かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

毛沢東の贈物。

2017年10月14日 | 歴史、過去の語り方

 「毛沢東の贈物」をネットで検索すると、日本の誰それに毛沢東から送られた贈物が、偽物であったという話が出てきます。

 中国の財宝のほとんどは蒋介石が持って行ってしまったために、中国本土には偽物しか残っていなかったという事情によるようです。

 でも、ことを正すとすれば、中国側の事情がどうであれ真贋の見分けがつかないことこそ、第一の問題であると思います。

 ですが、

 そんなこと以上に、毛沢東が日本にしてくれた遥かに大きな贈物があります。

 それを私は、アレックス・カーの本によって知ることができました。

 

 と言いながら、その出典を私は確認できません。

 てっきり、アレックス・カーの『犬と鬼』という本のなかで、それは書かれていたと思っていたのですが、この本を薦めて読んだばかりであるはずの知人から、そんな話が書かれていたことの記憶がないと言われてしまったので、私の記憶に確信は持てなくなってしまいました。

 まあ、いずれにしてもアレックス・カーがどこかで書いていたことには間違いないと思います。

 

 

それは、

 今になって中国が日本市場を脅かし、日本経済に大きな脅威を中国市場が与えているかのことが言われていますが、そもそも、戦後の歴史をグローバルに見るならば、毛沢東が中国を共産主義化してくれたことによって、日本がどれだけ西側諸国の市場をアジアで独占して成長することができたであろうかということです。

 もともと古代からいついかなる時代でもアジアの中では大国であり続けた中国です。その人口規模、市場規模から考えたら、いついかなる時代においても中国はアジアのなかの大国であり続けています。

 それが、毛沢東が革命を起こし、社会主義化してくれたおかげで、資本主義市場に対しては沈黙を守り続け、アジアではほぼ日本のみが、戦後のアジアの資本主義市場を独占して発展させることができたのです。

 敗戦後、アメリカの政策や朝鮮戦争特需による戦後の復興は語られていますが、中国は資本主義陣営に敵対すると言いながら、日本経済にとってはアジアにおける日本の独占を中国がなによりも一番保証していたということを見落としていないでしょうか。

 それをアレックス・カーは、「毛沢東からの贈物」と評しました。

 

 日本が敗戦の焼け野原から立ち上がってくるときに、もしもその時から中国が市場開放していたとしたら・・・

 とても今の日本の復興や高度経済成長などはありえなかったのではないでしょうか。

 もちろん、それは今ほどの脅威ではなかったかもしれませんが、戦後、早くから中国が市場開放していたならば、少なくとも今よりももっと早く中国の経済成長が始まっていたことは間違いないでしょう。

 それだけ中国が、日本に半世紀にもおよぶアドバンテージを与えてくれて戦後の復興を助けてくれていたにもかかわらず、日本はそれに気づかず、目先の数字ばかりを追いかけてしまいました。

 毛沢東が日本へ途方も無い贈物をしてくれている間に、日本は「大人」の経済や「大人」の国家になれれば良かったのですが、残念ながら市場の拡大にしか目がいかず、今の有り様になってしまったというわけです。

 

 周辺諸国とのつき合い方をイデオロギーや敵か味方かの判断ではなく、いついかなる時代においても折り合いをつけて付き合い続ける覚悟を、島国日本は長い歴史の間ずっと鍛えられていません。

 長い歴史の間ずっとフランスやイギリスと敵対し続け、ナチスの時代の残虐から隣国ポーランドなどからは「怨念」を突きつけられ続けているドイツに比べたら、日本の韓国や中国をはじめとするアジア諸国との関係は、あまりにも「ゆるい」。

 かといって「ゆるい」からといって無理に「シビア」に方向転換する必要もないと思いますが、必要なのは、日本の恵まれた環境を自覚して、何事も他人のせいにしない「大人」になることだと思います。

 

 私は保守主義ではありませんが、

 社会主義中国や旧ソ連、ロシアの脅威を感じるのであればあるほど、アメリカなどの大国に頼らずに独自の中国やロシアとのつき合い方を模索するのが「大人」の国の振る舞いであり、敗戦と占領のジレンマから脱することの出来ない環境があればあるほど、国際社会のあるべき常識、自主、独立、平等への道を真剣に模索するのが「大人」の国への道であると思います。

 

 ほぼ半世紀にも及ぶ「毛沢東からの贈物」を無駄にしてしまった日本ですが、明日のことを考えるならば少なくとも、他国のことを非難する前に、自国の有りようを先に正す姿勢をもつべきだと思います。

 考えてみれば、毛沢東からの贈り物だけではなく、敗戦後は、周恩来が日本に対して戦後賠償を一切求めなかったことや朝鮮戦争特需など、同じ敗戦国ドイツに比べたら異常に恵まれた環境下で戦後復興をなした国であったことがわかります。

 東西合わさったドイツでさえ、人口は8千万人レベルで、国土面積は日本より小さいのです。

 日本人が勤勉であることに異論はありませんが、こうした異常に恵まれた環境を見れば、特別に日本がすぐれているわけではないことはもう少し自覚できるのではないでしょうか。

 

 バブル崩壊後の失われた10年、20年の問題ではなく、半世紀にもおよぶ「毛沢東からの贈物」の恩恵を活かしきれなかったツケが、今の日本に現れているのだと思います。 

 デフレ脱却を至上命題にしたさらなる「成長」のための戦略ではなく、「大人」の経済、「大人」の国家への道を、遠回りはしましたが、これから少しでも前へ築いていきたいものです。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「経済活動」より「生命活動... | トップ | 「自然(天円)に包まれた人... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史、過去の語り方」カテゴリの最新記事