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かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

どうして絶望的未来しか想像できないのか(7)弾み車を回す長い道のり

2010年12月04日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則
ジェームズ・C. コリンズ
日経BP社


 私がこれから書こうとしていることと、わたしたちがこれから成そうとしていることは、まだまだとても先の長い話なので、連載の途中ではありますが、その長い道のりがどのようなものであるのか、本来は最後に書くべき文章かもしれませんが、それを理解していただくために、ここに格好の本の紹介をかねて割り込み原稿になりますが、少し記させていただきます。

ここで紹介する本『ビジョナリー カンパニー2 ―飛躍の法則』は、3巻までと別巻を含め計4冊が出ていますが、いずれも最近の私のイチオシの本です。




偉大な組織を築くとき、あるいは何かとても価値のあることを成し遂げるとき、
そこには、決定的な行動や壮大な計画、
画期的なイノベーション、
たったひとつの大きな幸運、
魔法の瞬間
といったようなものはありません。

本書のための調査であきらかになったのは、偉大な組織への飛躍を築く動きが社内の人たちにとっては、巨大な重い弾み車を回すように感じられるということだ。





巨大で重い弾み車を思い浮かべてみよう。

金属製の巨大な輪であり、水平に取り付けられていて中心には軸がある。
直径は10メートルほど、厚さは60センチほど、重さは2トンほどある。
(私がイメージする場合は、金属のようなスマートなものではなく、昔のアニメ「はじめ人間ギャートルズ」に出てきそうな巨大な石でできた輪ですが)
この弾み車をできるだけ速く、できるだけ長期にわたって回し続けるのが自分の仕事だと考えてみる。

弾み車を必死になって押していると、何日も、何週間も、何ヶ月も、ほとんど進歩らしい進歩がない状態が続くが、やがてほんの少しだけ何センチか動き出す。
だが、それで努力を止めるわけではない。
さらに努力をして押しつづけると、ようやく弾み車が一回転する。
さらに努力を続ける。
つねに同じ方向に押しつづけていると、弾み車の回転が少し速くなる。
まだまだ押し続ける。
二回転、四回転、八回転。徐々に回転が速くなる。
十六回転。まだ押しつづける。
三十二回転。
勢いがさらについてくる。
百回転。一回転ごとに速くなる。
一千回転、一万回転、十万回転。こうして押しつづけていると、どこかで突破の段階に入る。
どの回転もそれまでの努力によるものであり、努力の成果が積み重なった結果である。
こうして弾み車はほとんど止めようもない勢いで回転するようになる。

ここでだれかがやってきて、こう質問したとしよう。
「どんな一押しで、ここまで回転を速めたのか教えてくれないか」

この質問には答えようがない。意味をなさない質問なのだ。
1回目の押しだろうか。
2回目の押しだろうか。
50回目の押しだろうか、100回目の押しだろうか。
違う。
どれかひとつの押しが重要だったわけではない。
重要なのは、これまでのすべての押しであり、同じ方向への押しを積み重ねてきたことである。

偉大な組織はこのようにして築かれていくのだ。

(以上の文章は、ジェームズ・C・コリンズ『ビジョナリー・カンパニー 2飛躍の法則』、『ビジョナリー・カンパニー(特別編)』(日経BP社)2冊の本の表現を勝手に折衷してまとめなおさせていただいたものです。)




 これから書く話がまだ長いものになることを理解してもらうために、紹介した一文ですが、私たちはまだこの弾み車を回しだすところにまで至ったわけでもありません。

 今はようやくこれまでの車の向いていた方向が違っていたのだということに気づき、その方向を数人の力だけでようやく押し曲げようとしたばかりのところです。

 北海道の岩◯さん、中◯さんなどまだ私たち数人だけの力では、最初の数センチの変化すら容易には動かすことができません。

 でもどちらに転がせば良いのかだけは鮮明に見えだしているので、これから成そうとしているとてつもない大仕事への期待と興奮は高まるばかりです。
いかなる画期的なアイデアであっても、ひとつふたつのことで成し遂げられるようなものではありません。

 この連載タイトルを「どうして絶望的未来しか想像できないのか」としていますが、かといって私が簡単な「楽観的未来」を想像しているわけでもありません。「悲観的」であるわけでもありません。


 それは、とてつもない作業の積み重ねによるものかもしれませんが、目指すべき方向が見えている今は、なんら不安に陥るようなことではなく、ワクワクと胸躍るプロセスであることは間違いないのです。

この連載記事は、そうした先の長い道のりのほんの序盤、入り口の話にすぎないことをどうかご了承ください。
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どうして絶望的未来しか想像できないのか?(6)

2010年11月22日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
5、市場はさらに縮小する。
しかしそのおかげで、なぜか私たちが食べていくには十分な市場が開ける!


 購買人口の減少とデジタル化の流れとともに、確実に市場は縮小していきますが、そのおかげで私たち(ここで言う「私たち」とは、おおまかには「独立系書店」と呼ばれる零細書店のことです)には、これまでにない幸運な条件が生まれてきているといえます。

 これまで減少する書店の大半は、大型店に駆逐される中小零細書店でした。
 しかしこれからの時代は、さらに市場が縮小し続けるために、大型店の方が零細書店以上にこれまでのビジネスモデルでは膨大な在庫と固定費をかかえるがために採算を取ることが難しい時代になります。
 大型店同士のガマン比べも限界になり、その大型店が撤退しはじめる時代に入ろうとしているのです。

 膨大な在庫をかかえ、高額の家賃や人件費を負担しながら売上げを伸ばすビジネスモデルは、ナンバーワンたりえた企業のみがかろうじて維持することができる時代になってしまっています。

 この傾向は、既に他の小売業でははじまっています。
アメリカではすでに現実になっていることですが、巨大ショッピングセンター同士の競争の果てに、地方の至るところに巨大ゴーストタウンが出現しています。

 私たちはこれらの目上の競合店が撤退することで生まれる「おこぼれ」にあずかるだけで、その規模の差から大きな売上げアップをはかることができるのです。
 何千万の売上げの何分の1かの「おこぼれ」だけでも、私たちには十分な売上げを得ることが出来るのです。

 以前、同業者の勉強会の場でも紹介した数字ですが、かつて2兆円産業といわれた私たちの業界は、遠くはない時期に1兆円時代をむかえようとしています。

 そのような過渡期の現代で、年商10億円以上の書店法人は193社あり、その総売上高で1兆3044億円あるそうです。
 全国の書店総売上高(書店経由売上高)は1兆5094億円という数字からすると、この上位193社で全体の86.4%を占めていることになります。

 さらに10億円未満まら3億5000万円程度までの法人売上げ合計は、1兆4269億円で、全国の書店売上げの94.5%を占めることになります。

 残りの5%を全国の中小書店が分け合っているということです。
                 (数字は2009年11月12日「新文化」より参照)

 私たち中小零細書店の立場からすれば、既に大型店の出店に食われる時代は終わり、撤退する大型店の巨大な「おこぼれ」をいかに拾うかの時代になりました。

 ただ残念ながら多くの場合は、撤退した店の売上がそのまま既存店に振り分けられることはなく、ほんの数パーセントしか「おこぼれ」にはあずかれないのが実情です。

 なぜ、そのようになってしまうのでしょうか?

 現実の小売市場の多くの内訳は、同じパイの分け合いで成り立っているのではなくということです。
 実際には、店舗数や売り場面積の拡大は、そのまま購買機会の拡大となって市場規模を拡大し、同じく店舗数や売り場面積の縮小が、購買機会の減少となって市場を縮小させるので、単純に同じ分母の分け合いの計算にはならないのです。

 のちにまた触れますが、このことは売上げを伸ばす上で、もうひとつ大事な現実を見せてくれています。
 それは、ひとつの店舗内でも同じように、在庫の拡大や縮小といったことをするよりも、購買機会をいかに増やすかが、大きく売上げを左右するものだということです。
(このことは他の場で詳しく書くことにします)

 多くの中小零細書店にとっては、決して自動的に大型店の撤退した分の「おこぼれ」にあずかれるわけではありませんが、それを受け入れる器を準備している書店だけは、この市場規模が縮小する時代になってこそ、売上げを伸ばしていく条件があるといえるのです。

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どうして絶望的未来しか想像できないのか?(5)

2010年11月09日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
4、前年比105%の目標は、「現実的」でない

では次に、その「現実的」な目標とは何かを話し(書き)ます。

先に、多くの店が世間相場の95%、97%より数パーセント良かった悪かったの解釈の経営しかしていない問題を書きましたが、では、前年比100%、101%、あるいは105%の目標をたてれば、現実的に達成しやすいかといえば、そうした目標ほど実際には「現実的」ではなく、
なお且つ達成しにくい目標であることを先に断言しておきます。

冒頭に、この業界に限らず世の中の市場規模そのものが90年を境に、ものすごい勢いで縮小しだしていることを書きましたが、その変化の度合いから考えても、前年比100%とか105%という目標は、95%、97%という現状が「経営的に改善」したなどというようなものでは決してないからです。

もともと中小零細書店にとって5%くらいの変化は、分母の小ささからみても誤差のうちといってもいいレベルのことです。

さらに、縮小する市場のもとで、今ある店の条件で5%上げるということは、目標を現実的に下げているように見えながら、実は、より「非現実的」な目標設定をしていることに気づかなければなりません。

実際には、今、そのお店が持っている条件や与えられた環境を前提にして戦略を考えている限り、90年までにしか通用しなかった方法論からの脱却を考えていないということであり、それでは抜本的な改革がはじめから視野には入っていないということです。
当然、そうした方法は、短期的にうまくいくことはあっても、10年後に生き残るために通用する戦略にはおよそ成りえないものです。

一見、難しいように見えるかもしれませんが、今ある条件のもとで5%売上げを伸ばす努力よりは、今、与えられている条件は無視して、20%、50%売上げを伸ばすにはどうしたら良いか、いや、会社の売上げを2倍、3倍、10倍にするにはどうしたら良いかを考えた方が、はるかに打つ手は豊富に考えることができるものです。

難しく考えなくても、5%のアップの目標より、50%アップの目標をたてていた方が、失敗しても5%くらいは簡単に上がりうるということは容易に想像もつくと思います。

 より正確に表現すれば、現実には、目標は大きい方が良いというよりは、より価値のある目標をたてるべきだということなのですが、そのためには、数字目標も大事ですが、それ以上に「どのような店にしたいのか」「どのような顧客との関係を築きたいのか」といった自分がワクワクするようなイメージや理念をはっきりさせることが大事だということなのです。
           (このことはまた後で詳述します)

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どうして絶望的未来しか想像できないのか?(4)

2010年11月08日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
3、問題は必ずしも「能力」のあるなしではない 

 私は、海が無く山ばかりの群馬県に住んでいますが、その群馬の中でもさらに田舎の実家の周辺では、70、80になる年寄りたちがものすごい頻度で旅行をしています。
 国内はおろか、中国、オーストラリア、ヨーロッパへと、20代、30代のOLにも負けないほど出かけているのには驚かされます。

 なかには、旅行慣れしたツワモノ婆さんもいますが、70のお婆さんが来年イタリアに行くと決めた人と、行きたいけど行く勇気はないという人の間に、それほどの能力の差があるわけではありません。

 そうした近所のお婆さんは、決して語学力があるわけではありません。
 年の割に体力がずば抜けてあるわけでもありません。
 パスポートやビザ申請、入国審査などの手続きを知っているわけでもありません。

 旅行に行けないと思っている隣りのお婆さんと、条件はまったく同じです。

 にもかかわらず、来年、イタリアに行きたいと決めたお婆さんだけが、
必要な手続きは何なのか、最低限知っておくべき単語は何なのか、
外国語に自信がなければ、添乗員付きのツアーはどれなのか、
自分の体調管理は、どう気をつけなければならないか、
自由行動の時間は、どこへ行くのがいいか
具体的に考え準備することができるのです。

 いつイタリアに行くのか期日を決めていないお婆さんは、こうした必要な準備をすることは絶対にありません。
 そしてこうした準備をすればするほど、イタリアの魅力をより多く知り、旅の楽しさが一層増すことになるのです。

 経営もまったく同じです。
 目標を決めていない人に、それを達成するのに必要なものは決して見えてくることはありません。
 その差は、能力の差ではないということです。

 楽しいイタリアの旅が、いつ行くという期日とともに、どれだけ楽しい旅としてイメージ出来ているかということです。

 また、それを自分の心にきちんと決めた人だけが、
途中で体調を崩したり、
ちょっとした事故に出会っても、
それを乗り越え解決して、その楽しい旅を完結させることができるものです。

心に決めていない人は、途中で遭遇する障害がすべて、
「やっぱり行かない」
「出来ない」
という口実になるのです。

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どうして絶望的未来しか想像できないのか?(3)

2010年11月08日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
2、売上げが伸びない一番の理由

事業者の皆さん!

多くのお店の売上げが伸びない一番の理由は、何だと思いますか?

・不景気だから
・売れる商品がないから
・競合店が出来たから
・客単価・商品単価の低下
・活字離れ、読書離れ
・そもそも消費者がモノを買わなくなった
・もうこの業界(地域)はダメ

もし、経営者の皆さんがこれらの理由を上げているとしたら…

アウト!

です。

なぜならば、これらの理由は、
どれをとってみても確かに売上げが下がる理由にはなりますが、
これらのどれかが解決したからといって、決してお店の売上げが伸びる保証にはならないからです。
  そのような発想は、司馬遼太郎の表現を借りれば
「宝くじにあたったらどうしようか?と考えているような
その程度の想像力なのであります。」

おそらく、これらの条件が解決したならば、現実には
今よりももっと資本力のある企業に私たちの店は駆逐されるのがオチだと思います。

「私の店」の売上げを伸ばす!ということは、
こういうことではありません。

このことは、砂川市の岩田書店さんが中心になって北海道書店組合で企画してくれた勉強会のときに、私も話題にはしながらも強調の仕方が足りなかったと思っている大事なことです。




売上げが伸びない最大の理由…

それは、
「目標を持っていない」ことです。




どんな経営者でも、誰一人として、売上げが下がっていいと考えている人などいないことは分かります。

しかし残念ながら、どこへ行っても私の耳に入ってくるのは、
全国平均の前年比、95%や97%の実態に対して
今月は何パーセント良かった、先月は何パーセント悪かったといった「解釈」の話ばかりで、
具体的にプラス何パーセントの目標(前年比100%でも105%でも)を持って考えている経営者がほとんどいないのです。

誰もが、105%になったらいい。
いや、出来れば120%になったらいい、と思っていることはわかります。

でも、「そうなったらいい」と思っていることと
経営者が目標として「具体的なもの(数字とは限りません)」を持っていることは、
まったく違います。

この違いが決定的であることを、よく心しておいてください。

こういうことを言うとまた、日本中がマイナス成長の時代に、普通の人間がプラス成長に変えることなんて簡単に出来るわけがないと反論が必ず返ってきます。

これにも私は断固として、反論します。
プラス成長に出来るかどうかは、決して能力が無ければできないことではありません。

もちろん、様々な能力があった方が良いことには違いありませんが、
能力のあるなしにかかわらず、プラス成長に出来るかどうかは、
「具体的な目標」を持っているかどうかに尽きるのです。

少なくとも、目標を持っていない人に、運よく「良い結果」が訪れたとしても
それが根付くことがないことは容易に想像できるかと思います。

具体的な目標、数字目標や店舗イメージ、あるいはどんな顧客との関係を築きたいのかといった目標を持てば、

それに必要な事、
自分に足りないこと、
助けを呼ぶべきこと、
努力しなければいけないこと、
調べなければいけないこと、等など

が必ず具体的に見えてくるからです。

能力の問題でないということを、次に例を示します。
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どうして絶望的未来しか想像できないのか?(2)

2010年11月07日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
1、価格決定権のない書店でも「単価を上げる」意義と意味

あらゆる小売業の売上を伸ばす条件は、以下の3つと言われています。

① 客数を増やす
② 単価を上げる
③ 来店頻度を上げる

先ほどの右肩上がりの時代には、この三つの条件の②や③は、あまり意識しなくても、
ひたすら①の客数を増やすこと、さらには在庫を増やすこと、売り場面積を増やすこと、店舗数を増やすことだけしていれば、そこそこに売上げもついてきていました。
広告を出したり、企画・イベントをうつのも③の目的もありますが、ひたすら客数を増やすためにしていることでした。

ところが、右肩上がりの時代が終わると、①のことだけをやっていたのでは、売上げは伸びなくなりました。
 ②や③のことをきちんとやらないと、売上げは伸びないのです。

②の単価を上げるということには、ふたつの方法があります。
 ひとつは、文字通り単品の定価を上げる方法ですが、これは再販制下での書店には価格の決定権が無いので、簡単には動かせません。
 しかしもうひとつの方法である、ひとりあたりの購買点数を増やすことでそれは可能になります。

これが、本屋で必要な、無料の情報が隣りで飛び交っている時代に、単価を下げてでも、
より多くの満足できる情報を得られる環境を整えることであり、店の商品構成比の文庫、新書の比率を劇的に上げるということです。

つまり、「商品単価」を下げて購買点数を増やすことで「客単価」を上げるということです。

そして③の来店頻度を上げるということは、①の客数を増やすということと似たことのように見えますが、ここで大事なポイントは、顧客満足度が上がらないと来店頻度は増えない、ということで数(客数、来店回数)を増やせば、自動的に売上げも伸びるものとは、あまり考えていません。
 それは「必要な時に来る」、という発想ではなく、「いつ行っても面白い」、「また来たい」といった動機を与えるものでなければなりません。

本題からずれそうなので、詳しくは触れませんが、これらのことをみると、
①は「量」に関する対策のことで
②、③は「質」を問う対策であることが見えてきます。

「質」が伴わないと「量」を増やしても結果は出ない時代になったということです。

こう言うとまたそれは面倒なことをしないといけない時代で楽が出来ない社会のように思われがちですが、そうではありません。

出したもん勝ち、売ったもん勝ちの時代から、読者(消費者)に評価されるものが生き残れる「良い時代」にやっと入れたのです。

確かに、それは今までの慣れた方法論とは違うものである限り、違和感や抵抗を感じるものかもしれませんが、人類の長い歴史を見れば、なにごとも「量」に換算してあらゆるものを駆逐していったのは、ほんのこの1世紀ほどの一時の特殊な方法論にしかすぎません。
ここも、私が「やっとわれわれの時代がやってくる」という根拠のひとつです。

このように見れば見るほど、異常な1000坪クラス大型店の地方都市にも及ぶ出店は、「量」の拡大だけに依存した過去のビジネスモデルであり、それを版元、取次が他にもう打つ手が亡くなった業界の最後のモルヒネ注射としておだて上げて支援しているように思えてなりません。


ただ、「質」や「顧客満足度」を上げるビジネスというのは、確かに楽な方法ではないかもしれません。
でも、自分が商売で生きていく、なんらかのビジネスで利益を得るということはどのような意味を持っているのか、もう一度振り返ってみてください。


ビジネスで「単価を上げる」ということの意味をよく誤解している人がいます。

ビジネスで言う「単価を上げる」ということは、単に「定価」を上げて自分の取り分を増やすということではありません。
その考えでお客さんがついてくることはありません。

ビジネスで言うところの意味は、
「単価」が上がっても、顧客が満足できるより高次なサービスや商品を提供するということです。

このような覚悟を決めてこそ、「単価」を上げるという戦略は成功するのです。


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どうして絶望的な未来しか想像できないのか?

2010年11月06日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
しばしば同業者の皆さんから聞かれる現在と未来に対する絶望感。

「10年後に生き残る書店像」を語っている私としては、
やはり、このことはきちんと書いておかなければなりません。

私は、やっと「われわれのすばらしい時代」がやってくるのだということを、様々な場所で書いたり発言したりしているのですが、そうした考え方を今の時代、多くの人に受け入れてもらうことはなかなか難しいものです。

今の世の中の現状を見れば、それは無理もないことです。

しかし私はホラではなく、ほんとうに「すばらしい時代」がはじまろうとしていると感じているので、そう思っている私の方がそう思う根拠を何度でも説明しなければならない立場にあると考えています。

そこで、改めて今の時代の基調というものを再確認して、今の時代に求められている経営スタイルの変更がどのようなものなのか、書いてみたいと思います。




また古い文章ですみませんが、私のブログのアクセス解析を見ていて思い出したものですが、その記事に下記のような引用がありました。

「お金のかからない時代へ」 (「かみつけ岩坊の雑記帖」2008年5月31日より)
   http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/80d3c8c146f3c285b98914bda6298ca0

高井信夫氏の『朝10時までに仕事は片づける』かんき出版のなかにに出ていたマクロレベルの数字を見てみると、

 1979年の企業の利益は7兆5010億円、欠損は6930億円、差額はプラス6兆8080億円でした。
全体で見ると企業はすごく儲かっていたのです。

 その後もこの差額はどんどん膨らんで、
75年には7兆5530億円、

80年は19兆2200億円

85年は25兆5200億円

90年には43兆6340億円と

文字通り右肩上がりの成長を続けたのです。
こうして企業の利益が膨らむなかで、働く人の賃金もうなぎのぼりに上がっていき、みんな豊かになっていった。

ところが90年代以降はどうなったかというと、90年代初めのバブル崩壊を境に、企業利益は減り始めます。
それを数字で見ると、

91年39兆3560億円、

95年には15兆2480億円に、

99年は8兆8860億円と下がり続け、

2001年はついに5兆2760億円まで落ち込んでしまいました。

父親の月給がどんどん下がっているのに、家庭では贅沢を少しもやめようとしない。

(引用終わり)



誰もが、自分の業界はヒドイ!と感じているでしょうが、トレンドはそんな個別特殊なレベルではないのです。
私のいる本の業界も、デジタル化の波に追われて厳しいなどと言っていますが、紙の本離れなどと言う前に、あらゆる業種に影響を及ぼす市場の購買力そのものが劇的に減少し続けていることが、上記の数字からよくわかると思います。

この数字を見ると、私たちの業界が紙の本離れを理由に売上げが落ちているなどといった意見は、まったく正しい実態を見ていないのではないかとも思えてきます。

いや、むしろレコード・CD業界と比べるまでもなく、私たちの業界はまだ恵まれているとすら言えるのではないでしょうか?



(こうした変化は、多かれ少なかれ先進国共通の傾向でもあります。)

(参照リンク)
   ようやく見えてきた次の社会 
     ドラッカー「ネクスト・ソサイエティ」より
       http://kamituke.web.fc2.com/page140.html

1990年ころを境にして右肩下がりの時代に入り、それは景気循環の波や一時的なデフレ傾向といったレベルではなく、これまで経験したことのなかった長期トレンドとしてこの流れが続いているのです。


だからこそ、
90年までに通用していたビジネスモデルは変えなければいけないのです。


わかりきったことかもしれませんが、
売上げが伸びない店の大半は、立地の問題、業界の問題、デジタル化の問題である以前に、

「20年前の売り方を今もずっと変えていない」
ことによるのです。


次にもう少し、詳しく説明してみます。

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戦略以前 ―― 生き残るお店の大前提

2010年03月12日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
お店のブログに、抜井諒一さんによる『群馬伝統 銭湯大全』の紹介を書きました。

この銭湯に限らず今、街から姿が消えかけている業種というものは実にたくさんあります。

そればかりか、小売に限らず農林漁業をはじめ、ありとあらゆる既存業種が、不況の影響というだけでなく衰退し続けている現実があります。

こうした現実に直面した多くの人々は、新しい商品の開発や新規事業の試み、経営戦略の見直しなどを考えていますが、私には、消えゆく銭湯の取材を重ねた抜井さんのつぶやいた一言がとても印象に残っています。

「まず清掃が行き届いていなければダメなんですよ」

銭湯が衛生管理をきちんとしていなければならないことは当然でしょうが、銭湯に限らず、人がなんらかのサービスを受ける空間である限り、小売に限らず、どんな業種でもまずきれいで清潔感があることが大前提なのです。

このように何がなくともまずこれだけはしっかりしていなければならないということが、他に3つあります。

第2は、そこで受けるサービスや商品が「適切な」価格であること。
なにごとも安ければよいものではない。
高すぎるものが受け入れられないのは当然ですが、それは単純に金額の問題ではなく、価格相応の付加価値がともなってこそ、受け手は満足できるものです。

この問題は、要点のみにさせていただいて、さらに大事な問題があと二つあります。

それは、本屋の仕事をしていてつくづく感じることなのですが、商品が「絶えず入れ替わる」ということ、「新鮮な情報にあふれている」ということです。
時代が厳しくなればなるほど、普通のやり方では通用しないのではないかと思い、ついこだわりの商品というものをどんな業種でも持ちたがります。
それは、とても良いことで必要なことです。

しかし、飲食店でも雑貨屋さんでも本屋でも、そのこだわりの商品の市場規模を適切に判断することなく、こだわりのものを置き続けることにこそ意味があると思ってしまいがちなものです。
ところが、多くのお客さんは、そのこだわりの商品は褒めてはくれますが、多くのものは毎回買うようなものではないのです。

私自身、最もよく利用する店とは古本屋なのですが、自分にとってどこが一番利用する店かと考えてみると、必ずしも良い本がたくさん棚においてある店というわけではなく、絶えず商品が入れ替わっている店こそが、良く通う店であり、また良く買う店なのです。

話題の店などの噂を聞くと、できるだけ足を運ぶようにしていますが、趣味のいい店で品揃えのすばらしい店だとは思いながらも、2,3カ月後にまた行ってみると、前に来た時と同じものしかおいていないので、趣味の良さを褒めることはするのですが、自分が買うものはなにもない、という結果に終わってしまうのです。

よく利用するかどうかということでは、新刊本屋であるか古本屋であるかに限らず、図書館や博物館のような場合であっても、そこに期待する新鮮な情報や、こちらが驚くような新しい情報がなければ、2回目3回目はありません。



そして最後にあげる第4の問題は、その職場の従業員のやる気、働きがいのもてる環境を大事にしているということです。
よく顧客満足、お客さまが第一という考えかたが言われますが、最近になってようやく、坂本光司先生の『日本でいちばん大切にしたい会社』がベストセラーになったことなどもあり、顧客満足よりも従業員満足の方が優先するという考えが認知されだしてきました。

どんなにお客さまが大切といっても、そこで働く従業員がやる気を出す職場環境が整っていなければお客様を大切にする心は持つこと持続することができない。
この職場環境が整っているということは、必ずしも昔の労働組合が要求する労働条件や福利厚生設備の充実のことではありません。
仕事そのもににやりがいを感じられるような環境を経営側が提起できるということです。

それが、同時に会社の活力・持続力にとっても経営そのものにとっても最も重要な部分であることにようやく多くの職場で気づき始めました。


これからさらに経営環境は厳しさを増す時代だと思います。
いかなる業種でも、なんとかしなければと様々な戦略を考えて経営革新をはかろうとすることと思いますが、どんな立派な戦略をたてようが、まずこの4つがきちんとしていない事業が長続きすることはありえないのではないかと思うのです。


時代にのっているはずの立派なポリシーのある自然食品の店などには、とくにこの傾向を感じます。
無農薬でからだにいい食品であることはわかります。
でもちょっと価格が高い。
それもわかります。
安全な食品、健康に良い食品です。
でもスーパーにならぶ安くてそこそこに新鮮な食品とくらべてどれだけ美味いのか?
理念だけでなく、どこかで決定的な強みを持ち合わせていないと、
お客さんはなかなかファンにはなってくれません。
増してや明るく清潔な店舗でなければ、その掲げる理想の信用というものも、相当な個性でも打ち出していない限り支持され続けるものではありません。
期待されながらも、なかなか長く続く店がないのは当然のことと思えます。

不況だデフレだ、政府の政策が悪い、業界の体質が悪いなどと嘆くまえに、
まずこの4つの原則の徹底こそが、いかなる業種でも前進し続けるための大前提なのだと感じます。


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責任販売制でその問題は解決しない

2009年06月22日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
返品率の問題、粗利の低い業界体質は、
責任販売制ではなにも改善されない

http://www.asahi.com/national/update/0622/TKY200906210201.html

この流れがこのところ常識のように業界で語られているのですが、
こうした考え方が私には、返品率が上がっている問題の解決方法としてばかりでなく、
利益幅を上げる解決策としても、有効な考えであるとはとても思えません。

まず、この間、上がり続けている返品率の第一の原因は、
市場そのものが縮小し続けている時代であるにもかかわらず、委託販売システムにのった出版社が新刊をつくりつづけて、
仮想売り上げを計上する体質が加速していること、
この構造が、売り上げが下がっている書店にも、勝手な送りつけ商品が絶えず送品されてくる現状を放置して、
一部送品の買い切りへの移行をはかっても、なんら返品率低下には寄与しないと思います。

返品率を下げるために第一に必要なことは、
責任販売制という言葉から発想することよりも、
新刊予約のできる、アメリカのカタログ事前注文システムのようなもので
小売店がきちんと自店の仕入れる商品の取捨選択ができるシステムこそ、
まず第一に考えなければならないと思います。

つまり、発売日に入荷する商品を、書店がきちんと選定出来るシステムということです。
書店が、自分の店に配本される商品の選択権を持たないまま、現状のパターン配本の枠内で
特定の商品だけを責任販売制の商品にしたところで、いくらその枠を将来拡大していっても、
店の棚回転が上がることにはとうていつながらないからです。

棚回転をあげるという表現を使うと、どうも金太郎飴化する書店のイメージで取られがちですが、
表現を変えれば、顧客の購買頻度を上げること、購入回数の多い棚(店)をつくるということです。

業界全体で棚回転(顧客の購買頻度)落ちていく現状を放置したまま、その効率の悪さや
顧客の需要に合致しない配本、仕入れシステムにメスを入れず、責任販売制で返品率を下げたいとか
粗利を少し上げたいとか、そのような発想では絶対に経営改善はされないと思います。

多少粗利の良い商品が増えても、仕入れ数の読み間違いで棚一段に1冊でも、売れ残りの本が長く鎮座するようになってしまったら
その棚の鮮度やまわりの商品の動き、棚の魅力は激減してしまいます。
もちろん、そのような売れ残り商品は、きちんとした小売店であれば、
棚に残さず、二次市場や廃棄処分すべきものですが、
そのコストを勘案すれば、僅かばかりの正味引き下げでは歩はあいません。

もちろん仕入れの精度を上げることは、必須の条件ですが、
どんなに科学的なデータをもとにしたとしても新刊書を10冊仕入れて、1冊の誤差も生まないなどということはありえません。
そのロスを避けるということは、売り損じを覚悟で売り切り販売を徹底するということです。

市場が縮小していく時代に、経営改善につながる、あるいは顧客の期待を裏切らないための改善策とは、
決してそのようなものではなく、棚回転が上がるというと必ず誤解されるので、この表現は避けますが
顧客の購買頻度が上がること、さらに言えば、その顧客の期待にこたえるべく
ベスト10の次の11番目から100番目500番目の商品から自店の需要にあった商品をしっかり仕入れる体制が
まず求められるのではないかと思います。

ひとつの商品の効率を上げることよりも、
この商品が売れなければ、絶えず他の商品に入れ替えられていく棚こそ、
顧客にとってより魅力的な本屋の棚であるはずです。

この間、多くの書店は、売場面積、在庫の絶対量を増やすことでこそ、その顧客の需要に応えられるのだと、店の大型化にばかり取り組んできました。

ところが、300坪、500坪の書店を見ても、きっとかなりの商品の配本はされているはずなのですが、まさに11番目から500番目の需要のある本の仕入れがされておらず、たくさんあるのに欲しいものがない本屋を増やし続けてきています。

月商3000万円、5000万円の店であれば、さぞ配本も多かろうと思いますが、今の全国のそのクラスの書店には、必ずしもその11番目以下のマークすべき本は入っていません。

一昔前に比べたらPOSデータ管理は徹底して、商品管理の効率化はかなり進歩したかに見えますが、データを活かし見る余裕もないまま、肝心な仕入れのレベル向上がはかられているとは言い難い現状だと思います。

それを実現するには、極論に聞こえるかもしれませんが、
まず現状のパターン配本システムを無くすことです。

すべて一挙に廃止する必要はありませんが、少なくとも、発売日に必要な本、不要な本の調整がきちんとできるシステムということです。

顧客の需要をきちんと見ている書店は、必ず新刊リスト全点に目を通しています。
パターン配本に依存した現状では、そんな面倒なこととても出来ないとの返事がすぐに返ってきますが、
顧客が欲する物を真剣に探す小売業であるならば、これは大前提の作業なのです。

ここに踏み込まない限り、読者の信頼を得られる書店に近づく道はありえません。
もちろん、何から何まで目を通すことなく、ある程度効率的なパターンに依存しても済む領域もありますが、
日々、新しく面白い情報を求めている雑多多様な顧客の要望にこたえるためには、
出来る限り全点に目を通すということは、何よりも大事なことなのです。

これから10年で、おそらくたくさんの書店や出版社が消えてなくなることと思いますが、
生き残る書店がどのような店なのかを考えると、顧客の要望にきめ細かく応えられるかどうかにかかっていることは間違いありません。

経営が苦しいからといって、この部分の経費(人件費)を削っている限り、
顧客には絶対に近づけないのです。

現状でこのような発想は、とても困難で現実的でないかのようにとられがちですが、
すぐれたバイヤーが育つ環境は、このようなことが出来れば自然に育つものと確信します。

右から左へものを流すだけの商売は、業種を問わず生き残れない時代です。
業界内の利益配分の見直しは、確かに必要なことですが、
今の苦しい経営は、正味の見直しで解決できるものではありません。

むしろ粗利が低いことでこそ、顧客の購買回数を増やすサービスに向かうのであり
さらに参入障壁を高くして、競争力の高い書店を生みだす絶好の条件なのです。

こんな発言をしても、今の業界には虚しいばかりですが、
小売業の原則から、あまりにもかけ離れた発想が、読者から見はなされた書店を生み続けているように思えてなりません。

ベスト10の本を追いかけること、
それは業務の比率からすれば、大事なことではありますが、二次的なことです。

大事なのは、11番目から100番目、500番目の商品から自店の需要にあった本をどんどん仕入、
棚の商品を次から次へと入れ替えていくことです。

こうした目標を持った書店にとって、責任販売制は、決してありがたいものではありません。

まさに時代のパラダイムが、デジタル社会に向かって大きく変わろうとしている今、情報の管理能力というものを真正面から考えなければ、経営改善の糸口は決して見えてくるものではないと思います。
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新刊書は自我のため、古書は知性のためにある

2008年08月23日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
「新刊は著者主体で促進される国内の経済であるのに対して、古書は主題別に推し進められる世界の経済なんだ。新刊書は自我のためにあり、古書は知性のためにあると言い換えてもいいね。」

本を語る表現で、久しぶりにガツン!とくる言葉に出会いました。
業界紙「新文化」2008年8月21日号に出ていたイギリスの古書の村「ヘイ」の王様が語る頑固で崇高な理念の記事です。


英国中西部のウェールズ地方の極めて交通の便の悪い場所に、今や世界的に知られる約30件の古本屋が密集するところがある。本紙の取材の相手は、この村を世界的に知らしめた立役者リチャード・ブース氏。

ヘイを真似した古書村は、今では全世界に15もあるといいます。
古書の村では日本にも只見村の例がありますが、それとはちょっと性格が違います。

書店業界、出版業界の市場縮小にともない、古書の販売を併設する書店も増えていますが、新刊書と古書の市場の違いについて、この方は流通上の違いだけではなく、商品のもつ性格の違いをとても深くとらえています。

私は、自分の店で一部、古書も取り扱っているのですが、見かけの粗利の良さや、二次流通市場の広がりだけから、新刊書店が古書販売に参入してはいけないと思っています。
古書は古書のきちんとした管理が出来ないと、新刊書以上に死んだ棚をつくる原因になるからです。
それでは、どのような棲み分けが求められるのか、といった問いにブース氏は的確に応えています。

「新刊書は国内の経済、古書は世界の経済」といった表現は、ブース氏のビジネスモデルの成功体験からきているものですが、この国内、世界という表現は、ローカルか、グローバルかといったニュアンスだけでとらえてはいけないと思う。
それよりは、「古書は主題別に推し進められる世界」といった表現のほうが大事だ。

もちろん、規模の経済のなかでは、ブックオフのようなモデルは間違っているわけではない。また新刊書のデータを見せながら、圧倒的多数を様々な古書店や個人が出品する古書データの販売で稼いでいるamazonも、ひとつの理想のモデルであることに異論はない。

しかし、規模の経済のビジネスモデルの枠のなかでは、売り手が知識や情報に攻め込むことはない。
顧客・読者が勝手に大量の在庫情報のなかから見つけてくれることこそが大事だからだ。

ここが私にとっては一番大事なポイントだと感じました。

ブース氏は、「私たちは、貧しい経済によって動いている」という。
だが、同時にそれは世界を相手にしている。
古本の村は、ともすれば地域内の小さな読者から始まると思われがつだが、それは間違いだと言う。全世界のマーケットを相手にしてこそ初めて可能になるのだと。

ここに「主題別に推し進める」ことと、「古書は知性のためにある」ということ、「全世界の顧客のメーリングリストこそが財産」という所以がある。
古書をおいているビジネス、古書を大量に扱っているビジネスではない。これは攻めの情報ビジネスだということだ。


ここに最近わたしがずっとキーワードとして追い続けている問題を、大きく後押ししてくれるものを感じます。

・書店は「版元の代理人」であることから速やかに脱却し、「顧客の代理人」にならなければならない

・書店に必要なのは「配本」ではない!「仕入れ」だ!



ブース氏はさらにこういう。
ラテン語の諺で「最良のものが腐敗すると最悪と化す」というのを知ってるかい?
これはBBCのことだよ。
BBCは私のヘイでの活動を批判し破壊しようとした。なぜなら私は彼等とグルだった政治家にとって驚異だったからだ。でも私が相手にしているのは全世界のマーケットであり、世界的な古書の売買をしている。


現状のマス市場やメジャーな世論とは徹底的に闘い、ニッチのテーマでゲリラ的に攻め続ける世界文化の問題だ。行動はゲリラ的でありながら、その思想は常にグローバルであるということだ。

なんてことを田舎の小さな書店で叫んでも通じないだろうけど、この記事を見て、とても心強い味方を発見した満足感でいっぱいです。


私個人は8、9割を古書で購入していながら、新刊書店の仕事をしていることの矛盾も、これでだいぶ整理することができそうです。
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溶けていく本屋

2008年04月24日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
私たちの業界紙「新文化」という新聞に、長野の平安堂の平野会長のアメリカ流通業界視察後の業界に対する意見がトップページに出ていました。

その見出しは「業種破壊で本屋は"溶ける”」。

今、私のまわりでなにかにつけて話題になっている本
『ウェブ時代をゆく -いかに働き、いかに学ぶか』
と多くの点でリンクする問題にふれており、厳しい現実を伝えるものではありますが、
とても共感できる内容のものでした。

他方、この梅田望夫氏の前著『ウェブ進化論』を読まれた方も多いのではないでしょうか。
前作に続く本書、『ウェブ時代をゆく』ちくま新書  
これは書店や出版の未来を語るうえでは、前作以上に大事な必読文献であると思えるので、
書評としてではなく、平野会長の視点との関連でここに書かせていただきます。

以前に「10年後の準備をしよう」とのトピ立てを同業者のコミュでしたのですが、
その時は電子辞書の問題に話が流れてしまったので、今回改めて
「ウェブ時代」という視点から、10年後の準備について
改めて問いかけてみたいと思い、コミュに以下のようなことを再度書き込みました。


1995年頃をピークにして、この10年ほどの間に
書籍・雑誌の市場規模は約20%減少している。
週刊誌にいたっては、約37%のダウンである。

にもかかわらず、世の中は300坪から1000坪といった超大型店の出店が相次ぐ。

これからの10年を考えたとき、
地デジの普及などとともにデジタル通信環境が一層加速浸透し、
これまでパソコンキーボードか携帯に依存していたネット接続環境が
劇的にいつでも誰でもアクセス可能な環境に移行していくことは間違いない。

とすれば、これまでの10年間以上に、これからの10年間は
リアルのペーパー市場がさらに加速して縮小していくことは間違いないといえる。

長期的視野にたっても、紙の市場が完全に消えてなくなることは絶対に無いにしても
10年後には、1995年ころのピーク時の半分程度にまで市場が縮小することは 、
決して誇張した話ではないと思います。
東京説明会の交流会の場で、このことを話したら、
出版社の方からそれほどは減らないとの意見が出ましたが、
作る側はネット流通とリアル流通に分散されるだけ(現実はそれでも縮小傾向に変わりはない)なので、それほど減るという実感はないかもしれないが、リアル流通の側からしたらこの流れは間違いない。

いや、この流れがさらに加速することを裏付けるような話が、
本書にはたくさん出てきます。
その象徴がグーグルとアマゾンのゆくえです。


150ページからの見出し
十年後には「人類の過去の叡智」に誰もが自由にアクセスできる

グーグルはウェブ上の検索エンジンを作るために、発見したウェブサイトの情報をすべて自社のコンピュータ・システムにコピーする作業を続けている。そうしないときちんと索引付けができず検索エンジンが作れないからだ。
同じように、過去に出版された「人類の過去の叡智」たるすべての本をコピーし、巨大な書籍検索エンジンを作ろうとしている。

 書籍検索エンジンがウェブ上の検索エンジンと大きく違う点が二つある。
ひとつは情報をコピーする手間とコストの問題である。
ウェブ上の検索エンジンが対象とするサイトは、発見した時点で既に電子化されているので瞬時にコピーして自動的に取り込める。
しかし本は物理的に1ページ1ページ、スキャナーで読み込まなければならないので莫大な手間とコストがかかる。
もうひとつの違いは、ウェブ上の検索エンジンがもっとネット上でオープンにされた情報をコピーするのに対して、書籍検索エンジンの対象は著作権者が存在する本なので、権利の問題が複雑だということである。

             (ここまで引用)

でも現実は、グーグルもアマゾンも、
いかに手間とコストがかかろうがこれはやりきることだけを考えている。
これからのネット社会のインフラ整備として避けて通れないことだからである。
このような現実をふまえたら
以前書いた次のようなことが再び思い起こされる。



情報の値段は本来タダ!(無料)

コレを言うと庫本さんが怒る。
なんでも情報がタダで簡単に手に入ると甘えたヤツがいるから。

現状では情報化社会、知識社会という名目から
情報こそ飯のタネとしている実体は大きい。

しかし、私は、原則論から言えば
「情報の値段は本来タダ」であると昔から思っている。
情報というものは、それを独占したり秘匿したりすることによってのみ
お金がとれるものであるからだ。

さらにいえば、
私たちが日常、情報として扱っている書籍や雑誌の価格の大半は、
情報そのものの価値に対して払っているものではなく、
そのほとんどが、印刷、製本、物流といった領域のコストで、
残りの砦、著作権料といえども、その実体は
情報の価値ではなく、作家の労働の量、通常は原稿用紙何枚、といった
超売れっ子作家以外は、単純な作業量の対価程度しか払われていない。

この本質と実体を、今のネット社会が次々に暴き出していく。
有料書籍・雑誌が販売されている隣りで、次々と無料のコンテンツが出回るようになっていくからです。

情報化社会で著作権を守ることがいかに大事か、
これはもっともらしい議論のようですが、
今の世の中で現実に著作権の問題を声高に叫んでいるのは、そのほとんどはベストセラー作家たちです。
彼らは、ひとつの情報が何人に買ってもらえるかこそ大事な生命線だからです。

それに対して圧倒的多数の数千部以上売れることのない無名に近い作家たちは、
常にタダでも良いからより多くの人に読んでもらいたい、と思っている。
それらの人たちは、これまで、高額な自費出版というリスクを背負ってか、
あるいは自分を認知してくれる出版社が現れるまで、長い下住み生活を余儀なくされるのがあたりまえの世界でした。

ところが、今では、ほとんど無料に近いかたちで、その気さえあれば、
誰もが自らのブログやホームページ上で自分が社会に認知されるまで
いくらでも書き続けることができるのです。

情報という本質が見えてくると、
それはハードに制約されることなく、世界中どこにでも無料で飛び回ることができるものなのです。

私たち本屋は、これまでこのハードの制約に支えられることで商売を続けることが出来たのですが、今、それが通用しない時代に入ろうとしているのです。


では、本屋はみんなもうやっていけない時代になるのか?
そんなことはないと思っています。

これからの時代、膨大な在庫をかかえた大型店こそ厳しい時代になるのであって、
店売り比率の小さい中小書店こそ、
そして地域情報管理能力のある書店こそ、
これからのほんとうの情報化社会に生き残っていく条件があるのだと思います。

ただし、当然それは、これまでの紙の情報を売るというだけの姿ではありません。

そんなウェブ時代を象徴するひとつの事例として、
梅田氏は本書のなかでつぎのようなことをあげています。


「好きを貫きながら飯が食える場所」

リアル世界とネット世界の境界領域の「新しい職業」として、
専門性や趣味の範囲で「好きを貫きながら飯が食える場所」が作られる未来を考えるとき、
「志向性の共同体」のリーダーがスモールビジネス・オーナーという姿がひとつのロールモデルとして描けるのではないかと思う。

 米「ニューヨーク・タイムズ」紙の「セックス、ドラッグ、そしてブログを更新すること」(2007年5月13日)という長文記事は、新時代のアーティストの「生計の立て方、スモールビジネスの在りよう」について、
ニューヨーク在住のジョナサン・コールトン(36歳)というミュージシャンを具体例に詳細に報告した。
コールトンのブログも参考にしつつ、彼が体現する「新しい職業」をひとつ観察してみることにしよう。


 コールトンの職業はプログラマーだった。
 しかし彼はフルタイムのミュージシャンとして生きたいという夢を持っていた。
 一念発起して2005年9月、彼は仕事を辞めて(妻の収入に最初は依存)、夢の実現に挑戦することにした。
 曲を週にひとつ必ず書いてレコーディングしてブログにアップすることにした
(無償で誰もがダウンロード可能、リスナーがお金を支払いたければそれも可能)。
 少しずつ口コミでトラフィックが増え、誘われて行なうライブにも以前より人が集まる手ごたえを感じた。
 コツコツと地道な活動を続けた結果、現在はブログの日々の訪問者3000人、人気の曲のダウンロードは累計50万、月収はコンスタントに3000ドルから5000ドルとなり、生計が立つようになった。


 コールトンは、メジャーのレーベルと契約してビッグヒットを放つタイプのミュージシャンを目指すのではなく、ネット上に「志向性の共同体」を形成し、ファンと一体になった親密な空間をマネジメントすることで生計を立てている。

 月収の内訳は、ダウンロード販売をCD販売(CD少量生産流通サービスを利用)でその70%。
ライブのチケット販売が18%。
その他がTシャツなどのオンライン販売。
つまり月収の大半は、無償でも手に入る曲にファンが自発的にお金を支払うことに依存している。

 どのようにして彼はそんな現在に至ったのか。
 毎日ブログを書き、少しずつ増えていくファンからの反応を眺めながらコールトンは、
ファン(特に若い世代)は、アーティストと友達になりたいのだという重要な発見をしたのである。

 以来、コールトンはファンから届くすべてのメールに返事を書き(1日平均100通)、
ブログを更新し、自らの日常を語り続け、作った曲をアップしていった。
 次第に、別の都市に住むグラフィックアーティストであるファンが無償で曲にイラストをつけてくれたり、ライブを録音しプロモーションビデオをユーチューブに上げてくれるファンが現われたり、地方の街でのライブを企画してくれるようになった。
(ライブに百人集まればコールトンの収入は1,000ドルになる)。
 もう少し稼ぐにはどうしたらいいだろうと問えば、さまざまなファンが色々なアドバイスをしてくれるようになった。
 コールトンは24時間ステージに立ってファンと接しているような充実感を抱きつつ、毎日何時間もネットに向かい、フルタイムのミュージシャンをして生きている。

    ここまでは梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』ちくま新書(2007/11)より

このコールトンの成功事例に、
私は平安堂の平野会長が新文化紙面で言う“溶解する本屋”の先に見える未来像を感じます。

ああ、平野会長に会って話してきたい。




   正林堂店長の雑記帖 2007/12/16(日)より転載
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