かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

こよみと伝統行事

2019年04月26日 | 歴史、過去の語り方

 祭りや伝統行事は、どれも長い歴史を通じてつちかわれてきたものですが、今日の姿のすべてが古来の姿であるとは限りません。
 とりわけ明治から昭和にかけての間に、そのかたちを変えてきた祭りや行事は少なくありません。

 黒い喪服姿で葬儀を行うようになったのは明治以降のことで、それ以前の葬儀は白装束でした。


 そして多くの祭りや行事は旧暦で行われており、それは庶民の季節感と密接に結びついたものでした。

 昭和の中ごろまで生きた明治生まれの古老は、昨日の晩というとそれは一昨日の夜のことを指していました。
それは1日の始まりが日没後の夜からはじまるという習慣があったからです。

 事実、祭りなどの行事で前夜祭として行われるものは、本来一日の始まりが夜からであったことの名残りです。そして行事が何月何日に行われるかということは、どれも暦上のとても大事な意味があるものでした。旧暦で月の中旬や15日に行われる行事というのは、それが満月の日であることに意味がありました。月のはじめの行事といえば新月の日にやることに意味がありました。

 月夜野の祗園祭(おぎょん)も、今では7月末から8月頭にかけての土日に行うようになってしまいましたが、当初は旧暦8月の1、2、3日に行われていました。
 それはただ月の初めというだけではなく、新月、つまり太陽と月が重なり、受けるエネルギーも倍加している時期であることに意味があったわけです。 


 ところが、先の東京オリンピックのころから専業農家の人口の比率がどんどん減りはじめると、地域の祭りや行事が暮らしや生産と密接に結びついた切実な祈りをともなったものから、ただ伝統保存のための大変な努力を伴わないと維持することがとても難しい時代になりだしました。

 そこでは暦の意味が失われるだけでなく、地域内よりも外で稼いでくるサラリーマンの比率が増えてきて、人を集めやすい土日でないと行事が行えないようになってきました。

 こうした時代とともに移りかわる祭りや伝統行事の姿は、伝統文化の保存如何の問題ばかりでなく、地域の暮らしのあり方と密接に結びついたものであることがうかがえます。

 

写真はいずれも『我がふるさと写真集 月夜野町』企画・発行 月夜野町(昭和62年)より

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神は人に命じることも人を助ける義務もない

2019年04月19日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

房総半島の先っぽにあるcへ行ってきました。

ここはカミとは何かを考えるうえでとても大事な神社であることを知ったからです。

 

 

私が妻と歴史をたどる旅にできるときは、振り返ってみればなにかと「古社」を訪ねることが多いものです。

それは、私たちがいつも天武・持統の時代を経て大陸思想の影響下でこの国のかたちかたちがつくられる前の姿にこだわっているからです。

ときには、中世の源氏物語に代表される高度な貴族文化に惹かれたり、鎌倉仏教のエネルギーに魅了されたり、戦国期の力強い桃山文化に圧倒されたり、幕末・明治の西洋を驚かすほどの庶民文化に魅了されたり、横道だらけのなかでの旅なのですが、それでも旅では一貫して縄文時代以来、今日に至るまで深く日本に根付いている根底の文化を、私たちは非大陸的な思考の中に見ています。

その典型が、この安房神社のような「古社」です。

 

 

実は、この安房神社もネットで検索すると、日本を代表するパワースポット、「イヤシロチ」、三大金運神社などといった内容で出てきます。

しかし私たちは、神さまや神社というものをそのようなものとしては考えてはいません。

先にタイトルに示してありますが、神さまに御利益を求めるのは、人間の実に身勝手な話です。

そもそも神さまは人に命じることも人を助ける義務もありません。

まして神は人を罰することもありません。

 

 

そもそも神さまは「なんでも叶えてくれるから偉い」というような欲がらみで祈るべきはありません。


恵まれた土と水と光と植物の種が、すみやかに、とどこおりなく育つにはどうしたらよいのかを教えてくれるのが神であり、その通りに行うのが人の努めであり、そうして作った新米を神に供えて祝ったのがそもそもの神事なのです。 

今、天皇の皇位継承とともに大嘗祭や新嘗祭などの行事が注目されていますが、天皇はまさに神ではなく人として、こうした神(天)との約束事をひとつひとつ滞りなくきちんとやり遂げることに意味があるのであって、決して誰かの損得や御利益のためにすることではないのだと肝に銘じなければなりません。

こうした欲にまみれた俗世間の祈りとの違いを、日本の天皇の姿というのは本来はもちそなえているものだと思います。

長い天皇の歴史の実態は、大きく揺れ動き必ずしもいつでも立派であったとはとても言い難いかもしれませんが、こうした行事を常に滞りなく行い続けてきたことによって、その矜持を保ち続けることができたといえるのかもしれません。

それだけに今の美智子皇后のふるまいには、皇室の歴史の中でも本来あるべき姿をきちんと実践して私たちに見事に見せてくれている格別の存在感を感じます。

 

 

自然界では、神さまといえども必ずしも優しくて良い神さまばかりではなく、荒らぶる神も存在します。

そうした人間のコントロールなどおよそ及ばない自然界の中で人は、慎んで生きること、「慎まる」ことこそ大切にしなければならないものと思います。

 

この辺が西洋の一神教、天地創造の神であるGOD、自分たちの神こそがエライというような宗教と決定的に異なるところです。

原始アニミズムともいえますが、草木や動物たちと人間が対等に言葉をかわしていた頃、日本では八百万神の時代、人や神に序列をつけることはありませんでした。

 

私たちが息をするように身の回りに感じられるものがカミです。

 

つい私たちは神社の拝殿にばかり手を合わせて祈りがちですが、立派な拝殿が作られたのはずっと後世のことで、神さまは必ずしもそこにいるわけではなく、そのずっと背後です。だいたいの方向としてはあっているのでしょうが。

 

 

それぞれの生き物の中には「人格」のような格の差こそそれぞれあっても、それは順位、序列といったようなものではありません。

それが大陸から仏教が入ってくるとともに、神々にも序列がつけられ人間社会の中でも序列が重視されるようになってきました。

その境界が縄文時代から聖徳太子の時代までと、天武・持統の時代、藤原氏による国家支配が強まる時代にあると感じています。

もちろん、藤原支配が強まっても、他方では現代、とりわけ先の東京オリンピックの頃までは、縄文的な日本の姿は脈々と受け継がれてきていました。

それが、これから平成から令和にかわり、様々な天皇の皇位継承行事がとりおこなわれるとき、先の東京オリンピックの頃から急激に日本が失ってしまった大切なものを、今度のオリンピックで、なんの反省もなくさらに加速的に失っていってしまいそうな世の中の空気を感じています。

そんな空気のただよう今日この頃であるだけに、私たちはこうした神社に足を運ばずには入られませんでした。

 

そして事実、安房神社は、パワースポットブームなどに穢されることなく、「鎮まる」空気に満ちた素晴らしい空間でした。

 

 

 

 

 

 

さすがに房総半島の南端というだけあって、群馬では見られない常緑広葉樹が多いことも驚きでした。

そうした植生が育む空気も、日本を理解する上ではとても大事なことと思います。

 

 

 以上、これまでの内容の多くは下記の『先代旧事本紀大成経伝』の優れた解説を参考にしていますが、文献学上、『先代旧事本紀』とともに歴史記述の明らかな齟齬が認められることなどからこれらの文献は偽書とされてます。にも関わらず、その衝撃的で説得力ある内容から現代に至るまで多くの影響力を持っています。私は偽書だとしても、これほど素晴らしい偽書は他にないと思っています。
 私はとても多くの大切なことをここから学んでいますが、何事もすぐに感化されてしまう私とは異なる賢明なみなさんは決して鵜呑みにはされないように気をつけてくださいw。

 

今回は、皇位継承の時期なので、カミと天皇との関係に絞って書きましたが、太平洋側の海洋文化圏としての房総半島についてや、鹿島・香取神社とその他の在来神社のこと、縄文、蝦夷対策の境界や東国武士の発生の歴史などについては、いつになるかはわかりませんが、またあらためて書かせていただきます。

 

 

 

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