hiyamizu's blog

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『図説 東京裁判』を読む

2017年10月13日 | 読書2

 

 

 編者:太平洋戦争研究会、著者:平塚柾緒『図説 東京裁判』(2002年7月30日河出書房新社発行)を読んだ。

 

 満州事変、太平洋戦争の日本の政治・軍事指導者の「戦争責任」を裁いた極東国際軍事裁判。

 何が裁かれ、暴露され、誰が裁いたのか東京裁判の全経過を明らかにする。

 

 東京裁判では、ナチスを対象としたニュルンベルク裁判を下敷きにし、(1)「通例の戦争犯罪」に、(2)「人道に対する罪」と(3)「平和に対する罪」を加え、個人責任を問うて、裁いた。

 

 

 裁く側、裁かれる側、双方が天皇の責任に話が及ぶことを絶対に避けるため、おかしな運営を強引に進めた。

 

 東京裁判は、国際法上の「人道に対する罪」に問われるべき東京大空襲、広島・長崎への原爆投下など「連合軍の犯罪」はいっさい審理の対象にされないという「勝者の裁き」だった。

 

 連合国軍の情報不足で、被告の選定にも問題が多かった。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

 東京裁判の一連の流れを客観的にとらえていて、写真も多く、初心者にも分かりやすい。事実を丹念に追っており、裁判に批判的立場の人にも、一定の評価を与える人にも、薦められる。

 

 日本人は戦争をきちんと反省せず、責任者を裁かなかった。東京裁判は、いろいろ意見はあっても、結果的に国家間で責任追及は終わった。そして、サンフランシスコ条約でもう一度、確認した。

 

 圧倒的に負けそうな戦争を始め、多くの人命を失い、甚大な被害を被った。十分な情報を与えられていない国民が後押ししたとはいえ、指導者は責任を取るべきだった。戦勝国によるほぼ一方的な裁判で、問題も多かったが、日本人にはおそらくできなかった裁きを行ったことは評価できる。この裁判で国民が初めて知った事実も多い。

 

 

 あとがきで著者は述べている。確かに東京裁判には問題があったし、外地で行われた戦犯裁判(BC級)のかなには、間違いが少なくないが、だからと言って裁判そのものを全否定できず、戦後の日本人の大きな財産となったのだ。

 私は、・・・国のため、親兄妹や妻子のためと思って戦い、死んでいった人たち――に頭を下げ、(靖国神社に)参拝することには何の違和感もない。しかし、わが国土とアジア諸国を廃墟の巷と化した責任ある軍人や政治家たちに頭を下げることには、大いに違和感を覚える。

 

 

 

太平洋戦争研究会

河出書房新社の図説シリーズ「ふくろうの本」で『太平洋戦争』『満州帝国』などを編集。代表は平塚柾緒。

 

平塚柾緒(ひらつか・まさお)

1937年茨城県生まれ。出版プロダクション「文殊社」代表。太平洋戦争研究会、近現代フォトライブラリー主宰。

 

 

 

 首席検事はアメリカのジョセフ・キーナン、裁判長はオーストラリアのウィリアム・ウェッブ。判事団は米・英・ソ・中・豪・仏・蘭・印・ニュージランド・カナダ・フィリピンから各1名。日本弁護団は団長が鵜沢総明、副団長は清瀬一郎だった。

 A級戦犯になったのは、28名(荒木貞夫、土肥原賢二、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、板垣征四郎、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、小磯国昭、松井石根、松岡洋右、南次郎、武藤章、永野修身、岡敬純、大川周明、大島浩、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳、東条英機、梅津美治郎)。裁判中に、松岡、永野が死去し、大川は精神異常で除外され、全員有罪で、7名(土肥原、広田、板垣、木村、松井、武藤、東条)が絞首刑になった。

 逮捕前に自決した人は、杉山元元帥、小泉親彦陸軍軍医中将、橋田邦彦元文相、本庄茂大将、近衛文麿。

 

 

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