「 ももやまごりょうまえ ももやまごりょうまえ ! 」
近鉄のアナウンスが流れると、
次が 「 向島 」 そして次が、我が家のある
「 小倉 」 に着きます。
「 桃山御陵前 」 なんともいい響きです。
先日お参りにってきました。
まず、この長い階段が待ち受けています。
とてもいい空気が流れているせいか、
お参りというより、散歩やトレーニングに
励んでおられる姿がたくさんです。
息を切らして、休みながら、ゆっくりと上がります。
ま~ !!
御陵参拝でも難所の一つではないかと思います。
上にたどり着くと、広大な敷地が広がっています
立派な鳥居が現れます。
二礼二拍手一拝 でお参り、
ふり返ると、ここから市内を一望できます。
先日の京都新聞で、「 伏見城 」 の遺構調査があった
という記事が載っていました。
もともとは、豊臣秀吉や徳川家康が
居城とした伏見城の跡地なのです。
しかし、この城は徹底的に破却されました。
が、
残された一部の石垣などから築城レベルの
高い城だったことが確認されたそうです。
秀吉のころ、本丸に植えてあった
『 桃の木 』 から 「 桃山城 」 の
通称ができたようです。
近くまで行き、望遠で
下が四角、上が丸の 「 方円墳 」 です。
頑張ってる樫の木、ほぼ中は空洞、
皮だけになりながらも新緑を出しています。
普通なら切り倒されてしまうのでしょうが、
御陵さんの前ということで歴史をつないでいるのです。
そこから、少し下っていくと、
「 昭憲皇太后の御陵さん 」 があります。
明治天皇より一歩下がってということでしょうか??
寄り添いながらも控えめに埋葬されたのでしょうか。
女性ということもあって、立派な枝垂れ桜が
御陵さんの前に植えられ、
たぶん御陵さんの近くに植えられていますので、
私たちよりも、たぶん ??
皇太后に見ていただきたい、ことでしょう
御陵さんの間近な位置に植えられています。
降りてきて後で気がついたのですが、
こういう立札があり、
昭憲皇太后の御陵さんの方から行くと
ゆるやかな坂道伝いに明治天皇の御陵まで行けるようです。
「 明治天皇 」 が陵墓を作られた最後の天皇さんです。
京都の故老に聞くと、
「 天皇はんのほんとの住まいは京都や
東京へはあそびにいってはる !! 」
という声も聞きます。
そういえば、東京遷都は正式には
なされていないのではないかという ??
人もいらっしゃいます。
勝手な想像ながら、
やはり、明治天皇にしてみれば
最後は京都へ帰りたかったのではないかと … ??
思ったりしてます。
そしてまた、その近くには
「 明治天皇 」 を慕っておられた
「 乃木大将 」 をお祀りした神社も
建てられています。
とても美しい花が咲いていましたので
また します。
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