菊池事件、差別の教訓 元ハンセン病患者「再審、人権回復を」(2021年9月14日 中日新聞)

2021-09-14 11:40:24 | 桜ヶ丘9条の会

菊池事件、差別の教訓 元ハンセン病患者「再審、人権回復を」

2021年9月14日 中日新聞
 一九五〇年代に熊本県で発生し、ハンセン病患者とされた男性が無実を訴えながら死刑になった「菊池事件」を巡り、元患者の竪山(たてやま)勲さん(72)=鹿児島県鹿屋市=が男性の再審を求めて署名活動をしている。偏見に満ちた審理で極刑を導きだし、それが元患者全体への差別を助長してきたと強い憤りを抱いてきた。「司法は速やかに再審を認め、教訓を社会全体で考えてほしい」と話す。 (中山岳)

国賠訴訟では「違憲」

 「憲法違反の特別法廷による死刑判決が執行され、そのままになっている。司法の世界はこれでいいんでしょうか」。七月下旬に開かれたオンライン講演会。竪山さんは視聴者に語りかけた。
 菊池事件では五二年七月、ハンセン病患者とされたFさんが熊本県菊池郡水源村(現菊池市)の衛生係を刺殺したとして殺人容疑で逮捕された。公判は「感染の恐れがある」との理由で、ハンセン病療養所「菊池恵楓園(けいふうえん)」などに設置された特別法廷で開かれた。
 ハンセン病は四七年に治療薬の使用が始まり、既に治る病気になっていた。だが、公判で裁判官、検察官、国選弁護人は白い予防着と長靴を着用。書記官は証拠とされたタオルを長い箸でつまんで示した。無実を訴えるFさんをよそに、弁護士は「別段述べることはない」と検察側の証拠に全て同意した。
 審理は実質四回だけ。五三年八月に死刑判決が出ると、五七年八月に最高裁で上告が棄却され、九月に確定。三回目の再審請求が棄却された翌日の六二年九月十四日、執行された。
 当時十三歳だった竪山さんは国立療養所星塚敬愛園(鹿屋市)に入所したばかりで、死刑執行はすぐ園内にも知らされた。竪山さんはその時の衝撃を今もよく覚えており「弁護らしい弁護もされずに死刑判決が下された。どう考えてもまっとうな裁判ではなかった」と振り返る。
 菊池事件を巡っては、竪山さんら元患者たちが国家賠償請求訴訟を熊本地裁に起こした。偏見に満ちた審理を是正しなければ、元患者全体への差別を助長すると考えたためだ。昨年二月の判決では「特別法廷での審理は(Fさんの)人格権を侵害し、患者であることを理由とした不合理な差別で、憲法に違反する」と判断が示され、確定した。
 ただ、Fさんの名誉回復は道半ばだ。極刑を下した刑事裁判は再審に至っていないからだ。竪山さんたちは先の国賠訴訟で再審についても求めたが、熊本地裁は「審理に憲法違反の疑いがあるとしても、刑事裁判の事実認定に影響する手続き違反とは言えない」とし、必要性を認めなかった。
 再審に後ろ向きなのは裁判所だけではない。検察もだ。竪山さんらは再審請求するよう求める書面を熊本地検に出したが、地検は今年一月、地裁判決などを理由に「再審請求を行うことはできない」と回答した。
 竪山さんは現在、弁護士や市民団体と再審を実現するための署名活動を行っている。先月十日に二万八千二百九十二人分を熊本地裁に提出。死刑執行から五十九年になる今月十四日には追加の約二千九百人分を出す予定だ。「このままなら(Fさんの)人としての尊厳はどこにあるのか。再審されない限り、私たち元患者の人権回復も終わらない」

隔離、偏見 コロナに通じる

 再審を求める弁護団の国宗直子弁護士は「憲法違反と判断された特別法廷の手続きは無効のはずだ。無効な手続きで死刑判決を受け、執行された(Fさんの)無念は察するに余りある。放置できない」と話す。
 菊池事件が起きる前、Fさんは菊池恵楓園の医師からハンセン病と診断され、入所を求められていた。Fさんは複数の病院を回りハンセン病でないとの診断も受けたものの、熊本県は入所を拒めば強制収容すると通知していた。
 同園は五一年六月に千床増やしており、県は患者の病状や意思にかかわらず強制収容する姿勢を強めていた。竪山さんは「当時は全国各地で、ハンセン病患者を療養所へ強制的に隔離する『無らい県運動』が進められていた」と語る。入所を拒んだFさんが最初に逮捕されたのが、この年の八月。竪山さんは「運動の影響もあった」と指摘する。
 無らい県運動は戦前に制定された「らい予防法」に基づいて行われた。四七年には当時の厚生省が「無らい方策実施に関する件」を都道府県に通知し「らい予防撲滅は文化国家建設の基本になる重要な事案」としていた。ただ同法は九六年に廃止され、二〇〇一年には「強制隔離は違憲」として国の責任を認める国賠訴訟の判決が確定した。
 ハンセン病の問題は過去の話になったとは言い切れない。感染症患者への管理を強める動きは、コロナ禍でも出ているからだ。今年二月に成立した改正感染症法は、入院拒否や逃走した場合に五十万円以下の行政罰「過料」を設けた。
 法改正を巡っては、各地のハンセン病の元患者や支援団体などから「罰則による感染抑止の効果は疑問。差別や偏見を助長する」といった反対の声が上がった。そもそも、一九九九年に施行された同法の前文は「ハンセン病などの患者にいわれのない差別や偏見が存在したことを重く受け止める」などとうたっている。
 竪山さんは「コロナ禍を見ても、患者を第一に考えずに感染源から社会を守ろうという社会防衛論が広がっている。私たちを隔離した政策と同じ考えであり、ハンセン病問題の教訓が全く生かされていない」と危ぶむ。
 目を向けるべきはコロナ禍だけではない。
 各地のハンセン病療養所で進むのが元患者の高齢化だ。厚生労働省によると、今年五月一日時点で全国十三カ所の国立療養所で生活しているのは千一人、平均年齢は八十七歳。療養所で最期を迎える人や、引き取り手のない遺骨も少なくない。
 二〇〇四年に星塚敬愛園を退所した竪山さんは全国で講演し、今の課題などを伝えている。「死んでも故郷に帰れない多くのお骨が各地の療養所の納骨堂に眠っている。私たちや元患者の家族たちは、いまだに偏見差別の渦中にある。コロナ禍の問題を見ても、まずは医療や司法の現場で、人権感覚が根付いてほしい
 元患者が少なくなるにつれ、教訓が風化する懸念も強まっている。星塚敬愛園・社会交流会館の学芸員原田玲子さん(50)は七月のオンライン講演会に一市民として参加。「ハンセン病問題を、歴史的な背景も含めて広く知ってもらいたい。一人一人が患者の方々が受けた体験を自らに置き換えて考え、行動することが重要ではないか」と訴えた。
 講演会を企画したNPO法人マザーハウスの五十嵐弘志理事長は「コロナ禍の今だからこそ、菊池事件やハンセン病問題の教訓を学ぶことは意味がある。感染症患者への隔離政策や差別、偏見を繰り返さないために、特に若い人に関心を持ってほしい」と話した。

 菊池事件 1951年8月、熊本県水源村で、村役場の衛生係の男性の自宅にダイナマイトが投げ込まれ、男性や家族が負傷。同じ集落に住むFさんが逮捕された。Fさんはこの事件の控訴審中の52年6月、菊池恵楓園内の拘置所から脱走。翌7月、男性の刺殺体が山道で見つかり、実家近くの小屋に隠れていたFさんが改めて逮捕された。