かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

おすすめ本 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2009年08月22日 | 歴史、過去の語り方
おすすめ本の紹介。

加藤陽子著
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
   朝日出版社 定価 1,785円


今の時代では、ちょっと誤解されそうなタイトルですが、これはわたしの好きなタイトルのつけ方です。

とくに、わたしのホームページ「かみつけの国 本のテーマ館」のなかの第7テーマ館「今、戦争をどう語るか?」の中心テーマを代弁総括してくれる内容とも思われるので、力を入れないわけにはいきません。

そう言っていながら初回仕入分は、今日売り切れていましました。
追加の入荷は26日(水)以降になります。

これまで数限りない本で、戦争について軍部の暴走や押しつぶされていく言論などについて語られてきました。
ところが、「なぜ、そうすることしか出来なかったのか」という歴史考証で一番大事なことについて、多くの本はあまりにも安易に後世の視点で断罪するにとどまっています。

それは、歴史を語る上での原則「もしも」は語ってはならないことの真の意味が伝わっていないのだと思います。

いつの時代でも、どの国でも、「戦争」は悪いに決まっている、絶対にしてはならないと思っている。
にもかかわらず、今でも引き続き戦争は、世界いたる所でおきています。
そればかりか、「戦争放棄」をうたっている日本ですら、「現実には」戦争に参加せざるを得ない経緯があった。
多くの人が反対したアメリカのイラク侵攻にさえ、ストップをかけることはできませんでした。

圧倒的多数の人が、「戦争」は悪いに決まっていると思っていながら、ほんの一部のそれを欲する人と、そうすることしかできないと判断して事実上それに協力する人びとの手で、大半の戦争は合法的にはじまるのです。

わたしは反対です。
私たちは一貫して反対していました。
ではなくて、
どうしてそれにもかかわらず戦争は起きてしまったのかという歴史の事実を、まだまだ私たち日本人はしっかりと観きれていないのではないかと感じるのです。

その昨日の自分の姿が、しっかりと見えないから、北朝鮮に対する外交もアメリカ頼み以外の手がうかばないのではないでしょうか。

何度でも繰り返しますが、歴史は常に
「そうすることしか出来なかった」
その動かしがたい現実を体験しているからこそ、わたしたちは
「だからこそ」のことばとともに明日への決意と努力が生まれるのだと思います。

他方、歴史を見て「だからこそ」、
「そうすることしか出来ない」
のだという人々もたくさんいます。

最近はそういった人の方が多いのかもしれない。

良識のある本屋さんであれば、客観的公平な立場でものを言えるのでしょうが、わたしはそうした立場はとりません。

過去については、
「そうすることしかできなかった」ことの意味は限りなく重い。
しかし、未来については、絶対に
「そうすることしかできない」という人々に共鳴はできません。

「だからこそ」
だからです。

わたしは本書をそうした議論のための最高の1冊としておすすめします。



以上 お店のブログ「正林堂店長の雑記帖」より転載
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右回り左回りの原則とそれ以外のB

2009年08月16日 | ・・・ったくアホな生活

先日のうちのB型のパートさんとのやりとりで学んだこと。

普通スーパーなどのお店の陳列は、右回りにお客が見て回るように配列されています。
本屋などでも、棚の商品が左から右に著者名50音順や、整理番号順にならんでいるのが普通です。

ところが、時々、入口の位置や駐車場や道路とのロケーションの違いによって、この原則が崩れるときがあります。

たとえば、縦に細長い店舗などの場合、入って右側の棚は、左から右への原則通りに陳列すると、
棚1本ごとに、奥から手前に、奥から手前にと歩くのとは逆方向に商品が並んでしまう。

本屋の場合は、それほど早いスピードで棚から棚へ目がうつるわけではないので、
あえてすべての商品を手前から奥への原則で右から左へ商品が流れるようにはしないことが多い。

でも、時々、入口が手前の原則で、右から左へ順番に商品をならべている店もあります。
考えてのことだとはわかるが、私は、こうした陳列を見ると胃が痛くなる。

同じようなことで、車の横に書かれた会社名などのロゴ。
ロゴであればまだひっくり返しようがないが、
社名などは、横書きの場合は、どうしても
進行方向である前から書き始めないとおかしいのではというとらわれがある。

車の左側側面は自然に「渋川書店」と書かれるが、
車の右(運転席)側は、進行方向を意識すると「店書川渋」と並んでしまう。

トラックなどでも、ときどきこうした文字の配列をした車を見る。

べつに社会で決まりごとになっているわけではないけれども、なにを基準にするかで
意見がわかれてしまう問題に、B型がとことん突っ込んでくる。
が、その突っ込み方がおかしい。
ひとつひとつの応対していたら、随分長い議論になってしまった。
けれども、けっこう自分でもいい勉強になった。

B型のパートさんとその右回りが自然な流れなのだと話していたら、
陸上競技のトラックは、競馬場なども含めて全部左回りに出来ている!
と反論してきた。

一瞬、たじろいだ。
競技トラックの類は、F1レースなどを除いて、確かにほとんどのものが左まわりに出来ている。
競馬、競輪、オートレースやスケート、そういえばローラーゲームなどもそうだ。
なんでだ?

でもまだこの程度の問題であれば、ある程度調べればすぐに納得のいく結論が見出せる。
これは人間の身体生理の問題で、
人の足は、通常は左足が軸足になって右足が効き足として動くようになっている。

サッカーで普通のひとは左足を軸足にして右足でボールをコントロールした蹴り方をする。
この原理で左足を軸に、右足で蹴って方向をコントロールする左回りのトラックの方が走りやすい。

それでは、どうして道路は歩行者が右、車が左なのだとくる。
これは国によって違う。
おそらく、歩行者が右よりも、まず車が左と決まったところから歩行者が右となったのだろう。

でも登山道や学校の廊下などは左側通行が原則だろう、と私が言ったら
B型は、私の学校の廊下は右側通行だったという。
これは、学校ごとに違うかもしれない。

しかし、わたしの感覚では、車などの心配のない歩行者専用道路などでは、左側通行が普通になると思った。

山などと同じで、人とすれ違う側が効き足、利き腕であるほうが、
挨拶をするにも、相手を交わすにも良い。

武士などの場合には、すばやく刀を抜いて切り殺すには、
相手が左側ですれ違うようでは難しい。右側の相手の方が切りやすい。
敵対する関係ならば、左側通行。
敵意のないことや信頼性を優先するならば、右側通行となるだろう。
もちろん武術の心得があれば、そんな苦手な向きなどあってはならないだろうが。

ともかくいろいろ話したことで、様々な問題を右優先、左優先かを考えると
人間の生理的条件によりものと、後天的文化による習慣づけによりものがあることがわかった。


ところが、

である。

このどちらにも属さない行動原理をとる人種がいる。

よる公共のトイレで、男子トイレ女子トイレの位置、
なんとなく手前か奥かおよそのパターンはあるような気がする。
そんな話をしだしたところ、B型のパートさんは、自らの行動パターンのことを話し出した。

B型のパートさんは、いつもトイレの男マークと女マークのついた標識はすぐに発見して見るという。
ところが入るときには、もうその標識は見ない。
なぜかこっちに決まっていると思った方に迷わず入っていく。
すると案の定「なにしに来たんだ!」
と男性から怒られて、すごすごと出る。

そういえば私の連れのB型も
よく映画館などにから出るとき、なんの迷いもなく出口とは逆の方向に平気で歩いていく。
わたしは、その確信に満ちた歩き方から、トイレに行くか、なにかパンフレットでも取りに行くのだろうと思って
その後ろ姿を黙って見送っていると、後で、なんで間違っているのだと教えてくれないのだと怒られる。

B型かどうかはわからないが、実家で旅行の話をしていたとき
母親が旅慣れた連れと話に夢中になって、連れが歩いて行く方向になんの迷いもなく一緒についていくと、
とんでもない方にふたりで行ってしまい、グループからはぐれてしまうことがあると笑っていた。
その叔母さん、きっとB型に違いない。

経験のないはじめての場所であれば、ふつうは多少なりともきょろきょろして
場所を確認したりするものだと思うのだけれど、どうもB型に限っては
何度失敗しても懲りずに、今日も思い込みで目の前に見えた方向へ突き進んでいく。

それまでB型のパートさんと長い議論をしてきたが、
結局、B型にとっては、こうした文化や生理的な特性など、
まったく関係ないのだ!

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「行政」にとらわれない「社会」の基礎単位

2009年08月09日 | 暮らしのしつらえ

社会の基礎単位」というと、まず第一に思いつくのが「家族」です。

このことは過去に書いているので繰り返しませんが、大自然においても、人間社会においても、
環境保護や社会の経済発展云々の前に、
根底の考え方は、「生命の再生産」というべき構造の維持にこそ基本はあるとわたしは思っています。

子供を産んで育てることを基本とした生命の営みこそが、自然においても
人間社会においても、まず第一の条件であり、同時にこれこそが究極の目標でもあります。

「豊かな社会」については、精神面、物質面それぞれ様々な語り方があります。
しかし、より根源的にものごとを考えれば、この「生命の再生産」の構造こそ
なににも増して基調に考えられなければならないものと思うのです。

今回はこのことについて書くのがメインではなく、
その「家族」という基礎単位の次にくる「社会の基礎単位」についてです。

今、国や地域社会を考えるにあたって、地方分権がしきりに叫ばれています。
政権交代が現実味を持ち出したことから、その勢いも加速し、
道州制なども決して遠い先の目標でもなく思えてきました。

しかし、私にはこれらの議論は、どちらかというと以前から二次的な問題としてしか考えていません。
どれも行政上の問題としてばかり見え、地方分権をめぐる議論ですら、「自治」の核心からは、
まだ遠い議論にしか見えないからです。

何度でも言いますが、今の「地方自治体」のほとんどの実態は、
「地方行政体」といったほうが相応しい、「自治」ではなく「行政」の論議に終始しており、
平成の大合併に見られるように、小さいから合併する、力が弱いから大きいものに頼る発想ばかりで、
本来の力が無いからこそ、弱いものが助け合い、知恵を出す本来の自治ではおよそないからです。

こうした視点からは、現在騒がれている「地方分権」の議論ですら、
まだ総務省の手の上での議論にしかわたしには見えません。

さらには、ほとんどの問題の根底で言われる財政難など、大半は「行政ミス」の問題で、
そのミスの責任を取ろうともしないまま、住民に更なる負担のおねだりまでしている限り、
「自治」の力を発揮するにはほど遠い現状といえるでしょう。

これらのことは、また書き出すとまたきりがないので端折ります。

社会の基礎単位の問題を考えるとき、
先に指摘した「家族」がその一番最初にくることに異論はないかと思いますが、
その次にくるべきものは、今の行政上の「地方自治体」では、本来の自治や
住みやすい地域コミュニティに至ることは難しいのではないかと感じるのです。

では、戦時中の隣組制度や町内会のようなものが良いかといったら、そうしたものでもありません。

「行政」ではない、「自治」とは、
まず「より小さく」こそが基本原理であることを再度確認したうえで、
また「自治」とは、住民政治の基礎単位であるだけでなく、
地域経済の基礎単位でもあるべきこと、
さらにお互いの顔が見える規模の、限りなく全員参加に近い組織であること、
などをもう一度確認して話を進めたいのです。

そうした視点で私がなによりも頼りにしているのは「アワニー原則」と呼ばれる考え方です。

内橋克人さんの簡潔な表現にたよれば、
「人が歩いていける範囲(半径600mくらい)で、生活に必要なすべてのことができる街づくり」
といったことです。

アワニー原則の全文を見ると、なかなか面倒なことになりますが、上記の簡潔な表現で、
およそのことは表現され尽くしています。

スモールシティやコンパクトシティとかいわれるのも同類の表現ですが、
こちらの方がより根本的なことを表現しているので誤解も少ないと思います。

行政の単位をどうする、道路をどのようにひくかの問題ではなくて、
誰もが歩いていける範囲内に、まず学校があり、病院があり、八百屋があり、肉屋があり、
行政窓口があり、本屋!があるということです。

もちろん、半径600mというのは、ひとつの目安の表現で、都市部と郊外や山間部などでは
かなり条件が異なるのはいうまでもありません。

ところが、こうした小さいコミュニティの単位となると、その商圏内の人口だけで、はたして病院が、
スーパーが、、本屋がその経営を成り立たせることが出来るのかといった問題が出てきます。

前書きが長くなりましたが、平成の大合併の問題にもつながるのですが
ここが今回の話のポイントです。

「より小さく」というと、すぐに
やっていけない自治体、食っていけない商売、の話が出てきます。

ここからは、かなりざっくりと書かせていただきますが、
60年代、70年代頃までは、日本中どこでも個人経営の零細商店が地域をささえているのが普通の光景でした。
それが80年代を過ぎてから、コンビ二が全国に普及しだし、やがて郊外にロードサイド型の大型店が次々に出店しだし、
どこの商店街も例外なく、衰退の道をたどってきました。
さらに、今では、その郊外店ですら、次々に出来る大型ショッピングセンターに淘汰されています。
この流れは、まだとどまりません。
既にアメリカで始まっている現実ですが、
巨大ショッピングセンター同士の競争の果てに、郊外に巨大ゴーストタウンが次々と生まれているのです。
まもなく日本でもおきることでしょう。

これは常に「消費者のために」の結果だったのですが、この2,30年の間におきたことから
そろそろ何かを学んでもよいのではないでしょうか。

私は今、全国に見られる衰退しきった商店街のなかで、運良く仕事をさせていただいている者ですが、
常に衰退してきた店は、郊外店が悪い、大型店が悪いと人のせいにしてきました。
しかし、今、次々と淘汰されていく大型店をみると、衰退していったお店というのは
規模や立地の問題ではなく、
「そこに競争力のある商品やサービスが無かった」からにつきるのだと思います。

確かに、相対的には常に規模や立地の問題は、大きくのしかかります。
でもどんな条件でも生き残っているビジネスを見れば答えは明快です。

その上で、もう一度、大型化しなければ生き残れないという呪縛から脱することの意味を考えて欲しいのです。
業種によっては、必要なアイテムを充実させるために一定度の大型化が間違いなく功を奏するかにみえ、
そうした選択もあっても良いとは思います。
しかし、ほとんどの例は、「規模か小さいから」という言い訳が、
ビジネスの目的を喪失したうわべの判断にしかすぎなかったことはわかるのではないでしょうか。

最近、興味深い数字を見ました。

日本全国にあるコンビニの数。
約5万店だそうです。

一昔前、4万店と言われたのがあれよあれよと5万の数になってしまいました。
もう飽和状態で限界だと言われますが、これもビジネスを知っている人なら、そんなことはない、と言います。

私たちがどこでも目にすることができるコンビニですが、
そのコンビニよりもさらに多いことに気づかれていない業種がありました。
お寺です。
なんとその数、全国に7万以上。
しかも神社に比べたら、お寺というのは住職のいない建物だけのところというのはとても少ないものです。
宗教法人は楽だからといいたいのではありません。
あれだけ飽和状態と思えるコンビニをはるかに上回る密度で、業態が成立しているということです。

コンビニの飽和を上回る業種は他にもあります。
歯医者さんです。
こちらも全国に7万5千からの数がいらっしゃる。
一回の治療で何回も通わなければならない上手いビジネスですが、競争が厳しいといわれながらも
本屋ほどはつぶれていません。

そういう本屋の数は、一昔前には全国に2万3千店ほどあるといわれていたのが、10年ほどの間に
1万6千店ほどにまで減少してしまいました。

先ほどの歯医者さんの例からみると、同じお医者さんでも
眼科などはぐっと少なく約1万2千人。
さらにこのところ不足が指摘されている産婦人科医ともなると
全国に1万人程度!

およその数字のイメージはつかめたでしょうか。
全国で5万を超えると、かなり頻繁に目にする業種ですが、
1万程度まで少なくなった業種は、町を歩いていても、ちょっと探すのに苦労をします。
(今、私のやっている本屋はそのレベルに向かいつつあります。)

いろいろな業種、業態があるわけですから何事も一口にはいえませんが、
これらの数字から、どこへ行ってもそこそこにあるといえるレベルの業種としては、
やはり2万程度がボーダーラインのように思えます。

そこからこんな計算が思い浮かびます。
日本の人口を約1億(人口減少をシビアに見込み、業種によっては全人口を対象にできないものも多いので)とみて、
それを全国平均分布のボーダーライン2万で割ると、
5,000という数字が出てきます。

1億 ÷ 2万  = 5,000

これが、社会の基礎単位を考える私のもうひとつの目安の数字です。

「人が歩いていける範囲で生活に必要なすべてのことが出来る社会」をつくるには、
この五千人くらいの商圏人口のなかで多くのビジネスが成り立っていくことが大事です。

5千という数字をビジネスで大きく感じるか、小さく感じるか、もちろん業態によって様々だと思いますが、
顧客の実数ではなく、商圏人口ととらえるならば、この数字はかなり密度の濃いビジネスを前提にしていることになると思います。
現実にはおよそ5,000人といっても、場所によって1,000から1万くらいまでの幅は考えられますが、
その平均的な位置としての5,000人というのは、とても説得力があるように思えました。

5,000人の商圏人口は、およそ2000世帯程度の商圏ともいえます。
これも都会と田舎では、比較にならないほどの開きがありますが、
地域コミュニティの単位として考えると、先ほどの半径600m以内といった表現とあわせて
大事な指標になります。

地域で5,000人、2000世帯くらいを対象にしたビジネスとなると、
10年、20年も続ければ、かなり密な顧客との関係を結ぶことになると思います。
それよりも、これからの時代、川上から流れてくるメーカーの代理人としてのビジネスが通用しなくなり、
顧客の代理人にいかに徹するかが求められる時代になってきただけに、
この2000世帯の顧客の需要をつかむビジネスこそが、これからの王道であると感じます。

世界中で暮らす地域の人びとが、安心して暮らせる社会というのは、
同じ「規模のビジネス」といっても、こうした「より大きく」ではなく
「より適切な小さい規模」でそれぞれが自立した経済こそが必要なのではないかと思うのです。

5000人の商圏でビジネスが成り立たない、と思ったときは、
他の問題点を指摘するよりはまず「そこに競争力のある商品やサービスがないから」
と考えた方が間違いないのではないでしょうか。

そうしたビジネス環境と一体になることで、地域コミュニティの質というものもさらに高くなり、
そのコミュニティを「自治」「政治」「経済」「文化」の基礎単位とすることができれば、
相乗効果をともなって真に強い地域づくりが可能になるのではないでしょうか。

今の選挙でこんな話はどの政党からも聞こえてきませんが、
現行の行政区分にとらわれない、本来の「自治」の可能な地域社会、
お互いの顔の見える「信頼」の地域づくりの視点が、とても大事になってきていると思います。

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感嘆させられた群馬県立歴史博物館長黒田日出男さんの仕事

2009年08月08日 | 鶴舞うかたちの群馬県・広域情報
とても大事なことなので、私のお店のブログ「正林堂店長の雑記帖」に書かせていただいた内容をこちらにも転載させていただきます。

というのも、群馬県立歴史博物館長、黒田日出男さんのことを、ただ話の上手な人気の高い方としてだけではなく、研究者としての厳しい姿勢とその成果の普及、伝達ということ双方のすぐれた能力をあわせもったすばらしい仕事をされている方として、ぜひ多くの人に知ってもらいたいと思ったからです。

以下は、「正林堂店長の雑記帖」の文そのまま転載したものです。


               *************


7月25日(土)に群馬県立歴史博物館の企画、第1回館長講座「埴輪の歴史を読む」に行ってきました。

群馬県立歴史博物館長 黒田日出男さんの講演は、とても評判がよくなかなか予約もとれないことも多いほどであるとお客さんから聞いていたので、今回、参加することができてとても喜んでいました。

よくみれば、整理番号は180番代。
当初、定数は100人と聞いていました。
予定より多く受け入れることになり、そのため会場も歴史博物館内ではなく、近代美術館内の講堂に変更したということらしい。

黒田さんの講演は楽しみにしていたものの、正直言って、今回は埴輪についてということで、黒田館長の専門の絵巻などの歴史絵画関係でもないし、私自身、群馬に暮らしている限りにおいて古墳時代や埴輪については避けて通れないテーマではあるものの、第一の興味領域ではないので、あまり期待せずに行きました。

ところが、黒田館長の話は、評判どおりというか、良い意味で私の予想を見事に裏切ってくれました。

まず第一に関心させられたのは、黒田さんの館長としての仕事ぶりでした。
黒田さんは、こうした博物館、美術館の館長はまさにこうであるべきだとの姿勢を私たちに見せてくれたのです。

この度、歴史博物館で開かれている

  開館30周年記念展 
   「国宝 武人ハニワ、群馬へ帰る!」

という企画が30周年にふさわしいどのような意義のある企画であるかを、しっかりと私たちに解説し、伝えてくれました。
群馬の古墳遺産文化が際立っていることは、比較的知られていますが、ここに東西の埴輪を一堂に集めて、それを比較展示することがいかに意義のあることかをしっかりと教えてくれたのです。

しかも、それだけのことを実現するのにどれだけのお金がかかっているのかを具体的に話してくれました。
なんと指三本立つほどだと。
3本、とは
三百万ではありません。
え?と思いました。

しかもその3分の2ほど輸送費だと言います。
関西から文化財を群馬に運ぶ費用が、それほどかかるということです。

税金をそのようなことに使うことがどうなのか、当然出てくる疑問に黒田さんは館長としてしっかりと答えて説明してくれるのです。

これだけのものを群馬の人が新幹線をつかって関西にまで見にいくとしたら、いったいどれだけの費用かかかるか?

そうした比較ときちんと出した上で来館者数の目標を具体的にかかげて、その意義を館長自ら訴えてくれるのです。

このような説明をすることは館長としてあたりまえのことかもしれませんが、私はこれまで黒田館長ほど、こうした説明をしっかりとしてくれる方を見たことがありません。


この講演の感想は、もっと早く書く予定でしたが、店の棚卸し準備などに追われていてつい遅くなってしまいました。ところが先日、この講演で黒田さんが冒頭で紹介していた岩波書店の広報月刊誌「図書」が店に届いたので、これ以上遅らせるわけにはいかないと思い、未整理な記憶のままですが、今、一気に書き上げようと思った次第です。

この「図書」のなかで黒田館長が紹介しているひとつの騎馬像の埴輪の発見は、埴輪研究の歴史とってというだけでなく、群馬の歴史を知る上で、また日本の古代の文化の分布を知る上で、いかに画期的な発見の意義を持っているかということについて、見事に余すことなく伝えてくれているのです。

そもそも、群馬県というと誰もが自然に「馬」を連想しますが、ものの本を頼ると「群馬」の「馬」という表現は、馬から来ているのではなくて古代の一豪族「車持氏」の「クリマ」からきているのだと教えられます。

でも多くの人は、そんなことおかまいなしに群馬といえば、きっと昔、馬がたくさんいたか、飼育されていたのだろうと思っています。また実際にそのような地名も多い。

そんな環境にある群馬で、全国でも他に例のない盛装した男子が騎乗した埴輪像が、あるひとりの研究者の長年の努力によって姿を現すことになったのです。
馬の埴輪自体は珍しいものではないようですが、その上に人が乗ったものというのは意外にないそうです。
しかも、なおかつその上に盛装した男子が騎乗したものとなるとひと際、例が無いらしいのです。

この騎馬像の埴輪を発見した研究者とは、現在は伊勢崎市にある大林寺の住職、松村一昭氏のことです。
この埴輪の発掘採土は1953年のことだそうです。
そこで発見された欠片を。パズルのようにひとつひとつ組み立て、半世紀もかけてようやくその姿を完成させたのです。

考古学などの研究のひとつの発見というものが、このような努力の上になりたっていること、あらためて思い知らされました。
しかも、ひとつの埴輪の発見が、その時代考証全体に与える影響がいかに大きいか。
黒田館長が、ここでこうした説明をしてくれなかったら、この大発見も見過ごされたままになっていたかもしれない。

もちろん、このひとつの発見だけで何かを結論づけられるようなものではありません。
私などは、すぐに「ここに根拠がある」とばかりに理由づけしてしまうのですが。

でも、実に多くのことがらにかかわる大事な発見であることに間違いはありません。

そのあたりの表現も、黒田さんは古墳や埴輪研究の歴史概括を説明しながら、学問研究の在り方について穏やかな表情ながらも研究者としては時に血の流れることもある覚悟を要するのだと話してくれました。


このようなことが、今回の講演で話され、今回の岩波書店の「図書」8月号に掲載されているのですが、
この意味をもっとたくさんの方に知ってもらわなければならないと参加者の一人として強く感じたので、ここに拙い文章ですが、あらましを書かせていただきました。

私も避けては通れないと思ってはいた群馬の古墳時代について、こうした黒田館長の活動が大きな刺激になってくれました。
ほんとうに感謝しています。

館長が先頭にたってこのような明確なメッセージを発している姿を見ると、おそらく、群馬県立歴史博物館の学芸員をはじめとするスタッフの皆さんも、その使命に誇りを持って団結したすばらしい仕事ができているのではないかと感じました。

今度、お会いしたときには、群馬にかかわる『神道集』のことや、私たちが勝手に騒いでいる「子持ちの眠り姫」について、是非黒田さんを引きとめてお話しさせていただこう。
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