歴史探偵が残した言葉 週のはじめに考える (2021年2月14日 中日新聞))

2021-02-15 09:27:06 | 桜ヶ丘9条の会

歴史探偵が残した言葉 週のはじめに考える

2021年2月14日 中日新聞
 ざっくばらんな語り口で、歴史を生き生きと伝えてくれた作家、半藤一利さんが先月、九十歳の生涯を閉じました。
 「歴史探偵」「昭和史の語り部」という愛称がぴったりあてはまる人でした。
 東京・向島生まれ。十四歳の時、東京大空襲に遭って死線をさまよいます。終戦を告げる玉音放送は、勤労動員で駆り出された工場の中で聞いたそうです。

悲惨な戦争に対する疑問

 大学を卒業後、出版社で雑誌や本の編集に携わりました。「日本はなぜ、こんな悲惨な戦争を始めたのか」。昭和史に関する半藤さんの探究は、こんな素朴な疑問からスタートしたそうです。
 まだ存命だった陸海軍人たちへのインタビューを繰り返します。会った人は計二百人以上にも。
 そこで分かったのは、指導者たちが根拠なき自己過信に陥り、精神論で突き進んだことでした。
 「軍人が人間をいかに強引に動かしたかの物語」(半藤さん)である昭和史に関する執筆は、会社を辞めた六十四歳の夏から本格化しました。
 遅めの再出発でしたが、戦争体験のない人にも理解しやすい言葉を使って数々の著作を発表、多くの読者を得ました。
 ここ数年は対談を重ねていました。歴史から得た教訓を、半藤さんの口から直接聞きたい人が多かったということでしょう。
 手元にあった著作を読み返してみました。そこから浮かぶのは「日本人は、歴史から学んでいないのではないか」という強い危機感です。代表作の一つである『昭和史1926〜1945』の後書きにこうあります。
 「歴史は教訓を投げかけてくれます。反省の材料も、日本人の精神構造の欠点もしっかり示してくれます」。ただし「それを正しく、きちんと学べば」という条件があるというのです。

かつての国民と同じ姿

 われわれは、ちゃんと学んでいるでしょうか。都合の悪い歴史に目をつぶり、スマートフォンなどから好きなニュースだけ見て、それで満足していないでしょうか。
 「かつてこの国にはおなじことがありました。戦争中の大本営発表を信じて、国民の多くが日本は勝ちつづけていると信じた。(中略)戦争中の国民の姿がダブって見えてくるんですがね」(『令和を生きる』)
 終戦までのメディアの在り方についても、つねに厳しい目を向けていました。軍と癒着し、国民を動かした過去についてです。
 「新聞は情報をもらうために軍に迎合していって、それまでの軍縮をよしとする主張を吹っ飛ばしてしまう。それからの新聞はいろんな意味で軍に代わって太鼓を叩(たた)いたと思いますよ」(『いま戦争と平和を語る』)
 報道に携わるものが忘れてはならない指摘でしょう。
 半藤さんの関心は、太平洋戦争だけでなく、幕末、明治維新にも広がりました。
 そこで気がついたのは、日本という国は外圧に直面した時、時代に関係なくナショナリズムが高揚するということでした。
 日本人は時代の空気に順応しやすい。「そんな人たちは、戦争の悲惨の記憶が失われて、時間が悲惨を濾過(ろか)し美化していくと、それに酔い心地となって、再び殺戮(さつりく)に熱中する人間に変貌する可能性があるのじゃないでしょうか」(『あの戦争と日本人』)
 「熱狂してはいけない」というのも、半藤さんが繰り返した警告の一つでした。
 メディアが先導して作り上げた「世論」を権力者が悪用し、民衆の間にナショナリズムを高揚させる危険性を指しています。
 「熱狂に流されないためにはどうしたらいいか、と問われれば、歴史を正しく学んで、自制と謙虚さを持つ歴史感覚を身につけることです、と答える」(前掲書)
 日本には国としてのしっかりした基軸があると半藤さんは書きます。それは、日本国憲法です。
 「この平和憲法こそが人類を生かすための最大の理想であると思います」。そして「今がチャンスなんです。日本が率先して理想主義をどんどんやっていけばいいんです」(『使える9条』)。

平和で穏やかな日本を

 半藤さんは、東京大空襲で焼け死んでいく無数の人たちを目にしながら、次第に慣れっこになり、無感覚になった自分のことを反省を込めて振り返っています。
 そのこともあってでしょう。著作の中で再三「日本よ、平和で穏やかであれ」と記しています。戦争のない平凡な美しさこそ、われわれが守るべきものだ、と。
 大切な「語り部」の一人がいなくなってしまいました。
 今度はわれわれが昭和の歴史に向き合い、その教えを引き継いでいかねばならないでしょう。

 


戦争棄民、苦悩伝える肖像 東京・三鷹で写真展 (2021年2月12日 中日新聞))

2021-02-14 11:13:26 | 桜ヶ丘9条の会

戦争棄民、苦悩伝える肖像 東京・三鷹で写真展

2021年2月12日 中日新聞
 東京都三鷹市の三鷹市公会堂で十九日から三日間、フォトジャーナリスト・山本宗補さん(67)=長野県御代田町=の写真展「戦後はまだ〜刻まれた加害と被害の記憶〜」が開かれる。企画したのは同市で活動するNPO法人「中国帰国者の会」。戦争の清算は敗戦から七十五年がたっても終わっておらず、戦後はまだ来ていない−山本さんの写真集からとった写真展のタイトルには、そんな思いが託されている。 (佐藤直子)
 展示される二十点の作品は多くが白黒だ。先の戦争で日本の加害に加担せざるを得なかった人たち、戦争の犠牲者でありながら戦後も国から顧みられることのなかった人たちの苦悩の肖像が、モノトーンの光と影の中に刻まれている。
 東南アジアや中東の紛争を取材してきた山本さんが、戦争体験者の聞き取りを始めたのは二〇〇五年の夏から。沖縄県の西表島など八重山諸島を舞台にした「戦争マラリア」の取材に取り組んだのが最初だった。それは旧日本軍が住民を見殺しにした軍事作戦のひとつだったという。
 被写体になった人たちの戦争体験は実に多様だ。
 戦時中に国策として進められた満蒙(まんもう)開拓のために中国に渡り、敗戦時に置き去りにされた「残留婦人」鈴木則子さん(故人)は中国帰国者の会の創設者だ。戦後三十三年間を中国で暮らし、一九七八年に永住帰国した。帰国者支援に無策な国に憤り、国家賠償を求める裁判を起こし、敗れた“棄民”である。
 「国に従って 国に棄(す)てられた人びとを 忘れず ふたたび 同じ道を歩まぬための 道しるべに」
 東京都調布市の延浄寺に立つ「不忘の碑」の前で撮影された鈴木さんの表情からは、口癖のように繰り返していた「もう二度と、だまされてはいけない」と諭す声が聞こえるようだ。
 中国山西省の郭喜翠さん(故人)は、旧日本軍による性暴力の被害者だ。監禁され、強姦(ごうかん)され、精神を病んだ。九〇年代に入って日本政府を相手に謝罪と賠償を求める訴訟を起こしたが、やはり敗訴した。深く刻まれた「しわ」が苦渋に満ちた人生を物語る。郭さんもまた、国家から見放された棄民の一人だった。
 このほか、沖縄戦で通信隊の見習いだった仲松庸全さん、広島の爆心地近くで被爆した兒玉(こだま)光雄さん、中国人を生体解剖した元軍医の湯浅謙さん、満州で召集されシベリアに抑留された千野誠治さんらの肖像が会場に並ぶ予定だ。
 「お国のために」と信じた人びとが戦争に駆り立てられたあの時代は、皇国教育のマインドコントロール下にあったと山本さんは感じている。「軍隊は住民を守らなかったし、国は何度でも住民を棄てる。国民が日常的に抑制しないと、政府は必ず暴走することを戦争体験者は教訓として教えているのです」
 最終日の二十一日は午後一時半から「戦争も原子力発電も国策 繰り返される棄民を考える」と題した山本さんの講演がある。福島原発の事故から間もなく十年。現代の棄民というべき原発被災者の今に引き寄せて問い掛ける。参加費無料。問い合わせは「中国帰国者の会」=電070(5588)7827=へ。

 


中日春秋 (2021年2月13日 中日新聞))

2021-02-13 10:35:07 | 桜ヶ丘9条の会

中日春秋

2021年2月13日 中日新聞
 菜の花畠(ばたけ)に入日(いりひ)薄れ−。唱歌「朧(おぼろ)月夜」を歌う声に司馬遼太郎さんは「それ何の歌だ」と尋ねたそうだ。菜の花が大好きな司馬さんのためにと歌ったのは作家半藤一利さんである。小学校に通う代わりに図書館に入り浸ったせいで有名な唱歌を知らなかったとは、長いつきあいの半藤さんの見立てだ
▼人がコーヒーを一杯飲む間に司馬さんは三百ページほどの本を三冊読み終えていた。唱歌の話に片りんがみえる「神がかった」読書の量と力、取材や知識への熱意の人であったそうだ。「資料を読んで読んで読み尽くして、そのあとに一滴、二滴出る透明な滴(しずく)を書くのです」という言葉とともに半藤さんが書き残している
▼司馬さんが亡くなり二十五年たった。十二日は命日「菜の花忌」である。「半藤君、俺たちには相当責任がある。こんな国を残して子孫に顔向けできるか」。没する一年前に語ったという
▼憂えていたのは、ひたすら金もうけに走り、金もうけに操られるような社会だった。「足るを知る」の心が大切になると、世に語りかけようとしていた
▼憂いは過去のものになっていないだろう。災害、経済の混乱、疫病の流行…。司馬さんなら何を語るかと思うことも多い四半世紀である。憂いをともにし、後を継ぐように昭和を書いてきた半藤さんも他界した
▼著作の中に、残された滴に、声を探したくなる菜の花忌である。

 


森会長辞任へ 遅きに失した判断だ (2021年2月12日 中日新聞)

2021-02-12 10:05:07 | 桜ヶ丘9条の会

森会長辞任へ 遅きに失した判断だ

2021年2月12日 中日新聞
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞意を固めた。女性蔑視発言での引責だが、遅きに失した判断だ。開幕まで時間が限られる中、一層の緊張感が必要な再出発となる。
 「理事会での森会長の処遇の検討を求めます」(元陸上選手の為末大さん)
 「He must go(彼は去るべきだ)」(米NBC)
 女性蔑視発言から一週間、森氏への批判は国内外で日増しに高まった。一度は続投を表明した森氏自身も、民意とのズレや国際感覚の欠如をかみしめたことだろう。大会の最高責任者としては失格であり、辞任は当然だ。
 辞任のきっかけとなったのは、競技団体の女性理事の任用拡大を巡り「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と述べたことだ。女性蔑視と批判され、翌日に謝罪して発言を撤回したものの、任用拡大には後ろ向きの姿勢を崩さなかった。
 女性の性被害を告発する「#Me Too」運動の広がりなどを受け、社会が女性の声を受け止めようとしている。国連は持続可能な開発目標(SDGs)で「ジェンダーの平等」を打ち出し、国際オリンピック委員会(IOC)も五輪憲章で性差別を禁じている。
 森氏の発言は女性蔑視にとどまらず、開かれた場での議論を尊ぶ民主的なルールに反する内容でもあり、二重に許されなかった。
 そんな森氏を組織委幹部が慰留し、会長選定権限を持つ理事からも辞任を求める声が出なかった。自浄作用を発揮できなかった周囲の責任も問われるべきだ。
 続投シナリオを崩壊させたのはインターネット上の署名活動や大会ボランティア、聖火リレー走者の参加辞退など個人が上げた「ノー」の声だった。
 大会スポンサーの経済界からも批判が高まり、当初は火消しに回ったIOCも「発言は完全に不適切」との声明を出す事態に追い込まれた。
 この間、大会のイメージがどれほど損なわれたことか。再び国民の期待を高め、選手らの気持ちをまとめ上げるのは容易ではない。
 後任には川淵三郎氏が挙がる。サッカーJリーグの初代チェアマンの手腕が評価され、組織委では評議員を務めていた。
 川淵氏は信頼回復を急ぐとともに、新型コロナウイルス感染拡大の中、現実に即した大会の在り方を早急に打ち出す必要がある。

 


森発言と菅政権 深刻さ理解しているか (2021年2月11日 中日新聞))

2021-02-11 10:46:08 | 桜ヶ丘9条の会

森発言と菅政権 深刻さ理解しているか

2021年2月11日 中日新聞
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言に国際的な批判が高まっている。しかし、菅義偉首相ら政府側の反応はどこかひとごとだ。発言の深刻さを理解しているのか。
 政界の先輩である首相経験者には直言しづらいということか。
 森氏に辞任を促すよう求める野党の国会質問に対し、首相は「私が進退を問題視すべきではない。組織委の中で決定してもらう」と述べるにとどめた。
 「あってはならない発言」と言いながら、進退には自分は無関係と言わんばかりの答弁である。
 首相は組織委の顧問会議議長でもあり、組織委の定款では、顧問会議は法人の運営に助言できる。
 首相は形式的とされる日本学術会議の会員人事に介入しながら、なぜ組織委には助言しないのか。
 森氏の進退に言及しないのは、女性蔑視発言の深刻さを理解していないから、と国民や世界に受け取られても仕方があるまい。
 政権内からは、森氏を擁護する発言すら聞こえてくる。
 自民党の世耕弘成参院幹事長は記者会見で森氏を「余人をもって代え難い。人脈や五輪への知見を考えたら、森氏以外に誰が開催を推進できるのか」と持ち上げた。
 代え難い人なら蔑視発言も許されるというのもおかしな理屈だ。
 同党の二階俊博幹事長に至っては森氏の発言を機に大会ボランティアに辞退の動きが出ていることについて「辞めると瞬間には言っても、協力して立派に(大会を)仕上げましょうとなるのではないか」「どうしてもお辞めになりたいということだったら、また新たなボランティアを募集、追加せざるを得ない」と会見で述べた。
 一年延期とコロナ禍が重なり、ボランティア確保は難題だ。追加募集すればすぐに集まると考えているのなら、状況の深刻さを理解していないと言わざるを得ない。
 さすがに橋本聖子五輪担当相が二階氏発言を「不適切だった」と述べたが、覆水盆に返らずだ。
 森氏の謝罪後「問題が終わったと考えている」とした国際オリンピック委員会(IOC)も後に「森氏の発言は完全に不適切で、五輪の理念に反している」と批判する異例の声明を発表した。
 森氏の発言は女性蔑視のみならず、会議での自由な発言封じを当然視するなど、日本社会の在り方そのものも問われている。それを変えるのは政治の仕事なのに、政治家にその認識がないとしたら、森氏の発言以上に深刻である。