各界の23人が英語の学習などについて語った岩波新書である。世界で活躍する人も、英語では苦労していて、勇気を出して英語で話し、しかし、今だに自分の言いたいことが十分言えず、ネイティブの人の会話の輪に割り込めないことで悩んでいる。私とはもちろんレベルが違うのだが、なんだかホッとし、勇気付けられる。また、小学校からの早期英語教育には、言葉の背景には文化があることから、疑問視する人が多い。
( )は私のコメント
鴻上尚史、劇作家
現場でコミュニケーションするための英語に必要なことは、7割がリスニング、2割がスピーキング、1割がリーディングだ。ライティングは英語で契約書を書くとか、英語でメールする人以外は無視してよい。例えば、diarrheaダイアリア、下痢という単語を英国の演劇学校のクラスメイトは全員知っていたが、誰もスペルを書けなかった。日本人の中学生でも下痢と聴けば判るだろうが、漢字を読めるかどうか、そしてまず書けないだろう。
(私も、確かに外国で暮らすと、リスニングさえできれば、あとは何とかなるのに、会話が入口で止まってしまうことが多い。まして電話となると何回も聞きただし、汗だくになってしまう。話すのは中学程度の基本文さえ知っていれば身振りでも何とかなる。確かにリスニングが一番必要である。しかし一方では、日本からインターネットでの予約メール、アパートに泊まるときの契約書など辞書引きながらでも読書きが必要な場合もある。)
上野健爾、数学者
英語重視の英語教育をという声が強いが、実際に英語を話さなければならない人はそれほど多くない。それに会話は読書きが十分できれば必要なときに集中して勉強する方が能率的である。発音はたしかに子供のときから学べば美しい発音になるが、それでもどうしても日本人のなまりは残る。
(世界各国それぞれのなまりのある英語が行き交っている現状では確かに発音は大きな障害ではない。成長してからの英語学習には、少なくとも基本的な英文法や、読書き能力を付けた上での英会話学習が有効なのではないだろうか。)
杉村隆、医学者
上手な英語より自分らしい内容の英語でしゃべるように心がけた。米国に行けば普通の米国人でも英語は上手いのだから。
(夏目漱石が英国では乞食でも立派な英語を話すと悩んでいたことを思い出した。彼は英文学の研究者だったから悩んだのだろうが、たとえば技術者の会話は英語の上手さよりも技術の内容が重要である。もっとも私の場合は、それ以前に相手に私の言わんとする趣旨が伝わるようにすることがまず必要なのだが。)
小森陽一、日本近代文学者
英語で講演原稿を書くと、日本人なら当たり前としていたことが掘り出され、主語が明確になり短く明快な文章になる。
(私も数少ないながら英語で論文を書いたことがある。最初日本語で書いてから英訳し始めたが、何が言いたいのか、主語は何なのか、分からなくなりあきらめた。言いたいことを単純化して絞り、最初からブツブツ切った短い英文で書いた。)