ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

西神吉町をゆく(26) 鼎の「清水」

2024-03-04 07:59:18 | 加古川市歴史探訪・西神吉町

 

     西神吉町をゆく(26) 鼎の「清水」

  鼎の清水について堀田武夫氏は『私たちのふる里(第1集)』(西神吉小学校PTA発行)で清水について下記のように纏めておられます。

 一部をお借りします。



 清水村は、もとは今の変竃所の附近にありました。古屋敷とい字(あざ)の所です。

 集落という程の戸数もありませんでした。

 慶長年間(15961614)約400年に、現在の地の周辺の地を開墾し、畑をつくり水田をつくり集落の名前を「清水新田」と名づけました。大変な苦労でした。

 まず、自分の生活をきりつめ、食物は、肉、魚介類は食べずに、野菜を主にとっていました。

 ・・・・

 昔から、清水へは魚屋さんも出入りしない集落でした。「売りに行っても買ってもらえない」とまで言われました。

 穀物類は、絶対にねずみに食べられないようにする。だから、ねずみも住めない。猫も飼わない、育たない。

 その上、牛や馬を働かすだけ働かして、食物は充分には与えないものですから、

早く亡くなったといいます。



 開墾当時の清水の入は清き水をもとめました。

 「清き水が出るよう」にと、弘法大師にお願いして、井戸を掘り、その水を田に引き入れ、水田をつくり、生活用水に利用し、村の名前を「清水」とし、村人は水埜・清埜・清田・野村などの姓をつけました。

 先担は、土地を大切にし、水も浪費を防ぎ、自分の会べ物も出来るだせ姶末をして、清水という村をつくってきました。

*写真:清水の妙心寺



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