かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

続・古代朝鮮の仏像はどこにある?

2011年09月30日 | 歴史、過去の語り方

2009年に、「古代朝鮮の仏像はどこにある?」

といった記事を書きました。

ここで書いたのは、これほど日本に大きな影響を与えた古代朝鮮の仏教がありながら、わずかな石仏以外にどうして朝鮮本土には日本にあるような仏像が残っていないのかといったものでした。

ところが、この問いにズバリ応えてくれる本が出ていました。

国宝第一号 広隆寺の弥勒菩薩はどこから来たのか? (静山社文庫)
大西 修也
静山社

こつこつと売れつづけている本ですが、ようやく読むことができました。

タイトルは広隆寺の弥勒菩薩に焦点をあてていますが、中国、朝鮮を経て日本に仏教が入る経緯を広範囲な仏像の調査研究の積み重ねによって、その謎を解き明かしてくれています。

そもそも、わたしたちは古代朝鮮の文化が日本に渡来してきた要因は、亡命渡来人がもたらしてくれたものが多いものと思い込んでいた面があります。

勢力を拡大する高句麗や中国に追われた弱小国、新羅や百済から多くの亡命渡来人が日本にやってきたのだと。とりわけ亡命という性格から多くのすぐれた官僚、技術者たち日本にきたのではないかと思っていました。

本書の冒頭で、この見方が歴史のほんの一面に偏った見方であることを知らされます。

しかも、それは、現代の核技術輸出の事例との比較で。

現代でも最先端の技術、とりわけ核(原子力技術)などは、関係機関や周辺国の理解を得られないと簡単に輸出することはできません。

古代仏教は、現代のそれに匹敵するまさに最先端の文化、技術でした。

そんな時代のこと、高句麗の圧迫を受けて国家存亡の危機に直面していた百済は、救援軍の派遣を日本に要請するかたわら、百済外交の切り札として仏教を日本に伝える決心をしたのだと。

もちろん、朝鮮と日本との関係は百済一国との関係で成り立っていたわけではありません。様々な朝鮮半島内部の事情がからみあってうまれています。

最近では私たちも韓国ドラマ「朱蒙(チュモン)」などのおかげで、古代朝鮮の地名への理解があるので、プヨなどの地名がでるごとに、格別の思いもわきます。

そうした日本人にもかなり身近になった古代朝鮮と古代日本の歴史を、ひとつひとつの仏像の衣や台座のかたちの詳細な研究の積み重ねによって解き明かしてくれています。

このような著者たちの長年の研究の情熱が、前回の記事で李氏朝鮮時代にほとんど破壊されたといわれる古代の仏像の残存遺跡のなかから、歴史の脈略を解き明かし、さらには数々の新しい仏像の発見へとつながっていく。

終盤で30年前にわかった対馬の渡来仏の記述にいたると、歴史の積み重ねの謎解きの面白さ一気に増してきます。

奈良の都、中央でのみしか日本古代仏教をみてこなかった私たちに、対馬で90体をこす古代朝鮮の仏像がみつかった驚きは、おそらくまだ多くの人に伝わっていません。

地道な研究と発見の積み重ね立証のうえに、弥勒信仰、阿弥陀信仰から末法思想がどのようにそれぞれの時代に反映していたかなどを解き明かしてくれる本書は、実に内容の濃い1冊でした。

 

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すごい生き方をしている人がいるもんだ

2011年09月23日 | ・・・ったくアホな生活

 電車に乗っていたら、最近お世話になっている社長さんにちょっと似た風貌の人が、やや色あせたコートを着てたっていた。

なにとはなく、目があいふたりで電車を降りて一緒の方向にひきつられていく。

この人はいったい何をしている人なのだろうか?

一見、ただの浮浪者のようにも見える。

ぎらついた感じではないが、なんとなくただものではない雰囲気もある。

 

なんの会話をしたわけでもないが、私はただその人の後をついていく。

 

するとガード脇の路地を入ってコンクリートの古い建物のなかにひきつれられて入る。

ここの出入りは、その気になれな誰でも自由にできる場所で、後ろから子どもたちがかくれんぼの場所としてかけぬけて遊んでいる。

さらに薄汚れた通路を通って2階へあがる。

すると広い空間に箱に詰められた沢山のレコードや古いステレオ、アンプ類がずらりと無造作に積み上げられている。

レコードの箱を手前から見ると、マイルスやブルーノートの復刻シリーズなどがまとまってあり、量の多いわりには、マニアックなところを突っ込んでいるようには見えない。

 

どうやら、ここがこの人の生活の場であるらしい。

 

鉄道のガード下の空間なので、安く借りられているのかとも思えるが、なんとなく誰も管理者がいない空間に、この人が勝手に住み着いているだけのようにも見える。

 

そう思えるのは、さっき子どもたちが遊んでいたところとは、なんの境も無く、そのままこの空間に続いているからだ。

現に子どもたちは、なんのためらいもなくこの部屋を通り抜けて、奥の部屋へ行き、

そこでまだ別の遊びをはじめている。

それをこの60代くらいと思われるおじさんは、困ったようでもなく、ただ日常の風景としてなんの気にもとめないように見過ごしている。

 

時より子どもたちが通過するものの、一応ふたりだけの空間で座ることができたので、

おじさんはいったい何をやっている人なのですかと思いきって聞いてみた。

 

するとそのおじさんは、一枚の紙に書かれた自分の経歴、といってもそれは過去にしてきた三つのことを箇条書きにしたものをわたしてくれた。

それは、これまでの人生が3つの時期に分かれていて、それぞれまったく違う生き方をしてきたというものだった。

3つそれぞれが、とてつもなく突飛な生き方だったのだけれども、それがどのようなものだったか肝心なことを今思い出せない。

 

ただ、今がその3つの生き方の3番目の時期にあたり、なにも所有せず、なににも属さず、こだわりを捨ててなおかつ何の不自由もすることなく生きているのだということだ。

 

でも、風貌からは、現代風の「自由人」として個性を主張するといった感じではなく、普通の身なりでまわりから目立つこともなく、風景のなかに溶け込んで周囲の誰に気づかれること無く生きているようだ。

 

それが、ここの子どもたちとの接し方にあらわれている。

格別に子ども好きというわけでもなさそうだけれども、子どもたちが自然によってきて、世話をするわけでもないのに、何か見慣れない遊びをときどきいっしょにしながら、何かを伝えているような感じだ。

 

しばらくすると、そこにいる子どもたちといっしょにこれから山へハイキングにいくというので、またついていくことになった。

ところが、山の入り口を歩き出すと間もなく、ものすごいドシャ降りの雨になって、急遽、道端でシートを張って、簡易テントをつくることになった。

テントの足場作りも、雑草、草木のよけかた慣らし方が、妙に手際がいい。

 

すると、山の上から若い体格のしっかりとした青年が、駆け足で降りてきた。

ものすごい軽装であるが、もう山頂から降りてきたところだという。

聞くと世界各地の高峰をいくつも登ってきた経歴もある人らしい。

 

 

またしばらくすると下から町役場の人があがってきた。

上で遭難事故が起きという。

その事故処理で何かもめているとのこと。

 

事故当時の現場の状況を誰か証言してほしいらしいが、現場にいたものが誰もいない。

天候状況や道の様子など、その山から下りてきた青年こそ、もっとも適任ではないかと思うのだけれど、彼はこれからすぐに外国へたつのだという。

 

残るは、私にどうしても証言してほしいという雲行きになってきた。

ここ鳥取(なぜ鳥取、いつのまに鳥取?)まで、群馬から日をあらためてまた来るのか?

そんな余裕はない。

でも他に出来る人はだれもいない。

 

なんのめぐりあわせだかはわからないが、またここまで来るとするか。

 

                (以上、今朝の夢の記憶)

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知床の熊の湯

2011年09月21日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

また北海道へ行ってきました。

昨年から通算すると5回目。

今回は仕事がメインではなく、観光を優先した旅(いつもどっちが優先かはわからないか?)なので、とてもゆったりと楽しむことができました。

知床のホエールウォッチングで感動の体験をしてから、昨年は雪で通過できなかった知床峠を超えて知床五湖へ。翌日、通過してきた熊の湯をパスしてきたことがどうも心残りだったので、再度戻る行程になるが朝早めに出て行くことにしました。

まだ時間も早いので、きっとすいているだろうとの期待をしたのですが、土曜日とあってか既に数台の車が止まっていました。

ところが、橋を渡って熊の湯に近づくと、そこにいたのはおじいさんがひとりだけ。

これはいいぞ。

さっと服を脱ぎ捨て、すぐに湯に入ろうとしたら、先にいたお爺さんに、

「ちゃんとそこの桶で湯をなんどもかけてから入れ!そこの説明を先に読め!」

と、注意された。

あらためて、試しにお湯をざっとかけると、熱いのなんのって・・・

「さっき水を入れて手前は少しぬるくなっているから」

と、また怖いおじいさんが説明してくれた。

確かにこの熱さ、半端じゃない。

写真手前のホースで、好きなように水を入れることができるようになっている。

何度かお湯をかぶっていると肌が引き締まるような感じがしてくる。気持ちいい。

覚悟を決めて湯に入ると、熱いことよりも、満足感が芯から込み上げてくる。

これは熱いけど、ほんとにいい湯だ。

いろいろ教えてくれたちょっと怖いおじいさんに「地元の方ですか?」と聞くと、

「仕事でいつも来ているんだ」

といったようなことを、ちょっと聞き取り難かったが応えてくれた。

はじめは地元の漁師さんかなと思って、昨日見たクジラのことでも聞こうかと思ったけど、簡単に会話できるような雰囲気ではなかった。

それでも、ふたりだけの空間で、ゆったりといい湯を満喫することができました。

もう、この熱い湯に浸かっているのも限界かなと思ったら、新しいお客が続けて入ってきました。

すると、このおじいさんがまた、

「先に、そこの説明を読め!」

と、来る人来る人に注意する。

 

このおじいさんがいなかったら、この熊の湯、みんなたちまち「あちちちっ」て

この深い味わいを堪能することなく退散してしまうのだろうか。

じいちゃん、ありがとうね。

 

コメント (1)
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