私の地元、みなかみ町で新しい「景観計画」の策定準備を始めている記事を見ました。
ユネスコエコパーク認定にともない、関連する条件整備は当然必要になってくることと思います。
ところが、この「景観計画」が今後の地域の将来に対してどれだけ重要なことであるのか、さらには、この計画に実効性を持たせることがどれだけ困難なことであるか、それらが公開されている資料(拝見したPDF資料自体はとても立派なものです)や議事録などからは、どうも十分討議されているようには見えませんでした。
担当職員が一生懸命作ってくれただけで、関係機関や住民との間の練り込みがされた痕跡があまり見られないのです。
パブリックコメントも募集していたようですが、知らずにすでに締め切りもすぎていたので、 この機会に思うところを少し書いてみたいと思います。
1、世界から大きく立ち遅れた日本の現状
まず「景観条例」に実効性を持たせることがいかに困難なことであるかは、日本一の国際観光都市であるはずの京都の実態から十分にうかがい知れます。
世界の無電柱化の実態は、ロンドン、パリ、ベルリン、香港、オークランドなどは100%地中化していて、アジアでもソウルとかマニラ、ジャカルタ、北京とかはすでに50%くらい無電柱化されていますが、東京はなんと7%というレベル。
だから当然、旗が振られてそれなりに頑張っているのですが、それでも遅々として進んでいるわけではないのが実情です。
それは、世界有数の観光都市である京都でさえ2%という水準に如実に表れています。
世界に誇る文化遺産を持ち、文字通り日本でトップクラスの国際観光地である京都でさえ、観光地としての「景観整備」、個別には、「看板規制」「電柱の地中化」「歴史建造物や町並みの保存」などは、ヨーロッパのみならずアジアを含めた国際比較をみても、恥ずかしいほどの水準にとどまっています。
ゴミが散乱しておらず、清潔なトイレやマナーの良さなどでは、世界トップ水準の国であるにもかかわらずです。
それでも京都には、個々の文化遺産に優れたものがたくさんあるので観光客はたくさん来てくれているのですが、諸外国の観光地の景観に比べたら、やはり雲泥のさがあると言わざるをえません。
さらに今では、無電柱化というと都市部市街地から進められるのが当たり前かのようになっていますが、ヨーロッパでは、市街地がほぼ完了したからという差もあるかもしれませんが、農村地帯であっても、電柱や看板などの広告物が景観を損ねないようにする対策は、電柱地中埋設に限らず様々な方法で実施されています。
日本のように道路があればそこに電柱を立てるのが当たり前なのと違って、ヨーロッパでは、都市部に限らず農村部であっても、できるだけ電柱が視界に入らない工夫がされています。
こうしたことはずっと指摘されていながらも日本を代表する観光都市京都では、未だに現状をなかなか変えることができない実情と原因をよく理解する必要があります。
しばしばこうしたヨーロッパなどの例を出すと、もともと歴史的建造物の多い国だからできていることだといったようなことを言われますが、ヨーロッパの都市の多くは戦争によって破壊された場所ばかりです。日本の都市が空襲で破壊されたのとなんら変わるところはありません。その多くは、戦後になって修復、再建されたものです。
条件が良い悪いの違いでは決してありません。
どこを目指しているかどうかの違いであると思います。
電柱地下埋設のことを中心に例をあげましたが、これも地域で話題にすると1キロ地下埋設するのに何億円かかると思ってるんだと言われます。だからほとんどは国や県から出る予算待ちの計画しかできない発想になりがちですが、だからこそ、これも地方「自治」の核心テーマになるわけです。
そこが見えていないと、どんなに立派な「景観条例」を作ってもそれに実効性を持たせることは到底できないのではないかと思えてなりません。
その上で、次に大きな壁となるのは、みなかみ町独自のの歴史的、地理的障害の問題です。
2、みなかみ町の独自障壁、課題
歴史的な独自課題
今の姿からは想像がつかないかもしれませんが、上越線が開通する以前の水上温泉は、湯原温泉と言われたひなびた温泉で、農閑期に近在の村から湯治客が訪れていた程度であったそうです。
それが、大正、昭和から始まった数々のダム建設や清水トンネル開削、それと同時期の水上駅の発展にともない旧水上町周辺は劇的に発展してきました。多くの温泉地が発展できたのもそうした背景があってこそのことです。
原田正純『ぐんまの鉄道』みやま文庫
上記みやま文庫では、「鉄道町 水上」の変容と題して、鉄道を中心に発達した水上の歴史を詳しく紹介しています。
主だった事項を以下に記します。
昭和16年時点での水上機関区の職員数は255名にものぼったとの記録があります。(家族を含めたら国鉄職員の占める比率がいかに高かったかがうかがい知れます)しかし徐々に鉄道拠点が水上機関区から高崎第二機関区や長岡運転所に移行して行き、水上機関区の機関車は昭和57年までには全てが廃車となりました。
それほどの歴史のある水上駅でしたが上越新幹線の駅は、上毛高原駅となり昭和57年に新潟までの区間開通となりました。
昭和30年代後半から40年代が水上温泉の最盛期で、観光客数は昭和61年の百七十万人がピークであったと言われます。
平成13年の観光パンフレットに28カ所あった水上温泉の宿泊施設は、同27年の観光協会ホームページでは12施設に減少しました。
このようにみなかみ町は、周辺他県の観光地のようにスキー場の増大とともに発展してきた新潟県魚沼地方やリゾート開発主導で成長してきた長野県側などと違って、「ダム開発」と「トンネル工事」に代表される巨大公共事業とその時々の産業主導で発展してきたのが、この地域の特殊性であるといえます。
当然、温泉地として知られるようになった観光産業とはいえ、景観への配慮がなされることはこれまでの町の歴史ではほとんどありませんでした。
ここに、豊富な観光資源がありあがらそれが活かしきれないみなかみ町の大きな特徴があるのではないかと思います。
そのことは、旧水上町の明治時代からの人口推移を見ればさらによくわかります。
グラフ化できれば良いのですが、
合併前後を通した資料が手元にないので継ぎ接ぎ情報になりますが、
明治初期の旧水上町の人口は2千人程度だったようです。
それが戦後、昭和30年代には、1万人を超えるほどまでに激増しました。
ところがその後、みるみる急降下しだし、またたく間に元の3千人近くまで下がってしまいました。
旧水上町の人口推移 『町誌みなかみ』より
緩やかに増え緩やかに減少期へ入った旧月夜野町や旧新治村に比べると異常な急上昇急降下です。
対する旧月夜野町は、平成7年以降は減少に転じていますが、どちらかといえば日本全国の平均的な推移に近く、3千人くらいの時代から緩やかに増え続け、現在の1万人水準に到達しています。
新しい地区別データがありませんが、3地区を比較してみると、
全国の地方の人口減少傾向と比べても異常な実態であることがわかります。
この水上地区の問題は、みなかみ町に合併されたことで全体で緩和することができた面がありますが、夕張市が破綻した問題と同じ構造を今も抱えていることに変わりはありません。多様な地場産業を育てることがないまま、巨大プロジェクトに牽引されるがままに器が肥大したまま残されてしまったのです。
だからこそ、その突破口を観光でということになってしまうのですが、ここにこそ観光みなかみ町の構造的な大きな課題が出ていると思います。
そこには急上昇、急降下した地域ならではの有形無形の莫大な負債があり、その処理費用は大変なものであることがこれからも予想されるのです。でも、地域のイメージを変えるには、ここに踏み込むこと抜きにその先は考えられません。
地理的な独自課題
さらに、この地の景観を損ねる要因としては地理的な特殊性があげられます。
同じ豊かな山間部の自然を売りにしている観光地でも、その地形は様々です。
次の写真は、みなかみ町では普通に見られる道路の景観です。
これが、周辺の山々の傾斜が緩やかであると、自然と路肩幅も取りやすく、のり面もコンクリートで固める必要もなくなってきます。
このコンクリートの比率の差も、景観に大きく作用しています。
地域全体で目に入るコンクリートの量が、劇的な差を生んでいるのです。
この上と下の写真の違いがわかるでしょうか。
こうした背景が、同じ観光地でありながらも、長野県や新潟県のような観光リゾート型成長を始めからとってきた場所との大きな差を生んでいます。
3、どれひとつとっても重大テーマになる各論
さらに個別に見ると
① 電柱地下埋設問題
電柱地下埋設というと、莫大なお金がかかるので国や県の予算頼み思考になりがちですが、
まず国際的な観光地水準を目指す前提で優先順位や計画をしっかり持つことが求められます。
さらに地下埋設以外にも、電柱ルートの変更・迂回や、柱の化粧処理など打つ手は色々あります。
② 乱立する首都圏への送電線網
さらに、関東の水源、首都圏の水瓶であると同時に首都東京への電力供給源でもあることから、南北に送電線が何本(5本?)もはしることが宿命づけられています。それは利根の水源ばかりでなく、新潟から首都圏への送電線もこの地を通過することになります。
いたるところに美しい景観はありますが、観光名所を撮影するにも、山を撮影するにも送電線を避けて限られたアングルを見つけなければなりません。
そんなこと言ってもどうすることもできないではないかと言われますが、10年〜30年のスパンで考えると、電源や水源などエネルギー資源管理の考え方や技術はどんどん進歩します。
必ずしも水源地の避けられない宿命とは限りません。
③ 看板規制
④ ガードレール・フェンス対策
国、県、市町村、私有地でまさに縦割り行政の管理下にありますが、 公共性の高い場所なら、
たとえボランティアであっても、さっさと焦茶色のペンキを塗ってしまいたいものです。
⑤ 私有地外観の公共性
軽井沢のような別荘地であれば、初めから個人の敷地であっても周辺の環境に配慮した
建物や植栽にすることは当然と思われるかもしれませんが、
これもこれからの世界基準から見れば、特殊な観光地や別荘地に限らない地域づくりの
基本目標になってきているといえます。
もちろんそれは簡単なことではありませんが、
ゴールとしては明確に設定しているかどうかが大事です。
目標が明確になっていれば、行政コストをかけなくても、
自発的住民によって始められることもたくさん考えられます。
⑥ 草刈り問題
近隣の高山村などのレベルまで、もしみなかみ町が草刈りを徹底するとしたら、
年間の回数で3倍、一回の人員でも2〜3倍の規模が必要です。
もちろん、そんな予算はとてもない、ということになりますが、
これも地域のお金をどう有効に回すかの問題だと思います。
⑦ 自然草花の植生管理
都市公園のような花壇も美しいものですが、ユネスコエコパークにふさわしい
自然の植生を知り活かした景観づくりとはどのようなものなのでしょうか。
みなかみ「ヤマブキ」植栽考
つまり、景観づくりにはほとんど考慮することなく産業主導で成長してきた土地柄があり、この負の遺産を解消することに、みなかみ町には大規模な独自対策が求められるわけです。
ベネッセ(「よく生きる」の意味)の会長、福武總一郎は、
「努力しているのに幸せになれない理由は、幸せな地域にいないからだと思った。」
と、ちょっと誤解されそうなことを言っていますが、その意味は、
「幸せな地域にいないと、自分だけが幸せになろうとする。そうすると、自分さえ幸せになればいいというグルーディー(貪欲)な人の集まりになってしまう。(それが東京だと思った)」
と語っていますが、これは都会に限ったことではありません。
「景観」とは、まさにこうした幸せな地域をつくるとき、もっとも基本に位置す課題であると思います。
観光が成り立つには、まず第一次産業である農業や林業が元気であることが大前提でなければなりません。
さらに第一次産業が成り立つには、そこに豊かな自然があることが大前提です。
それら豊かな自然が生かされているかどうかが、まさに人間と自然の折り合いで作られる「景観」のなかにあられているわけです。
「景観条例」に基づいた計画とは、当然それらを含めた総合的観点で検討されなければならないし、それだけにもっと広範な議論を重ねてしっかりと練りこんでいかないと、大きく出遅れた日本のレベルをなんら取り戻すようなところにはおよそたどり着けないのではないかと感じます。
環境問題は、実利に直結したものが少ないだけに、議会などではあまり人気がないテーマで膨大な予算が絡めば困難は一層増しがちです。
でも環境問題の課題の多くは、この半世紀(特に先の東京オリンピック以降)の間に作られた負の遺産の問題であり、困難な問題であっても4〜50年後には当たり前になっているようなことばかりです。
行政サイドでは、どうしてもバランスを優先した計画にならざるをえないものと思いますが、抱えている困難な条件を突破することを考えれば、喉の奥深くで複雑に絡み合った骨を、口から手を突っ込んで取り除くような覚悟をもって明るい未来を手元に引き寄せなければなりません。
ただの美しい景観が増えれば良いというだけの問題ではなく、ここにこそ地域の課題の根本に関わるテーマが深く内在しているものと思います。どんな課題でも問題に気づけば、遅すぎるということはありません。
幅広い住民の議論を巻き起こす一歩が今からでも踏み出すことができたらと思います。
とはいえ、ここで何をいっても一住民のつぶやきにすぎませんが、もっと幅広い議論を起こすことは今からでも遅くはないはずです。毎度、思いつくままの文で申し訳ありませんがパブリックコメントにかえて書かせていただきました。
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