都立高元校長「不当介入」訴え 前川氏授業問題(2018年3月24日中日新聞)

2018-03-24 09:10:25 | 桜ヶ丘9条の会
都立高元校長「不当介入」訴え 前川氏授業問題 

2018/3/24 中日新聞

 文部科学省が前川喜平・前事務次官の授業内容の報告を名古屋市教委に求めた問題では、教育基本法が禁じる「不当な支配」に当たる可能性が指摘されている。戦前の国家主義的な教育への反省から教育の独立が重視されてきたはずだが、近年、学校現場への管理強化は進む一方だ。締め付けに異を唱え続ける東京都立高の元校長に聞いた。

 「ここまで政治が教育現場に介入するなんて」

 文科省が個別の授業内容を細かく照会していたことに、元都立高校長の渡部謙一さん(74)は驚きを隠せない。

 総合学習の講師として前川氏を招いた名古屋市立八王子中学校の授業内容について、文科省は、十五項目にわたる質問状を市教育委に送付。学校側が拒んだが録画記録の提供すら求めていた。質問状は自民党の池田佳隆衆院議員(比例東海)が事前に確認していたが、当初は議員からの問い合わせも隠していた。

 質問状を確認し、修正を求めた池田氏は「質問状への感想を文科省に求められた」と説明。林芳正文科相は「事実確認は文科省の判断。法令に基づき、国が調査することは可能」と説明している。

 だが、「東京の『教育改革』は何をもたらしたか」の著作がある渡部さんは「教育の独立を脅かす現場への不当介入以外の何ものでもない。近年、教育現場の締め付けは悪化の一途をたどってきたが、危機的状況がここまできたか」と嘆く。

◆物言えぬ空気

 一九九九年の石原慎太郎都政発足と同時期に校長になった渡部さんは、まず東京で始まった管理強化の波にいや応なく巻き込まれてきた。

 九五年に始まった都立高校改革は、現場や保護者の意見も聞かず一方的に進められた。「校長の権限がどんどん強化され、職員会議は協議の場ではなく、校長の方針を伝える場や諮問機関化していった。校長は経営者で、数値目標と成果を上げろと言われた」

 さらに学校内で教員の階級分けが進む。「教育委員会から、校長、教師へと上意下達が徹底された。学校現場で一番大切なのは、教師が生徒たちのことを自由に話し協力し合う『協働性』なのにそれが壊されていった」。実際、学校には物言えぬ空気や諦めがじわじわ広がっていった。

 石原都政の誕生した九九年に、国旗国歌法もつくられている。国会審議では文相(当時)が「国民に強制するものではない」と答弁していたにもかかわらず、二〇〇三年に都は完全実施を求める通達を出し、従わない教員らを次々に処分していった。

 〇三年度は、渡部さんにとって教員人生の最後の年だった。校長として最後の卒業式で、日の丸・君が代を強いる職務命令を出さざるを得なかった。都教委には当日の教師の座席表まで提出を求められ、出席した都教委によって、君が代斉唱時に起立しない教師がチェックされた。

 中学時代の担任にあこがれ、教師になった渡部さんにとって、戦後の教育は未来への希望そのものだった。「生徒は一人一人状況が違う。生徒にレッテルを貼らず、徹底的に関わり、絶対に放り出さない。それを信条にやってきた」

 だが、その教員人生の最後に、異論を認めない上意下達のコマであることを強いられた。「これが教育なのか。この時の贖罪(しょくざい)の思いがあり、教育現場のこの空気払拭(ふっしょく)のために、退職後は尽力しようと決意した」

 渡部さんは退職後、教育現場の問題を講演などで発言し続けた。通常なら招待される元の勤務先の卒業式や行事に一切呼ばれなかった。君が代を巡る教員処分問題で〇六年二月に都教委の人事委員会審理で証言を求められたときには、「東京の教育は異常だ」と訴えた。

 現在も「東京の教育を考える校長・教頭(副校長)経験者の会」のメンバーとして、教育の独立を訴え続けている。

 だが、東京から始まった学校現場の締め付けは、第一次安倍政権による〇六年の教育基本法改正とともに全国に拡散しつつある。渡部さんは「学習指導要領などで、指導内容だけでなく、指導方法まで統一され、信じられないことに統一した生徒像を目指すとまでいわれている。教師は管理され、生徒一人一人に向き合う余裕がない。学校現場には疲弊と諦めが起きている。今の学校は学校ではない」と訴える。

◆学習権の侵害

 そもそも教育の独立はなぜ大切なのか。

 名古屋大の愛敬(あいきょう)浩二教授(憲法学)は、教育基本法が教育への「不当な支配」を禁じている理由について「国家が介入し、国に有用な人材の育成を目的にしていた戦前教育の反省から、戦後は子ども個人の能力をより良く発展させるため、教育の自由が唱えられた」と説明。文科省による今回の報告要請は「子どもの学習権と、講演者の表現の自由とが侵害される大きな問題だ」と指摘する。

 「今回のような政治的介入がまかり通れば、政治家ににらまれるような人は、どんなに素晴らしいことを言っていたとしても、学校側が萎縮して呼べない。学校が政治を忖度(そんたく)する結果、特定の価値観だけを教えることになる。一方、子どもたちの成長に必要な情報を持っている前川氏のような人からは、伝える機会を奪う。これは民主主義社会全体にとって、大きな不利益だ」と憂慮する。

◆思想チェック

 新潟大の世取山(よとりやま)洋介准教授(教育行政学)は「具体的な教育活動を特定して調査を行うこと自体が『不当な支配』に当たる」と断じる。実際、〇三年には都内の特別支援学校で行われた性教育の授業を都議が議会で問題視し、都教委も厳重注意の処分を下したが、最高裁はこれを「教育への介入で不当な支配」と判断した。

 世取山氏は「本来、文科省は政治家の介入から教育を守る大きな役割があるのに、その義務を果たせなかった」と批判。やはり、根底には改正された教育基本法の影響があるとみる。

 改正教育基本法では、教育は「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と、新たな文言が盛り込まれた。「これ以降、文科省自身が法律の根拠さえあれば自由に現場の教育内容まで統制できるという錯覚に陥り、たがが外れた。それが政治家の介入を誘発している。政治家も行政も介入してはならないという当たり前のことを思い出すきっかけにしなければ」と助言する。

 改正教基法は、子どもたちの「愛国心」養成を盛り込んでいる。一八年度からは小学校、一九年度からは中学校で道徳が教科化され、心の内面が点数などで評価されるようになるが、危ぶむ向きは多い。金沢大の石川多加子准教授(憲法学)は「道徳の教科化は、戦前、国民に愛国心をたたき込んだ修身教育のよう。国家に従順な人間をつくるための総仕上げだろう」と語る。

 上智大の田島泰彦教授(情報メディア法)は「今回の問題は、聴衆の動員や反応など事細かに調査するもので、思想チェックにほかならない。戦前の特高警察と相通ずるものがあり、ここまできたかという印象だ」と驚きながら、危機感を募らせる。「秘密保護法や共謀罪の創設など、安倍政権は思想や表現の自由を抑圧する制度を作っただけでなく、教育現場にも重きを置き、それらを受け入れるような人間の形成を進めてきた。用意周到で、最終的に目指しているのは憲法改正とそれを受け入れる人間づくりだろう」

 (片山夏子、石井紀代美)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿