空の雲を黙って見ているのが後期高齢者に近づいた今でも好きだ。
小学生の頃、よく廊下に寝転んで雲が流れていくのをながめていた。変わった形の雲を見つけてじっと見つめる。あまりに変化が遅いので、ボーっと考え事をしていると、そのうち雲は動いていて形も変わってしまっている。吸い込まれるような青空に引きちぎった綿のような雲がゆっくり流れていく。
高校のとき、毎朝、神宮外苑の、当時一面の芝生だった広場を横切って学校へ通っていた。始業時刻までまだ余裕があり、空がさわやかに晴れている朝には、よく芝生に寝転んで空と雲を眺めていた。時々は、寝転んだままで一時間目をサボることもあった。いや、学期の三分の一遅刻していたのだから、時々とは言えない。
不来方*の お城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心 石川啄木
長いこと天体観察に興味を持ったことはなかった。ずっと東京近郊に住んでいて、しかも近眼なので、夜空の星をじっと眺めたことがなかった。六十歳を過ぎて、オーストラリアに旅行したとき、大陸南端の昔捕鯨で知られたアルバニーという町に行った。車を飛ばして、夜、宿について駐車場から南極の方向の暗い海を眺めた。ふと夜空を見上げたら、一面、星、星、星だった。まさに降るような満天の星だ。「空にはこんなに星があるんだ」と思った。子供の頃からあんなにしじゅう空を眺めていたのに、あの空の奥にこんなにもたくさんの星があったなんて!
さっそく、現地で求めた星座表を出して照らし合わせると、「あった!」南十字星が。星座なんて人間が勝手に星たちに合わせて物語を作っただけだと思っていたが、じっと見ていると、ほかの星は消えて確かに十字だけが浮かび上がってくる。
星座表をもう一度見ると、ミルキー・ウエイと書いてある。「う?天の川?」首を回して夜空を眺め渡すと、「あった。あれが天の川だ。そうに違いない」
はじめて見る天の川は、明るい星や、かすかに煙る星が一面に並び、まさにミルクのように埋め尽くす帯のような星の川だった。
しばし、夜空に見とれてたたずんだ。
*不来方(こずかた)は岩手県盛岡市を指し示す言葉