ美わしく 情けあり
  友を選ばば 書を読みて
  六分の侠気 四分の熱

2 我にダンテの 奇才なく
  バイロン、ハイネの 熱なきも
  石を抱いて 世にうたう
  芭蕉のさびを よろこばじ

3 わが歌声の 高ければ
  酒に狂うと 人のいう
  われに過ぎたる のぞみをば
  君ならではと 誰か知る

4 げに青春の燃えわかぬ
  もつれてとけぬ 悩みかな
  君が無言の ほほえみは
  見果てぬ夢の 名残かな

5 ああ青春の いまがゆく
  暮るるに早き 春の日の
  宴のもりの はなむしろ
  足音もなき ときの舞

作詞 与謝野鉄幹 作曲者不詳


昔の学生が、書生気質にあこがれて
オレは何番まで歌えるなどと自慢してよく口にした詩ですが、
当世の書生気質には、まったく縁のない世界。

この詩、まだまだ先がある。
学生時代、先輩は全部暗誦してた。

「書生気質」確かに死語だけど、
この詩の世界は永遠に受け継がれたい。


6. 見よ西北にバルカンの  
 それにも似たる国のさま  
 あやうからずや雲裂けて  
 天火ひとたび降らんとき

7. 妻子忘れて家を捨て 
 義のため恥を忍ぶとや  
 遠くのがれて腕を摩(ま)す  
 ガリバルディや今いかに

8. 玉をかざれる大官は 
 みな北道(ほくどう)の訛音(なまり)あり  
 慷慨(こうがい)よく飲む三南(さんなん)の  
 健児は散じて影もなし

9. 四度(しど)玄海の波を越え 
 韓(から)の都に来てみれば 
 秋の日かなし王城(おうじょう)や  
 昔に変る雲の色

10. あゝわれ如何にふところの 
 剣は鳴りをひそむとも 
 咽(むせ)ぶ涙を手に受けて 
 かなしき歌の無からめや

11. わが歌声の高ければ 
 酒に狂うと人のいう 
 われに過ぎたるのぞみをば 
 君ならではた誰か知る

12. あやまらずやは真ごころを 
 君が詩いたくあらわなる  
 無念なるかな燃ゆる血の  
 価(あたい)少なき末(すえ)の世や

13. おのずからなる天地(あめつち)を  
 恋うるなさけは洩(も)らすとも  
 人をののしり世をいかる 
 はげしき歌をひめよかし

14. 口をひらけば嫉(ねた)みあり 
 筆を握れば譏(そし)りあり  
 友を諌(いさ)めに泣かせても  
 猶(なお)ゆくべきや絞首台

15. おなじ憂(うれ)いの世に住めば  
 千里のそらも一つ家  
 己(おの)が袂(たもと)というなかれ 
 やがて二人の涙ぞや

16. はるばる寄せしますらおの  
 うれしき文(ふみ)を袖にして  
 きょう北漢(ほくかん)の山のうえ  
 駒立て見る日出(い)づる方



      正林堂店長の雑記帖 より転載
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お客さんとの会話への警告

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
最近、もともと多い高齢のお客さんとの会話に苦労することが多い。
少しばかり忙しいからといって、もっと心の余裕を持たなければならないのを感じる。
そんなときに出会った文章を以下に引用させていただきます。



話を聞いてくれと言うと
あなたは忠告を始める
私はそんなことを頼んでいない

話を聞いてくれというと
そんなふうに考えるものじゃないとあなたは言う
あなたは私の心を踏みにじる

話を聞いてくれというと
私の代わりに問題を解決してくれようとする
私が求めているのはそんなことではない

聞いてください!私が求めているのはそれだけだ
何も言わないでいい、何もしてくれなくていい
ただ私の話を聞くだけでいい

忠告など安いものだ
新聞を買うお金さえあれば
いろんな有名人が人生相談に答えている

それくらいは自分でできる
たしかに少し弱気になり、迷ってはいるが
それくらいなら自分でできる

だから、ただ私の話を聞いてください
そして、もしあなたが話したいのなら
自分の順番を待っていてください
そうしたら、私もあなたの話を聞きましょう

    グレン・V・エカレン著
        『豊かな人間関係を築く47のステップ』





    正林堂店長の雑記帖 2007/10/1(月) より転載

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みやま文庫の取扱い店になりました。

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
地元の本、郷土史関係の本を得意分野にしていながら、
長年ネックになっていたところがふたつありました。

ひとつは県の刊行物。
群馬百名山の地図や各種観光案内などで需要も多い売れる本があるのに、
なかなか書店で扱うことができない本がたくさんあります。

もうひとつは、県立図書館にその事務所がある「みやま文庫」です。
こちらは、会員制の本で、年4回の刊行。
群馬県の歴史、文化、産業などを紹介したすぐれた本を昔からたくさん出しています。


これまで、この「みやま文庫」はお客さんから問い合わせがあったとき、
これは会員配布のみの本なので、書店では扱えません。
県立図書館内の事務所に直接申し込んでくださいと案内してました。

ところが、
ちょっとしたきっかけで、「みやま文庫」の事務局の方とお会いすることができ、
このたび当店が、実験的にアンテナショップとして取り扱うことができるようになりました。

あくまでも「みやま文庫」は会員配布を前提にした本なので、
安易に一般販売をすることは難しく、その辺の説明がきちんとつく販売方式を考えなければということで、
入会の呼びかけをするアンテナショップとして、当店がなり、
まずは試しにスタートしてみてはどうかということになったのです。

会員だと1000円で買えるのですが、そのかわり1年間4冊、興味のない本も買わなければならない、
ということが多くの人にネックになっていたのですが、
それを会員以外の場合、1500円(高い?)でよければ、単品購入ができるというしくみ。

どんな分野の出版社でも、必ず売れるものと売れないものがある。
それを売れるものは、それにふさわしい場所に売れるだけおく、
というのが商売の原則。

なんでも一律均等、平等の発想から脱却した販売体制に近づく
大きな一歩を踏み出してもらえたような「超うれしい」お話しでした。

27日から店頭におきはじめたら、
早速、三人ほどのお客さんが買っていってくれました。

古書ではかなりの額になっているものも
まだ意外と在庫があり、入手できます。
「みやま文庫 在庫一覧」
http://www.library.pref.gunma.jp/kyoudo/index.html

どうぞみなさん、
じゃんじゃんお申込みください。




     正林堂店長の雑記帖 2007/11/30(金)より転載
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みやま文庫フェア

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
会員制を原則としている「みやま文庫」のアンテナ・ショップになったことは、
以前に書きましたが、
先週より、「他店では手に入らない群馬の本」フェアとして店内にコーナーをつくりました。

既に在庫が少なかったものは、売り切ってしまい
みやま文庫事務局在庫を売りつくしてしまったものもあります。

当店ですでに売り切ってしまったものは、以下の2点です。

・152 吾妻史帖
・127 群馬の郷土芸能(上)

特におすすめの主要リストを掲載いたします。

188 高山彦九郎
189 中島知久平と国政研究会(下)
182 富岡製糸場の歴史と文化
181 ぐんまの新聞
180 中島知久平と国政研究会(上)
179 群馬の峠
178 ぐんまの昭和史 (下)
177 八州廻りと上州の無宿・博徒
174 小栗上野介
170 ぐんまの昭和史 (上)
169 高崎史帖
167 群馬の古建築
163 上州と良寛
157 上州路語録
156 群馬の自然災害
154 北群馬渋川史帖
153 群馬の小正月ツクリモノ(下)
150 群馬のことば
148 上州人物異聞
146 群馬の小正月ツクリモノ(上)
141 群馬郡史帖
139 絵で見る近世の上州 (下)
137 絵で見る近世の上州 (上)
134 近世芝居小屋考・群馬県
133 群馬の郷土芸能(下)
130 群馬の古代史
120 群馬のなぞ
115 群馬の寺子屋

*4冊以上まとめてお買い上げのお客さまには、
十返舎一九『諸国道中金の草鞋 十三』をプレゼント!

この本は、十返舎一九の旅で伊香保、草津、中之条などに立ち寄った絵図が載ってます。

2月末頃まで実施してますので、
是非、ご来店下さい。



正林堂店長の雑記帖 2008/1/25(金) より転載
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