本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

道半ば・道は半ば

2024-08-14 17:34:17 | 十地経

学ぶことも多く

未だ、

終わりそうもありません。

本当に道半ばです。

知れば知るほど

何も知らなかったことが

思い知らされます。

 

無学ということがあります

普通には

謙遜して、無学な者で

というのですが、

仏教では無学というと

仏のことです。

もはや学ぶことは何もない

一切を学びつくした

ということです。

反対に私たちのことを

有学ウガクといいます。

まだまだ学ばなければ

いけない者ということです 

 

ということは

まだまだ学ばなければ

ならないということは

当然のことです。

 

道半ばで終わる

ということをいいますが

道は半ばなのでしょう。

 

道(どう)というと

仏道とも言います。

あらためて見てみると

なかなかいい言葉です。

仏道、仏へ至る道

また歩み続けることが

道ということです。

 

講義にもよく出てきますが

三十七道品という

修行の方法があります。

道品(どうほん)

品というのは方法という

意味になります。

 

このことを

修行することによって

仏になるということです。

お釈迦様により三十七の

方法が示されています。

 

また、四道(しどう)と

いって、

このこともよく講義出てくる

のですが、

加行道(けぎょうどう)

無間道(むけんどう)

解脱道(げだつどう)

勝進道(しょうしんどう)

の四つです。

 

加行道というのは

準備的な段階で方便道とも

いい、煩悩を断ずるための

準備的な実践です。

 

無間道というのは

無間、間が無い

講義でのたとえとしては

千年の闇もマッチ一本で

消えると、

千年続いたから

闇が明けるのに千年かかる

かというとそうではなく

そこには間はなく

一瞬で消えるといいう

 

人間の迷いも

先祖代々迷ってきたが

その迷いが消えるには

本当の教えに会えば

一瞬でその迷いは消えて

しまうということです。

 

解脱道というのは

解脱ですからさとりです

それで、お終いかというと

さらに

自分の迷いが見えてくる。

そこで次に

 

勝進道ということが出て

きます。

更に進んで他の煩悩を対治

しようとするのですが、

他の煩悩を対治する

ということで最初の加行道

に戻ってくるのです。

 

行ということは

円を描くように進んでいく

といいます。

やればやるほど

新たな煩悩がみえてくる

ということです。

 

何もやらなければ

煩悩も見えないし

それはそのままで完成して

いるのかもしれません。

歩めば自分の中に潜む

煩悩が現れてくる。

だから

道になっていくのでしょう

 

道は半ばであって

到達するものではないと

思うのです。

やればやるほど次の課題が

見えてくるものです。

見えて来なかったら

止まっている証拠です。

止まれば、

そこにいるだけではなく、

元の木阿弥で

元に戻ってしまう。

 

歩むところに道はあり

止まってしまったら

それ以下になってしまう。

精神も堕落してしまう

のでしょう。

 

生きるということは

歩み続けることと

いってもいいと思います。

 

道は半ばですですね。

 

 

 

 

 

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