最近、テレビ・新聞をにぎわしている言葉です。
なにかしら、嫌な響きを持った言葉です。
ですから、気になって、辞書を引きました。
「 改竄 」 ( かいざん )
漢字で書くと上のような字です。
「 竄 」 よく見ると、
鼠 ( ネズミ ) という字が入っています。
「 穴 」 の下に 「 鼠 」 を書くという組み合わせ。
「 竄 」 の意味は、
ネズミが穴の中にはいる意で、
逃げ隠れること。
そこから、
① かくれる ② のがれる ③ はなす
④ ふすべる ⑤ あらためる ( 改竄 )
⑥ 穴に入る
というような意味が出てきたようです。
「 改竄 」 の 「 改 」 も面白く、
もともとは、むちで鬼を打ち追う、という意味で
「 追儺 」 の原字と考えられる。
そこから、追儺を終えて新年となるので
あらたむる、意味になった。
そういうことから、
「 改竄 」 は、文章の文句を改める、
という意味になったようです。
「 捏造 」 ( ねつぞう )
「 捏 」 という字は、
手偏に日と土が組み合わさって
出来た文字です。
意味は、土をこねる、が本来の意味で、
① 土をこねて色々なものをつくる
② ないことをでっちあげる
③ おす
というように変化しています。
捏造は、根も葉もないことをでっちあげる、
という意味になります。
「 杜撰 」 ( ずさん )
「 杜撰 」 ( とせん ) 書いて、( ずさん ) と読む、
宋の杜黙の作詩が多く律に合わなかった、
という故事から、
① 著作などに誤りが多いこと
典拠の正しくないこと
というような意味になります。
しかし、この一連の騒ぎを見て、
最近は 「 責任をとる 」 という
人がいなくなったようで寂しく思います。
それに関して、ふと思い出すのは、
三浦先生のことです。
何はともあれ、自分の部下とか
組織の一員にあたる人は
絶対的に身をもってかばってくれたのです。
洛南高校も 「 三浦俊良 」 という大きな傘の下で、
先生方が安心して教育に専念できたと思います。
一人の若い科学者を、
なんでもっと優しく見守り育て上げる
ようなことは出来ないのかと、
内心腹立たしいものを感じます。
なぜその組織の責任者は
自分の部下をかばおうとしないのか、
それが現代の風潮なのか、
それとも科学をやるということは
そういう冷徹な眼で臨まなければいけないのか、
その辺のことはわかりませんが ??
仏教にも 「 三道 」 ということがあって、
最初に 「 見道 」 ということがあり
次に 「 修道 」 ということが出てきます。
仏教でも科学でも勉強でも 「 直観 」
ということがとても大切です。
そのものの本質を 「 見た 」 という直観、
ひらめきです。
そこから、繰り返していくのです。
それが 「 修道 」 、
見道 ・ 修道 を繰り返して
物事が深まっていく、
そのことを 「 純熟 」 という表現で
お経には出てきます。
彼女の細胞を見たというのは 「 見道 」
でしょう、それは直観です。
それから 「 修道 」 です。
反復修習という、道程が始まるように思います。
若い一人の科学者をつぶしてしまわずに、
見守ってほしいと思います。
そして、彼女には周りの干渉には妨げられず、
どうか、地道にこつこつと研究を続けてほしいと願います。
反復すれば足りないものが出てきます。
それで、足らんことで止めてしまわずに、
繰り返すしか、それしかないように思います。
地道な道を歩くほかないようです。
お経の文句に
「 数数修習 」 ( さくさくしゅうじゅう )
という言葉があります。
修行も地道な繰り返ししかない
ということです。