私は生来の無口だ。たいして意味のない会話はしない。かといって、たまのしゃべりが含蓄ある内容と言う訳ではない。若い頃は挨拶も意味が解らないとしなかった。TⅤのニュースで犯人の近所の人が、「よく挨拶するいい人ですよ」などと話していることが多い。「ほらな、ニコニコと挨拶する奴にろくな奴はいないんだよ」と今でも偏見を持って呟いている。
新婚の頃、妻の実家に行った時、3姉妹の家族団らんの場には加わらず、傍で寝転んで数学の本を読んでいた。2,3回続くと、着くと居間に座布団と毛布が用意されているようになった。最近はすっかり角が取れてしまって話に加わることが多い。つい混ぜっ返したり、嫌味なジョークを言ったりして、相方に「あっちで寝てれば」と言われてしまうのだが。
それでもごくたまにだが、本人は面白いと思い込んでいるくだらない事をあれこれ話続けることがある。しかし、こんなことは珍しく、十年に一度くらいのことだ。つい先日こんな事が起こった。きっと次に長話するのは十年後、いや歳から言って、最後のしゃべくりだったのだろう。
近年とみに声がでない。つうかあで通じるはずの相方からもよく「何言ってるか、分からなかった」などと言われるしまつだ。さらにむせることも多く、近い将来の誤嚥性肺炎を避けるために、バカバカしい「パタカラ体操」などはできぬので、歌を歌って喉を鍛えることにしている。
若い頃好きだったビートルズは歌いにくいので、ユーチューブで懐かしの日本のポップスを聞いて井上陽水の「少年時代」や、財津和夫の「サボテンの花」などを必死で覚えた。最近では喉の限界に挑戦し、サザンの「真夏の果実」や、高橋真利子の「ごめんね」を歌っている。
メロディーは適当でも気にしないのだが、歌詞が覚えられない。学生時代の丸暗記を思い出しながら、最初から何回も繰り返し、覚えていく。時間だけはたっぷりあるので、頭の体操も兼ねて必死で暗記し、ゆっくり歌ってみる。途中で、パカッと歌詞が抜け、思い出せなくなる。毎回違う所で抜け落ちる。話の筋道が続いているところは良いのだが、そうでない所は、認知症はかくやと思うほど、まったく思い出せない空白となる。そのたびにスマホに歌詞を表示させて、なんだ、そうだったか、となる。
音痴の呼び声高い傘寿の私が、白髪を振り乱し、SST(シミ、シワ、たるみ)の顔を歪めて熱唱する姿はお見せするわけにはいかない。トイレが長いとの苦情をものともせず、3曲歌い終わるまで出ないことにしている。
熱唱場面の拝聴&拝見希望いたします
SSTってシミシワタルミなんですね。
以前友人の間でKNK(更年期)48を作り、センターを譲り合った事を思い出しました。