hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

すさまじきかな天災    

2010年03月10日 | 昔の話2

幸いなことに今まで特に大きな災害に会わずにきた。しかし、身近に感じた災害もいくつかある。

1959年9月、潮岬に上陸した伊勢湾台風は、死者・行方不明者5千人と大きな被害をもたらした。私は、高校の卒業旅行で直後に名古屋を通った。列車の窓から見た名古屋港は倒木でうずまり、市内には破壊された家々が限りなく広がっていた。その中で蟻のように小さく見える人びとが懸命に後片付けしていた。そんななかで旅行など申し訳ないと思った。半世紀ほど経った今でも倒木の海の間にうごめく人々の姿が目に焼きついている。


1978年1月14日の昼時に突然やってきた伊豆大島近海地震は、マグニチュード7.0、当時住んでいた横須賀で震度5と大きな地震だった。
いきなりドンと大きな縦揺れが来て、酔いそうになるほど横揺れが続いた。結局、自宅の被害はそれほどでもなかったが、山の上にある職場の建物は大きな被害を受けた。当日は土曜日で人はほとんどいなかったのが幸いしたが、月曜日に出社すると、天井の羽目板は室内に散乱し、物品をしまった壁際の棚は倒れ、キャスター付きの台はとんでもないところに移動していて、上にあった測定器は床に落ちていた。しばらくは、片付けと転倒防止策で、仕事にならなかった。自宅でも、家具を壁に固定したりしたが、10年も経つと、すっかり忘却のかなたになってしまった。

伊豆の旅館が観光客のキャンセルで困っているとの新聞情報があり、これはサービスの良い宿に泊まるチャンスとばかり余震が続く、伊豆へ車を走らせた。海岸線を走り、熱海を過ぎると、ところどころ山側の崖が崩れている。果たして、伊東の近くで道路封鎖になっていた。少し戻って、伊豆スカイラインに入ろうとしたが、これも封鎖。係員に道を聞いたが、「こんなときに観光?」と、相手にしてもらえない。やむなく、戻って熱海で宿泊した。確かに、どこへ行ってもガラガラだったが、人影まばらな観光地は寂しく、楽しめない。ひねくれたお調子者の失敗談になってしまった。


1986年11月の三原山大噴火では、大音響が聞こえ、横須賀の住宅団地は大騒ぎになった。直接大島は見えないのだが、三浦半島先端部の向こう側から空に吹き上げる花火のような噴火が夜になっても続いた。三浦半島の向う側に大島があったとはついぞ気付かなかった。全島民約1万人の避難をTVに釘付けで見た。自然の猛威の桁外れさをあらためて思い知った。




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