かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「古馬牧」 地名の由来と風土 ③

2019年02月20日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 馬と人間のかかわりは、戦争とともに発展してきたかのようにみえますが、戦争にかり出される馬は、必ずしも専用の軍馬ばかりではなく、むしろその多くは農民の暮らしをささえている農耕馬でした。

 それだけに馬と人びとの暮らしは密接なもので、多くの物語も生まれました。

 それが遠い過去の話のようにになってしまったのは、昭和の半ばにメリーテーラー(耕耘機)が農村の隅々にまで普及するようになってからです。

   同時にその頃から、それまで田畑の肥料や家畜の餌としてしばしば奪い合いになるほど貴重な資源であった草々が、地域の存亡を左右するほど迷惑な「雑草」=ゴミになってしまいました。

「古馬牧」という地名も、そんな歴史とともにリアリティを失っていったのかもしれません。

 

 

 

古馬牧(こめまき)村 沿 革

 今では古馬牧小学校や古馬牧人形浄瑠璃などにみる以外には、地元でも馴染みの薄い地名になってしまいましたが、「古馬牧」という地名は、この土地の古い歴史をと色濃く反映した呼び名でした。

 利根川の東の古馬牧村は、往時その名が示すごとく牧場でした。古墳時代が終わる頃には、この地方にも大和農法が伝えられ、農耕と牧畜が次第に発展してきたようです。

 大宝元(701)年、大宝律令の発布についで厩牧令が出て利根の地にも牧場が設けられました。これが「長野牧」と称せられた御牧(勅使牧)で、大日本地名辞書(吉田東伍)に「長野は古の牧の名にして、利根川の源谷をなす如し、即ち呉桃(なぐるみ)郷の北なり」とあり、日本後記に嵯峨天皇の弘仁二(811)年9月「三品葛原親王に上野国利根郡長野牧を賜う」とあります。古くは牧の郷といってのち慶長元年、上牧、下牧とに別れました。

 1889年(明治22)、大日本帝国憲法が公布されると同時に町村制が施行されて、それまでの後閑村、師村、政所村、真庭村、下牧村、上牧村、大沼村、奈女沢村が合併し、利根郡古馬牧村が成立しました。
 以後、桃野村と古馬牧村が合併して月夜野町(現みなかみ町に平成17年編入)が誕生する昭和30年までの間66年間、古馬牧村は存在しました。

 

「古馬牧」にある
馬にまつわる地名の数々

 旧古馬牧村一帯の地は上野九牧の一つに数えられた牧場であり、牧監に大宅直久が任ぜられ、下牧新田に長野大神宮を創建、牧地の守護神としたと伝えられ、宮地地内はその旧跡といわれる。

 当時上野九牧からの献上馬は年々50頭といわれ、その頃の上牧、下牧は一村で牧村を呼ばれ、真庭は「馬庭」で政所は「馬所」であったことが考えられる。即ち、村で育てた馬を馬庭で訓練し馬所で検査などを行い、献上馬となったものであろう。

 当地に今でも残る地名に馬に関係する地名が非常に多く、牧場であったことを示すに足りるものである。即ち野馬田、鍵掛、馬見台、馬立新田、中ぐね、まなぐら越え、馬留堀切などであり、古くは大沼も大野馬であったといいい、山頂から流下する小沢にも、野馬の沢、木戸沢、馬留沢などあり、また牧監の住居跡と思われる近くには、牧原長者、長者屋敷、長者久保などあり、牧原長者にまつわる伝説もいくつか残っているようである。

               『月夜野町史』より

 

 

 

どう考えても群馬は「馬」の県

 群馬は古代、早くから渡来人の文化が移入し、蝦夷征伐の拠点として発達したことなどの地理的要因が馬文化を育む土地となったと考えられます。
 そうしたことは、文献資料があるわけではありませんが、東日本で突出した古墳群があることや、そこから数々の馬具や全国でも珍しい人が乗馬した埴輪がみつかっていることなどからうかがえます。

 ところが群馬の地名由来は、古代車持氏がこの地に拠点を構え、車(くるま)が(くりま)、(ぐんま)に転化したといわれますが、どうも苦しい説明に思えてなりません。群馬県群馬郡群馬町(2006年高崎市に編入)が車持氏の拠点であったことから関係性に間違いはありませんが、おそらく先にこの地には群馬(ぐんば)の強いイメージがあり、それに車(くりま)の意味が添えられたとみる方が自然に思えます。

 

 (とりあえず、リーフレットの原稿をそのままアップしました。)

 

これでやっと、月夜野の地名を語る基本

「地名の由来と風土」三部作が揃います。

3月上旬、印刷関係予定です。

 

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「手間ひまをかける」の「ひま」の意味

2019年02月14日 | これからの働き方・生業(なりわい)

車のなかで妻にふと「手間ひまかける」の「ひま」ってなに?と聞いた。

つまり、「手間をかける」は普通にわかるけど、「ひまをかける」ってことはどういうことなのか突然理解できなくなってしまったからです。

すると、妻はあっさり、

「ひま」ってのは「時間」のことでしょ、という。

ああ、そうか。

わたしは納得して、話はそれで終わってしまった。

ところが、しばらくして私の最初の疑問は、そういうことではなかったような気が漠然と湧いてきました。

手間ひまかけるのひまが時間だとしても、手間とは違うものをかけることの意味が言葉には表現されているはずで、そこに何か引っかかるものを感じていました。

そもそも、妻に手間ひまかけるのひまってなんだと聞いた最初の動機は、今の世の中、手間ひまかけることがいかに大事かということの話と、それが大事たと思う自分は「手間」より「ひま」の部分ばかり十分にかけているよなと、冗談話にもっていきたかったのだということを思い出しました。

それが、あっさり妻に結論を出されてしまったので、当初の冗談話に持っていくことを逸してしまったわけですが、その冗談話の真意や背景も、「ひま」が「時間」であってはちょっと違うのではないかという気がしてならないのです。

そこでもう少し考えてみると、現代の「手間ひまかける」の「ひま」が「時間」だとしても、それが単純に「手間」の繰り返しや量を増やすことだけが「時間」の実態になっていることが問題として見えてきます。

ただ手間数を多くすることではなく、手間のないただの時間も大事な中身ではないかと。

私がそんなことを意識するもう一つの背景になる出会いが最近ありました。

地元で、農業を産業化しない百姓の真髄を極めている田村貞重さんの言葉です。

最近、親しくさせていただいている田村さんといろいろな農業談義を聞いていた時に、田村さんが「今の人は、待つということができないんですよ」といいました。

育ちが遅い、病気にかかる、甘みが足りないなどのちょっとした症状が出ると、今の人は、すぐに肥料を足したり、薬を与えたりしてしまう。

どうしてそのような症状が出ているのかを考えず、その後どのように発育するのかを注意深く見守ることもしない。

待てないんですよ。

畑の作物の話をしているのですが、そのまま子育て論を聞いているような錯覚に陥ってしまいます。

もう一度、

「今のひとは、待つということができないんですよ」

これがただ手数を増やすことだけが「手間ひまをかける」ことではないことであると感じた理由です。

これは、ただ「待つ」ということでもありません。

大事なのは、今ある状態が一目見ただけでは、どうしてそうなるのか簡単にはわかるものではないということです。一つの結果は、様々な要因が絡み合っていたり、目に見えないものが影響していたり、時間をかければ自然に解決する問題であったり、即断困難な背景が溢れています。

だからこそ、見守る、調べるなどの手間が必要になってくるわけです。

農業や教育・子育てに限らず会社経営・経済においても、すぐに結果が出るようなこと自体が怪しいのです。右肩上がりの時代であればベースが伸びていたので、ちょっとした努力をすればすぐに結果が出たような気がしますが、右肩上がりの時代かどうかにかかわりなく真の結果を求めるのであれば、5年10年は見守るようなことは必然であることと思います。

スピードそのものに価値がある現代では、真の原因や背景を探ることなく、結論を下してしまうことがあまりにも多いのです。

確かにスピードは大事で、何事も手間ひまをかければ良いというものではありませんが、少しはただ手数を増やすだけではない「手間ひま」をかけることを、もう少し心がけていきたいものです。

 

 

以上、サボるのが忙しくて、なかなか仕事をしている暇のない私の長〜い言い訳でした(笑)

 

 

 

たまたま目にした記事

日本薬剤師会会長が決意の告白「患者よ、クスリを捨てなさい」

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妻が寝込んだ

2019年02月09日 | ・・・ったくアホな生活

妻が寝込んだ。

今はやりのインフルエンザだろうか。

ところが、うちの妻は、どんなに病気で苦しくなっても、医者に行かない。

薬も飲まない。

ただひたすら寝て回復を待つ。

苦しんで、苦しんで、のたうちまわって、回復を待つ。

 

安易に薬に頼らない、医者に頼らない、

という考え自体は私も賛成なのだけれども、

私よりはるかに頑なに妻はそれを貫きとおす。

風邪くらいならまだしも、

インフルエンザでそれはまずいだろうと言いたいところだが、

妻は言うことを聞かない。

https://toyokeizai.net/articles/-/147605

あるいは若いうちに大病を経験しているからなのか。

 

 

わけあって、週のうち3日しか一緒に暮らしていない私たちは、

時々そんな苦痛のうちに妻が我慢していても、私は目撃していないことも多い。

電話口の声が、いつもと違う時、体調がすぐれないのだろうと想像はするのだが、

大概は「大丈夫か?」と聞けば「大丈夫だ」と答えるのがわかっているので、

こちらとしても、なかなか打つ手がない。

 

それが今回は、週3日の一緒にいる時に寝込んだ。

細身で少食な妻は、ただでさえカロリー不足気味の身体なので、

ひとたび体調を壊すと、回復するエネルギーの余力そのものを人並みに持ち合わせていない。

いくら私が細身の女性が好みだからといって、そこまでしてくれなくても・・・

 

時々、不安になるのだけど、

万が一のことでもあったら虐待の疑いかけられること必至だ。

どう転んでも、素人判断で馬鹿なことをしたと非難を受けることも避けられない。

常識で言えば、本人が何と言おうが病院に連れて行くのが当たり前。

切迫した状況で顔色ひとつ見誤ったら、確かにとんでもないことになる。

 

もともとお互い別居中に万が一のことが起きたら

警察の捜査が入ることが避けられないだろうと覚悟もしている。

 

妻が納得の生き方を貫き通せるならば、

間違って殺人の疑いをかけられても構わないくらいの覚悟はあるものの、

自分自身、あの時病院に連れていっていればとの後悔を残さない判断が必ずできるとは思えない。

そんな危険な攻防を私たち夫婦は背負っている。

 

そもそも、こういう時の男はひらすら無能な存在。

何とか部屋の暖房を増やし、濡れタオルを当ててやり、

卵雑炊などをつくってやるものの、

ろくに気の利いた言葉をかけてやることもない。

できるだけそばにいて、黙って隣で本を読んでいるだけだ。

 

でも、そんな時間が過ごせることは、

苦しんでいる妻には申し訳ないが、少しばかり嬉しい。

何もしてやれない無能な立場でも、

他の機会ではなかなかできないただそばにいてやること。

自分の好きな本を読みながらという自分勝手はそのままでも、運良く今日は、

仕事が忙しいからなどと言わずにそばにいてやれることが少しばかり嬉しい。

 

昼は卵雑炊だったが、今度はお粥にしてやるか。

多少、味付けを失敗しても

美味しいと言って食べてくれることだけはわかっている(笑)

 

 

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