9月5日(土)BS-2 21:30~23:00「BS20周年ベストセレクション」の「世紀を刻んだ歌・花はどこへいった~静かなる祈りの反戦歌~」を観た。2000年12月に「世紀を刻んだ歌」シリーズとして最初に放送され、アメリカがイラクを侵略中の2003年4月6日に再放送されたらしい。
内容は、もっとも有名なフォークソングの一つ「花はどこへ行った」(原題 Where have all the flowers gone?)に関するエピソードを紹介するドキュメンタリーだ。
ロシア革命後の不幸な内戦時代を描いたミハイル・ショーロホフの「静かなドン」の最初のほうにコサックの民謡が引用されていて、それは
「あしの葉はどこに行った?娘たちが刈りとった」
「娘たちはどこへいった?娘たちは嫁いでいった」
「どんな男に嫁いでいった?ドン川のコサックに」
「コサックたちはどこへいった?戦争へいった」 といった内容だ。
米国のフォークシンガーの大御所ピート・シーガー(Pete Seeger)が飛行機に乗っているときに、これを読んでインスピレーションを得て、すぐノートに書いた。
1番が「花はどこへ行った。少女がつんだ」
2番が「少女はどこへ行った。男の嫁に行った」
3番が「男はどこへ行った。兵士として戦場へ行った」 というものだった。
1番から3番まで、最後は必ず「Oh, when will you ever learn?:いつになったら(その愚かさに)気づくのだろう」という言葉で終わっている。
1955年、ピート・シーガーが歌ったが、とくにはやることもなかった。
この歌を聴いた民族音楽研究家のジョー・ヒッカーソンが皆で歌うには短すぎて、盛り上がらないと、4番、5番の歌詞を付け加えた。
4番が「兵士はどこへ行った。 死んで墓に入った。」
5番が「墓はどうした。花で覆われた。」 というもので、
1番の「花はどこへ行った。少女がつんだ。」 へ戻り循環する構成にした。
7年後の1962年、ベトナム戦争中に、「ベトナムのことなど考えず、美しい人生の歌として歌っていた」というキングストン・トリオによってこの曲がカヴァーされ、大ヒットした。また同年、反戦運動の中でこの歌を積極的に歌ったピーター・ポール&マリーのカヴァーも大ヒットとなった。
1968年の「テト攻勢」によりベトナム戦争が泥沼化し、悲惨な戦場の様子が報道され、アメリカの世論は反戦に向かっていった。1968年3月、ケサン海軍基地で兵士たちがこの歌を歌う様子が放映され、この曲はもっとも有名な反戦歌となった。
TV番組の中でも、2000年夏にワシントンで行われた「イラク経済制裁反対集会」で雨の中で歌う81歳のシーガーの映像が紹介された。さすがに声ははっていなかったが、凛とした姿に心を揺さぶられた。
また、1962年、リリー・マルレーンの歌で有名な女優マレーネ・ディートリッヒが「花はどこへ行った」を英独仏の3カ国語で歌ってヒットした。ベルリン生まれの彼女はナチスに反発し、アメリカへ渡たり、ナチス・ドイツと戦う連合軍兵士を慰問したのでドイツでは裏切り者扱いされた。
TV番組の映像で、この歌を、あえてドイツ語で歌うディートリッヒの思いつめたような様子は心に響いた。五木寛之がコペンハーゲンで、ディートリッヒがこの歌を歌うのを聞いたことがあり、そのことを書いた「ふりむかせる女たち」(旧題 忘れえぬ女性(ひと)たち)の一節が番組の中で紹介された。