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鈴木大拙の「大地性」(抜粋メモ)

2012年07月15日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

西日本の文化と東北文化の違いを考えているときに出会った、すばらしい一文。

 

日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫)
鈴木 大拙
角川学芸出版

天日はありがたいに相違ない。またこれなくては生命はない。生命はみな天をさして居る。

が、根はどうしても大地に下さねばならぬ。大地にかかわりのない生命は、本当の意味で生きて居ない。

天は畏るべきだが大地は親しむべく愛すべきである。

大地はいくら踏んでも叩いてもおこらぬ。

生まれるも大地からだ。死ねばもとよりそこに帰る。

天はどうしても仰がねばならぬ。自分を引き取ってはくれぬ。

天は遠い、地は近い。

大地はどうしても、母である。愛の大地である。これほど具体的なものはない。

宗教は実にこの具体的なものからでないと発生しない。霊性の奥の院は実に大地の坐に在る。

平安人は自然の美しさと哀れさを感じたが、大地に対しての努力、親しみ、安心を知らなかった。随って大地の限りなき愛、その包容性、何事も許してくれる母性に触れ得なかった。

天日は死した屍を腐らす。醜きもの、穢らわしいものにする。

が、大地はそんなものをことごとく受け入れて、なんらの不平もいわぬ。

かえってそれらを綺麗なものにして新しき生命の息を吹きかえらしめる。

平安人は美しき女を愛して抱きしめたが、死んだ子を抱きとる慈母を忘れた。

彼らの文化のどこにも宗教の見えないのは、もとよりしかるべき次第である。

 

 

人間は大地において、自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて、農作物の収穫につとめる。

大地は人間の力に応じてこれを助ける。

人間は大地の助けの如何によりて自分の誠を計ることが出来る。

大地は詐らぬ、欺かぬ、またごまかされぬ。

人間の心を正直に映しかえす鏡の人面を照らすがごとくである。

大地はまた急がなぬ、春の次でなければ夏の来ぬことを知って居る。

蒔いた種子はその時節がこないと芽を出さぬ、葉を出さぬ、枝を張らぬ、花を咲かぬ、従って実を結ばぬ。

秩序を乱すことは大地のせぬこところである。

それで人間はそこから物に序あることを学ぶ。辛抱すべきことを教えられる。

大地は人間に取りて大教育者である。

人間はこれによりて自らの感性をどれほど遂げたことであろうぞ。

 

 

(この「大地性」ということ、次にアップする記事の関連でもあります)

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