かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

言問う草木 〜京都雑感〜

2009年09月29日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

仕事のついでに、
いや遊びのついでに
京都に行ってきたのですが、
奈良と違っていろいろ考えさせられたので、また思いつくままにつらつらと書いてみます。

まず、室生寺などの最高峰の寺とは別次元の話として、
観光寺といいきっても良いほどの有名な寺々でも、当初は大地の上にドンと建つ奈良の寺院に比べると京都のお寺には、なんとなく周囲の緑に囲まれた風情のようなものがあるような印象がありました。

ところが、今回あらためてよーく見てみると、近世以降に建て直された寺院の多い京都のほうが、奈良の寺よりも周囲の景観に溶け込んでいない、お飾り的な建物が多いことにも気づきました。

もちろん嵐山など郊外にいけば、それなりの風景に美しく溶け込んだお寺もたくさんありますが、その庭の植栽などを見ると、禅の思想を極めたものも含めて、どうも造園業者のいいお得意さんになっているだけにしか思えないところが多いように感じてしまいまったのです。

それは、細部にゆきわたったサービスの出来ない企業と同じように、それぞれの信仰が人々に届く姿になりきれていない姿なのではないかとも思えるのです。

その点、東寺だけは、なにかとてもいい雰囲気を感じました。
東寺については、またどこかで書くとして、
そうした観光寺の不整合性とは裏腹に、もう一方で、
京都という地域文化のレベルの高さというのも痛感させられました。

その第一は、食文化やファッションです。

今回、じっくり調べて入ったのではなく、たまたま歩いていて気になったいくつかの看板のうち、こっちにしようとその場で決めて入った店だったのですが、そこの料理の美味いのなんのって。驚きました。

私はお造りセットを頼んだのせすが、その刺身の美味いこと。
これまで新潟や静岡、北海道などの鮮度のいい魚介類には、確かに感動しましたが、鮮度が売りとも思えない京都の刺身が、どうしてこれほど甘く美味いのだと驚嘆させられてしまいました。

なにも京懐石などといわずとも、ふらっと入った店でこれほどの料理が楽しめるのかと参ってしまいました。もちろん値段も普通よりはちょっと高いものでしたが、東京だったらこうはいかない。

それと街ゆく人たちのファッション。
同じ都会でも、東京、大阪だと、もう少しケバいファッションの女性が目立つ印象があるのですが、観光客と地元の人の区別こそつかないものの、
どうみてもぶっ飛んだファッションの女性が少なく、皆、とても落ち着いた安心して見られる(オジサン好み?)ファッションに溢れていました。
(そういう私は、いつものユニクロとサンダルのままの旅)



こうした文化の底力の差というものを、郊外の住宅地を歩いているときに更にもうひとつ痛感させられました。

それは、観光地周辺の個人住宅の庭の植栽のセンスの良さです。

日本中どこへ行っても、草花が好きで庭いっぱいに、なんやかやと植えている家はありますが、京都の通り沿いの家々の庭の木々や植栽は、実にきれいでした。

まず、選ばれた木々、草花が違う。
そしてそれらの植え方が違う。

ずっとこの違いは、何なのかと考えていて、ようやく思い浮かんだのは、
京都の人びとのこの草花、木々の植え方は、ただ沢山の緑で溢れていれば良いという発想の庭づくりではなく、一本一本の草木が、歌に詠まれるための鑑賞を目的としたかのような植え方であることに気づきました。

もちろんすべての庭の草木が、そのようなものではないでしょうが、私たちの周りの愛好家とは明らかに違うセンスの良さを感じました。

この木いいね。この花いいね。
これもあれも、ではなく。

今ならこの花に限る。
この草でこそ。

といったような一本一本がはっきりと演出されたような植え方に感じられるのです。

ずっとそうした街並みを見て関心しながら、写真を撮らなかった。
やっぱり自分は素人なのだと、これも痛感させられました。

 

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『ダム撤去』

2009年09月18日 | 気になる本
(まずは)売れなかった本のはなしです。

2004年に発売された本で
青山己織訳『ダム撤去』 岩波書店 2,800円+税
という本を長い間店においていたのですが、なかなか売れなかったので、
今年8月の棚卸のときに、必要な本でもあったので自分用で買ってしまいました。

民主党への政権交代が実現したことで、にわかに八ツ場ダムの中止論議が活発になってきました。

ある日、役人が突然訪れ、「この村はドボンですな」と告げられてから
すでに半世紀以上にわたって推進、反対の議論がたたかわされてきた問題です。

多くの地元住民は闘い疲れ、なんでもよいから早く平穏な暮らしがしたいと望んでいます。

経済効果、災害予測など、自分に都合の良い資料が飛び交い続けてきたなかで、
今、ようやくその実態があぶり出されようとしているかに見えますが、
マスコミの報道などを見る限り、まだまだ遠い道のりであることが想像されます。

そんな今こそ、この本を店頭においておくべきでした。
まだお取り寄せは可能な商品です。


日本よりもダム先進国であるアメリカは、寿命をむかえたダムや環境への影響があるダムなど
この本が刊行された時点で500を超えるダムが膨大なコストをかけて撤去されています。

それは、ダムが悪であるといった単純な議論から進められていることではありません。

開発にともなう環境への被害だけでなく、撤去にともなう被害も少なくないからです。
さらなるコスト負担も発生します。

大事なのは、ひとつの結論に至るプロセスの問題です。

八ツ場ダムのように突然「ドボンですな」と告げられてから、
成すすべもなく進められていってしまう計画にたいして私たちは、
今回のような政権交代でもおこらない限り、とても太刀打ちのできない現実と長らく思っていました。

もちろん、ダム本体工事の中止が実現したとしても、一度、破壊された住民の生活再建は、
代替地への移転では解決しない難しい問題をたくさん残しています。

これらの問題解決のプロセスのあり方に、このアメリカの『ダム撤去』の論述は大きな示唆を与えてくれているのです。

本書がめざすのは「ダム撤去あるいはダムの存続のいずれかをて提唱しているわけではなく、あくまでも客観的な視点から入手可能な限りの科学的な情報を提供することである。なぜなら、最高の意思決定はまずできる限り知ることから生まれるとの信念に基づいているからである」と序文で述べられています。

正しい論拠、間違いの論拠をそれぞれが出し合う争いではなく、
難しい問題の合意形成をどのようにはかっていくのか
民主主義のレベル、報道のレベル、住民自治のレベルそれぞれで、
これから私たちが身につけていかなければならない大きな課題です。

********************

             ここまでは「正林堂店長の雑記帖」より転載


ひるがえってこの間の政権交代確定以後の八ツ場ダムに関する報道をみると、
情報不足によりものなのか、意図的なものなのかわかりませんが、やたらとマスコミのミスリードと思われる報道が目立ちます。

八ツ場ダム問題に限らず、地元の方への取材や有識者へのインタビューなども含めたマスコミの報道は、かなりの取材時間をかけていながらも、当人の意図とはかけ離れた断片のみが報道されてしまうことが少なくありません。

とくに政権交代という歴史的な舞台の上で語られる八ツ場ダム問題は、政争の具にされ、地元不在の議論に陥っている、といった趣旨がたびたび取りざたされています。

「ダム中止」が地元無視の独断方針であるかのような論調が、各方面から談話としてこのところの紙面をかざっています。


これらをうけて長年八ツ場ダム問題と取り組んできた「八ツ場あしたの会」事務局の渡辺さんは、以下のように語っています。


> 総選挙で八ッ場ダム(に含まれる生活再建事業)が政争の具にされ、
> 地元不在の議論が展開されている、という趣旨がたびたび取り上げられていますが、
> 八ッ場ダム計画の57年の歴史の中で、今まで「地元不在」でなかったことが
> あったでしょうか。
> 地元が反対闘争をしていた1960~70年代もダム計画は進んでいました。
> 地元がダムを受け入れた後、ダムの関連工事は進んでも、
> 生活再建の基盤となるはずの代替地移転は進みませんでした。
>
> 4年前、2005年9月11日に行われた前回総選挙の直前、
> 9月7日に代替地分譲基準の調印式が八ッ場で行われました。
> 代替地の地価があまりに高額なため、何度も住民組織が値下げ交渉を
> しましたが、国のゼロ回答が続いた挙句の、住民と国、県との最後の調印式でした。
> 総選挙の結果、地元が更に犠牲を強いられることは目に見えていましたが、
> 調印式を取り上げたテレビ報道は、何のコメントも流しませんでした。
>
> 当時、代替地への移転は、1期~3期を平成17年から19年までに完了することを
> 明示した文書を国は地元民に配布していました。分譲地価が異常に高額なことに
> 加え、代替地の造成は大幅に遅れました。
> 大規模な工事現場を見て、ここで生活できるのかと不安を覚え、見切りをつけた住民が
>
> この4年の間に大量に流出しました。
>
> ダム計画の長年の経緯から政治不信に陥っている住民の多くが
> 野党がめざす生活再建を信じられないのは当然のことですが、
> 与党=国交省が進めてきたダムによる生活再建が問題なかったとする
> 与党の認識は、あまりに現実と乖離しています。
> 地元では、現状に批判的な声が表に出ることはなかなかありませんので、
> マスコミがとりあげにくいのはわかります。
>
> 4年前の8月16日、川原畑の百八灯の暗闇の中で、地元紙の記者が
> 住民に、「代替地での生活再建の展望について、お話を聞かせてください」
> と話しかけていました。その翌日、地元紙の一面中央に、「民主党のマニフェストに
> 八ッ場ダム中止」のタイトルが載りました。その朝、たまたま会った水没予定地の
> 方々から、「民主党に勝ってもらいたい」と声をかけられ、面食らいました。
> 一度も会ったことのない、地区の役職にない方たちで、私をただの観光客と見て、
> 声をかけられたのです。その中から、この4年の間に、転出された方もいます。
>
> 郵政選挙後のこの四年間も含め、八ッ場で住民不在、人権無視の政策が
> 半世紀以上も続けられてきたことが明るみに出る日が来るのは
> いつのことでしょうか?

注 この文章は8月25日のもののため「与党」は自民党のこと

問題の大きさ、深刻さから考えたならば、これまで半世紀のダム事業で破壊されつくした地元の人々の生活再建は、ダム本体工事の中止が実現しても、工事が続行されることになったとしても、どちらにしても大変な困難をともなうものです。

ただですら日本全国の山村の生活基盤づくりは、どこでも難しい時代なのですから、なおさらです。

先に紹介した本の主旨にもどれば、情報を正しく出しつくしたうえでの議論と、それをわかりやすくまわりに伝える地道なプロセスが、今、なによりも求められています。

そうした活動を長く行ってきた「八ツ場あしたの会」の渡辺さんの言葉は、専門の研究者以上に、わかりやすく事実をわたしたちに伝えてくれます。
それは、じつは「八ツ場あしたの会」のホームページ以上に、わかりやすい言葉で事態の本質を語ってくれているのですが、様々な関係者への配慮などからネット上への公表には制約があります。
 ここでの紹介は、上記の文のみにさせていただきました。

まずは、「あしたの会」のホームページの以下のページを是非、ご参照ください。

八ツ場ダムについて流されている情報の誤りについて

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記憶イメージの分岐点 (夢の記憶のつづき)

2009年09月16日 | 夢日記 (手は届かないけど観念だって実在なんだから)

「一枚の写真は、100語に勝る。
しかし頭のなかでつくられたひとつのイメージは、100枚の写真に勝る」

伝説のコピーライターといわれた、ロバート・コリエの言葉だそうです。


一見、前回の記事「夢の記憶」で書いた内容と逆のことを指摘しているような言葉ですが、このふたつのことがらを整理して説明することはとても難しい。
以下、思いつくままにつらつらと書いてみます。

この言葉のなかには、客観的映像(そのようなものが存在するのかという問題は別にして)には存在しない意思の力というものが隠されています。

前回書いた「夢の記憶」の話では、潜在意識のあらわれであるかもしれないにしても、
夢で見たものの記憶というのは、それを「伝える」「表現する」努力を伴わないと、
なにもあとに残らないばかりか、自分自身、正確にはなにも理解していなかったことに気づかされることが多い、といったようなことを書きました。

さらに関連して、人に道を聞かれたときに、普段自分がよく理解しているつもりの道でありながら、
相手に説明できるかたちでどれだけ表現できるか、といった現実の問題につなげたわけですが、
このことと対になる問題として、このコリエの言葉はとてもいい内容になっています。

夢や見慣れた景色の記憶と違って、このコリエのことばには
見られる側、作り手と見る側の意思、視点というものがはっきりとはたらいた場合の違いをあらわしています。

たとえ強い意志はなくとも、撮影者の主観で四角い枠のかなに切り取られた空間の映像というのは、
作り手と見る側双方の意思がはたらいて情報を読み取ります。
この写真や映像から情報を読み取るというプロセスが、非映像言語が直接的なのに対して、直感的であるにもかかわらず、言葉の情報の場合は、多くの場合、ひとつひとつの言葉が情報を具体的に規定してしまっている側面が強いといった印象があります。

もちろん、言葉にも受け手の想像力をかきたてるような表現はたくさんあります。
詩や俳句の世界を考えれば、僅かな言葉で広がる映像の世界は、はてしのないような広がりを感じるものです。

やはり直接的か間接的かで説明するには無理がありそうです。
右脳か左脳かといったほうが良いのでしょうか。

頭のなかにつくられたひとつのイメージとは、さらに言葉の概念だけに規定されない映像プラス意志、テーマといったようなものが強くはたらくからだと思います。

同じ映像イメージでも、寝ているときにみた夢の映像と
自分の意志でつくられたイメージの映像ではどう違うのでしょうか。

わたしには、うまく説明できません。

でもひとつ思い出すことがあります。

昔、学生時代、キャンパスの向かい側にある山をいつも、ぼーっと眺めていたのですが、そのとき気づいたことがありました。

ただ漠然とその向かいの山を見ているときは、ただの木に覆われた山としてだけ見えていたのですが、
眼を一点に凝らすと、その焦点のあったところだけ、木々がワーイとばかりに喜んでくれるがごとく、
ゆらゆら風にゆれている姿が見えるのです。
また別の一点に目を凝らすと、またその部分だけが、ワーイと木々が風にゆれる。
そのときは既に前に見ていた場所の木々は見えず、森の全体に埋没してしまっている。

自分が見てあげたところだけが、ワーイと反応してくれる。
そのゆれる木の姿がいかにも自分にだけ応えてくれているようで、面白くてたまらなかった。

はじめの漠然と向かいの山の森をみていたときは、おそらく私の目の記憶は、夢を見た時とあまり変わらない状態にあったのだと思います。

それが、特定の木に意識を向けてズームを繰り返すようになると、物理的なズームレンズの機能だけでなく、
そこにまぎれもない意志をともなって、木をみて森を見るのか、森をみて木をみるのか、テーマがうまれている。

記憶力の長けた人や速読の出来るひとは、ものごとを写真を写すように、言葉による余計な思考を遮断して頭に焼き付けるといいますが、
記憶だけを問題にするような作業であれば、それはすばらしい技術だと思います。

しかしわたしは、そのような能力よりは、効率は悪くても、常にテーマや意志をもってものを見ることのほうが、
面白いし自分の身につくものだといつも思っています。

東大出のエリート官僚が、膨大な資料を簡潔に「客観」的に短時間でまとめあげる能力には驚かされますが、
ご立派と感嘆させられながらも、やっぱりそれはただの資料としか見えず、なんの面白みもない。

というと、資料なんだからそもそもそういうものなんだと言われます。
それに返す言葉はありません。

でも客観的と言われるような年表や数字のデータのなかにも、強い意志と説得力を感じるものと、
いくら精読してもなにも伝わってこないものがあります。

わたしは昔から、主観性を発揮しなければ、客観には到達できないと信じているので、
客観的データや映像、資料などといったものをはじめから信用しません。

客観的といわれるような映像や数字、資料であっても、胸に強く焼き付けられるようなテーマ、意志を感じさせるものこそ
わたしたちのものであると。

その意味で、ロバート・コリエの言う一枚の写真、ひとつのイメージとは、決して「客観的」なものではない。
強烈なベクトル、なんらかの方向への矢印によって貫かれた主観そのものであると思う。

100語に勝る一枚の写真。

100枚の写真に勝るひとつのイメージ。

それは必ず熱い!

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夢の記憶(最近の会話から)

2009年09月06日 | 夢日記 (手は届かないけど観念だって実在なんだから)

わたしは時々、おまえはよくそんなに夢を覚えていられるものだと人から言われることがあります。
たしかに見た夢を人に話したり、ブログに書いたりすることはあるのですが、
決して見た夢を他人よりよく覚えているというわけではありません。

ほとんどの夢は、寝起きにわずかな記憶はありますが、
目覚めとともにすぐに忘れてしまうものです。
これは、多くの人とほぼ同じレベルだと思います。

いや、ほとんどのひとの夢の記憶というのは、きっと共通してそのように儚いものなのでしょう。

誰もが強烈な印象を受けたような夢の体験であっても、
悲しいほどにその記憶は瞬く間に消えていってしまいます。

もし多くの夢をそのまま記録することが出来たならば、シュールレアリズムのアートなど
吹っ飛んでしまうような作品がたくさん出てくるかと思います。

実にもったいないことです(笑)

ほぼ毎日のように世界中の人びとがみているにもかかわらず、
圧倒的な部分の夢は残ることなく消えていってしまっています。
それが、どのようにしてごく一部のものだけが
運よく、「覚えている」ことになるのでしょうか。

自分のことをあらためて振り返ると、それはある程度はっきりしているように思えます。

それは、頭のなかの映像の記憶を「文字」「言葉」の情報に置き換えたときです。

文字情報と映像の情報では、明らかに違うものですが、
その場面、情景、ストーリーを文字や言葉の情報に置き換えることによってのみ、
はっきりとした記憶として残すことができるのではないでしょうか。

わたしが見た夢を、誰かに話すとき、その多くの夢は断片的であったり、
話や場面の辻褄があわなかったりするものですが、
それは映像の上ではなんの矛盾もなく存在しているものです。

それを言葉に置き換えて人に伝えようとしたとき、
必至になって場面のつながりを思い起こしたり、
矛盾したストーリー展開を言葉で補ったり、
時には足りない部分を伝えやすくするために捏造、付けたしをしたりもしながら、
漠然とした映像や、時には鮮明でありながら言葉で表しがたいものをなんとか言語におきかえる作業をします。

言語におきかえるというよりも、
より正しくは、誰かに「わかってもらえる」、
あるいは「伝わる」表現に、映像の記憶を置き換える作業であるともいえます。

こうしたことから結果は、

記録に残したもの、
誰かに伝えようとしたものだけが、
記憶に残るのだともいえます。


ちょっと別の話になりますが、私のいる店は伊香保、草津、四万温泉へ通じる道の途上にあるためか、
遠方から来た人に道を聞かれることがよくあります。

その時、うちの従業員が、どこどこへは、この道をまっすぐ行けば大丈夫です。
と、軽く教えているのを目にします。

たしかに大体はまっすぐ道なりで間違いないのですが、
まず最初の信号を右折しなければならないこと、
先にY字路などがあればどちらが本線なのか、
余所から来た人にはまったくわからないことが
すべて省略されてしまっているのです。

地元の人間からすれば、いつも通っている道だから、まっすぐでわかるつもりなのですが、
はじめて通る人にとっては、正しいことを教えてもらっても、
これでいいのだろうかと迷う材料には事欠かないものです。

ならば、紙に書いてきちんと説明してあげればよいと思うのですが、
このように、まっすぐ行けば大丈夫と言ってしまう人ほど、
では具体的にどのように線を書いて説明したらよいのか、
まったくペンが動かなくなってしまうものです。

紙にはうまく書けないから言葉で済ませる。

ここです。問題は。

紙にきちんと書けないようなことは、
言葉でもうまく相手に伝わるような表現にはなっていない場合がほとんどなのです。


体験的に頭で十分わかっているつもりのことでも、人に理解してもらうには、
しばしば大変な労力を伴わなければ満足のいくものにはならないものです。

これは、夢の記憶をまったく同じ世界です。

わたしは、長い文章のブログをいつもよく書くねと言われることもしばしばありますが、
これも、ブログやホームページに書いたこと以上の体験や思考はしているはずなのですが、
書き遺したこと以上の記憶は、残念ながらわたしにもほとんど残りません。

今年5月に奈良、吉野、熊野へ行った旅行も、
言葉には表せない貴重な体験をたくさんしましたが、
おそらく今回作成した文集に残した写真や文章以上の記憶は、
残念ながら、ほとんど残らないものなのかもしれません。

これは、写真に撮って残す情報と絵に書いて残す情報の違いを比べると顕著です。

前回引用したコリエの言葉のように、確かに写真には膨大な情報が詰まっていますが、
その情報のディテールは、見る側に無条件に与えられているわけではありません。

同じ対象を絵に描くように、その部分部分が、どのようなカタチをしているのか、
どんな色彩をしているのか、確認する作業は経ることなく、
一瞬のうちに写しとっているからです。 


だれもが唯一無二の貴重な体験をしたり、
常識では考えられないような面白い夢をみたりしながら、
日々すばらしい時間をすごしているはずなのですが、
その貴重な体験は、
人に伝える言葉におきかえたもの、あるいは絵画など何らかのカタチで書き遺したものだけが、
自分自身の記憶が財産として積み重ねられたものになるのではないかと感じます。

でも、言語化されないもの、絵画化されないものに実態がないはずはないだろうということは、
また厄介な文になるので、またの機会にさせていただきます。


           (以上、「手作り本・小冊子」活動の営業文でした。)

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