平岡町をゆく(25) 木綿問屋
長束木綿(ながそくもめん)の話からはじめます。長束木綿とは、加古川地方(加古郡・印南郡)で生産される綿のことです。
文政年間から姫路藩は、木綿の専売制度では藩の特産物として重要な位置を占めていました。木綿の生産の中心地は加古川地域でした。
木綿問屋、坂田藤蔵・坂田最一兵衛
図は天保7年(1836)、姫路藩の大阪や江戸積問屋へ売り渡す長束木綿の生産地問屋の所在を表しています。
当然の事ながら木綿問屋は加古郡・印南郡内に位置しています。
中でもその大半が、現在の加古川市域に含まれています。
木綿を生産した農民は糸にし、また反物に織りあげました。
木綿商人がそれを買い集め、生産地問屋から、姫路城下の江戸積問屋や大坂積問屋(一部、大坂積も認められていた)へ売り渡されました。
図の木綿問屋に注目してください。
10の木綿問屋は二俣の坂田最一兵衛で、11は二俣の坂田藤蔵です。
現代の平岡町で、木綿問屋と認可されていたのはこの二名だけです。
(図はクリックして拡大してご覧ください)
鑑札をもって商売することは、競争相手が少なく安定した経営ができました。
これら木綿問屋の内でも、二俣の藤蔵はどの木綿商よりもとびぬけて多くの木綿を扱う大商人でした。
坂田藤蔵・坂田最一兵衛活躍を活躍をさら続けます。
*図は「加古川市史(第二巻)」より
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