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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

福島県の阿武隈高地を貫く国道399(サン・キュー・ク) ー 日本屈指の山里景観 ー

2018年07月28日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

群馬県は山ばかりの県と思われがちですが、群馬に住んでいる私たちが、
群馬よりずっと平野部であるはずの埼玉県や千葉県に行くと、
なぜか群馬以上に緑が豊かであるように思えてしまうことがあります。

それはおそらく、里山と言われるような緑の空間が群馬より多いためです。

山の緑が豊富な群馬には違いありませんが、山の広大な裾野や平野部に入ると
里山と言われるような木々が生い茂った空間が群馬は意外と少ないのです。

これは、養蚕が盛んであった頃に平野部の多くが桑畑にされたことや、お蚕を育てるにも風通しが良いことが必要なため、屋敷林のようなものは嫌われたことによるのかもしれません。
また赤城山、榛名山などの裾野が火山灰地であることもその理由にあると思われます。 

 

一口に「関東平野」といっても、急峻な山間部と平野部が明確に分かれているのは群馬県が特別で、埼玉県でも北西部は丘陵地帯が多く、茨城県、千葉県も筑波山以外に高い山はほとんどなく、それ以外の場所は完全な平野部というよりは、緩やかな丘陵地帯が意外と多いものです。こうした山の裾野エリアでもない平野部にある丘陵構造というのが、群馬県人にはとても新鮮に感じられるのです。

そんな印象を茨城県へ行った時は、とくに感じていました。
群馬と知名度ランクングの最下位をいつも争うライバル、栃木、茨城の3県ですが、
そのなかでも最も群馬から遠い位置にある茨城県は、はるばる訪ねる理由が、
私には水戸芸術館か岡倉天心ゆかりの五浦くらいしか思い浮かびませんでした。

それでも、その太平洋岸へ至る内陸の丘陵地を通り抜けるときにいつも感じるのは、
失礼ながら納豆以外にこれといった名産もないかの印象であった農村風景が、
どこも予想外に豊かな生活感があふれており、これといった産業はないかもしれませんが
群馬よりは意外と豊かな暮らしぶりが感じられるのです。
失礼ながら、群馬に比べたらたいした山もないのに、林業もそこそこに生きており、
荒れた景観が思いの外少ないことにも驚かされたものです。 

同じように千葉県の内陸部では、北海道並みの大規模農場が多いことにも驚かされます。
群馬だったら、昭和村か嬬恋村でしか見られない広大な農場風景が、東京からすぐ近くのところに広がっているのです。 



前書きが長くなりましたが、そんな思いを感じていると、その千葉、茨城の丘陵部の延長線上にある福島県の阿武隈高地のことがとても気になって仕方がなくなってきました。

この千葉から茨城にいたる丘陵地形の発端は、福島と宮城の県境に端を発する阿武隈高地から始まっているからです。 

 

そこで、福島県内では、原発被害でも最も高汚染の被害を受けている阿武隈高地の北部、
とりわけ飯館村周辺と、そこへ至る阿武隈山系の中心部をまっすぐ南北に貫いている国道399号沿線を、実際にこの目で確認してくることにしました。

1度目にそこを訪ねたのは、2018年5月18日、19日。 
2度目は、同年、7月22日。 

 

 

そこには、阿武隈高地特有の千メートル未満の穏やかな山並みが続き、

緩やかな起伏の里の風景がどこまでも続きます。

 


 

この阿武隈高地一帯すべて、群馬のような赤城山、榛名山、妙義山といったように
独立した高さを競うかのような山はほとんどありません。

標高1,000m以上というと、
 ・日山(天王山)1057m
 ・大滝根山 1193m
の2峰のみです。 

そのためか、山並みを切り裂くような大きな川もあまりありません。

利根川のように、この川が本流、この川が支流といった区別もほとんど感じられないのです。 

無数の沢と谷が穏やかな流れをつくるのみの地形です。

 

どこも緩やかな山なみのため、無数に点在する集落は、

とても日当たりがよく、明るい里の風景が延々と続きます。

 

ここと似たような地形といえば、中国山地が思い浮かびます。
瀬戸内に面した中国山地は雨量が少ないこともあり、植生がまた異なることと思います。

このたびの未曾有の豪雨災害のからみでもここの地形のことは大事な比較材料ですが、私は数回通っただけでとくに意識して地形、風土をみていたわけではないので、今回は深入りは避けることにします。

そこで他にこの阿武隈山系に似た土地として私が思い浮かんだのは、
新潟県の棚田で有名な十日町市、
あるいは中越地震で有名になった山古志村周辺です。
これらの土地は、周辺の山地がどこも標高300〜700mくらいで、
周辺に高い山が迫っていないことなど、阿武隈高地と条件が似ています。 

新潟県は全国の土砂災害の2割を占めるといわれるほど地盤のゆるい土地です。 

上の写真のように、山肌に岩盤を見ることは少なく、粘土質の柔らかい地層が多いのが特徴です。
よく私たちはこの辺のトンネルなどを通過するとき、
このあたりでトンネルを掘るのは鼻くそほじくるよりも簡単だ、
などと冗談を言ったりしてます。

それは山古志村へ行ったときも、まったく同様の印象を持ちました。

 

あちこちで中越地震の復旧作業がされていましたが、急峻な斜面ばかりが続き、
いかにも柔らかそうな地盤が見えているため、直してもすぐに他の場所が
何かきっかけがあればまた崩れてしまいそうに見えてなりませんでした。


それに比べると、この阿武隈高地は土砂崩れが起きそうな場所はとても少なく感じます。
山の勾配が緩やかなだけでなく、粘土質の地肌はそれほど見られませんでした。
さらに、このあたりが照葉樹林の北限にもあたるらしいので、
もしかしたら常緑広葉樹の比率が多いことも幸いしているのかもしれません。 

 

 

 

またこのあたりの景観には、関東のように首都圏へ送る送電線が視界を遮ることもありません。

道路をいくら走っても営業看板などもありません。

確かに温泉地、ゴルフ場、スキー場などもないので、規制以前のことなのかもしれません。

起伏が緩やかなためか、道も山を削りコンクリートで固めることがありません。
群馬ではいたるところで見られる下の写真のような光景は、なかなか見られないのです。 

 

 わずかな違いなのですが、周辺の山の勾配が少しゆるやかであるというだけで、
道路などの管理・維持コストは劇的に変わってくるようです。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、下の写真のように垂直に近い斜面ではなく、道路わきに限らず、山全体にかけてほとんどの勾配がゆるやかなのです。

 

したがって、白ペンキのガードレールも多くつくる必要がありません。

急峻な山がないということは、土砂崩れなどの恐れも少なく、

道路などの維持管理コストも抑えることができているかと思われます。

 

視界の中にコンクリートがないというだけで、どれほど景観が美しく見えるかということを

あらためて痛感させられます。

何十キロ走っても、どこへ行っても緩やかな曲線を描いて美しい景観が流れていくのです。 

 

 

これらの特徴は399号線の太平洋側よりも、中通り地方側、阿武隈川寄りの地域の方が顕著にあらわれているように思えました。

その違いは、川の流れの方向に如実に現れています。

太平洋側では、どの川も西の阿武隈高地から太平洋側へほぼ一直線に流れているのに対して、

内陸部では、あるところでは阿武隈高地から西へ流れていますが、またあるところでは北から南へ、他のあるところでは南から北へと、様ざまな方向に川が流れているのです。

そうしたエリアのなかに、桜で有名な三春町や田村市の風景もあります。
 

妻が気づいたことですが、このあたりの農家の庭には群馬の農家の庭に比べると
あまり花々が植えられていません。

なにか周りの山々の緑の風景だけで完璧に満たされているから、
あえて園芸花を植える必要性を感じないかのようです。

真偽はわかりませんが、余計な努力をせずとも十分に満たされているらしい雰囲気だけは確かです。

それだけに、桜だけを大切に守りそだてることに集中できていているかにも見えます。

 

 

 

こうした阿武隈高地の山里の風景を見れば見るほどに私は、

「他と比べる必要を感じない穏やかなくらしの風景」

といったようなものを強く感じました。

 


そんな感動に浸って走っていると、ある地域を境に、

谷ごとにどこも汚染土の仮置き場が現れてきます。 

 

 

気づけばここは、汚染レベルの最も高いエリアなわけです。

 

  

災害避難を余儀なくされた人の言葉ですが、

「村では米は自分で作ってたし、野菜も作ってた。

(今は買わなきゃいけない)買った野菜は美味しくない。味がヘンだ。

ここまで(買わないで暮らしてきた暮らしから一変したこと、国は)考えてくれるだべかなあ。」

 


一斉に花咲く春、

山菜採り、

カエルの合唱、

菖蒲の香り、

天の川、

蛍の乱舞、

緑のにおい、

土のにおい、

草のにおい、

紅葉に映える山々、

雪景色。


これらが失われることの重大な意味を、そもそも都会の役人や政治家たちは、知りません。
大自然のもつ大きな力や豊かな恵みそのものを理解できていません。
観光のための自然保護程度にしか考えていません。


彼らは大真面目に、所得を上げて、たくさんモノを買うことで成り立つ暮らしへ誘導するのです。
だから、どうすべきか、何をすべきかが噛み合わないのです。
 

 

 

             

   

私たちはナビを頼りながらも、最新の交通規制情報を見ないまま彷徨ったため、最終的には399号線を外れて国道114号線で浪江町へ抜けました。

 


ここは399号線沿線とともに、もっとも汚染レベルの高い地域を走っている道です。 

汚染土を仮置き場へはこむダンプが絶え間なく通過していきます。 

  

 

前日、国道6号線を北上した時は、帰還困難区域の富岡町、大熊町、双葉町から浪江町に入った途端に、まるで戒厳令が解かれたかのような開放感がありましたが、そんな印象は1日で吹き飛びました。

浪江町は東西に広がるまちで、国道6号線の通る市街地のみが汚染レベルがやや低くなっており、
浪江町の大半を占める西側の山間地は、高汚染地域だったのです。 

  

 

 

2006年に埼玉県から福島県飯舘村に移り住んだ三角常雄さん(68)

あれから七年が過ぎた。家の周りは除染され、放射線量は、家の中なら毎時約〇・三マイクロシーベルトと国の長期目標(〇・二三マイクロシーベルト)を少し上回る程度には下がった。

 だが、山とともに生きる暮らしは完全に壊された。家を一歩出れば、線量ははね上がり、敷地内の林では二マイクロシーベルトを大きく超える。林の土を本紙が二地点で測定したところ、一キログラム当たり一万八〇〇〇ベクレルと四万九〇〇〇ベクレルだった。厳重な分別処理が求められる基準の二~六倍のレベル。十分の一になるまで百年かかる。

 「こんな状況じゃ孫が来たって遊ばせられない。山菜もダメ、キノコもダメ。何のための山暮らしか。もう住めない。理想の暮らしを目指して、少しずつ築いてきた年月は無駄になり、仲間は新潟や山形、東京などに移住して、離ればなれになってしまった」

 三角さんは自宅を見つめて唇をかんだ。

 (東京新聞 2018年7月20日 朝刊より抜粋)

 

 

 

 

それでも、まわりの山なみなど風景の美しさにまったく変わりはありません。  

このことの意味するところは、次のような現実を示してもいます。

 

 

日本には、人口3万人未満の自治体が954あります。

しかし、その人口を合計しても、日本の総人口の約8%にすぎません。

他方、この人口3万人未満の自治体の面積を合わせると、日本全体の約48%になるのです。

つまり、日本の面積の半分近くをわずか8%の住民が支えてくれているということなのです。

           枝廣淳子『地元経済を創りなおす』岩波新書

 

  

福島県に限らず、日本全国どこへ行っても、この地図の色の薄い部分にずっと昔から住む人々からは、

「俺たちの町には何もない」という言葉がしばしば聞かれます。

ところがそれらの言葉の多くは、「都会と比較したらば・・・」「有名観光地に比べたならば・・・」という意味のことです。

どんな土地でもそれらの意味をのぞいたならば、長い歴史をずっとそこにしがみついて生きてきた自然の恵み豊かな土地であるわけです。

長い歴史を通じて田んぼでお米をつくり、畑を耕し、林業や狩猟をしてきた彼らは、ここにどんな恵みがあるのか、どれだけ多くの先人たちがそれらの恵みに支えられてずっと生きてきたのかは十分知りつくしています。

わたしたちは、こうした姿を確認したくて再度、7月21日、福島を訪ねました。

 前回は北の飯館村から399号に入ろうとして失敗したので、今度は南のいわき市の方から北上しました。

 

するとそこで目にしたのは、またしても予想外の景観でした。

もちろん、たった一本の399号線沿いを通っただけの印象なので、それを根拠にその一帯のことを判断するのは当然無理があるとは思いますが、それでも他のエリアとの明確な差は感じずには入られませんでした。

そもそも私は、いかなる土地に行っても、地元でよく「オレたちの地域にはなんにもない」と言われような実態は滅多になく、常に豊かな自然に代表される恵みあふれる場所であることは間違いのないことくらいに思って各地を見てまわっているのですが、いわき三和インターを降りて周辺の集落を抜け399号に入った途端に、周辺は本当にそこは何も見えない山道になってしまいました。

通常は、山道を深くわけいるといっても、それは群馬の山奥でも奥会津の山奥であっても、こんなに山奥までよく人が暮らしているものだと感心させられるほど、狭い谷あいでもケモノたちから必死に小さな田畑を守りながら暮らしている人たちの痕跡をみることができるものですが、この399号線の川内村へ至る区間は、本当にそういった痕跡がほとんど見られないのです。

飯館村から日山へいたる長閑な農村風景が、ずっとこのあたりまでも続いていることを勝手に想像していただけに、ちょっとこれは残念なことでした。

放射能被害があったから人が減ってしまったというようなものではなく、この一帯はずっと山村の暮らしというようなものがなかったのではないかという風景なのです。

人家はなくても林業でも行われていれば、里にはそれなりの貯木場や製材所の風景があるものですが、そういった景観もほとんど見当たりません。

今回ここへ来た目的は「オレたちの町はなんにもないというけれど、そんなことは絶対にない」ことを立証することなのですが、このエリアではさすがにその信念がかなり揺らいでしまった区間です。

このことを国道6号線を含めたエリアで見ると、いわき市や広野町周辺と北の相馬市、南相馬市、浪江町あたりに挟まれた原発近辺の富岡町、大熊町、双葉町の区間ですが、この一帯が、山間部を含めて、大変失礼ながら本当になんにもないように見えてしまうエリアなのだと痛感させられました。
だからこそ、原発誘致に飛びつくことも無理からぬことだったようにも見えます。

逆に、それらの土地からは距離のある葛尾村や飯館村の方が最も汚染被害を受け、利用価値のない山間部ではなく、美しい田園風景が広がっていた田畑のほとんどが汚染土の仮置き場になってしまっている現実が、いっそう際立って見えてきてしまいました。

  

田村市から葛尾村へ向かう399号の北限通行止めゲート 

 

これがたまたま原発事故の時の風向きによる偶然のことなのかどうか、わかりませんが、飯館村、葛尾村といった日山の周辺の最も美しく豊かな恵みあふれる山村エリアが、一番深刻に後世まで放射能汚染の影響を受ける地域になってしまったのです。

もちろん、これらのエリアは富岡町、大熊町、双葉町の帰還困難区域の人口に比べたら少ない人口のエリアかもしれません。

どちらの方が被害者人口が多いかという問題ではなくて、どこを取ってもそこに暮らす人の掛け替えのない生活エリアの問題なのですが、自然一般ではないそれぞれの土地のもつ掛け替えのない価値という問題を399号線は、見事に私にあぶり出して見せてくれました。

そんなことから思わず私は399号線をサンキュー・ク(苦)と読んでしまいました。

 

 

 2018年7月、国道399号線で立ち入れなかった区間

 

急峻な山や谷の少ない穏やかな山間部としての阿武隈山地の印象は、そのままさらに南下して、
石川郡の石川町、古殿町、浅川町。
東白川郡の鮫川町、棚倉町、塙町、矢祭町。
そして茨城県に入って大子町へと続く景観の中でさらに検証していきたいと考えています。

きっと川俣町、飯館村、日山周辺と田村市周辺で見た美しい山里風景に近い景観が
これらの地域でも見られるのではないかと思っています。

もちろん、続きはいつのことになるかわかりませんが、とりあえず「オレたちの町はなんにもないというけれど、そんなことは絶対にない」ことを立証するシリーズ、今回はここまでとさせていただきます。 

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どんな文明社会に暮らそうが、「野生」の真っ只中で今も生きていることに変わりはない。

2018年07月27日 | 無償の労働、贈与とお金
 
もうひとつの「不滅の共和国」  「野生」の側にある本と本屋の本分
・・・と言うわけで、同業者間の半年ほど前の話の続きです。なんのことかって?自分でもよくわかりませんが(笑) 「独立系書店の独立宣言」http://blog.goo.ne.jp/......
 

 

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人里に出没するクマの事情取材。

2018年07月14日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

今年はドングリが少ないため、クマが里に出没する機会が増えたなどという報道をしばしば目にします。でも、クマの側の事情はほんとうのところはどうなのか、

まだ誰も直接クマに詳しいことを聞いたことのある人がいるわけではありません。

そこで、 

その辺の事情をうちの息子ヨコチンが山へ行き、クマに直接会って取材してくることにしました。

同じ猛獣仲間であれば、人間より少しは心を開いて話をしてくれるんじゃないかと息子は思い、念のためリュックに熊撃退スプレーを忍ばせ、ちょうど芸能界デビューの下心のあるクマをひとり紹介してもらえたので、彼を探しにヨコチンは森の中に分け入っていきました。

 

 

 すると、

ある〜日、、

もりのなか、、

クマさんに、、

出会った ♪

 

 

 

びっくりしたヨコチンは自己紹介もそこそこに、勇気を振り絞ってクマさんに聞きました。

なんで危険な人里にキミらはそんなに降りてくるんだと。
 

 

すると森のクマさんいわく、

山のドングリが不作だったから人里へ俺たちが侵入したかのようなことをお前らは言ってるけどなあ、確かにドングリの不作の年はあるけれど、オレたちクマにはもうちっと複雑な事情があることも知っておいて欲しいんだよ。

確かに、ドングリとかが不作の年はとても厳しいので、里に降りてくこともある。

だけど、こっちの事情からしたら、必ずしも不作=里に下りるというわけではないんだな。

言われるとおり甘いものがたくさんある人里は魅力的だ。

ひと昔前に比べたら、蜜たっぷりの甘〜い果樹や野菜がどうぞとばかりに人里にはたくさんある。

でもそこは俺たちの間では、誰もが命の危険を冒してでもみんなが行くようなとこじゃないんだ。

オレたちクマ社会が、一体どれくらいの規模でこのあたりの山にいるか、お前らは考えてもいないんだろうけどな、オレたちクマ社会全体からすると里に降りてくクマっちゅうのは、ほんのごく一部のヤツだってこと、もうちっと人間側も理解してほしいんだ。

この群馬の山にいるオレたちの仲間は、およそ1000頭くらい(生息数への疑問)らしい。

そのうち人里に降りていくのは、数パーセントのヤツらだ。

2%としても20頭くらいだぜ。

そもそも、俺たちの仲間ひとりだけが里に下りただけなのに、人間はそいつを目撃するたびにあっちにクマが出た、こっちにクマが出た、と大騒ぎする。

下りてるのはひとりだけだっていうのに、まるで何人も下りてるかのように騒ぐんだ、人間は。

オレたちクマ社会全体は、そのほんの数人のしたことでどんだけ迷惑を被ってることか。

わかるか?


 

それと、もう一つ山に俺たちのエサが少ないから人里に下りて行くって話で誤解されているのは、そういう深刻な年があるのは事実なんだけど、いつもそういう理由だけで人里に下りて行ってるわけじゃないんだな。

お前たち人間とオレたちの違いで大事なとこなんだけど、オレたち野生の生き物は、親の遺産(縄張り)を相続できないんだよ。

わかるか? 

お前たちと違って、長男だろうが長女だろうが、親の遺産(縄張り)は譲ってもらえない。

必ず親の縄張りから追い出されて、新規開拓をしなければ生きていけないんだ。

そこがお前らとは違うんだ。

わかるか?この苦労。

 

ヨコチン「わかります。ボクたちライオンは、子育ては家族でするけど、最後は君らと同じようにあの優しい母さんにボクも追い出された。」(そして現在は人間界で養子となって育てられてます)



さらに、それだけじゃない。

嫁さん探しってのがその先にある。

俺たちは、地図も電話帳も合コンどころか、婚活サイトもないなか、

この広い山の中を、ただ匂いだけを頼りに嫁さんを探さなきゃいけない。

どれだけ行動範囲を広げないといけないかってこと、お前らにわかるか?

グラビアアイドルで気を紛らわすなんて余裕はオレたちには一切なく、必死で嫁さんを探してんだぞ!

だからって、人間界に行けばオレ好みのいい女がいるわけじゃないんだけど、

今までの行動範囲を相当広げないと、チャンスはめぐってこないことだけはわかるだろ。

 

オレたちは、そんな地道な努力をしているだけなのに、お前らはなにかにつけて

クマが出た!

クマが出た!

って大騒ぎする。

 

ヨコチン「わかります。アフリカではボクたちの仲間も同じような立場にあるって聞いたことがあります」

 

 

お互いの安全のためにも、

もう少し静かに見過ごすってことできないもんかね〜

だいたい、群馬の山にいるオレたちの仲間は、およそ1000頭くらいだ。

それと出くわす確率はそもそも低いはずだけれど、その実態をわかりやすくいうと、
登山をした人間が、山頂で見渡せる山並みの中には、
だいたいその山頂にいる人間よりずっと多くのクマが確実に視界の中には必ずいるってことだ。 

上州武尊山頂から見渡す片品・尾瀬方面、藤原・谷川方面だけでも、
少なくとも数百頭は間違いなくいるってこと。

その数を想像してもらえれば、
いかにオレ達が理性的に人間を避けて暮らしているかってことが
少しはわかってもらえるんじゃないかな。

 

 

ただ気をつけてほしいのは急な「はち合わせ」だよ。

それを避けることだけ十分に気をつけて、

あとは静かに見過ごすようにしてほしいんだな。

 

確かに人間界とオレ達は、価値観の違う世界で暮らしているんだということはわかる。

だけど、現実はいつも一方的に人間側の価値観をオレ達に押し付けて、

オレ達には有無をいわせずに鉄砲ぶっ放してくるだろ。

口には出さないけど、オレたちにも一応、人間界流の人権つうもんがある。

お前らの世界だったら不利な立場に立てば弁護士立てて裁判だってできるだろうが、オレ達にはそんなことまったくない。もちろん、オレ達はいつだって野生人のプライド持って生きてるから、どんな理不尽なことでも命を投げ出す覚悟はあるさ。

俺たちが命かけて勝負かけるのと同じ理由で、人間側も命を守るために必死で鉄砲ぶってくるのもわかるさ。

ただそん時に、ほんのひとかけらでもいいから、オレ達の側の事情を頭の片隅に入れといてほしいんだ。

その辺をわかってくれれば、少なくとも「害獣」なんて言葉でクマもイノシシもシカもサルも一緒くたにすることはなくなると思うぜ。

クマが害獣なんじゃなくて、特定の利害衝突が起きる環境下で「クマ害」は発生するだってこと。

だいたい性格の悪いあのサルやイノシシに比べたら、俺たちクマはずっと付き合いやすいぜ。

そもそも、生態系の頂点に位置するクマやオオカミ、タカ、ワシやフクロウなどは、いずれも人間とはカミに近い位置で親和性がとても高い生き物だ。

 

祖田修『鳥獣害 動物たちと、どう向き合うか』岩波新書

 

もちろん、オレ達の中にも性格の悪いヤツってのはいる。その辺はそっち側だって同じようなもんだろう。

お互い初対面のモノ同士が突然出会ったら、

一度、人間を襲って自分が人間より強いと思ってるクマか、ひたすら人間は自分より強く怖い存在と思ってるクマか、若くて相手の力量を全く顧みない未熟なクマかなんてお前らに判断できないだろう。

それとオレたちも同じで、優しい人間か、鉄砲やナイフを隠し持ってる人間かなんて、初対面の時には絶対にわからない。

ちょっと無責任のようで申し訳ないが、念のために言っとくと、クマ鈴だろうが、クマ撃退スプレーだろうが、用意はしておくべきだけど、これをもってれば絶対安全なんて方法はないことだけは、わきまえておいてほしい。

 

同じように、イノシシもシカもそれぞれみんな違うそれぞれの条件で生きてるってことさ。

それは、日本人が欧米人から中国人や韓国人と同じに見られてしまうことと同じくらい、相手のことを理解してくれていないんだと感じるように、オレ達にとっても悲しいことなんだ。

ここで勘違いされたくないんだけど、なにも俺は人間と仲良くしようって言ってるんじゃないぜ。

そこがお前とは違うとこかもしれないな。

相手の尊厳を認めてほしいと言ってるだけだ。

自分たちの世界をは違うところに生きているもののことをもっとよく知ってほしいと言ってるんだ。

わかるか?

それはそっちの社会内部でも同じだろ?

 

もしこれまでの話がわかってくれるようならば、、、、

下の本とかを買ってしっかり読んどいてくれ!

  

米田一彦『山でクマに会う方法』(山と渓谷社)

 

アイヌ民族最後の狩人 姉崎等『クマにあったらどうするか』ちくま文庫

 

 

 

狩野順司『群馬藤原郷と最後の熊捕り名人』文芸社

本書で紹介されている熊雄獲り名人、吉野さんがワンシーズンに獲った熊の数、32頭という記録があります。
どのくらいのエリアでその数を仕留めたのかはわかりませんが、
現代よりも狩猟圧力がず
っとあった時代のことです。 

いかにたくさんの熊が生息しているかということです。
これは吉野さんの腕が良いことが第一ですが、この藤原から玉原高原周辺がブナ樹林帯の南限で、
かつては秋田のマタギが遠征してくるほどクマの密集生息エリアであったようです。 
 

上図の冷温帯林がブナの多いエリアで、
クマの生息密度も格段に高い。

 

ヨコチン「クマさん、ありがとう。ボク字は読めないから、帰ったらブログにきちんと書くよう父さんに言っとく」

 

という息子の報告をもとにこのブログはまとめられました。

(なお、ライオンであるヨコチンが、どのような経緯で私の息子(養子)になったのかということは、他の機会に説明させていただきます) 

 

ポイントを整理すると

① クマが里に出没するのは、ごく一部のクマで、クマ全体の数パーセント
  99%に近いクマは、エサが無くて痩せ衰えようが、里に甘い農作物がたくさんあろうが、
  山の中で理性的な暮らしをしている。 

② それらのクマが出没するのは、山でドングリなどのエサが不足した時ばかりでなく、親の縄張りから追い出された若者、嫁さん探しで遠出しているもの、甘い食べ物がいっぱいある場所を知ってしまったものなど、いろいろな事情がある

③ 人間とクマが遭遇した時は、お互いが初対面同士なのだから、相手がどんな性格かはわからないということを十分知ってほしい。人間だって、クマだって、いいヤツもいれば悪いヤツもいる。
 より安全な方法はいろいろあるが、走って逃げることだけは絶対にしない。
 ただ「これがあれば絶対安全な方法は原則としてない」ということは忘れない 

④ お互いの生態を理解しあえれば、サルやイノシシに比べたら、まだクマは付き合いやすい

 

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〜ヤノマミ〜 天と地は本来つながったひとつの世界 

2018年07月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

「天円地方」の話のつながりなのですが、本来、天と地は一体のものです。

天と地は、決して分離した別次元のものではありません。

このあたりまえのことが、日常では感じられなくなてしまったのが現代社会です。

かたや宗教行事のときのみ天にいる「カミ」との接点を意識し、

たかや天文学の知識を得たときのみ、天(宇宙)とのつながりを垣間見るかのようです。

 

 

そのあたりまえの天と地が一体であることが崩れはじめたのは、
古代、集落の暮らしから古代国家が誕生し、
自然界=天から隔離した人間社会の内側で暮らす領域が徐々に拡大し始めたころからです。 

それまでの「自然が主」で「人間が従」である社会、
「天円」=自然界の側に軸足を置いた人間の暮らしから、

「地方」=人間界の内側に軸足を置いて、
「人間が主」で「自然が従」の社会を(可能かのような錯覚)拡大してきたのです。

             *「天円地方」について詳しくは、「地方」の本来の意味は「天円地方」からをご参照ください 

 

確かに見かけは、このことによってコントロールの及ばない自然=天円から独立した空間を拡大し、コントロール可能な多くの「安心」「安全」を人間社会は獲得し「自由」の領域を拡大してきました。

 

 

しかし、その「安心」「安全」 は、より多くの人工物に依存したものであるため、自然界のような不確定なもの、未知なるものは排除してきましたが、その内側では、限りなく自分と他人や世界の分別を要求する世界観が広がってきました。

人工物を増やすことで「安全」「安心」を獲得してきた人間界(地方)の内側では、その「安全」「安心」が崩れるたびに必ず「誰がやったんだ」とか「誰の責任だ」とか、他の人間を追求することが当たり前になっていきます。

一般にはこれこそが、「文明の進歩」の条件であり、「アイデンティティーの確立」と言われるものです。

かたや人間界(地方)の内側ではなく、天円(自然界)の側に軸足を置いた社会では、それが人間社会であってもそのなかでは「仕方がない」という言葉が許容された社会になっています。

もともと人間にはコントロールのおよばない環境が
圧倒的部分を占める社会で生きているからです。

これを西欧文明では「未開社会」、あるいは「後進国」と言います。 

 

 

 

広大なアマゾンで今なお原初の暮らしを営むヤノマミ族は、この写真のような円形に屋根を連ねた共同住居(シャボノ)で暮らしています。

「シャボノは丸い。天の入り口だから丸い」

とヤノマミの長老は言います。

天(自然界)と区別する人間界を拡大しようとする文明は、四角い住居や集落、あるいは方形の都市を拡大してきました。

他方、自分たちの世界と天との間に境界を設けようとしない、精霊たちと一体の中で生きるヤノマミは、丸い空間の中で安らぎを感じます。

このヤノマミの丸い共同住居を見たとき、わたしは「天円地方」という言葉が、中国思想の特殊な概念ではなく、人間と自然との関係をあらわす普遍的な概念であることを確信しました。

 

もしかしてこれも?「アップル社の新社屋」

 

 

「ヤノマミ」とは、現地語で「人間」を意味します。

彼らは未開人だからということではなく、ヤノマミ=人間とは、

人間の定義が現代人のそれとはまったく違うのだということを気づいてください。

 

 

国分拓『ヤノマミ』(新潮文庫)

長倉洋海『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』(福音館書店) 

 

 「天円地方」の思想では、「人間」というものを「先進国」と「後進国」の違い、「文明社会」と「未開社会」の対比といった比較では物事を考えません。

自然界に軸足をおいた世界観で生きるか、人口の人間界の内側に軸足をおいた世界観(自然を人間界「地方」の外側に見る世界)で生きるか、もともと天地一体の世界のどちらに軸足を置いて生きるかの違いをすべての基本とする世界観です。

 

私はこれを哲学の根本問題(物質が第一次的か精神が第一次的か)や資本主義か社会主義か、大きい政府か小さい政府か、などといった対立よりもずっと人間社会にとって根源的な視点であると思っています。

 

 

 

 

確かに世の中は、自己やプライバシーの保護なくして成り立たない社会(かのよう)です。

こう書くとあなたは、自己の確立やプライバシーの保護を否定するのかをいわれそうですが、確かにそれらは必要なことに違いはありませんが、それがなければ生きていけない都市社会というのは、むしろ異様な不健康な社会ではないかと私は感じています。

そういう私もプライバシーは守られなければ、間違いなく不自由を感じるものですが、「にもかかわらず」と以下を続けさせていただきます。

 

 

 

人工物に囲まれ保護された「安全」「安心」の拡大は、このような景観を作りだしました。

コンクリートで固められて、つまずく心配のない安全な舗装道路。

倒れる心配のない丈夫な鉄筋コンクリートの電柱。

土地を有効活用したビルでの暮らし。

 

これらは日常目にする当たり前の空間ですが、

「天円」「自然界」とのつながりは、観光やレジャーでしか感じられないかのような世界です。

 

それらはすべて、

「日常の手間を省く」

ことを優先して作られてきたものばかりです。

それこそが、自由の拡大であり、豊かさの証明であると信じて。

 

 

さらに見上げる「天円」に対しても、無数の網を張り巡らせ遮断された景観が、指摘されなければあたりまえのような景色として日常の隅々に浸透しています。

こうした天から遮断された世界の中でも、私たちは必死に観葉植物を室内に植えたり、公園を増やしたりして、なんとか「天円」とのつながりを維持しようと努めてきました。 

  

そこにわたしたちは多くのボランティアや公園整備の予算をつぎこみ、大変な努力を積み重ねてきました。

 

確かに丈夫なマリーゴールド、パンジー、サルビア、ベゴニアなどは、大量に植える道端の花壇には適しています。

でもそれは、人間の側に軸を置いた鑑賞用の園芸植物による世界です。

それ以外に何があるんだとも言い返されそうですが、私たちの暮らしの景観には、

管理されていない同じ道端に、ふきのとうが出て、ツクシが伸び、タンポポの花が咲く環境もあります。

地上世界も、人間界の内側だけから見られた自然と、天界とつながった自然との差がこうしたところに現れています。

まさにそこにある雑草や昆虫、微生物を含めた連環の世界こそが、

天円につながった地上の楽園の実態です。

 

  

冬の時期は、葉っぱがすべて落ちた木の枝ぶりだけでも美しいものです。

派手な花を見せないススキや枝垂れ柳なども同じです。

 

林の間にリンドウ、ホタルブクロ、ヤマブキなどを見つけることができます。

でも、これらは通常そのままでは都市の「景観美」にはなりません。

 

 

街路樹として整備されたハナミズキ、ポプラ、サルスベリ、ケヤキなどの木々も美しいものです。

でも私たちの田舎暮らしの景観の中では、大きく育った杉、ケヤキの大木の横に

低木のツツジやヒサカキなどが育ち

田んぼの風景の中に梅や柿の木がただ一本たっているような

とても変化に富んだ姿をしています。

 

 

単一の花が延々と続くお花畑というのは、管理されたスキー場オフシーズンのお花畑ばかりでなく、尾瀬のニッコウキスゲの群落のように、確かに自然界にも存在します。

でも日本の里ならではの美しい風景というのは、そのようなものではありません。 

 

単一時期に花が咲き、収穫できる経済林や園芸畑とは異なる花の育つ時期も、実のなる時期も、
花の色も、木の高さも多種多様なものが入り混じった世界です。

 

 

また日常の生活エリアでは、都会に限らず田舎道でも、大地にフタをしてしまったが如く

コンクリートによって、農業・林業の作業効率を上げるためには舗装されなくてはなりません。

 

 

 

こうしたことは、景観の上の変化だけではありません。

私たちは安心、安全のために進化した靴をはき、防寒、防風、暴雨の衣服を季節や気候の変化に応じて着込み、時には日差しを避けるためにサングラスをかけ帽子をかぶり、さらには頑丈な家に住むことで多くの安らぎ得ることができました。

それらは、決して悪いことではありません。

ただそれらのすべての過程で私たちは、

大地との接触、

気温の変化をカラダで、肌で感じること、

広い空の雲や日差しの変化を感じ取る感覚やその機会を失い続けてきたのです。

 

 

 

 

先のヤノマミの共同住居が天の入り口なのだから丸い、という世界観と暮らしは

「人間」がヤノマミのいう意味での本来の「人間」に近づいていくために、

これから人間社会が「進歩」することを通じて、ひとつ、ひとつ、

建物、電柱、看板、植栽、住居、景観のあり方を具体的なカタチとして実現していかなければならないものです。 

 

宇宙=天と繋がった日常を取り戻すだけで、

どれだけ世界観が変わり、

心が自然に向かってスッと通り抜けるように、生き方も変わるものだということを

日常風景のひとつひとつを大切にすることで、

かつての東京オリンピックが開かれた頃までは、日本中どこにもあたりまえのようにあった風景を

私たちは少しずつ取り戻していくことができるのだと私は信じています。

 

もちろんそれは、歴史の後戻りをさせる意味ではなく、

また自己やアイデンティティー確立の方向一辺倒でもない、

先端技術も駆使した文明の発展を前提としたものです。

 

こうした意味で、わたしたちはまさに「人類の本史」にさしかかろうとしているのだと思います。

 

 

「天円地方」に関する過去の記事

① 「地方」の本来の意味は「天円地方」から

② 「自然(天円)」につつまれた人間界(地方)」の力学」旅のイメージ(覚書)

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そっちじゃない。「旅」と「読書」

2018年07月06日 | 「近代化」でくくれない人々

月並みな表現ではありますが、この「旅」と「読書」という言葉は、対にしてこそ意味が活きるのではないかと思いました。

それで次のような写真デザインを作ってみたわけです。

 

旅も読書も、ともに家を飛び出して行ってみなければわからない世界、本を開いて読んでみなければわからない世界です。

その先にある世界は、どちらも日常からは想像のつかない世界であるだけに、無理に行ってみなくてもよい、強いて読まなくてもすむ世界が対比されています。

その意味では、音楽を聴く、映画を見ることなども同じかもしれません。

ただ、一般的にはこれらの圧倒的部分が娯楽市場の枠内での話になってしまっているので、その先の説明がとてもし難い面があります。

圧倒的部分が娯楽市場の枠内にあるからといって、それが悪いという話ではありません。

強調したいのは、娯楽市場の実態如何ではなく、その市場の外側にあるものを大切にして問いたいという話です。

確かにどんな娯楽市場の枠内であっても、未知の世界を体験することに変わりはないのですが、それが時間やお金の消費にとどまってしまうかどうかの違いが問われないと、「自分」「私」という主体がどこまでいっても見えてくることがないからです。

どう表現したら良いのかまだうまくつかめていないので、例によってこのあたりは追々書き足していくつもりでいます。

 

先に「自分」「私」といった主体と書きましたが、それは必ずしも抽象的な「個人」を指すものではありません。

それは、時には「地球生命」や「人類」といった類的な主体であったり、

「現代人」「戦後世代」「昭和生まれ」などといった歴史的な主体であったり、

「日本人」「◯◯県人」、田舎者・都会人、といった地域的主体であったり、

さらには、男性・女性、妻・夫、親・子、若者・高齢者といった生物的・社会的主体であったりします。

そうした様々な条件を背負った「私」や「自分」が体験する「旅」と「読書」の連続した体験を積み重ねることの意味です。

 

私には、このような視点でどうしても書かずにはいられないもう一つの背景があります。

それは最近のSNSの傾向です。

一貫して私は好みではないにもかかわらず不本意にお世話になり続けているfacebookのことなのですが、facebookが実名でのコミュニケーションを売りにしていながら、限りなく「没パーソナル」なコミュニケーションの方向にばかり加速している違和感のことです。

不特定の相手とのコミュニケーションが拡大することの必然なのかもしれませんが、いつも残念に思うのは、mixiのプラットフォームがtwitter型タイムライン重視に変わってしまったときから、mixiのコミュニティー機能で行われたようなダイナミックなコミュニケーションの場がみるみる減っていってしまいました。 

さらにインスタグラムの拡大で、画像メインのコミュニケーション比率が増え、その傾向はさらに加速しています。

いずれもタイムライン型の一本の流れの上にあらゆる情報が並ぶ方式なので、枝葉を広げる情報は避ける傾向になります。
そして「いいね」を中心とした「前向き」「了承」シールをただ貼り付けるだけの場としてのみ、広がる傾向にあります。

画像は画像で、情報量そのものは言語以上に多い面もあるので、それも進化のプロセスであると期待してはいるのですが、ここで話を戻すと、どれもが限りなく「時間の消費」にばかり向かってしまっている傾向に我慢ならないのです。

本来は、「時間」こそが「価値」の実態であるわけですから、「時間の消費」自体は悪いことではないはずなのですが、そこに「私」「自分」という主体が前に出て来ないと、どこまでいっても作り出す側になれずに、消費=買わされる、受け取る、了承するばかりの時間になってしまうのです。

この自分の時間を生み出すということで「旅」と「読書」というのは、それを問う格好の素材のはずなのですが。

 

こうした構造が、世の中の土壌作りの作業環境をどんどん減らし、土壌作りがされない環境下でのヒット商品づくりのテクニックのみをどんどん加速させていきます。

もっとも、土壌がないからこそ、ヒット商品への依存が高まっていくのかもしれません。

もちろん、いつの時代であってもマス市場こそが圧倒的多数であることに変わりはないのですから、マス市場の外側のつぶやきは相手にされなくて当然のことなのですが、その外側の少数派の発言チャンスをネット技術が革命的に保障してくれるようになったにもかかわらず、なぜかネット技術が浸透するほどに、リアルと同じマイナーな世界を排除していく傾向も同時に加速しているのです。

長い歴史の間、「旅」や「読書」の世界こそが、そうしたマス市場の側に与しない「まつろわぬ」人びとの砦であったはずなのに、市場の力、売れなければ存在価値もないかのような論理、検索にヒットしなければ存在しないに等しい論理にすべてが押しつぶされそうになってしまっています。

私が深く関わっている本屋の世界でも、本屋が減って大変だ大変だと騒がれてはいますが、先のマス市場に与しない「まつろわぬ」人びとの味方になることで経営を維持しようなどと考える業者はほとんど生き残る余地はありません。

多くの現場では、悲しいかなその気概さえ失われています。

先のmixiがコミュニティー重視よりも、一律のタイムライン重視に変わらざるをえなかったのと同じ理由で、本の世界も「文化」や「多様性」を口にしていながら実態は限りなくベストセラー依存の均質性の方向に向かっているのを感じます。

 

私は、デジタル化の恩恵もかなり受けている側なので、必ずしも紙の文化に強く固執しているわけではありませんが、アナログ的読書や旅の良さの核心は、それが紙の質感によって保たれている面もありますが、それ以上に「私」や「自分」という主体を意識した情報や体験であることにこそあるのではないかと思っています。

どんな書体でも、レイアウトでも、文字色でも、媒体でも、簡単に変換でき、移動できるデジタル情報に対して、 

時には「地球生命」や「人類」といった類的な主体であったり、「現代人」「戦後世代」「昭和生まれ」などといった歴史的な主体であったり、「日本人」「◯◯県人」、田舎者・都会人、といった地域的主体であったり、さらには、男性・女性、妻・夫、親・子、若者・高齢者といった生物的・社会的主体などの具体的制約を受けて、

容易には変換しにくい情報、転送しにくい体験。


それこそが、「旅」と「読書」の一番ダイナミックな魅力の部分なのではないかと思っているのですが、ここが問われないただアナログの文化、紙の文化だけを守ろうとする論調に終始してしまうのが私は残念でなりません。

 

 

 

毎度、頭の中が整理されないまま書き散らしている文で恐縮ですが、まとめきれないまま今日はここまでにさせていただきます。

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