かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

知られざる名所 仙人窟

2009年03月30日 | 歴史、過去の語り方
先週墓参りに行くとき、ちょっと遠回りだけど是非連れに見せたくて仙人窟へまわってきました。

県道から200mほど登ったところにあり、入口高さ8m、幅14m、奥行き26mの洞窟。

吾妻33所観音の第8番札所ですが、わたしは真田ゆかりの地のひとつとして昔訪ねた場所です。

県下でも、これほど面白い場所はないと思うのだけれども、観光案内にのることもなく、道路に標識があるだけで、駐車スペースもない。

路肩に車をとめて、歴史を感じさせる石段をしばらく登ると仙人窟にたどり着く。


この坂の上に、真田勢が北条の大軍を迎え撃つために五百騎の馬を隠し、この坂を一気に駆け下りて撃退したという。
ほんとうに、こんな急な坂を馬で駆け下りたのかと思うが、義経の例もあるし、たぶんほんとうなのだろう。

周辺一体が垂直に切り立った崖で、その一角に大きな穴をくり抜いている。

中に入ると予想以上に広い。

穴の左右に羅漢像が並ぶ。

奥に入ると聖観世音像があります。




左手の道を登ると胎内くぐりへ

いかにも修験の場らしいところ
奥の院、復窟へと通じる。



ここと少し似た場所、子持神社の奥の院とともに、投入堂を思わせる実に素敵な場所。

検索しても、詳しいサイトはまだ無いようです。
以前、「かみつけの国 本のテーマ館」のなかで、ちょっとだけ紹介していますが、これだけのページをつくるに十分値するところです。

無理に観光地化する必要はありませんが、多くの人を連れて行きたい場所です。


「正林堂店長の雑記帖」より改題転載


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絵解きの魅力と歴史学の進歩

2009年03月30日 | 気になる本
最近、少し遅い昼食をとりながらテレビをみていたら、国宝絵画の値段ランキングが出ていました。

私が上位に予想したのは、尾形光琳や俵屋宗達、長谷川等伯、雪舟などの絵画ですが、これらの有名な絵画はいずれも20億円以上するものではありましたが、ベスト10入りしていたのは、光琳の紅白梅図屏風と雪舟の秋冬山水図のみでした。

これらの絵画以上に高額なものがいったい何なのだろうと思ったら、それは絵巻物のたぐいでした。

信貴山縁起絵巻や鳥獣戯画、あるいは洛中洛外図などは、考えてみると純粋な絵画的価値のみならず、歴史資料としての価値やその情報量においても確かに前にあげた絵画よりも貴重なものであるといえるかもしれません。

とすれば、国宝絵画で最も高価なものは、当然「源氏物語絵巻」に違いないと思ったのですが、なんとそれ以上に値段の高いものがあったのです。

伴大納言絵詞です。

実は最近、こうした絵巻物にとても興味を持っているお客さんがいて、私の家に埋もれた画集などを貸したりしていたのですが、そのお客さんが一遍上人絵巻などともに、伴大納言絵詞をよく話題にしてたのを思い出しました。

早速そのお客さんにこのことを知らせると、どうだとばかりに私の目に狂いはないと鼻高々に喜んでくれました。

で、そこまで絵巻物に興味を持って画集を買い集め丹念に読み解いていたお客さんだったのですが、そうした絵解き研究の第一人者である黒田日出男さんが、群馬県立歴史博物館の館長であることを知らなかったのです。

ここ10年ほどのあいだの歴史研究の進歩には目覚しいものがあり、これまで正史と呼ばれるその時代の支配者の側からみた文献資料ばかりに頼っていた歴史学が、文字にあらわされたもの以外の考古学の成果やこうした絵巻物の絵解きの進歩によって、これまでの常識が次々と書き換えられているのです。

足利尊氏の像といわれていた絵が尊氏ではなかった。

肖像画の名作として知られていた伝源頼朝像などが、なんと足利尊氏から義満へ受け継がれる関係をあらわしたもののひとつであったことなど。

考えてみると最近の歴史学の進歩は、考古学の領域なども含めてみると、現代のIT技術の進歩にも劣らないともいえるほどの目覚しいものがあります。

こうした分野の研究の第一人者が黒田日出男さんなのです。

別なお客さんが、最近、予約の取りにくい黒田さんの講座にやっと参加できた話をしてくれました。お話自体もとても上手なので人気もかなり高いようです。

こうした絵画資料の見直しばかりでなく、史実とは関係ないものとして捉えられがちな神話や説話の世界も、今ようやく真の歴史的資料としての読み解きがはじまりだしています。
たしか、史実とは関係ないとみられがちな『神道集』の再評価も大事であると強調されていたのも黒田さんだった気がします。

ちょうど今月、岩波新書で出ていた洛中洛外図についての黒田さんの本も復刊されました。

こんど、「現代の科学技術の進歩にも負けない日本歴史学の最先端」とでも題したフェアをしてみましょうか。
古代史の関裕二さんと黒田日出男さんあたりを軸にして。



             「正林堂店長の雑記帖」より改題転載
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「市民」=「消費者」じゃない

2009年03月22日 | 無償の労働、贈与とお金
また、うまくまとめられそうにないテーマをつらつらと書いてみます。

先日、あるひとと会話していてうまく説明できなかったことです。

現代においては、生産と消費が分離させられていることをあたりまえのように感じているように思えますが、その問題が今の不況打開策を語るときに、さらに矛盾を深めることにつながってしまっているのを感じます。

エコノミストは、この経済危機を脱するには、まず冷え込んだ消費マインドを刺激してやることが大事だという。
定額給付金はそうした意味合いがあるとのこと。

悲しいばかりの発想です。

今の政治の流れは、その悲しい発想を変えることができません。

話のなにがかみ合わないのでしょうか。
発想のどこが違うのでしょうか。

確かにこれまでの経済の発展は、消費の拡大によって支えられてきました。
内需の限界は、外需の拡大によってささえられてきました。

ところが今の世界的な経済危機の現実は、これらの市場の拡大という錬金術が、すでに10年、20年前から破綻していたことを気づかせてくれるものです。

金融工学を駆使してあらゆるところから資本を集めて、実質は先進国内部ではなく途上国の市場拡大でささえられてきた経済発展。

この現実をもっとよく見ておかなければならない。

アメリカの購買力が衰えている現実、途上国の経済発展が鈍化している現実、それらは不況という景気循環の規模の大きなものではない。

数字だけをみても、内需の拡大がいかに大事であるかは誰もが気がつく。

でもそれは消費マインドの刺激で解決できるような問題ではない。

ここからの説明が、どうもまだ整理できない。

突破口は、知恵を出せばいろいろなところから開けるものだろうけれども、これからの時代の「内需」ってなんなのだろうか、といった疑問がわくのです。


 これまでの社会では、「市民」「家庭」は消費単位、「企業」は生産単位としてとらえられ、企業が技術革新の下で一定時間に効率よく大量の「物」を生産し、「家庭」に供給することが「豊かな社会」をつくることになると考えられてきました。

 この「市民」「家庭」を消費の単位、「企業」を生産の単位と考える限り、真の「内需」の拡大は生まれないと思います。

 経済学がとらえる消費主体を「市民」「家庭」ととらえ、企業のみが生産主体でるとする時代は終わり、「市民」、「家庭」こそがまず生産の主体であることに気づいても良い時にきているのではないでしょうか。

 
父ちゃんは会社で働いたのだから、家ではゴロゴロしていていい社会は終わりはじめているのです。

企業はイメージアップのために社会貢献活動を取り入れる時代は終わるのです。

社会科学的な「個人」ではなく、また肩書きや身分や資格で約束される社会ではなく、裸のひとりの人間が、目の前の人に対して何が出来るかが絶えず問われる社会・・・

これは決して能力主義への道ではなく、すべてのひとが生きていくための本源的生命力を取り戻す過程なのだと思うのですが、このことはもう少し詳しく説明を加えなければならないかな。

気が向いたらまた続きを書きます。
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今、鵺が鳴いてます

2009年03月20日 | 渋川、利根・沼田周辺情報
ヒー、ヒョー、

ヒー、ヒョー、



今、向かいの森から
鵺の鳴き声がずっと聞こえてます。


止むことなく、
ずっと鳴きつづけています。


ヒー、フー、

ヒー、フー、

とも聞こえる。



決して

ヒー、フー、ミー

とまではいかない。



杉林の奥で
花粉症がつらくて
鳴いてるらしい。


ヒー、フー、

ヒー、フー、
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