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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

子持の眠り姫が受胎する瞬間

2021年02月27日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

以前「子持の眠り姫」(俗称)という、子持神社の参道から西側に見える山裾が、参道松並木からみると女性の寝姿に見えることを紹介したことがあります。

 

 

 

 

この参道から見る小野子山の山裾が、女性の寝姿に見えること自体は地元でもよく知られたことでした。

それが改めて注目されるようになったのは、この眠り姫が子持神社の参道を登るにしたがって、なんとお腹が膨らんでくるように見えるということを発見してからでした。

 

それを知っただけでも大興奮だったのですが、その話の先にはさらなる驚きがありました。

もしかしたら、西側に沈む月がこの眠り姫のちょうどお腹の位置に沈む瞬間があるのではないかという仮説を思いついたことです。

つまり、「子持の眠り姫の受胎の瞬間」です。

 

月の出月の入りをアプリで確認してみると、時期によるのですが、十五夜の翌日、翌々日ころ、明け方の月が沈む時、子持の眠り姫の寝姿の上に満月が沈むことが確認できました。
確かに月の沈む位置が、ちょうど眠り姫のお腹のところに落ちていく時期があります。

薄々想像はしていたものの、月の沈む位置の季節の問題と、眠り姫と月の位置関係で見る場所の問題があり、それを実際に確認するまでは至っていませんでした。

 

それがようやく2018年12月の満月の翌々日早朝、みなかみ町を朝早く出て渋川市に向かい、月の入り時刻は午前7時55分であったので、山の高さを考慮して1時間ほど前からスタンバイすることができました。

すると、

 

 

 西の空に雲が流れておりハラハラしましたが、雲の流れが早かったのでなんとかなるだろうと待っていたならば、ちょうど眠り姫の上に雲の下から月が でてきました。

 

 そのまま降りてくれれば、なんとか眠り姫のお腹に降りてくれるかと期待しましたが、降りた先は真下に位置するお腹より、もう少し上のオッパイの位置でした。

 

 

月の出月の入りマップで見てみると

 まだ冬至直後で、月の入り方角は小野子山方面になります。

 

しかし、のちに気づいたことですが、場所を変えればほぼピッタリの位置で見ることができます。

やはりできれば、子持神社の参道上で見れる位置を確認したいものです。 

 

また1、2月の満月直後の数日にもチャンスがあります。

 
 

そもそも、古代において祭礼、祈りの多くは夜を徹して行われるものでした。

西暦での暮らしが日常化した現代ではなかなか気付かれないかもしれませんが、伝統行事の多くにこうした習慣は最近まで残っていました。

 

そうした夜の祈りの中でも、1年のうちで最も夜の長い日(冬至)、この日から太陽のエネルギーが増していく日に祈り続け、その夜明けに、自然歴の上での生と死の転換、生命の授受が行われると言われます。
大嘗祭も天皇霊の授受がそのような場として行われているようです。

1年のはじまりは、西暦の1月1日に意味がないのは言わずもがなですが、旧暦の1月1日と共にこの冬至こそ、陰陽のリズムからは1年のはじまりにふさわしい日と見られていました。


(天皇の神事として謎の多い大嘗祭についてはこちらを参照 大嘗祭に秘密の儀式が・・・

 

こうした古来の月に関わる習慣のことを知ると、まったくの推測ですが、子持神社のこの参道の位置、もしくはこの東西のどこかの場所で、子宝を願う女性が満月の夜を徹して祈り続けて、明け方になりようやく東から太陽がのぼる時。

眠り姫のお腹に月が沈み、まさに感動をもって生命受胎の瞬間を見て祈りが成就されたことが想像されるのです。
 

私の勝手な推測にすぎませんが、古代の人々がこれを意識していなかったとはとても思えません。

関連ページ「年のはじまり、月のはじまり、1日のはじまりのこと」

 

 

なお、『子持の眠り姫』という呼称は、私たちが勝手につけたものですが、このストーリーと命名の由来については、『神道集』のなかの以下の記述に依拠しています。(『神道集』は、関東など東国の神社縁起を中心とした、本地垂迹説に基づいた神仏に関する説話集)

 

『神道集』第三十四 上野国児持山之事

日本国第四十代天武天皇の御代に、伊勢国渡会郡から荒人神として出現し、上野国群馬郡白井に保(保は律令制下の郷里の単位で、庶民開墾の私田の地)に神となって現れたのが児持大明神である。

その由来は、

 伊勢の阿津野の地頭に阿野権守保明という長者がいた。保明は子の一人もいないのを悲しんで、伊勢大神宮に祈願した結果、児守明神に祈願するとよいという指示があった。そこで児守明神に参籠祈願すると、七日の満願の暁、御宝殿の内から二十二、三に見える女性が現れ鏡をくれる夢を見た。

帰国後間もなく阿野保明の奥方は懐妊。やがて持統天皇の七年の三月中ごろ無事安産。取り上げてみると鏡のように曇りのない美しい姫君で、父母共に大喜び、児持明神から授かったので児持御前と名付けた。

 

 

 

 

そして1月21日(月) 十六夜の日に、ようやく眠り姫のお腹に入る月を撮影することが出来ました。

 残念ながら月の入りが8時頃であったため、太陽が上がってしまっているので、月の明かりが弱く微かにしか写りませんでした。それでも、子持神社の参道からこの受胎の瞬間が見れることは確認することが出来ました。

もう少し月の入り時刻の早い十五夜以前に再度撮影を試みてみます。

 

ほとけは常にいませども

うつつなるぞあはれなる

人のおとせぬあかつきに

ほのかに夢にみえたまふ

    『梁塵秘抄』より

 

 

2021年から幸いなことに叔母の家の犬の散歩当番がなくなったので、以前よりは撮影チャンスは増えましたが、天候や私の根性などの条件が折り合う機会がなかなかありませんでした。

それがようやく2月27日、雪が散らつくなかにもかかわらず西の空だけ運よく雲が切れて撮影することができました。

月の入り、6時26分

地平にかかる雲がわずかに遮っていますが、まさに受胎の瞬間です。

 


2月27日の月の出、月の入方向   月の入時刻6時26分、日の出時刻6時18分

翌日、もう少し南のお腹の上に落ちるチャンスを狙います。


2月28日の月の出、月の入方向    月の入時刻7時1分 日の出時刻6時16分

 

ところが、たった1日の違いですが、予想以上に月の入る位置は南にずれていました。

 

さらに追い討ちをかけるように、東からは太陽がのぼりはじめ、周囲はどんどん明るくなります。


ということは、改めて眠り姫が受胎する瞬間は、十五夜ではなくて限りなく満月の日に限られているのではないかと思われます。

つまり、旧暦・陰暦の新年、小正月の満月の日のみに見られる現象ではないかということです。

 

月の入位置の変遷

 

このことを確認するには、来月の満月の日、来年の旧暦12月(西暦2022年1月18日)満月なども比較してみなければなりません。

近く、より良い条件でこれらを撮影できたらまたこのページを更新させていただきます。 

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もしも、わたしが一本の木だとしたら

2020年02月29日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

わたしが、一本の木だとしたらどのように、

根っこをはやし、えだを伸ばしてきたのだろうか。

 

早川ユミが『種まきノート』アノニマ ・スタジオ(2008年)の中で、こんな問いかけをしていました。

 

このところ、わたしの親の世代が相次いでなくなり、人の一生というものをこれまでになく、真剣に考えるようになりました。

そもそも人は何のために生きるのか。

容易ならざる問いですが、早川ユミさんのこの問い方は、とても共感できるものでした。

 

もしもわたしが一本の木だとしたら・・・・

 

 

考えてみました。

 

もしもわたしが一本の木だとしたら、
どれだけ深く根を張ることができただろうか。

どうやら、深く掘ることばかりに気がいって、広く根を張ることは疎かになっていたようだ。

 

もしもわたしが一本の木だとしたら、
どれだけ年輪を重ねて太い幹になれただろうか。

年輪は、年数とともに自動的に増えるものですが、夏と冬の寒暖の差を受けて、

密度の濃い丈夫な幹に育ったとはとてもいえない。

 

もしもわたしが一本の木だとしたら、
枝を広げることだけは随分やってきたといえるかもしれない。

でもそれにふさわしい幹や広くはった根を育てていないので、

強い風に煽られたら、いつ倒れてもおかしくない育ち方をしている。

 

もしもわたしが一本の木だとしたら、
どんな花を咲かせていただろうか。

枝いっぱいに花を咲かせることなど、

未だ一度もできていないような気がする。

美しく咲かせることができるのなら、老木になって一度だけでも良い。

 

もしもわたしが一本の木だとしたら、
どんな実を生らすことができただろうか。

子どものいない私にとっては、自身の種から芽が育つことはないかもしれないけど、

周りの木々のために、日陰を作ったり、風よけになったり、

やがて苔むして、朽ちて、

せめて他の生命の肥しになることができれば幸せなことだろう。

 

仕事で何かをなした達成感も大事ですが、

もしもわたしが一本の木だとしたら、という問いかけは、

より自然なかたちで自分を振り返ることができる、とても良い言葉です。

 

沼田市白沢の石割り桜

 

人間や動物は、足を持ち移動できるのだから、木とは前提条件が違うのではないかと言われそうですが、とんでもありません。

昭和・平成・令和という時代に生まれた私たちは、決して自ら選んでこの世に生まれてきたわけではありません。両親の遺伝子を受け継ぎ、この日本、この地球という現代の条件の中に、気がついたときには産み落とされていたのです。

この国に根を下ろして生きなさいと。

この時代で芽を出し枝を伸ばしなさいと。

この世界で花を咲かせ、実を実らせなさいと。

一本の木と全く同じように、自分の意志では動かしようのない決定的な自然条件、歴史条件のなかに生まれ育っていることを忘れてはなりません。

 



 

 

もしも私が一本の木だとしたら・・・

 

 

さらには、一代のみ、一本のみとして考えないことも大事でしょう。

 

 

         お花がちって 実がうれて、

         その実が落ちて 葉が落ちて、

         それから芽が出て 花が咲く。

         そうして何べんまわったら、

         この木はご用が すむかしら。

                 『木』 金子みすゞ

 

 

ぜひ皆さんも考えて見てください。

     「もしも、わたしが一本の木だとしたら」

 

 

 

 

 

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闇から生まれる最初の色 「青」についての覚書

2019年08月30日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

 

 

 

暗闇から

一番最初に生まれる色彩は、

 

 

 

青といえば、

空の色、

海の色に始まり、

 

 

 青は文字通り水色、空色として地上を代表する色彩となっています。

 

 

 

どちらも無限ともいえる深い空間から生まれた色です。

その深さが極まれば、当然行き着く先はまた「闇」であり、

黒色の世界となります。

 

したがって、プリズムの原理は知らずとも

闇のなかから最初に生まれる色彩は「青」となります。

 

私が中学生のときの担任が美術の先生で、それは厳しく恐い先生でした。
でも、振り返ると今日まで記憶に残る大切なことを
最も多く教えてくれたのもこの先生です。
その先生が何の絵だか記憶はありませんが、私が描いていた絵の闇の部分に
この黒い面に一点だけ青絵の具をつけると深みが出ると教えてくれました。
ひとつのテクニックを教えてくれたにすぎないかもしれませんが、
今思えば黒・闇と青の関係を伝えてくれるものでした。

それともう一つ思い起こされるのは、
小学生のとき、ポスターを描く宿題で山の自然保護だかの絵を描いたことがあり、
そのとき遠くに見える山は青く見えると教わったことを意識して
山なみを三角形の直線を重ねた表現で描いた記憶があります。
これは自分なりにはシンプルに抽象化された表現がうまく出来たつもりでしたが、
なぜか先生の評価は高くなく入選しなかったことが悔しかった記憶があります。
あとで振り返れば、どこかのポスターにあったような表現であったため、
子どものポスターとしては評価されなかったのだろうと解釈しています。 

 

 

古来、人びとは文明を問わず、この青という色彩を

黄金・金色、朱色・赤とともに特別な意味を感じていました。

 

 古代エジプトの黄金と青色だけの彩色。

古代エジプトにおける青の色材は、アフガニスタンのみで産出されるラピス・ラズリ(ウルトラマリン)が珍重されたが、これは極めて貴重なもので、かつ塊状なので加工利用が難しい。そこで、手軽に利用できるウルトラマリン代替の青として、人工的な銅の顔料、エジプシャン・ブルー(エジプト・ブルー)が発明された。これは同時に、人間が化学反応を伴うプロセスで初めて合成した青顔料でもあった。
参照 エジプシャン・ブルーとハン・ブルー
https://sites.google.com/site/fluordoublet/home/colors_and_light/egyptian_blue 

 

黄金・金色や赤・朱色に古来多くの人びとが魅了されてきたことはわかりますが、

かくも青色に多くの人びとが魅了され続けてきたのは、

いったいどのような理由によるものでしょうか。

 

 モスクの装飾もブルーが基調

 

 

同じ古代からの文化でも、
かたや中東から北方や東方に向かうと
赤や朱色が基調になってきます。

赤の文化は、中国、日本ばかりかロシアでも、
「美しい(クラシーバ)」という言葉は 、
「赤い」と同義語であると聞いたことがあります。

こうした色彩文化の違いは、どこからくるのでしょうか。

 

 

 白色の次にあらわれた青色

 

 

 

このように古代から、シルクロードを経て日本にやってきた青色は、

藍色に代表されるジャパンブルーともいわれる色彩にまで進化しました。

それは、鉱物系の色彩から植物系の色彩への変遷ともいえます。

  

志村ふくみ 志村洋子 志村昌司『夢もまた青し 志村の色と言葉』河出書房新社

 

 

 

 

 日本語で「アオ」は、しばしば「黒」や「緑」と同義語であったりします。

このことも、闇から生まれる最初の色が青であることから考えると、

黒や緑などの原初の色彩を総称して「アオ」とする見方が自然に理解できる気がします。

まさに「色即是空」の「色」が「アオ」と似たニュアンスに感じられます。

 

 

青そのものの表現バリエーションでも

水色、空色、青色の周辺に、

藍色、藍鼠、濃藍、濃紺、露草色、納戸色、縹・花田色、群青色、紺、紺青、

紺藍、瑠璃色、瑠璃紺、杜若(かきつばた)色、桔梗色、勝色、熨斗目色、

浅葱色、水浅葱、錆浅葱、新橋色(金春色)、勿忘草色、露草色、白群、

鉄色、鉄紺、青鈍、甕覗(かめのぞき)・・・・など

 

 青が魅力的な松尾昭典さんの陶芸

 

 上の皿は松尾さんの新作で、井戸の底から見上げた夜空をイメージしたものだそうです。
写真ではちょっとわかりにくいですが、金色の星がかすかに散りばめられています。 

 

 

 

この青が洋風表現の場合でも、ブルー、シアンの周辺に

ナイルブルー、ピーコックブルー、ターコイズブルー、マリンブルー、

ホリゾンブルー、スカイブルー、セルリアンブルー、ベビーブルー、

サックスブルー、コバルトブルー、アイアンブルー、プルシャンブルー、

ミッドナイトブルー、ヒヤシンス、ネービーブルー、オリエンタルブルー、

ウルトラマリンブルー、ウイスタリア・・・・など

紫系、青緑系を除いても結構あります。

 

 

 

このように振り返ってみると、「青」という色がもつ性格は

無限の深みのなかに歴史(時間)の深さと、立体(空間)の深さ

を兼ねそなえた色彩であることにあらためて気づかされます。

 

しかもそれは、闇に一番近いところに生まれた色彩であるため、

まだあらゆるノイズ(騒音)も生まれる前の静寂もあわせ持っています。

このことは同時に、わずかなノイズ(騒音)さえも目立つということであり、

自ずと高い精神性もともなってきます。

 

源氏物語の世界にも見られるように、青の隣りにある色彩「紫」が最も高貴な色であるというのも、何かこのような青色の属性から推察できるような気もします。

 

 

現代で、ブルーというとブルーな気分として、落ち込んだ気持ち、沈んだ気分、憂鬱な気分などを指す意味もありますが、これも底の限りなく深いところに落ち込んだような感覚からきているのでしょうか。

いづれにしても、青、ブルーの色は、底はかない「深さ」のようなものを感じさせます。

 

 

そして、

 

闇から生まれる最初の色「青」の究極が、コレ。

 

 

以上、「月夜野百景」リーフレットのシリーズで、夜・闇の意味についてまとめる素材を洗い出してみました。

 

 

 関連ページ  新緑の季節「生命の誕生」が緑色であることの意味

 人の色の好みは、赤だろうが緑だろうが所詮好みの問題にすぎないと思っていました。

ところがこう振り返ってみると、今まで青色が好きだという人は、緑や赤に比べてなにをもって好きと思っているのか推し測りがたい面がありましたが、何かとても高い精神性をもった尊敬すべき人たちのように思えてきました。

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神は人に命じることも人を助ける義務もない

2019年04月19日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

房総半島の先っぽにあるcへ行ってきました。

ここはカミとは何かを考えるうえでとても大事な神社であることを知ったからです。

 

 

私が妻と歴史をたどる旅にできるときは、振り返ってみればなにかと「古社」を訪ねることが多いものです。

それは、私たちがいつも天武・持統の時代を経て大陸思想の影響下でこの国のかたちかたちがつくられる前の姿にこだわっているからです。

ときには、中世の源氏物語に代表される高度な貴族文化に惹かれたり、鎌倉仏教のエネルギーに魅了されたり、戦国期の力強い桃山文化に圧倒されたり、幕末・明治の西洋を驚かすほどの庶民文化に魅了されたり、横道だらけのなかでの旅なのですが、それでも旅では一貫して縄文時代以来、今日に至るまで深く日本に根付いている根底の文化を、私たちは非大陸的な思考の中に見ています。

その典型が、この安房神社のような「古社」です。

 

 

実は、この安房神社もネットで検索すると、日本を代表するパワースポット、「イヤシロチ」、三大金運神社などといった内容で出てきます。

しかし私たちは、神さまや神社というものをそのようなものとしては考えてはいません。

先にタイトルに示してありますが、神さまに御利益を求めるのは、人間の実に身勝手な話です。

そもそも神さまは人に命じることも人を助ける義務もありません。

まして神は人を罰することもありません。

 

 

そもそも神さまは「なんでも叶えてくれるから偉い」というような欲がらみで祈るべきはありません。


恵まれた土と水と光と植物の種が、すみやかに、とどこおりなく育つにはどうしたらよいのかを教えてくれるのが神であり、その通りに行うのが人の努めであり、そうして作った新米を神に供えて祝ったのがそもそもの神事なのです。 

今、天皇の皇位継承とともに大嘗祭や新嘗祭などの行事が注目されていますが、天皇はまさに神ではなく人として、こうした神(天)との約束事をひとつひとつ滞りなくきちんとやり遂げることに意味があるのであって、決して誰かの損得や御利益のためにすることではないのだと肝に銘じなければなりません。

こうした欲にまみれた俗世間の祈りとの違いを、日本の天皇の姿というのは本来はもちそなえているものだと思います。

長い天皇の歴史の実態は、大きく揺れ動き必ずしもいつでも立派であったとはとても言い難いかもしれませんが、こうした行事を常に滞りなく行い続けてきたことによって、その矜持を保ち続けることができたといえるのかもしれません。

それだけに今の美智子皇后のふるまいには、皇室の歴史の中でも本来あるべき姿をきちんと実践して私たちに見事に見せてくれている格別の存在感を感じます。

 

 

自然界では、神さまといえども必ずしも優しくて良い神さまばかりではなく、荒らぶる神も存在します。

そうした人間のコントロールなどおよそ及ばない自然界の中で人は、慎んで生きること、「慎まる」ことこそ大切にしなければならないものと思います。

 

この辺が西洋の一神教、天地創造の神であるGOD、自分たちの神こそがエライというような宗教と決定的に異なるところです。

原始アニミズムともいえますが、草木や動物たちと人間が対等に言葉をかわしていた頃、日本では八百万神の時代、人や神に序列をつけることはありませんでした。

 

私たちが息をするように身の回りに感じられるものがカミです。

 

つい私たちは神社の拝殿にばかり手を合わせて祈りがちですが、立派な拝殿が作られたのはずっと後世のことで、神さまは必ずしもそこにいるわけではなく、そのずっと背後です。だいたいの方向としてはあっているのでしょうが。

 

 

それぞれの生き物の中には「人格」のような格の差こそそれぞれあっても、それは順位、序列といったようなものではありません。

それが大陸から仏教が入ってくるとともに、神々にも序列がつけられ人間社会の中でも序列が重視されるようになってきました。

その境界が縄文時代から聖徳太子の時代までと、天武・持統の時代、藤原氏による国家支配が強まる時代にあると感じています。

もちろん、藤原支配が強まっても、他方では現代、とりわけ先の東京オリンピックの頃までは、縄文的な日本の姿は脈々と受け継がれてきていました。

それが、これから平成から令和にかわり、様々な天皇の皇位継承行事がとりおこなわれるとき、先の東京オリンピックの頃から急激に日本が失ってしまった大切なものを、今度のオリンピックで、なんの反省もなくさらに加速的に失っていってしまいそうな世の中の空気を感じています。

そんな空気のただよう今日この頃であるだけに、私たちはこうした神社に足を運ばずには入られませんでした。

 

そして事実、安房神社は、パワースポットブームなどに穢されることなく、「鎮まる」空気に満ちた素晴らしい空間でした。

 

 

 

 

 

 

さすがに房総半島の南端というだけあって、群馬では見られない常緑広葉樹が多いことも驚きでした。

そうした植生が育む空気も、日本を理解する上ではとても大事なことと思います。

 

 

 以上、これまでの内容の多くは下記の『先代旧事本紀大成経伝』の優れた解説を参考にしていますが、文献学上、『先代旧事本紀』とともに歴史記述の明らかな齟齬が認められることなどからこれらの文献は偽書とされてます。にも関わらず、その衝撃的で説得力ある内容から現代に至るまで多くの影響力を持っています。私は偽書だとしても、これほど素晴らしい偽書は他にないと思っています。
 私はとても多くの大切なことをここから学んでいますが、何事もすぐに感化されてしまう私とは異なる賢明なみなさんは決して鵜呑みにはされないように気をつけてくださいw。

 

今回は、皇位継承の時期なので、カミと天皇との関係に絞って書きましたが、太平洋側の海洋文化圏としての房総半島についてや、鹿島・香取神社とその他の在来神社のこと、縄文、蝦夷対策の境界や東国武士の発生の歴史などについては、いつになるかはわかりませんが、またあらためて書かせていただきます。

 

 

 

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軽く考えないで欲しい「景観条例」、ここぞ本丸!

2018年12月29日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

私の地元、みなかみ町で新しい「景観計画」の策定準備を始めている記事を見ました。
ユネスコエコパーク認定にともない、関連する条件整備は当然必要になってくることと思います。

みなかみ町景観計画の策定

ところが、この「景観計画」が今後の地域の将来に対してどれだけ重要なことであるのか、さらには、この計画に実効性を持たせることがどれだけ困難なことであるか、それらが公開されている資料(拝見したPDF資料自体はとても立派なものです)や議事録などからは、どうも十分討議されているようには見えませんでした。
担当職員が一生懸命作ってくれただけで、関係機関や住民との間の練り込みがされた痕跡があまり見られないのです。 

パブリックコメントも募集していたようですが、知らずにすでに締め切りもすぎていたので、 この機会に思うところを少し書いてみたいと思います。 

 

 

1、世界から大きく立ち遅れた日本の現状

まず「景観条例」に実効性を持たせることがいかに困難なことであるかは、日本一の国際観光都市であるはずの京都の実態から十分にうかがい知れます。

世界の無電柱化の実態は、ロンドン、パリ、ベルリン、香港、オークランドなどは100%地中化していて、アジアでもソウルとかマニラ、ジャカルタ、北京とかはすでに50%くらい無電柱化されていますが、東京はなんと7%というレベル。

だから当然、旗が振られてそれなりに頑張っているのですが、それでも遅々として進んでいるわけではないのが実情です。

それは、世界有数の観光都市である京都でさえ2%という水準に如実に表れています。

 

  

 

  


世界に誇る文化遺産を持ち、文字通り日本でトップクラスの国際観光地である京都でさえ、観光地としての「景観整備」、個別には、「看板規制」「電柱の地中化」「歴史建造物や町並みの保存」などは、ヨーロッパのみならずアジアを含めた国際比較をみても、恥ずかしいほどの水準にとどまっています。

ゴミが散乱しておらず、清潔なトイレやマナーの良さなどでは、世界トップ水準の国であるにもかかわらずです。

それでも京都には、個々の文化遺産に優れたものがたくさんあるので観光客はたくさん来てくれているのですが、諸外国の観光地の景観に比べたら、やはり雲泥のさがあると言わざるをえません。

 

さらに今では、無電柱化というと都市部市街地から進められるのが当たり前かのようになっていますが、ヨーロッパでは、市街地がほぼ完了したからという差もあるかもしれませんが、農村地帯であっても、電柱や看板などの広告物が景観を損ねないようにする対策は、電柱地中埋設に限らず様々な方法で実施されています。 

 

 

日本のように道路があればそこに電柱を立てるのが当たり前なのと違って、ヨーロッパでは、都市部に限らず農村部であっても、できるだけ電柱が視界に入らない工夫がされています。

 

 

こうしたことはずっと指摘されていながらも日本を代表する観光都市京都では、未だに現状をなかなか変えることができない実情と原因をよく理解する必要があります。

しばしばこうしたヨーロッパなどの例を出すと、もともと歴史的建造物の多い国だからできていることだといったようなことを言われますが、ヨーロッパの都市の多くは戦争によって破壊された場所ばかりです。日本の都市が空襲で破壊されたのとなんら変わるところはありません。その多くは、戦後になって修復、再建されたものです。

条件が良い悪いの違いでは決してありません。

どこを目指しているかどうかの違いであると思います。 

電柱地下埋設のことを中心に例をあげましたが、これも地域で話題にすると1キロ地下埋設するのに何億円かかると思ってるんだと言われます。だからほとんどは国や県から出る予算待ちの計画しかできない発想になりがちですが、だからこそ、これも地方「自治」の核心テーマになるわけです。

そこが見えていないと、どんなに立派な「景観条例」を作ってもそれに実効性を持たせることは到底できないのではないかと思えてなりません。

 

 

その上で、次に大きな壁となるのは、みなかみ町独自のの歴史的、地理的障害の問題です。 

 

 

2、みなかみ町の独自障壁、課題

 

歴史的な独自課題

今の姿からは想像がつかないかもしれませんが、上越線が開通する以前の水上温泉は、湯原温泉と言われたひなびた温泉で、農閑期に近在の村から湯治客が訪れていた程度であったそうです。

それが、大正、昭和から始まった数々のダム建設や清水トンネル開削、それと同時期の水上駅の発展にともない旧水上町周辺は劇的に発展してきました。多くの温泉地が発展できたのもそうした背景があってこそのことです。

 

原田正純『ぐんまの鉄道』みやま文庫

上記みやま文庫では、「鉄道町 水上」の変容と題して、鉄道を中心に発達した水上の歴史を詳しく紹介しています。

主だった事項を以下に記します。
昭和16年時点での水上機関区の職員数は255名にものぼったとの記録があります。(家族を含めたら国鉄職員の占める比率がいかに高かったかがうかがい知れます)しかし徐々に鉄道拠点が水上機関区から高崎第二機関区や長岡運転所に移行して行き、水上機関区の機関車は昭和57年までには全てが廃車となりました。

それほどの歴史のある水上駅でしたが上越新幹線の駅は、上毛高原駅となり昭和57年に新潟までの区間開通となりました。

昭和30年代後半から40年代が水上温泉の最盛期で、観光客数は昭和61年の百七十万人がピークであったと言われます。
平成13年の観光パンフレットに28カ所あった水上温泉の宿泊施設は、同27年の観光協会ホームページでは12施設に減少しました。

 

このようにみなかみ町は、周辺他県の観光地のようにスキー場の増大とともに発展してきた新潟県魚沼地方やリゾート開発主導で成長してきた長野県側などと違って、「ダム開発」と「トンネル工事」に代表される巨大公共事業とその時々の産業主導で発展してきたのが、この地域の特殊性であるといえます。

当然、温泉地として知られるようになった観光産業とはいえ、景観への配慮がなされることはこれまでの町の歴史ではほとんどありませんでした。 

ここに、豊富な観光資源がありあがらそれが活かしきれないみなかみ町の大きな特徴があるのではないかと思います。

 

そのことは、旧水上町の明治時代からの人口推移を見ればさらによくわかります。
グラフ化できれば良いのですが、
合併前後を通した資料が手元にないので継ぎ接ぎ情報になりますが、


明治初期の旧水上町の人口は2千人程度だったようです。

 

それが戦後、昭和30年代には、1万人を超えるほどまでに激増しました。

ところがその後、みるみる急降下しだし、またたく間に元の3千人近くまで下がってしまいました。

 

  旧水上町の人口推移 『町誌みなかみ』より

 

緩やかに増え緩やかに減少期へ入った旧月夜野町や旧新治村に比べると異常な急上昇急降下です。

対する旧月夜野町は、平成7年以降は減少に転じていますが、どちらかといえば日本全国の平均的な推移に近く、3千人くらいの時代から緩やかに増え続け、現在の1万人水準に到達しています。

新しい地区別データがありませんが、3地区を比較してみると、
全国の地方の人口減少傾向と比べても異常な実態であることがわかります。

 

この水上地区の問題は、みなかみ町に合併されたことで全体で緩和することができた面がありますが、夕張市が破綻した問題と同じ構造を今も抱えていることに変わりはありません。多様な地場産業を育てることがないまま、巨大プロジェクトに牽引されるがままに器が肥大したまま残されてしまったのです。
だからこそ、その突破口を観光でということになってしまうのですが、ここにこそ観光みなかみ町の構造的な大きな課題が出ていると思います。

そこには急上昇、急降下した地域ならではの有形無形の莫大な負債があり、その処理費用は大変なものであることがこれからも予想されるのです。でも、地域のイメージを変えるには、ここに踏み込むこと抜きにその先は考えられません。

 

 

地理的な独自課題

 さらに、この地の景観を損ねる要因としては地理的な特殊性があげられます。

同じ豊かな山間部の自然を売りにしている観光地でも、その地形は様々です。

次の写真は、みなかみ町では普通に見られる道路の景観です。

 

 

 

これが、周辺の山々の傾斜が緩やかであると、自然と路肩幅も取りやすく、のり面もコンクリートで固める必要もなくなってきます。

このコンクリートの比率の差も、景観に大きく作用しています。

地域全体で目に入るコンクリートの量が、劇的な差を生んでいるのです。

 

この上と下の写真の違いがわかるでしょうか。

 

 

こうした背景が、同じ観光地でありながらも、長野県や新潟県のような観光リゾート型成長を始めからとってきた場所との大きな差を生んでいます。

 

 

3、どれひとつとっても重大テーマになる各論

さらに個別に見ると

① 電柱地下埋設問題

      

日本から電柱が無くならない酷すぎる理由 

 電柱地下埋設というと、莫大なお金がかかるので国や県の予算頼み思考になりがちですが、
 まず国際的な観光地水準を目指す前提で優先順位や計画をしっかり持つことが求められます。 

 さらに地下埋設以外にも、電柱ルートの変更・迂回や、柱の化粧処理など打つ手は色々あります。

 

② 乱立する首都圏への送電線網

さらに、関東の水源、首都圏の水瓶であると同時に首都東京への電力供給源でもあることから、南北に送電線が何本(5本?)もはしることが宿命づけられています。それは利根の水源ばかりでなく、新潟から首都圏への送電線もこの地を通過することになります。

いたるところに美しい景観はありますが、観光名所を撮影するにも、山を撮影するにも送電線を避けて限られたアングルを見つけなければなりません。

そんなこと言ってもどうすることもできないではないかと言われますが、10年〜30年のスパンで考えると、電源や水源などエネルギー資源管理の考え方や技術はどんどん進歩します。
必ずしも水源地の避けられない宿命とは限りません。

 

③ 看板規制

 

④ ガードレール・フェンス対策

 国、県、市町村、私有地でまさに縦割り行政の管理下にありますが、 公共性の高い場所なら、
 たとえボランティアであっても、さっさと焦茶色のペンキを塗ってしまいたいものです。

⑤ 私有地外観の公共性

    軽井沢のような別荘地であれば、初めから個人の敷地であっても周辺の環境に配慮した
   建物や植栽にすることは当然と思われるかもしれませんが、
   これもこれからの世界基準から見れば、特殊な観光地や別荘地に限らない地域づくりの
   基本目標になってきているといえます。
   もちろんそれは簡単なことではありませんが、
   ゴールとしては明確に設定しているかどうかが大事です。
   目標が明確になっていれば、行政コストをかけなくても、
   自発的住民によって始められることもたくさん考えられます。 

⑥ 草刈り問題

   近隣の高山村などのレベルまで、もしみなかみ町が草刈りを徹底するとしたら、
    年間の回数で3倍、一回の人員でも2〜3倍の規模が必要です。
    もちろん、そんな予算はとてもない、ということになりますが、
    これも地域のお金をどう有効に回すかの問題だと思います。 

 

⑦ 自然草花の植生管理

   都市公園のような花壇も美しいものですが、ユネスコエコパークにふさわしい
   自然の植生を知り活かした景観づくりとはどのようなものなのでしょうか。
   みなかみ「ヤマブキ」植栽考

 

 

 

つまり、景観づくりにはほとんど考慮することなく産業主導で成長してきた土地柄があり、この負の遺産を解消することに、みなかみ町には大規模な独自対策が求められるわけです。

 

ベネッセ(「よく生きる」の意味)の会長、福武總一郎は、

「努力しているのに幸せになれない理由は、幸せな地域にいないからだと思った。」

と、ちょっと誤解されそうなことを言っていますが、その意味は、

「幸せな地域にいないと、自分だけが幸せになろうとする。そうすると、自分さえ幸せになればいいというグルーディー(貪欲)な人の集まりになってしまう。(それが東京だと思った)」

と語っていますが、これは都会に限ったことではありません。 

「景観」とは、まさにこうした幸せな地域をつくるとき、もっとも基本に位置す課題であると思います。 

 

観光が成り立つには、まず第一次産業である農業や林業が元気であることが大前提でなければなりません。

さらに第一次産業が成り立つには、そこに豊かな自然があることが大前提です。

それら豊かな自然が生かされているかどうかが、まさに人間と自然の折り合いで作られる「景観」のなかにあられているわけです。

「景観条例」に基づいた計画とは、当然それらを含めた総合的観点で検討されなければならないし、それだけにもっと広範な議論を重ねてしっかりと練りこんでいかないと、大きく出遅れた日本のレベルをなんら取り戻すようなところにはおよそたどり着けないのではないかと感じます。

 

環境問題は、実利に直結したものが少ないだけに、議会などではあまり人気がないテーマで膨大な予算が絡めば困難は一層増しがちです。
でも環境問題の課題の多くは、この半世紀(特に先の東京オリンピック以降)の間に作られた負の遺産の問題であり、困難な問題であっても4〜50年後には当たり前になっているようなことばかりです。 

行政サイドでは、どうしてもバランスを優先した計画にならざるをえないものと思いますが、抱えている困難な条件を突破することを考えれば、喉の奥深くで複雑に絡み合った骨を、口から手を突っ込んで取り除くような覚悟をもって明るい未来を手元に引き寄せなければなりません。

ただの美しい景観が増えれば良いというだけの問題ではなく、ここにこそ地域の課題の根本に関わるテーマが深く内在しているものと思います。どんな課題でも問題に気づけば、遅すぎるということはありません。
幅広い住民の議論を巻き起こす一歩が今からでも踏み出すことができたらと思います。 

 

 

とはいえ、ここで何をいっても一住民のつぶやきにすぎませんが、もっと幅広い議論を起こすことは今からでも遅くはないはずです。毎度、思いつくままの文で申し訳ありませんがパブリックコメントにかえて書かせていただきました。

 

 

 

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#みなかみ町 #景観条例 #景観計画 #電柱地下埋設 #ユネスコエコパーク

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異常気象は「恩恵」ももたらす?

2018年11月10日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

ほとんどの地域で稲刈りは、遅くても10月末には終えているのが普通ですが、いまいろいろお世話になっている田村さんの田んぼは、毎年11月に入ってから刈り入れをします。

といっても、暦を見て、稲の生育を見て、天気を見て決めることなので、明確にいつと決められることでもないようですが、今年の夏の猛暑は農家にとって様々な影響を与えたようです。

数日前から、この田村さんの遅い刈り入れの稲を撮影しに寄っていたのですが、昨夜、田村さんの方から是非写真を撮ってもらいたい稲があるとの連絡をいただきました。

それは、この夏の猛暑が原因なのかどうかはわかりませんが、突然変異の稲が出たので、それを撮影してほしいというのです。

それは喜んで、と今朝すっ飛んで行ってきました。

聞くとそれは稲の茎が異常に太いものが出たのだと言います。

前にも、こうした茎の太い稲が出たことはあるそうですが、今回で2回目であるとのこと。

これも手作業の稲刈りでなければ気づかないことでしょう。

 

リンゴやミカンなどの果実類は、突然変異が出やすいそうですが、稲の場合は滅多にないそうです。

いろいろ話を伺っていると、異常気象の時こそ、自然界の生き物にとって多くは災難であるかもしれないけれど、同時に新しい生命が生まれるチャンスでもあるようです。

田村さんいわく、環境が激変する時こそ、それまでの環境では生まれてこなかった新しい異端児が出てくるものだと。厳密には、突然変異種は異端児よりももっと稀なもので、革命児とか異星人に近いレベルのものです。

この異端児というのは、環境が安定している時にはあくまでも異端児として排除されていく立場なのだけれども、これまでになかった環境が現れると、この異端児こそが次の時代を作る主役の側になる可能性があるというのです。

その意味で、異常気象というのはこうした異端児が生まれてくるチャンスでもあるので、農業の未来にとっては必ずしも悪いことばかりではないのかもしれないと話してくれました。

苗や種を買ってきて植える農業と違って、親から生まれた子どもをきちんと育てる農業を行っている田村さんにとっては、こうした一つ一つの突然変異の事例は、とても大切なもののようです。

DNA解析や遺伝子組かえ技術で組み立てる生命ではなく、生まれ育った一つひとつ固有の環境の中でこそ生命は輝きを増すのですから。

田村さんと農業の話をしていると、いつも子育てや教育の話をしているのか、現代医療の話をしているのか、はたまた哲学の話なのかわからなくなります。

 

田村さんに何か太さを比較する目印になるものはないかと言ったら、綿棒を出してくれました。

帰ってから気づいたのですが、普通の稲と並べるのが一番わかりやすかったですね。

また次に撮影してくることにします。

農業を経済効率だけで考えてしまうと、細胞の数は変わらないまま、ただ太らせることや、より甘くなることのみを追いもとめがちですが、本来は、生命そのものの力を強くすることこそが基本であるはずです。

それには、畑に実ったものの姿だけを見ていたのでは何もわかりません。

育つ前の土の中の環境にこそ、まず目を向けなければなりませんが、それは目に見えるミミズや昆虫だけではなく、人間の目には見えないたくさんの微生物によってこそ支えられているものです。

現代農業は、そのデータを全くとっていません。

たとえが古いかもしれませんが、窒素、リン、カリの配分比率の問題ではありません。

確かに昔に比べたら、化学肥料や農薬が人間に取ってどれだけ害があるかどうかは、しっかりとしたデータを取り「安全」なものを「より多く」生産する農業は飛躍的に進歩してきました。

でもどんなにデータで立証されようが、生命が痩せ衰えていく農業に未来はありません。 

農業をめぐっては、後継者問題をはじめ太刀打ちできない大きな問題が山ほどのしかかっていますが、だからと言って目先の利益を追求したところでその場しのぎにしかならないことも確かです。

農業に限らず、世の中全体が「生命」とどう付き合うかを、一つひとつ考えること、見つめること抜きには突破口は出ないものと思っています。

そんな意味でも、田村さんの畑にお邪魔することは私にとって最高の時間です。

 

 

同じく、下の写真は、昔はなかった姿だと言います。

稲を刈ったそばから新しい芽が見事に出ています。
こんな光景が最近はあちこちで見られるようになったそうです。

原因は、気温が暖かくなったからなのか、栄養の与えすぎによるのか一概に断定はできないようですが、これならそのまま二毛作ができそうです(笑)

もしかしたら、これから本当にそんな時代になっていくのでしょうか。

 

 

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黄葉、それとも紅葉? 若かへるでの黄葉つまで

2018年11月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

結論から先にいえば、どちらでも良いのですが、

秋の「紅葉」は、「黄葉」とも書きます。


 これまで、群馬の恵まれた自然のなかで秋の紅葉を毎年見ていると、標高の高いところでは、ブナ樹林帯を中心に黄色に染まる「黄葉」の方が一般的で、標高が下がるにつれてナナカマドやヤマウルシが増えて、やがてカエデの比率も高まり、黄色の中に赤い「紅葉」が増えてくるかの印象を持っていました。

 事実、萬葉集ではほとんどが「紅葉」ではなく「黄葉」の字が使われています。
          参照リンク  萬葉集に見られる「黄葉」について 

 私は万葉の時代は、まだ人工の森林が少ない時代だから自然とそうなるのだろうと長い間、勝手に決めつけていました。

 ところが、最近になって涸沢カールなどの高山の紅葉の名所の写真などを見ると、必ずしも標高が高ければ黄色が多いとは限らないことにも気づきました。
 むしろ樹林限界を越えると、赤く紅葉する低木も意外と多くなってくるのです。
 

  写真のせいもありますが、いくら絶景とはいえ、これはやりすぎでしょうと言いたくなるほど鮮やかな色です。

 

 

 そこで冷静に考えてみると、萬葉集の表現であっても「黄葉」という表記を使うのは、必ずしも古い時代の自然の山々が黄色だから「黄葉」と書くのではなく、目に入る景色に「紅葉」の赤が入っていても「黄葉」の表記を使うのだと思うようになりました。

それは何よりも、群馬の地元の東歌で北毛地域に住む私たちに愛されている、色気たっぷりの次の歌がその答えを示しています。

  子持山 若(わか)かへるでの 黄葉(もみ)つまで

 寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何度(あど)か思(も)  

             (万葉集 巻十四 3494)

 

20年近く前に作成した枝折ですが、最初に作成した校正ミスの枝折がまだ残っています(右側)
気づく前に、おそらく2、30枚は配ってしまったと思います。 

 

「若かへるで」 カエデのもみつまで、というのですから、カエデが赤くなることを「黄葉つまで」の表記にしていることに間違いはありません。

 と、結論づけたいところだったのですが、

 実は、カエデも赤色の印象が強いかもしれませんが、黄色く黄葉します。

 

 このように先に黄色くなってから、赤くなるわけです。

とすると

 

「若かへるでの黄葉つまで」は、萬葉の時代には「紅葉」の表現が一般的に使われていなかったからではなく、
事実の表現として率直に使われていたのだということも考えられます。

さらには、「黄葉つまで 寝もと我は思ふ」という黄葉するまで一緒に寝ようという思いは、「若かへるで」の表現とともにずっと長くともに寝ていようというニュアンスよりは、ちょっとせっかちな赤く紅葉する前の時間に限定してイメージしているようにも見えます。

あなたとずっと長く寝ていましょう、
というより、
さっさと一緒に寝ましょう 
といった思いの方が強かったのかもしれません。 

確かに、さっさと寝てさえしてしまえば、
あとは勝手に赤く燃え上がるのですから(笑) 

 

 

加えて私は、この寝ようという相手は、
子持の眠り姫」であることに間違いないと考えているのですが、
また話が長くなるので、詳細はリンクをご参照ください。
黄葉といえば・・・子持の眠り姫 

 

 何かわかったようなつもりで書き出したものの、結局、素人にはただわけがわからなくなるばかりなのですが、これまで群馬県の奥利根地方の美しい紅葉を毎年追いかけてきた私たちからすると、鮮やかに赤く染まる「紅葉」が美しいことに変わりはありませんが、その前の段階や、赤い紅葉の背景にいかにたくさんの美しい黄色の「黄葉」 があるかということだけは、間違いなく強調させていただきたいと思うのです。

 

京都などの観光名所の写真や文学、芸術のイメージなどとともに、紅葉といえば赤く染まった景観とばかり思われがちですが、その赤を引き立たせるのも、緑や黄色の他の木々や葉っぱ達であることを見落としてはなりません。 

 

白洲正子『木 なまえ・かたち・たくみ』(住まいの図書館出版局)より

 

そんな思いでこの尾形光琳のうちわ絵の構図を見ると、改めて日本美術の極みを感じます。 

これは「竜田川」の銘があることから、在原業平の

「ちはやふる 神代(かみよ)も聞(き)かず 竜田川(たつたがわ)

    からくれないに 水(みず)くくるとは」

を描いたものとわかりますが、

「竜田川 からくれないに水くくるとは」の動きが紅葉をギリギリに抑えて見事に表現されています。

 

 

春の桜のインパクトの強さを考える時も同様ですが、千両役者の赤か黄色か緑色か金色かではなく、目立つものを支える数多の背景の豊かさこそが、それぞれを引き立てているのであり、事実、生命はそのようなものによってこそ支えられているのだということもあらためて考えさせられました。

 

 

 

 

ま、それにつけても

紅葉の美しさに酒のうまさよ(笑)

 

 

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新緑の季節。「生命の誕生」が緑色であることの意味

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たとえ人類が亡びても、地球にとってはそれほど問題ではない

2018年09月23日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

人のいのちは地球よりも重いというけれど、

もしも人類が絶滅して、この地球からいなくなったならば、

どれだけ地球は、ホッとすることでしょう。

 

 

 

何十億年という地球生命の歴史のなかで、

サルから人類の祖先が分化して300万年くらい。

そのなかでも現代の定住型人類の歴史がはじまって1万年くらい。

さらに文明の歴史などは、地球の歴史からみたら数千年程度のほんの一瞬にすぎません。

 

 

人間がいようがいまいが何億年と続く地球生命の歴史、

人間が意識しようがしまいが天文学的奇跡の連続で続く宇宙の歴史に「信」をおく世界観。

そもそも美とは、人間の存在と意識がなくては成り立たないものかもしれませんが、

人間抜きの世界や宇宙が美しいこと、疑う余地はないでしょう。

 

 

 

 世界は人間なしに始まったし、

 人間なしで終わるだろう。

        レヴィ・ストロース 

 

 

 

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お墓参りに行く前に、ご先祖様の正確な渋滞情報をお届けします

2018年08月10日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

私の妻は、お墓まいりや先祖の供養などをとても大事にしています。
といっても、何らかの宗派的なしきたりにこだわっているわけではありません。 
ずっとそういうことを大切にする習慣が身についているということです。 

そんなこともあり、妻とはよく信仰のあり方や供養の仕方などについて話すことが季節を問わず多いものです。
といっても、たいていはそうしたことにルーズな私への説教なのですが(笑) 

日ごろ、そうした会話が多いおかげで以前気づいたことをひとつ。

 

小さい頃から持っていたイメージなのですが、このお盆の季節は、これまで亡くなった先祖がみんな帰ってくるわけですから、お墓から家までの道のりは、ぞろぞろ、ぞろぞろ相当な大渋滞になっているのだろうと。
それは、きっと想像もつかないほどのたくさんの人たちであふれているのだろうと。 

ずっとそう思っていました。 
そう思っている人は、私に限らずきっと多いのではないでしょうか。 

ところが、人類の歴史、あるいは日本の歴史を冷静に見ると、
驚異的な人口爆発が起きている現代では、

これまでに亡くなった全ての人間の総数よりも、
現代のこの地上に生きている人の総数の方がずっと多いのだということに気づくのです。

この現実、想像できますか? 

 

少し冷静になれば、下のような図はイメージできるかと思います。

 

歴史人口学の鬼頭宏が整理した日本の人口の超長期推移を整理したグラフ

 

確かに、明治以降の人口爆発がすごいことはわかります。

しかし、人類の長い歴史は、そんなものではありません。

 

 国連人口基金東京事務所ホームページより

 

十数万年ほどの人類の歴史の中でも、ここほんの1世紀ほどの間に、20億から70億に爆発してしまっているのです。

もう少し詳しく数字を見ると、

1700年には、世界で約7億人が暮らしていました。

1800年には、人口は9億5000万人になり、

1900年までにその数字はほぼ倍増して16億になりました。

そして2000年には、人口はその4倍の60億に増大。

今では間も無く70億に達しようとしています。

 

桁違いの増加数とこの図をみれば、これまでの人類の歴史のすべてのご先祖様の総数よりも、
現代のこの地上に生きている人類の総数の方が多いということがイメージでもよくわかるかと思います。

 

つまり、別の表現では、
もし今生きている世界のすべての人びとが全員、真面目にお墓と家の間に並んだとしたら、
ご先祖さまたちは、自分たちの列に比べてあまりにも迎えてくれる生きている人間の方が多いことにびっくりしているわけです。 

にわかには信じがたいことかもしれませんが、これはとても大事なことと思います。

 

人類はずっと長い歴史の間、民族を問わず、先祖を敬い子孫の繁栄を願ってきました。

もしかしたら現代人の多くは、この紛れもない歴史ですら、民俗学や文化人類学でも学ばない限り知ることもなく、歴史資産を受け継いでいくことよりも、今日の現金をより多く稼ぐことこそが大事だと思っているのかもしれません。

たぶん、多くのご先祖さまがそんな現代人の姿を見て嘆いていることでしょう。

俺たちが願っていた子孫の繁栄とは、こんな世界だったのか!と。 

 

ところが、どんなにご先祖さまたちが嘆いても、ご先祖さまの総数と現在生きている人類の総数が、もし多数決をしたならば彼らご先祖さまたちは我われには勝てないのです。

つまり、地球に今いる人類は、それほど大きな決定権を持って今を生きているわけです。

これまでの長い歴史の間ずっと続けてきたこと、先祖を敬い子孫の繁栄を願うことを忘れ、無視して現代人の勝手な判断だけで、どちらの方向にでも決めてしまうほどの「決定権」を持ってしまっているのです。

もっとも、ご先祖さまと現代人が何か意見の違いがあったとしても、実際にはご先祖さまはただ指を加えて草葉の影で黙っていることしかできないでしょうが。 

確かにご先祖さまは、何も言わないでしょう。
もし何かを言ってくれたとしても、多数決では、いま生きている人間には太刀打ちできないでしょう。

何千年、何万年と岩をどかし、切り株を掘り起こし、代々培ってきたものがどれほどあろうが、
現代に生きる私たちには、瞬く間にブルドーザーでひっくり返してしまう力があります。それどころか、指をぱっちんと弾く瞬間に、世界中を変えてしまうことさえできてしまう時代です。 

だからこそ、いま生きている私たちの判断すること、決定することにはとてつもなく「大きな責任」があるのだと思うのです。 

十数万年に及んで受け継がれてきた歴史の分岐点で、大事な「決定権」がとてつもなく大きな力を持って、今生きている私たちの手に委ねられているのだと。 

それは、人類全員で協議や合意を得ることなくても、一部の人々の行動だけで、長い歴史を簡単にひっくり返してしまうほどの力を持っているということです。

 

 

このお墓まいりの時期に、そんな風に太刀打ちできない少数派に成り下がってしまいながらも、

じっと草葉の影で黙って指をくわえて私たちを見守っているご先祖さまのことを、

我われは、もう少し気遣ってやりたいものだと思いました。 

 

 

 

 

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福島県の阿武隈高地を貫く国道399(サン・キュー・ク) ー 日本屈指の山里景観 ー

2018年07月28日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

群馬県は山ばかりの県と思われがちですが、群馬に住んでいる私たちが、
群馬よりずっと平野部であるはずの埼玉県や千葉県に行くと、
なぜか群馬以上に緑が豊かであるように思えてしまうことがあります。

それはおそらく、里山と言われるような緑の空間が群馬より多いためです。

山の緑が豊富な群馬には違いありませんが、山の広大な裾野や平野部に入ると
里山と言われるような木々が生い茂った空間が群馬は意外と少ないのです。

これは、養蚕が盛んであった頃に平野部の多くが桑畑にされたことや、お蚕を育てるにも風通しが良いことが必要なため、屋敷林のようなものは嫌われたことによるのかもしれません。
また赤城山、榛名山などの裾野が火山灰地であることもその理由にあると思われます。 

 

一口に「関東平野」といっても、急峻な山間部と平野部が明確に分かれているのは群馬県が特別で、埼玉県でも北西部は丘陵地帯が多く、茨城県、千葉県も筑波山以外に高い山はほとんどなく、それ以外の場所は完全な平野部というよりは、緩やかな丘陵地帯が意外と多いものです。こうした山の裾野エリアでもない平野部にある丘陵構造というのが、群馬県人にはとても新鮮に感じられるのです。

そんな印象を茨城県へ行った時は、とくに感じていました。
群馬と知名度ランクングの最下位をいつも争うライバル、栃木、茨城の3県ですが、
そのなかでも最も群馬から遠い位置にある茨城県は、はるばる訪ねる理由が、
私には水戸芸術館か岡倉天心ゆかりの五浦くらいしか思い浮かびませんでした。

それでも、その太平洋岸へ至る内陸の丘陵地を通り抜けるときにいつも感じるのは、
失礼ながら納豆以外にこれといった名産もないかの印象であった農村風景が、
どこも予想外に豊かな生活感があふれており、これといった産業はないかもしれませんが
群馬よりは意外と豊かな暮らしぶりが感じられるのです。
失礼ながら、群馬に比べたらたいした山もないのに、林業もそこそこに生きており、
荒れた景観が思いの外少ないことにも驚かされたものです。 

同じように千葉県の内陸部では、北海道並みの大規模農場が多いことにも驚かされます。
群馬だったら、昭和村か嬬恋村でしか見られない広大な農場風景が、東京からすぐ近くのところに広がっているのです。 



前書きが長くなりましたが、そんな思いを感じていると、その千葉、茨城の丘陵部の延長線上にある福島県の阿武隈高地のことがとても気になって仕方がなくなってきました。

この千葉から茨城にいたる丘陵地形の発端は、福島と宮城の県境に端を発する阿武隈高地から始まっているからです。 

 

そこで、福島県内では、原発被害でも最も高汚染の被害を受けている阿武隈高地の北部、
とりわけ飯館村周辺と、そこへ至る阿武隈山系の中心部をまっすぐ南北に貫いている国道399号沿線を、実際にこの目で確認してくることにしました。

1度目にそこを訪ねたのは、2018年5月18日、19日。 
2度目は、同年、7月22日。 

 

 

そこには、阿武隈高地特有の千メートル未満の穏やかな山並みが続き、

緩やかな起伏の里の風景がどこまでも続きます。

 


 

この阿武隈高地一帯すべて、群馬のような赤城山、榛名山、妙義山といったように
独立した高さを競うかのような山はほとんどありません。

標高1,000m以上というと、
 ・日山(天王山)1057m
 ・大滝根山 1193m
の2峰のみです。 

そのためか、山並みを切り裂くような大きな川もあまりありません。

利根川のように、この川が本流、この川が支流といった区別もほとんど感じられないのです。 

無数の沢と谷が穏やかな流れをつくるのみの地形です。

 

どこも緩やかな山なみのため、無数に点在する集落は、

とても日当たりがよく、明るい里の風景が延々と続きます。

 

ここと似たような地形といえば、中国山地が思い浮かびます。
瀬戸内に面した中国山地は雨量が少ないこともあり、植生がまた異なることと思います。

このたびの未曾有の豪雨災害のからみでもここの地形のことは大事な比較材料ですが、私は数回通っただけでとくに意識して地形、風土をみていたわけではないので、今回は深入りは避けることにします。

そこで他にこの阿武隈山系に似た土地として私が思い浮かんだのは、
新潟県の棚田で有名な十日町市、
あるいは中越地震で有名になった山古志村周辺です。
これらの土地は、周辺の山地がどこも標高300〜700mくらいで、
周辺に高い山が迫っていないことなど、阿武隈高地と条件が似ています。 

新潟県は全国の土砂災害の2割を占めるといわれるほど地盤のゆるい土地です。 

上の写真のように、山肌に岩盤を見ることは少なく、粘土質の柔らかい地層が多いのが特徴です。
よく私たちはこの辺のトンネルなどを通過するとき、
このあたりでトンネルを掘るのは鼻くそほじくるよりも簡単だ、
などと冗談を言ったりしてます。

それは山古志村へ行ったときも、まったく同様の印象を持ちました。

 

あちこちで中越地震の復旧作業がされていましたが、急峻な斜面ばかりが続き、
いかにも柔らかそうな地盤が見えているため、直してもすぐに他の場所が
何かきっかけがあればまた崩れてしまいそうに見えてなりませんでした。


それに比べると、この阿武隈高地は土砂崩れが起きそうな場所はとても少なく感じます。
山の勾配が緩やかなだけでなく、粘土質の地肌はそれほど見られませんでした。
さらに、このあたりが照葉樹林の北限にもあたるらしいので、
もしかしたら常緑広葉樹の比率が多いことも幸いしているのかもしれません。 

 

 

 

またこのあたりの景観には、関東のように首都圏へ送る送電線が視界を遮ることもありません。

道路をいくら走っても営業看板などもありません。

確かに温泉地、ゴルフ場、スキー場などもないので、規制以前のことなのかもしれません。

起伏が緩やかなためか、道も山を削りコンクリートで固めることがありません。
群馬ではいたるところで見られる下の写真のような光景は、なかなか見られないのです。 

 

 わずかな違いなのですが、周辺の山の勾配が少しゆるやかであるというだけで、
道路などの管理・維持コストは劇的に変わってくるようです。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、下の写真のように垂直に近い斜面ではなく、道路わきに限らず、山全体にかけてほとんどの勾配がゆるやかなのです。

 

したがって、白ペンキのガードレールも多くつくる必要がありません。

急峻な山がないということは、土砂崩れなどの恐れも少なく、

道路などの維持管理コストも抑えることができているかと思われます。

 

視界の中にコンクリートがないというだけで、どれほど景観が美しく見えるかということを

あらためて痛感させられます。

何十キロ走っても、どこへ行っても緩やかな曲線を描いて美しい景観が流れていくのです。 

 

 

これらの特徴は399号線の太平洋側よりも、中通り地方側、阿武隈川寄りの地域の方が顕著にあらわれているように思えました。

その違いは、川の流れの方向に如実に現れています。

太平洋側では、どの川も西の阿武隈高地から太平洋側へほぼ一直線に流れているのに対して、

内陸部では、あるところでは阿武隈高地から西へ流れていますが、またあるところでは北から南へ、他のあるところでは南から北へと、様ざまな方向に川が流れているのです。

そうしたエリアのなかに、桜で有名な三春町や田村市の風景もあります。
 

妻が気づいたことですが、このあたりの農家の庭には群馬の農家の庭に比べると
あまり花々が植えられていません。

なにか周りの山々の緑の風景だけで完璧に満たされているから、
あえて園芸花を植える必要性を感じないかのようです。

真偽はわかりませんが、余計な努力をせずとも十分に満たされているらしい雰囲気だけは確かです。

それだけに、桜だけを大切に守りそだてることに集中できていているかにも見えます。

 

 

 

こうした阿武隈高地の山里の風景を見れば見るほどに私は、

「他と比べる必要を感じない穏やかなくらしの風景」

といったようなものを強く感じました。

 


そんな感動に浸って走っていると、ある地域を境に、

谷ごとにどこも汚染土の仮置き場が現れてきます。 

 

 

気づけばここは、汚染レベルの最も高いエリアなわけです。

 

  

災害避難を余儀なくされた人の言葉ですが、

「村では米は自分で作ってたし、野菜も作ってた。

(今は買わなきゃいけない)買った野菜は美味しくない。味がヘンだ。

ここまで(買わないで暮らしてきた暮らしから一変したこと、国は)考えてくれるだべかなあ。」

 


一斉に花咲く春、

山菜採り、

カエルの合唱、

菖蒲の香り、

天の川、

蛍の乱舞、

緑のにおい、

土のにおい、

草のにおい、

紅葉に映える山々、

雪景色。


これらが失われることの重大な意味を、そもそも都会の役人や政治家たちは、知りません。
大自然のもつ大きな力や豊かな恵みそのものを理解できていません。
観光のための自然保護程度にしか考えていません。


彼らは大真面目に、所得を上げて、たくさんモノを買うことで成り立つ暮らしへ誘導するのです。
だから、どうすべきか、何をすべきかが噛み合わないのです。
 

 

 

             

   

私たちはナビを頼りながらも、最新の交通規制情報を見ないまま彷徨ったため、最終的には399号線を外れて国道114号線で浪江町へ抜けました。

 


ここは399号線沿線とともに、もっとも汚染レベルの高い地域を走っている道です。 

汚染土を仮置き場へはこむダンプが絶え間なく通過していきます。 

  

 

前日、国道6号線を北上した時は、帰還困難区域の富岡町、大熊町、双葉町から浪江町に入った途端に、まるで戒厳令が解かれたかのような開放感がありましたが、そんな印象は1日で吹き飛びました。

浪江町は東西に広がるまちで、国道6号線の通る市街地のみが汚染レベルがやや低くなっており、
浪江町の大半を占める西側の山間地は、高汚染地域だったのです。 

  

 

 

2006年に埼玉県から福島県飯舘村に移り住んだ三角常雄さん(68)

あれから七年が過ぎた。家の周りは除染され、放射線量は、家の中なら毎時約〇・三マイクロシーベルトと国の長期目標(〇・二三マイクロシーベルト)を少し上回る程度には下がった。

 だが、山とともに生きる暮らしは完全に壊された。家を一歩出れば、線量ははね上がり、敷地内の林では二マイクロシーベルトを大きく超える。林の土を本紙が二地点で測定したところ、一キログラム当たり一万八〇〇〇ベクレルと四万九〇〇〇ベクレルだった。厳重な分別処理が求められる基準の二~六倍のレベル。十分の一になるまで百年かかる。

 「こんな状況じゃ孫が来たって遊ばせられない。山菜もダメ、キノコもダメ。何のための山暮らしか。もう住めない。理想の暮らしを目指して、少しずつ築いてきた年月は無駄になり、仲間は新潟や山形、東京などに移住して、離ればなれになってしまった」

 三角さんは自宅を見つめて唇をかんだ。

 (東京新聞 2018年7月20日 朝刊より抜粋)

 

 

 

 

それでも、まわりの山なみなど風景の美しさにまったく変わりはありません。  

このことの意味するところは、次のような現実を示してもいます。

 

 

日本には、人口3万人未満の自治体が954あります。

しかし、その人口を合計しても、日本の総人口の約8%にすぎません。

他方、この人口3万人未満の自治体の面積を合わせると、日本全体の約48%になるのです。

つまり、日本の面積の半分近くをわずか8%の住民が支えてくれているということなのです。

           枝廣淳子『地元経済を創りなおす』岩波新書

 

  

福島県に限らず、日本全国どこへ行っても、この地図の色の薄い部分にずっと昔から住む人々からは、

「俺たちの町には何もない」という言葉がしばしば聞かれます。

ところがそれらの言葉の多くは、「都会と比較したらば・・・」「有名観光地に比べたならば・・・」という意味のことです。

どんな土地でもそれらの意味をのぞいたならば、長い歴史をずっとそこにしがみついて生きてきた自然の恵み豊かな土地であるわけです。

長い歴史を通じて田んぼでお米をつくり、畑を耕し、林業や狩猟をしてきた彼らは、ここにどんな恵みがあるのか、どれだけ多くの先人たちがそれらの恵みに支えられてずっと生きてきたのかは十分知りつくしています。

わたしたちは、こうした姿を確認したくて再度、7月21日、福島を訪ねました。

 前回は北の飯館村から399号に入ろうとして失敗したので、今度は南のいわき市の方から北上しました。

 

するとそこで目にしたのは、またしても予想外の景観でした。

もちろん、たった一本の399号線沿いを通っただけの印象なので、それを根拠にその一帯のことを判断するのは当然無理があるとは思いますが、それでも他のエリアとの明確な差は感じずには入られませんでした。

そもそも私は、いかなる土地に行っても、地元でよく「オレたちの地域にはなんにもない」と言われような実態は滅多になく、常に豊かな自然に代表される恵みあふれる場所であることは間違いのないことくらいに思って各地を見てまわっているのですが、いわき三和インターを降りて周辺の集落を抜け399号に入った途端に、周辺は本当にそこは何も見えない山道になってしまいました。

通常は、山道を深くわけいるといっても、それは群馬の山奥でも奥会津の山奥であっても、こんなに山奥までよく人が暮らしているものだと感心させられるほど、狭い谷あいでもケモノたちから必死に小さな田畑を守りながら暮らしている人たちの痕跡をみることができるものですが、この399号線の川内村へ至る区間は、本当にそういった痕跡がほとんど見られないのです。

飯館村から日山へいたる長閑な農村風景が、ずっとこのあたりまでも続いていることを勝手に想像していただけに、ちょっとこれは残念なことでした。

放射能被害があったから人が減ってしまったというようなものではなく、この一帯はずっと山村の暮らしというようなものがなかったのではないかという風景なのです。

人家はなくても林業でも行われていれば、里にはそれなりの貯木場や製材所の風景があるものですが、そういった景観もほとんど見当たりません。

今回ここへ来た目的は「オレたちの町はなんにもないというけれど、そんなことは絶対にない」ことを立証することなのですが、このエリアではさすがにその信念がかなり揺らいでしまった区間です。

このことを国道6号線を含めたエリアで見ると、いわき市や広野町周辺と北の相馬市、南相馬市、浪江町あたりに挟まれた原発近辺の富岡町、大熊町、双葉町の区間ですが、この一帯が、山間部を含めて、大変失礼ながら本当になんにもないように見えてしまうエリアなのだと痛感させられました。
だからこそ、原発誘致に飛びつくことも無理からぬことだったようにも見えます。

逆に、それらの土地からは距離のある葛尾村や飯館村の方が最も汚染被害を受け、利用価値のない山間部ではなく、美しい田園風景が広がっていた田畑のほとんどが汚染土の仮置き場になってしまっている現実が、いっそう際立って見えてきてしまいました。

  

田村市から葛尾村へ向かう399号の北限通行止めゲート 

 

これがたまたま原発事故の時の風向きによる偶然のことなのかどうか、わかりませんが、飯館村、葛尾村といった日山の周辺の最も美しく豊かな恵みあふれる山村エリアが、一番深刻に後世まで放射能汚染の影響を受ける地域になってしまったのです。

もちろん、これらのエリアは富岡町、大熊町、双葉町の帰還困難区域の人口に比べたら少ない人口のエリアかもしれません。

どちらの方が被害者人口が多いかという問題ではなくて、どこを取ってもそこに暮らす人の掛け替えのない生活エリアの問題なのですが、自然一般ではないそれぞれの土地のもつ掛け替えのない価値という問題を399号線は、見事に私にあぶり出して見せてくれました。

そんなことから思わず私は399号線をサンキュー・ク(苦)と読んでしまいました。

 

 

 2018年7月、国道399号線で立ち入れなかった区間

 

急峻な山や谷の少ない穏やかな山間部としての阿武隈山地の印象は、そのままさらに南下して、
石川郡の石川町、古殿町、浅川町。
東白川郡の鮫川町、棚倉町、塙町、矢祭町。
そして茨城県に入って大子町へと続く景観の中でさらに検証していきたいと考えています。

きっと川俣町、飯館村、日山周辺と田村市周辺で見た美しい山里風景に近い景観が
これらの地域でも見られるのではないかと思っています。

もちろん、続きはいつのことになるかわかりませんが、とりあえず「オレたちの町はなんにもないというけれど、そんなことは絶対にない」ことを立証するシリーズ、今回はここまでとさせていただきます。 

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人里に出没するクマの事情取材。

2018年07月14日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

今年はドングリが少ないため、クマが里に出没する機会が増えたなどという報道をしばしば目にします。でも、クマの側の事情はほんとうのところはどうなのか、

まだ誰も直接クマに詳しいことを聞いたことのある人がいるわけではありません。

そこで、 

その辺の事情をうちの息子ヨコチンが山へ行き、クマに直接会って取材してくることにしました。

同じ猛獣仲間であれば、人間より少しは心を開いて話をしてくれるんじゃないかと息子は思い、念のためリュックに熊撃退スプレーを忍ばせ、ちょうど芸能界デビューの下心のあるクマをひとり紹介してもらえたので、彼を探しにヨコチンは森の中に分け入っていきました。

 

 

 すると、

ある〜日、、

もりのなか、、

クマさんに、、

出会った ♪

 

 

 

びっくりしたヨコチンは自己紹介もそこそこに、勇気を振り絞ってクマさんに聞きました。

なんで危険な人里にキミらはそんなに降りてくるんだと。
 

 

すると森のクマさんいわく、

山のドングリが不作だったから人里へ俺たちが侵入したかのようなことをお前らは言ってるけどなあ、確かにドングリの不作の年はあるけれど、オレたちクマにはもうちっと複雑な事情があることも知っておいて欲しいんだよ。

確かに、ドングリとかが不作の年はとても厳しいので、里に降りてくこともある。

だけど、こっちの事情からしたら、必ずしも不作=里に下りるというわけではないんだな。

言われるとおり甘いものがたくさんある人里は魅力的だ。

ひと昔前に比べたら、蜜たっぷりの甘〜い果樹や野菜がどうぞとばかりに人里にはたくさんある。

でもそこは俺たちの間では、誰もが命の危険を冒してでもみんなが行くようなとこじゃないんだ。

オレたちクマ社会が、一体どれくらいの規模でこのあたりの山にいるか、お前らは考えてもいないんだろうけどな、オレたちクマ社会全体からすると里に降りてくクマっちゅうのは、ほんのごく一部のヤツだってこと、もうちっと人間側も理解してほしいんだ。

この群馬の山にいるオレたちの仲間は、およそ1000頭くらい(生息数への疑問)らしい。

そのうち人里に降りていくのは、数パーセントのヤツらだ。

2%としても20頭くらいだぜ。

そもそも、俺たちの仲間ひとりだけが里に下りただけなのに、人間はそいつを目撃するたびにあっちにクマが出た、こっちにクマが出た、と大騒ぎする。

下りてるのはひとりだけだっていうのに、まるで何人も下りてるかのように騒ぐんだ、人間は。

オレたちクマ社会全体は、そのほんの数人のしたことでどんだけ迷惑を被ってることか。

わかるか?


 

それと、もう一つ山に俺たちのエサが少ないから人里に下りて行くって話で誤解されているのは、そういう深刻な年があるのは事実なんだけど、いつもそういう理由だけで人里に下りて行ってるわけじゃないんだな。

お前たち人間とオレたちの違いで大事なとこなんだけど、オレたち野生の生き物は、親の遺産(縄張り)を相続できないんだよ。

わかるか? 

お前たちと違って、長男だろうが長女だろうが、親の遺産(縄張り)は譲ってもらえない。

必ず親の縄張りから追い出されて、新規開拓をしなければ生きていけないんだ。

そこがお前らとは違うんだ。

わかるか?この苦労。

 

ヨコチン「わかります。ボクたちライオンは、子育ては家族でするけど、最後は君らと同じようにあの優しい母さんにボクも追い出された。」(そして現在は人間界で養子となって育てられてます)



さらに、それだけじゃない。

嫁さん探しってのがその先にある。

俺たちは、地図も電話帳も合コンどころか、婚活サイトもないなか、

この広い山の中を、ただ匂いだけを頼りに嫁さんを探さなきゃいけない。

どれだけ行動範囲を広げないといけないかってこと、お前らにわかるか?

グラビアアイドルで気を紛らわすなんて余裕はオレたちには一切なく、必死で嫁さんを探してんだぞ!

だからって、人間界に行けばオレ好みのいい女がいるわけじゃないんだけど、

今までの行動範囲を相当広げないと、チャンスはめぐってこないことだけはわかるだろ。

 

オレたちは、そんな地道な努力をしているだけなのに、お前らはなにかにつけて

クマが出た!

クマが出た!

って大騒ぎする。

 

ヨコチン「わかります。アフリカではボクたちの仲間も同じような立場にあるって聞いたことがあります」

 

 

お互いの安全のためにも、

もう少し静かに見過ごすってことできないもんかね〜

だいたい、群馬の山にいるオレたちの仲間は、およそ1000頭くらいだ。

それと出くわす確率はそもそも低いはずだけれど、その実態をわかりやすくいうと、
登山をした人間が、山頂で見渡せる山並みの中には、
だいたいその山頂にいる人間よりずっと多くのクマが確実に視界の中には必ずいるってことだ。 

上州武尊山頂から見渡す片品・尾瀬方面、藤原・谷川方面だけでも、
少なくとも数百頭は間違いなくいるってこと。

その数を想像してもらえれば、
いかにオレ達が理性的に人間を避けて暮らしているかってことが
少しはわかってもらえるんじゃないかな。

 

 

ただ気をつけてほしいのは急な「はち合わせ」だよ。

それを避けることだけ十分に気をつけて、

あとは静かに見過ごすようにしてほしいんだな。

 

確かに人間界とオレ達は、価値観の違う世界で暮らしているんだということはわかる。

だけど、現実はいつも一方的に人間側の価値観をオレ達に押し付けて、

オレ達には有無をいわせずに鉄砲ぶっ放してくるだろ。

口には出さないけど、オレたちにも一応、人間界流の人権つうもんがある。

お前らの世界だったら不利な立場に立てば弁護士立てて裁判だってできるだろうが、オレ達にはそんなことまったくない。もちろん、オレ達はいつだって野生人のプライド持って生きてるから、どんな理不尽なことでも命を投げ出す覚悟はあるさ。

俺たちが命かけて勝負かけるのと同じ理由で、人間側も命を守るために必死で鉄砲ぶってくるのもわかるさ。

ただそん時に、ほんのひとかけらでもいいから、オレ達の側の事情を頭の片隅に入れといてほしいんだ。

その辺をわかってくれれば、少なくとも「害獣」なんて言葉でクマもイノシシもシカもサルも一緒くたにすることはなくなると思うぜ。

クマが害獣なんじゃなくて、特定の利害衝突が起きる環境下で「クマ害」は発生するだってこと。

だいたい性格の悪いあのサルやイノシシに比べたら、俺たちクマはずっと付き合いやすいぜ。

そもそも、生態系の頂点に位置するクマやオオカミ、タカ、ワシやフクロウなどは、いずれも人間とはカミに近い位置で親和性がとても高い生き物だ。

 

祖田修『鳥獣害 動物たちと、どう向き合うか』岩波新書

 

もちろん、オレ達の中にも性格の悪いヤツってのはいる。その辺はそっち側だって同じようなもんだろう。

お互い初対面のモノ同士が突然出会ったら、

一度、人間を襲って自分が人間より強いと思ってるクマか、ひたすら人間は自分より強く怖い存在と思ってるクマか、若くて相手の力量を全く顧みない未熟なクマかなんてお前らに判断できないだろう。

それとオレたちも同じで、優しい人間か、鉄砲やナイフを隠し持ってる人間かなんて、初対面の時には絶対にわからない。

ちょっと無責任のようで申し訳ないが、念のために言っとくと、クマ鈴だろうが、クマ撃退スプレーだろうが、用意はしておくべきだけど、これをもってれば絶対安全なんて方法はないことだけは、わきまえておいてほしい。

 

同じように、イノシシもシカもそれぞれみんな違うそれぞれの条件で生きてるってことさ。

それは、日本人が欧米人から中国人や韓国人と同じに見られてしまうことと同じくらい、相手のことを理解してくれていないんだと感じるように、オレ達にとっても悲しいことなんだ。

ここで勘違いされたくないんだけど、なにも俺は人間と仲良くしようって言ってるんじゃないぜ。

そこがお前とは違うとこかもしれないな。

相手の尊厳を認めてほしいと言ってるだけだ。

自分たちの世界をは違うところに生きているもののことをもっとよく知ってほしいと言ってるんだ。

わかるか?

それはそっちの社会内部でも同じだろ?

 

もしこれまでの話がわかってくれるようならば、、、、

下の本とかを買ってしっかり読んどいてくれ!

  

米田一彦『山でクマに会う方法』(山と渓谷社)

 

アイヌ民族最後の狩人 姉崎等『クマにあったらどうするか』ちくま文庫

 

 

 

狩野順司『群馬藤原郷と最後の熊捕り名人』文芸社

本書で紹介されている熊雄獲り名人、吉野さんがワンシーズンに獲った熊の数、32頭という記録があります。
どのくらいのエリアでその数を仕留めたのかはわかりませんが、
現代よりも狩猟圧力がず
っとあった時代のことです。 

いかにたくさんの熊が生息しているかということです。
これは吉野さんの腕が良いことが第一ですが、この藤原から玉原高原周辺がブナ樹林帯の南限で、
かつては秋田のマタギが遠征してくるほどクマの密集生息エリアであったようです。 
 

上図の冷温帯林がブナの多いエリアで、
クマの生息密度も格段に高い。

 

ヨコチン「クマさん、ありがとう。ボク字は読めないから、帰ったらブログにきちんと書くよう父さんに言っとく」

 

という息子の報告をもとにこのブログはまとめられました。

(なお、ライオンであるヨコチンが、どのような経緯で私の息子(養子)になったのかということは、他の機会に説明させていただきます) 

 

ポイントを整理すると

① クマが里に出没するのは、ごく一部のクマで、クマ全体の数パーセント
  99%に近いクマは、エサが無くて痩せ衰えようが、里に甘い農作物がたくさんあろうが、
  山の中で理性的な暮らしをしている。 

② それらのクマが出没するのは、山でドングリなどのエサが不足した時ばかりでなく、親の縄張りから追い出された若者、嫁さん探しで遠出しているもの、甘い食べ物がいっぱいある場所を知ってしまったものなど、いろいろな事情がある

③ 人間とクマが遭遇した時は、お互いが初対面同士なのだから、相手がどんな性格かはわからないということを十分知ってほしい。人間だって、クマだって、いいヤツもいれば悪いヤツもいる。
 より安全な方法はいろいろあるが、走って逃げることだけは絶対にしない。
 ただ「これがあれば絶対安全な方法は原則としてない」ということは忘れない 

④ お互いの生態を理解しあえれば、サルやイノシシに比べたら、まだクマは付き合いやすい

 

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〜ヤノマミ〜 天と地は本来つながったひとつの世界 

2018年07月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

「天円地方」の話のつながりなのですが、本来、天と地は一体のものです。

天と地は、決して分離した別次元のものではありません。

このあたりまえのことが、日常では感じられなくなてしまったのが現代社会です。

かたや宗教行事のときのみ天にいる「カミ」との接点を意識し、

たかや天文学の知識を得たときのみ、天(宇宙)とのつながりを垣間見るかのようです。

 

 

そのあたりまえの天と地が一体であることが崩れはじめたのは、
古代、集落の暮らしから古代国家が誕生し、
自然界=天から隔離した人間社会の内側で暮らす領域が徐々に拡大し始めたころからです。 

それまでの「自然が主」で「人間が従」である社会、
「天円」=自然界の側に軸足を置いた人間の暮らしから、

「地方」=人間界の内側に軸足を置いて、
「人間が主」で「自然が従」の社会を(可能かのような錯覚)拡大してきたのです。

             *「天円地方」について詳しくは、「地方」の本来の意味は「天円地方」からをご参照ください 

 

確かに見かけは、このことによってコントロールの及ばない自然=天円から独立した空間を拡大し、コントロール可能な多くの「安心」「安全」を人間社会は獲得し「自由」の領域を拡大してきました。

 

 

しかし、その「安心」「安全」 は、より多くの人工物に依存したものであるため、自然界のような不確定なもの、未知なるものは排除してきましたが、その内側では、限りなく自分と他人や世界の分別を要求する世界観が広がってきました。

人工物を増やすことで「安全」「安心」を獲得してきた人間界(地方)の内側では、その「安全」「安心」が崩れるたびに必ず「誰がやったんだ」とか「誰の責任だ」とか、他の人間を追求することが当たり前になっていきます。

一般にはこれこそが、「文明の進歩」の条件であり、「アイデンティティーの確立」と言われるものです。

かたや人間界(地方)の内側ではなく、天円(自然界)の側に軸足を置いた社会では、それが人間社会であってもそのなかでは「仕方がない」という言葉が許容された社会になっています。

もともと人間にはコントロールのおよばない環境が
圧倒的部分を占める社会で生きているからです。

これを西欧文明では「未開社会」、あるいは「後進国」と言います。 

 

 

 

広大なアマゾンで今なお原初の暮らしを営むヤノマミ族は、この写真のような円形に屋根を連ねた共同住居(シャボノ)で暮らしています。

「シャボノは丸い。天の入り口だから丸い」

とヤノマミの長老は言います。

天(自然界)と区別する人間界を拡大しようとする文明は、四角い住居や集落、あるいは方形の都市を拡大してきました。

他方、自分たちの世界と天との間に境界を設けようとしない、精霊たちと一体の中で生きるヤノマミは、丸い空間の中で安らぎを感じます。

このヤノマミの丸い共同住居を見たとき、わたしは「天円地方」という言葉が、中国思想の特殊な概念ではなく、人間と自然との関係をあらわす普遍的な概念であることを確信しました。

 

もしかしてこれも?「アップル社の新社屋」

 

 

「ヤノマミ」とは、現地語で「人間」を意味します。

彼らは未開人だからということではなく、ヤノマミ=人間とは、

人間の定義が現代人のそれとはまったく違うのだということを気づいてください。

 

 

国分拓『ヤノマミ』(新潮文庫)

長倉洋海『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』(福音館書店) 

 

 「天円地方」の思想では、「人間」というものを「先進国」と「後進国」の違い、「文明社会」と「未開社会」の対比といった比較では物事を考えません。

自然界に軸足をおいた世界観で生きるか、人口の人間界の内側に軸足をおいた世界観(自然を人間界「地方」の外側に見る世界)で生きるか、もともと天地一体の世界のどちらに軸足を置いて生きるかの違いをすべての基本とする世界観です。

 

私はこれを哲学の根本問題(物質が第一次的か精神が第一次的か)や資本主義か社会主義か、大きい政府か小さい政府か、などといった対立よりもずっと人間社会にとって根源的な視点であると思っています。

 

 

 

 

確かに世の中は、自己やプライバシーの保護なくして成り立たない社会(かのよう)です。

こう書くとあなたは、自己の確立やプライバシーの保護を否定するのかをいわれそうですが、確かにそれらは必要なことに違いはありませんが、それがなければ生きていけない都市社会というのは、むしろ異様な不健康な社会ではないかと私は感じています。

そういう私もプライバシーは守られなければ、間違いなく不自由を感じるものですが、「にもかかわらず」と以下を続けさせていただきます。

 

 

 

人工物に囲まれ保護された「安全」「安心」の拡大は、このような景観を作りだしました。

コンクリートで固められて、つまずく心配のない安全な舗装道路。

倒れる心配のない丈夫な鉄筋コンクリートの電柱。

土地を有効活用したビルでの暮らし。

 

これらは日常目にする当たり前の空間ですが、

「天円」「自然界」とのつながりは、観光やレジャーでしか感じられないかのような世界です。

 

それらはすべて、

「日常の手間を省く」

ことを優先して作られてきたものばかりです。

それこそが、自由の拡大であり、豊かさの証明であると信じて。

 

 

さらに見上げる「天円」に対しても、無数の網を張り巡らせ遮断された景観が、指摘されなければあたりまえのような景色として日常の隅々に浸透しています。

こうした天から遮断された世界の中でも、私たちは必死に観葉植物を室内に植えたり、公園を増やしたりして、なんとか「天円」とのつながりを維持しようと努めてきました。 

  

そこにわたしたちは多くのボランティアや公園整備の予算をつぎこみ、大変な努力を積み重ねてきました。

 

確かに丈夫なマリーゴールド、パンジー、サルビア、ベゴニアなどは、大量に植える道端の花壇には適しています。

でもそれは、人間の側に軸を置いた鑑賞用の園芸植物による世界です。

それ以外に何があるんだとも言い返されそうですが、私たちの暮らしの景観には、

管理されていない同じ道端に、ふきのとうが出て、ツクシが伸び、タンポポの花が咲く環境もあります。

地上世界も、人間界の内側だけから見られた自然と、天界とつながった自然との差がこうしたところに現れています。

まさにそこにある雑草や昆虫、微生物を含めた連環の世界こそが、

天円につながった地上の楽園の実態です。

 

  

冬の時期は、葉っぱがすべて落ちた木の枝ぶりだけでも美しいものです。

派手な花を見せないススキや枝垂れ柳なども同じです。

 

林の間にリンドウ、ホタルブクロ、ヤマブキなどを見つけることができます。

でも、これらは通常そのままでは都市の「景観美」にはなりません。

 

 

街路樹として整備されたハナミズキ、ポプラ、サルスベリ、ケヤキなどの木々も美しいものです。

でも私たちの田舎暮らしの景観の中では、大きく育った杉、ケヤキの大木の横に

低木のツツジやヒサカキなどが育ち

田んぼの風景の中に梅や柿の木がただ一本たっているような

とても変化に富んだ姿をしています。

 

 

単一の花が延々と続くお花畑というのは、管理されたスキー場オフシーズンのお花畑ばかりでなく、尾瀬のニッコウキスゲの群落のように、確かに自然界にも存在します。

でも日本の里ならではの美しい風景というのは、そのようなものではありません。 

 

単一時期に花が咲き、収穫できる経済林や園芸畑とは異なる花の育つ時期も、実のなる時期も、
花の色も、木の高さも多種多様なものが入り混じった世界です。

 

 

また日常の生活エリアでは、都会に限らず田舎道でも、大地にフタをしてしまったが如く

コンクリートによって、農業・林業の作業効率を上げるためには舗装されなくてはなりません。

 

 

 

こうしたことは、景観の上の変化だけではありません。

私たちは安心、安全のために進化した靴をはき、防寒、防風、暴雨の衣服を季節や気候の変化に応じて着込み、時には日差しを避けるためにサングラスをかけ帽子をかぶり、さらには頑丈な家に住むことで多くの安らぎ得ることができました。

それらは、決して悪いことではありません。

ただそれらのすべての過程で私たちは、

大地との接触、

気温の変化をカラダで、肌で感じること、

広い空の雲や日差しの変化を感じ取る感覚やその機会を失い続けてきたのです。

 

 

 

 

先のヤノマミの共同住居が天の入り口なのだから丸い、という世界観と暮らしは

「人間」がヤノマミのいう意味での本来の「人間」に近づいていくために、

これから人間社会が「進歩」することを通じて、ひとつ、ひとつ、

建物、電柱、看板、植栽、住居、景観のあり方を具体的なカタチとして実現していかなければならないものです。 

 

宇宙=天と繋がった日常を取り戻すだけで、

どれだけ世界観が変わり、

心が自然に向かってスッと通り抜けるように、生き方も変わるものだということを

日常風景のひとつひとつを大切にすることで、

かつての東京オリンピックが開かれた頃までは、日本中どこにもあたりまえのようにあった風景を

私たちは少しずつ取り戻していくことができるのだと私は信じています。

 

もちろんそれは、歴史の後戻りをさせる意味ではなく、

また自己やアイデンティティー確立の方向一辺倒でもない、

先端技術も駆使した文明の発展を前提としたものです。

 

こうした意味で、わたしたちはまさに「人類の本史」にさしかかろうとしているのだと思います。

 

 

「天円地方」に関する過去の記事

① 「地方」の本来の意味は「天円地方」から

② 「自然(天円)」につつまれた人間界(地方)」の力学」旅のイメージ(覚書)

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新緑の季節。「生命の誕生」が緑色であることの意味

2018年04月06日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

  

現代では、「西暦」の問題に象徴されるように、あまりにも世界観が、光、陽、太陽、あるいはアマテラスの側に偏り過ぎていています。

夜や影、あるいは月の存在は、影の側だから仕方がないといい捨られがちですが、なぜか現代日本ではひと際、虐げられた存在になっています。

そんな時代に、月夜野から「夜」や「暗いこと」、さらには「ツクヨミ復権」の意味や価値を発信することの難しさをいつも感じています。

 

光と影

陰と陽

月と太陽

月暦(旧暦)と太陽暦

 

本来、両者は一体不可分な関係であり、また互いを必要とした表裏半々の関係であるはずです。

確かに、ものごとなんでも明るい方が良いに決まっているといわれれば、反論はできないのですが、私たち月夜野の人間は必ずしもそうは考えません。

このことを現代人にどう理解してもらえるかを、ずっと考え続けています。

 

それが最近ようやく、光と影を軸にそこから色彩(生命)が誕生する原理を考えることで、もう一つの分かりやすい視点を見出すことができました。

それはゲーテの『色彩論』に出てくる以下の説明です。

  

光のすぐそばには我われが「黄」とよぶ色彩があらわれ、

闇のすぐそばには「青」という色があらわれる。

この黄と青が最も純粋な状態で完全な均衡を保つように混合されると、

「緑」と呼ばれる第三の色彩が出現する。

          (ゲーテ『色彩論』より)

 

 

これは聞き慣れた「光の三原色」、「色材の三原色」との関係はどうなのかというと、

 

物質界を物理学から捉えたのが光の三原色で、化学面から捉えたのが色材の三原色。

それぞれの三原色を混ぜ合わせた中心が、

光の場合は「白」になり、

色材の場合は「黒」になります。

厳密には、ここでいう光の白は白色ではなく無色

同じく色材の「黒」も色材という意味では確かに黒色ですが、
本当は色の黒ではなく無色の闇ということのはずです。

まさに、この物理法則、化学法則両方の中心、
無色の極みの「白」「黒」こそが自然全体の出発点であるわけで、
先のゲーテ『色彩論』の説明がこの図を見ても成り立っているわけです。

 

つまり、

「白」=光のすぐそばにある色が「黄」

「黒」=闇のすぐそばにある色が「青」

 

この無色である白の代弁者である黄色と、無色の闇の代弁者である青を混ぜると

「緑」が生まれるわけです。

 

 

こんな素敵な絵本も出ています。

 レオ・レオーニ・作 藤田圭雄・訳 『あおくん と きいろちゃん』至光社ブッククラブ国際絵本 

 

 

自然界にはたくさんの色彩が溢れています。

ところが鮮やかな色彩の代表のような草花を見ると、赤や黄色、青や白の花はあっても
なぜか緑色の花というのは見ません。

かたや秋の紅葉シーズンには、鮮やかな赤や黄色を見せる木々ですが、
春の草花は艶やかに赤や黄、白の花を咲かせているとなりで、
新緑の葉っぱは、なかには赤や黄色に色づく木があっても良さそうなものですが、
色鮮やかな花が咲いている隣りで木々の葉は緑のみです。 


自然界に葉っぱとして緑色はこれほど溢れているのに、
これは一体どういうことなのでしょうか。

 

先日、桜を見にドライブしていたら、ふと桜の木の間に薄緑色の綺麗なサクラのような花が見えました。

 

ところが、よく近づいてみると

それはやはり白い花ビラに新緑の葉が並んでいることによる錯覚でした。

花と同時に葉が出るヤマザクラなどの特徴です。

 改めて緑色の花は、自然界にはないのだと思いました。

自然界にたくさん色彩は溢れているのに、ほんとうに緑色は植物の葉のみなのでしょうか。 

厳密には無いわけではなさそうですが、大半は葉っぱや花のガクの新芽などの若い時期の姿に過ぎない気がします。また、花屋さんでつくってもらった花束には、緑色のカーネーションがあったので、人工的な園芸植物の世界には、緑色の花というのはすでに存在するようです。

それでもやはり緑は、他の色彩とは別次元の何かがあると思えてなりません。

 

 

染織を極めている志村ふくみが、植物は緑であり、緑は植物であるといいたいほどの植物からなぜ直接緑が出ないかということを繰り返し語り問い続けています。

今では、草木染めで緑色を出す技術はあるようですが、それでも自然界に緑色がこれほど溢れていながら、その色を単純に緑の葉っぱから取り出すことはできないのです。

 

緑はまさに「光」と「闇」の間に、不可視の世界と現界の間に、

「緑はその両界に、生と死のあわいに明滅する色であり、

この世にあっては生命の色、

みどり児の誕生の色なのである。

 

 志村ふくみ『母なる色』求竜堂 (1999年)

 

別のところでこうもいってます。

(草木染めの場合)私たちは、どうかしてその色を生かしたい、その主張を聞きとどけたいと思う。

その色と他の色を交ぜることはできない、梅と桜を交ぜて新しい色をつくることはできない。

それは梅や桜を犯すことである。色が単なる色ではないからである。

 

 

なるほど、

色彩を無理に交ぜるから黒に近くなっていってしまう。

色彩は、本来、その色固有の存在。

なかでもまた緑は格別の存在のようです。

 

 

まさに緑色は、「生命誕生」の色なのです。

むしろその本質は、色彩ではなく「生命」そのものなのです。

 

青い(緑の)地球が、いまだ宇宙において奇蹟の星であるのは、

きっとこうした意味があるのでしょう。

 

 

 緑=生命というものが、光と闇(影)の両者の存在あっての世界であり、

またその奇蹟のバランスの瞬間にのみ生まれるものだということが、

いかなる生命科学の説明よりも根源にあることだと知ることができました。

 

 

ただ明るいばかりでなく

半分の暗さがあってこそ

生命(新緑)の鮮やかさと輝きは増すのであり、

また、半分の暗さがあってこそ

未来は明るくなる。

 

 

おかげで次の月夜野百景リーフレットのデザインイメージも湧いてきました。

表面は、白と黒で二分し、光と影、陰と陽、太陽と月の対比をデザインし、

裏面には、新緑輝く緑の葉の写真をベースに瑞々しい生命の誕生をデザインできたらと思います。

 

 

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色即是食う!

2018年03月11日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

違うか?

 

 

 

色即是食う!

 

 

 

 

これも違う?

 

 

色即是食う!

 

 

 

 

違う?

 

 

色即是食う!

 

 

 

 

 



 

 

 

 

誰がなんと言おうが、私は悟った!

 

色即是食う!

 

 

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日本という「大国」の美しい実態

2018年02月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

日本の海岸線の総延長は、約3万5千キロ。



アメリカ、中国ともに国土面積は日本の約25倍ですが、
日本の海岸線はアメリカの約1.5倍、中国の約2倍。

 

この数字、信じられますか?

この数字を高橋裕『川と国土の危機』(岩波新書)で知りました。
私も俄かには信じ難く、データを検索してみましたが確かにだいたいこのような数字であることが確認できました。


 
確かに、広大な中国といえども海岸線は東側にしかありません。
 
アメリカもカナダに接する北側とメキシコに接する南部をのぞき、
ほぼまっすぐな海岸線が続くばかり。

それら大国の面積にすっぽり収まる小さな日本とはいえその姿は、
四方を海に囲まれた地形であるばかりか、
北海道、九州、四国、淡路島、佐渡、沖縄など大小多数の島々を持っています。 

 

さらにそのかたちは、ただの海岸線ではなく

 

♫ 今は山中、今は浜、

  今は鉄橋を渡るぞと、

  思う間もなくトンネルの、

  闇を通って広野原 ♪

の歌のごとく、ところや場所により、めまぐるしくその姿が変わる地形がどこまでも続きます。



まさにこれが日本人の魂の故郷であり、多くの文学の舞台にもなってきたものです。

日本の古代史などを学ぶほどに、日本という国が海洋民族であることを知りますが、それが単なる海洋民族というだけでなく、世界に類を見ない美しく長い海岸線に囲まれた海洋国家、海洋大国であることを痛感させられるのです。

 

長い間、日本は東洋の小さな島国に過ぎないとよく言われてきました。
それがいつの間にか、ジャパンアズナンバーワンとまで言われた経済大国の時代も遠く過ぎさり、
かつての繁栄を再び望むかの政策が未だに繰り返されています。


いろいろな機会によく話すことですが、日本の人口、1億3千万弱。

世界の国々で、米中ロシアなどの超大国を除いて、国民人口が1億を超える国など先進国では他にありません。
ヨーロッパの国々はどこも7〜8千万人以下です。
つまり、世界の圧倒的多数の国ぐには、日本の人口の半分以下なのです。 
この意味で、日本はどう転んでも大国です。

私の属している出版業界でもずっと危機が叫ばれていますが、
世界の圧倒的多数の国ぐにの国民文学などというのは、
日本の半分以下の市場で成り立っているのです。
成り立っているのかどうかは、難しい例も多いでしょうが、
それでもその環境が当たり前のものとして今も生きているわけです。



こうした意味で、毎度の繰り返しになりますが、
日本という国は、どんなに経済の停滞が叫ばれようが、
少子高齢化の危機がいわれようが、 
世界の国々に比べれば圧倒的な規模の国力をいまも備えており、
変化に富んだ海岸線に象徴される豊かな生命環境を持っているわけです。

(何も自然生命の理想論だけでなく、経済面でも国家財政赤字がどんなに膨らんでも莫大な資産を持つ大国です)

土地、風土、地形の多様性、人口を含めた自然生命の豊かさをみれば
政治や経済の失策には確かに失望を禁じえませんが、
厳しい現実がどんなにあろうとも、将来を約束する豊かな資産が今もあることを思えば
何も問題はありません。

 

経済活動より生命活動に信をおく社会へ」 

  

 

この豊かな国土を象徴する

日本海側の海岸線を、

青森から北陸、山陰へと

ずーーっと走ってみたい!

 

 
 
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