かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

30年サイクルでみる「近代化」の節目 

2014年08月30日 | 「近代化」でくくれない人々

私にとって「近代化」の弊害について考えることは、ここ10年くらいの間、一貫したテーマになっています。

それは「昭和ラヂオ」に時々出させていただくようになって、さらに加速しました。

でも、それはテーマがあまりに大きく深いので、様々な角度から折にふれて書き続けていくことになるものです。どこかで概念的な整理もしたいところですが、そうした思考自体も「近代的思考」の弊害の側面でもあるので、結論は急がずにコツコツと追求し続けたいものです。

ところが、ちょっとしたきっかけで年表を追っていたら面白いことに気づきました。

「近代化」という世相の流れが、ほぼ30年というサイクルで変節していることです。

 

 

まず、現在の仕事をしている上では、1995年、1996年あたりの年は、右肩上がりの時代が終わり、右肩下がりへ移り変わった節目として重要な年にあたります。

この大前提の変化をしっかり見据えないと、目先の景気対策やちょっとした経営革新では太刀打ちできない大きな現実があります。

 

今の仕事では、当面はここが最大ポイントになっているのですが、日本の文化や自然、風土などの面から広くとらえると、1965年ごろがもうひとつの節目として浮き上がってきます。

この年に注目するようになったきっかけは、哲学者、内山節さんの『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)あたりであったかと思います。

それは、1964年の東京オリンピックなどを契機に、日本が高度経済成長、バブルへと突き進んで行った出発点のころです。

それまで農業や自営の商工業者が世の中の普通の働く姿であったのが、この頃から急速に、農村から都市への人口移動とともに、農業や自営業よりも賃労働という雇用形態が世の中の圧倒的多数の働き方に変わってきました。

人間の働くという営みが「賃労働」を通じて、より売買しやすい労働に変化していくとともに、日常生活のあらゆるものが、「商品」として購入されるものに移り変わってきました。

この流れが同時に、「商品化」に対応できない伝統的な文化や自然の基盤が崩壊していくプロセスになりました。

それを内山さんは、日本人がキツネにだまされなくなった頃の節目として注目していました。

 

この1995年と1965年の間が30年。

 

1965年からさらに30年さかのぼると、1935年、昭和10年です。

二・二六事件は1936(昭和11)年ですが、日本が避けられない戦争に突き進みはじめた時期です。

世界恐慌からはじまり、単なる軍部の暴走というだけではなく、背に腹は変えられないといわれる現実を打開するすべを見出せないまま、敗戦にまで突き進んでしまいました。

 

そのまた30年前は、1905年明治38年。

日露戦争の年であり、ロシア革命が始まる年でもあります。

明治維新以来、西欧列強に追いつけと必死に頑張ってきた日本が、辛くも日露戦争できわどい勝利をおさめたばかりに、また大きく道を踏み外して行く出発点ともいえる年です。

 

さらにその30年前が、明治8年、西暦1875年。

世界遺産登録でわく富岡製糸場の創業が明治5年。

このときは、まだ明治という国のかたちは出来上がっているとはいえない時代です。

明治維新だから明治元年が節目と考えたいところですが、強引な近代国家建設をすすめるために維新政府は欧米から様々なものを一気に学び取り入れます。長い江戸幕府のすべてを否定して、この国のかたちをつくるのは大変な作業であり、しばしばそれはとても強引なかたちで押し進められました。

大日本帝国憲法の制定は、ずっと後の1989(明治22)年です。

欧米の思想や技術を取り入れれば間違いないと思っていたのでしょうが、それを徳川まで長い歴史をもつ日本の風土に当てはめるには、強引な施策を次々と断行しなければなりませんでした。

 

国のかたちを考えるときは、わたしはいつも明治という国家が、長い日本の歴史のなかでもいかに特殊なかたちの国家であったかということを思わずにはいられません。

その強引さが、まさに「近代化」の原初形態になるのですが。

 

こうさかのぼって書くと、「近代化」の否定的な面ばかり見ているようにも感じられますが、それよりもまず先に「近代化」の何がいったい悪い?とばかりの「近代化」そのものは「進歩」そのもので、そこに異論を挟む余地などまったくないかの論調に、「待った」をかけること事態がとても至難の提起でもあるのです。

 

この主張は、片足以上のかなりの部分を現実にはアナーキズムにおくことにもつながるので、説明はまたかなりやっかいなことで、容易に私の手に負えるようなことではありません。

にもかかわらず、21世紀の基調テーマでもあるはずだと確信もしているので、今回は30年サイクルのことにとどめますが、またチビチビと書き続けて行きたいと思ってます。

 

 

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動植物ではない人間の命の連鎖のすばらしさ。

2014年08月15日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

冠婚葬祭などの場は、お互いの家族などの様子を確認する大事な場でもあります。
しばらく見ない間に、立派に成長した子どもや老いを増したひとたちなど・・・

そんな姿を見ていると、親の愛情というのは、いくつになっても子どもに対して
無条件に与え続けられるものだと感じます。

年をとって成人したから卒業ということはなく、親にとって子どもはいくつになっても子ども。
死ぬ最期の瞬間まで、子を気遣い思い続ける。

他方、子どもの側からは、そうした姿はわずらわしく感じてしまうことが多い。
でも、親からすれば、それでも無条件の愛を与え続ける。

決して親だからとって完全な人間ではない。
成人した子どもだからといって、完全に自立したわけでもない。

からだばかりでなく、こころの様々な病気もかかえながら誰もが生きている。

親だからといって、すべての問題を解決できるわけではない。
でも、親の問題は、子どもが解決してくれることもある。
子どもも解決できなかった問題を孫が解決してくれる場合もある。

あるいは、たとえ解決できなくても、
次の世代が背負ってくれるだけでも、親はありがたいものです。

そればかりか、箸一本の重さを分けて背負ってくれただけでも、
親からすれば、千キロの荷を背負ってくれたかのように喜んでくれる。

親から子へ受け継がれる命の連鎖のなかで、
互いの気持ちに断絶さえなければ、
どんな問題が親にあっても、子にあっても、
魂の底上げのような作業が、いつか必ずなされていきます。

残念ながら、互いの気持ちに断絶があると、
それは決して能力の問題ではなく、
互いの欠点や問題を非難しあうばかりで、
魂の底上げは、いつになっても起こらない。

親だからといって必ず子より立派な人物であるとは限らない。
でも、親子の間に偽りのない愛情が溢れていれば、
必ず、子どもは親の欠点を非難することなく、
親の解決できなかった問題を解決してくれる存在になっている。

すべての問題をひとりで解決しなければならないのではない。

すべての荷をひとりで背負えなければならないのではない。

ほんの僅かな荷を分け持ってくれる人があらわれたときに、

ひとりですべてを解決すること以上の大きな前進が起きる。

そんな命の連鎖があらわれたときに、

動物的生命の連鎖を越えた人間ならではの生命の連鎖と

魂の底上げのような前進がおきるのではないだろうか。

 

ルールの枠にはめる教育の世界や、相手に正義をおしつける社会では、

こうしたことは起こりにくいものです。


冠婚葬祭のわずらわしい儀礼には、うんざりすることも多いものですが、
私にとってそこは「命の連鎖」のすばらしさを、いつも教えてくれる楽しい場でもあると

義父の葬儀を終えてつくづく感じました。

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子どもの成長の喜びにも匹敵する日々のドラマ「読書」

2014年08月08日 | 気になる本

晩婚や再婚も増えたせいか、自分が年をとってもSNSで様々な友人たちの子ども生育の様子が日々伝わってきます。

子どもの発達や生育ほど、日々たくさんの喜びや悲しみなど多くのドラマを生むものはありません。

子どものいない私でも、それは十分想像がつき、たとえ他人ごとでもそれが気持ちよく思えてうらやましい限りです。

そんなことを考えていたら、歳をとってもそんな子どもの成育のドラマに負けない喜びを日々感じて行きたいものだという気持ちがこみ上げてきました。

 

結論から言うと、何事も子どもの生育の姿に勝る喜びはないだろうということなのですが、

それでも、これほど日々の発見、喜びはないと言えるものを私は持っていました。

それは、「読書」です。

 

 

行くことのできない熱帯のサバンナの世界や極北の地へでもつれていってくれる。

遥か古代の人物像や、縄文人の暮らしや自然を知ることもできる。

およそ見ることはできないミクロの世界から、何億光年先の遠く宇宙の彼方にまで連れて行ってもくれる。

とろけそうな愛の姿や、準備しなければならない老いの心構えなども知ることができる。

どんなに出口の見えない閉塞した社会でも、明るい光をともしてもくれる。

自分の仕事の行き詰まりを打開する大きな手がかりも与えてくれる。

どうにも自分が前向きになれないときは、現実逃避の手助けさえもしてくれる。

 

これほど、変幻自在にどんな世界にでも自分を連れて行って、未知の世界のドラマを見せてくれるものは他にない。

もちろん、現実に勝るものはありません。

でも、日々、未知の世界を次から次へと見せてくれるものとしては「読書」に勝るものはありません。

本が見せてくれる世界は、あまりにも多岐にわたり、個人の想像を遥かに超えた世界ばかりです。

日ごろ、本屋の同業者と話していると、どうしても「読書」というと文芸小説を軸とした世界になりがちなことが、私にはいつも引っかかっています。

本の世界は、あまりにも広い。

現実の広さにはかなわないのだけれども。

にもかかわらず、一人の人間では、どんなに幅広い知識や教養を持った人間でさえ太刀打ちできない広大な世界が開けているのです。

その広大な広さを

本屋の世界、出版業界の世界、図書館の世界でも、およそ表現しきれていない。

それは決して蔵書の量の問題ではない。

売場面積の広さの問題でもない。

広大な世界の広さは、1冊の本のなかでも語り尽くせないこともある。

100坪の店より1段の棚にあらわされた世界の方が広大な場合もある。

1,000坪の書店よりも、ひとりの詩人の言葉の方が広いこともある。

そんな世界の広さをなんとか表現したいとの思いで仕事をしているのだけれども、なんとももどかしいばかりです。

深刻な出版不況などという問題ではなく、この本の無限に広がる広大な世界を、

私たちは、とても表現しきれていないのです。

自分が、どんなに本の恩恵を受けていても、それを本屋の業務として活かしきれないのです。

自分の表現力は、とうてい至らないけれども、

流れてくる業界の情報には感謝。

ネット技術でカスタマイズされる情報に感謝。

amazonにも感謝。

どうやって食ってるのか想像つかないような古本屋さんに感謝。

直接会ったら絶対に友達にはなれないような人でも、貴重な情報を提供してくれることに感謝。

太古の昔からの人類の蓄積文化に感謝。

だね。

 

 

 

電子書籍か、紙の本かの問題ではありません。

紙せあろうが、デジタルであろうが、この広大な創造の世界は、とても表現しきれないものがあるのです。

 

10年くらい前から、本のテーマ館といったイメージで特定の切り込み口で時代の文脈で表現する試みを重ねてきましたが、最近になってようやく図書館と書店とテーマライブラリーと現実の運動との一体化への道筋が見えて来たような気がします。

 

子どもの成長には、確かに驚くべきことがあふれています。

でも、それに負けないほどの目の前で起きている社会の現実、

日々、姿を変えて命を受け継ぐ自然の姿、

さらには自分自身の心の変化。

子どもたちの輝きに負けない数多の現実を感じて観れる幸せを、もっと大切にしたいものです。

 

 

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赤城山、赤城神社のネタと言えば・・・

2014年08月03日 | 歴史、過去の語り方

大事な記事は、私の別のブログのものでも、転記することが多いのですが、

これはこちらのブログにはなかったようです。

リンクのみあげておきます。

http://blogs.yahoo.co.jp/hosinopp/32845363.html?fb_action_ids=827273300617090&fb_action_types=og.likes

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